第十九話
その依頼書を見た瞬間、私は悟った。
(……あ、これ胃に来るやつだ)
ギルド掲示板の中央。
赤字で、しかも三重線で囲まれた異様に主張の強い一枚。
【緊急討伐依頼】
対象:黒翼のワイバーン(推定Aランク)
特記事項:
・近頃、名乗ろうとする素振りあり
・詠唱の兆候あり
・二つ名、異名、過去語りに入った場合、被害拡大の恐れ
※重要
喋らせたら即アウト
※本当に即アウト
※前例あり
※ギルドが泣いた
「……スライムの件から、世界が壊れ始めてる」
私は掲示板の前で膝に手をつき、静かに胃を押さえた。
――スライムが自己紹介を始めたあの日から。
――ゴブリンが二つ名を名乗り、ハリセンで鎮められたあの日から。
――ギルドが「喋る魔物はダメだ」と本気で震えた、あの回から。
厨二病は、確実に魔物界へ感染していた。
「……で、今回は空飛ぶやつ?」
受付嬢が、目を逸らしながら言った。
「はい。しかも……」
声を潜める。
「空中で名乗ろうとした目撃証言が、複数」
「最悪じゃん」
思わず素で返した。
空中。
厨二病。
ワイバーン。
つまり――
(止める猶予、ほぼゼロ)
失敗した瞬間、
「我が名は――」
まで行ったら、その場で世界が終わる。
ギルド的に。
「……受けます」
胃がきゅっと縮む感覚を無視して、私は言った。
「他に受ける人いないでしょ、これ」
受付嬢は、心底ありがたそうに頭を下げた。
「ありがとうございます……! 正直、全員、腹痛で欠席しました」
「それ仮病じゃなくて本物だよ」
⸻
討伐地は、断崖と雲が入り混じる高地。
風が強く、視界も悪い。
そして――
「……来た」
空が、影で覆われた。
黒い翼。
赤い眼。
明らかに“自分が何者か分かっている”佇まい。
ワイバーンは旋回しながら、こちらを見下ろし――
胸を張った。
(あ、来る)
嫌な予感が、胃を直撃する。
ワイバーンが、口を開いた。
「――人間よ。我は――」
「ダメェェェ!!」
反射だった。
私は地面を蹴り、全力で跳ぶ。
同時に取り出すのは――
特製・防音ハリセン(神様支給)
空中で、思い切り振り抜いた。
バァン!!
乾いた音が、高地に響く。
「ぐぉっ!?」
ワイバーンの顎に、見事ヒット。
強制的に口が閉じられ、名乗りは未遂に終わった。
(危なっ……!)
だが、敵もタダでは終わらない。
体勢を立て直し、再び高度を取る。
そして――
今度は、両翼を大きく広げた。
(それ、詠唱前のポーズ!!)
「――黙って!」
私は地上から叫びつつ、魔力弾を連射する。
狙いは喉元。
とにかく、声を出させない。
ワイバーンは苦しげに呻き――
「……我が、運命は……」
「アウト寸前!!」
私は再度跳躍。
今度は、ハリセン二刀流。
左右から、同時に叩き込む。
バン! バン!
「ぐぉおおっ!!」
空中でバランスを崩したワイバーンは、そのまま墜落。
地面を抉り、砂煙が上がる。
――討伐、完了。
……のはずだった。
「……はぁ……はぁ……」
私は着地し、膝に手をつく。
胃が、限界を訴えていた。
「もう……やだ……」
その時。
瓦礫の中から、低く、かすれた声が聞こえた。
「……ふ……」
私は、凍りついた。
(まさか……まだ……!?)
ワイバーンは、倒れ伏したまま、片翼を震わせ――
「……名乗る前に、散るとは……」
ごほっ、と血を吐きながら。
「……我が人生……未完の、黒翼……」
ゆっくりと、顔をこちらに向ける。
「……覚えておけ、人間……
真の名は、いつか――」
「言わせるかぁぁぁ!!」
私は最後の力を振り絞り、
倒れたワイバーンの頭に、全力ハリセン。
バシィン!!
完全沈黙。
……静寂。
私は、その場にへたり込んだ。
「……女の子一人に……何させるの……」
胃を押さえ、天を仰ぐ。
遠くで、ギルドの回収班が拍手していた。
「成功です! 名乗られませんでした!」
「さすがです! 被害ゼロ!」
私は、弱々しく手を振る。
「……次の依頼……
『魔物が喋らない』って一文、必須にして……」
空は、やけに青かった。
――なお、後日。
ギルドの報告書には、こう記された。
【備考】
・モブの胃薬消費量、過去最多
世界は、今日もギリギリで保たれている。




