Ⅲ 激流 ー17
「ごめんなさい」
燦が決まり悪そうに笑った。
ターシャは「いいえ」と首を振った。
どうして二人がこんな風になったのか知らなかったし、気にはなったが、何と言えばいいか分からなかった。それに、これに関しては、自分は全くの部外者だ。
自分が何をしに来たのか思い出して、ターシャは居住まいを正した。
「王女様は今、蒼碇の長官なんですか?」
「ええ、そうよ」と燦は頷いて、「だから『王女様』はやめてくれる?」と付け加えた。
「……王女ではないんですか?」
ターシャは少し声を潜めて訊いた。不思議だと思った。王女が王城を、しかも王都を出て、地方の長官になるなど、聞いたことがない。だが、ガザにはガザの政治があるだろう。安易な判断は控えていたのだ。
「まぁ、王様の子どもっていう点では、もちろん王女だけどね」
点もなにも、それがすべてではないか。ターシャは礼儀を忘れて、眉を顰めてしまった。
燦はお構いなしに、話を続けた。
「それで?どうしてわたしに会いに来たの?わたしもあなたに会いたかったけど、それだけで、こんな時にこんなところまで会いに来たわけではないでしょう?」
「ええ、そうですね」
ターシャは不安になった。燦と話せば何かしら展望が開けると期待していた意気込みが、急にしぼんでしまった気がした。
このまま燦に話していいのだろうか。
そう迷いながらも、その為にいろんな人の手を借りてここに来たのだという、後に引けない気持ちもあった。
「父の消息がつかめないんです」
ガザの、少なくとも王室は、今回の事件をアウローラ大公が起こしたとは思っていない。それは、王家の隠密がターシャを助けたことで、すでに分かっている。
では、ガザはどこまで掴んでいるのだろう。事件の真相を知っているのか、もしかしたら、犯人はガザ内部の者かもしれない。
これは、ターシャの予感に過ぎないが、もしガザの誰かが、公国を利用して何かを企んでいるのなら、父はそれを利用したのかもしれない。
何の為かは分からない。だが、父がまんまとあんな幼稚な罠にかかるとは思えないのだ。
では、何の目的で?
そして、それとユースティスの行動は、何か関りがあるのだろうか。
自国に味方がいない自分は、情報が圧倒的に少ない。一人で考えても限界がある。
ターシャは燦と情報共有が出来ればと思っていた。燦なら、ターシャの気持ちも目的も分かってくれる。そう思っていた。
「そう」
燦の目がクルリと色を変えた…ように見えた。
先ほどとは違う輝きを放っている。ほら、為政者の目だ。王女として、思考するときの目。
「あなたも分かっていると思うけど、わたしたちは今回の事件で、大公を疑っていないわ。あんなことをする理由がない」
「よかった。そうです、その通りです」
ターシャはとりあえず、素直に誤解が溶けた喜びを伝えた。これでやっと対等に話せる。
「でも、大公は帰ってきていないのね。あなたたちの所にも」
燦は探るような目で、ターシャを見た。
どこまで話そうか、ターシャは迷った。
「ええ、帰ってくるどころか、消息の一つも送って来ません。公国の連中も掴めていないみたいです」
「そうでしょうね。大公の身柄を送ってくると言っておいて、音沙汰なしだもの。自分たちが言い出したのにね」
意味ありげに燦はターシャを見つめた。
「公国からですか?」
ターシャが訊ねると、燦は「そうよ」と素早く言った。それからターシャの方へ身を乗り出した。
「ねぇ、公国はおかしいと思わないのかなぁ。ガザは一度も『大公を連れてこい』なんて、言っていない。それがどうしてか」
どうしてか、それは公国が大公を疑っていないということだ。そして……
「犯人がガザの人間だということ」
ターシャは燦の言葉を引き継いだ。
やはりガザは分かっていた。
犯人はガザ国内の人間である可能性がある。それが調査の段階か、確信できたのかは分からないが、その為にガザは慎重に対応し、強硬に公国に迫らなかった。
だが、それを公にすると、今度は公国からガザへ抗議しなくてはならない。大公を巻き込んだのだから、当然だ。だが大公に敵対する勢力にとっては、この事件は渡りに船だった。自分たちの手を汚さなくても、大公を追い落とすことができたのだから、僥倖だ。だから、犯人は大公でなくてはならないし、ガザと揉めるわけにもいかない。
「まだ、確信とまではいかないけどね」
燦は椅子に座りなおして、言った。
「関わっている人物の目星はつくかもしれない」
「それが、だれかは」
促しながら、燦は言うつもりはないのだろうと思った。
案の定、燦は首を軽く横に振った。
「公国の公女であるあなたに明かすわけにはいかないわ」
それはそのままガザの弱みになるからだ。
ターシャは素直に頷いた。それはそうだろう。自分でもそうする。しかし、だとしたら、
「公国にも協力者がいる可能性は高いですね」
ガザの首謀者が単独で事を起こして、たまたま公国の反大公派に幸運をもたらしたとは考えにくい。
そうなれば、問題は戻っていく。「大公はどこにいるのか」ということだ。
「ふふ」
燦が急に笑ったので、考え込んでいたターシャは驚いて顔を上げた。
「何かおかしいですか?」
何か的外れなことを言っただろうか。
訝るターシャに燦は「いいえ、違うの」と笑いながら首を振った。
「ターシャはやっぱり公国の人なのね。最初は敵みたいに『公国』って言っていたけれど、もう『公国』になっているわ。……憎くはないの?」
大公に謀反の疑いが出た途端にあっさり見捨てて、その家族である母と自分を罪人のように追い詰めた。だが不思議と、国に対して憎しみは抱かなかった。
どうにかこの混乱を納めなければ、とそれだけを思っていた。
「憎いと思ったことはありません。ただ、間違いが起こったから正したい。そう思うだけです」
燦は目を細めた。
「あなたは大公になりたいのね」
燦の言葉に、子どもの頃の感情が、嵐のように襲ってきた。
父のような大公になりたいと思った。本気でなれると思っていた。自分にはその資格があると思っていた。
それが、女だからという理由で、大公にはなれないと知った日の絶望。
ターシャは幼い頃、一度生きる意味を見失い、その時、渇望に似たその望みを、自分の胸の中に仕舞いこんでいた。
不意に蓋が開いた想いに、ターシャは呻いた。
胸を強く抑えて、かろうじて言葉を発する。
「公国では女は大公になれないのですよ」
だから、あなたがうらやましかった。
声に出さなかった言葉は、それでも燦に伝わってしまった。
燦ははっきりとした声で言った。
「わたしは女王にならないわ」
燦の言葉を聞いて最初に思ったのは、ガザも女は王になれないのかということだった。
だが燦はターシャの考えを読んだかのように、「いいえ、違うの」と先んじて言った。
「王位は血筋で継承されるなんて、別に決められていないのよ。ガザ帝国にそんな法があるわけではないの。王は自分の子どもに王位継承権を与えるものだと、ただ皆思っているだけ。それを受け入れるか、反逆するかの二拓だと思っている」
「……ガザ王はあなたに継がせるつもりはないのですか?」
固い声でターシャが訊ねた。
燦は首を横に振る。
「父は何も言わないわ、ターシャ」
燦の目が強く光った。
「わたしは王位を継ぎたくないの。女王になるつもりはないわ」




