いや、です
静寂が、張りつめていた。
聖女たちの視線は、逃げ場を失った獲物を見るように、
一点――リムへと集まっている。
小さな身体が、わずかに震えた。
「……ち、違います……」
声が、かすれる。
「わたしは、ただ……その……」
言葉が続かない。
正解を言えば壊れる。
間違えれば切り捨てられる。
「答えなさい、リム」
年長の聖女が、柔らかな声で促す。
「神の御業を疑うの?
それとも、自分が役に立たないと認める?」
祈りの輪が、わずかに強まった。
信者たちの呼吸が揃い、魔力の流れが一段階、深くなる。
「……役に立たない?」
聞き捨てならない言葉に、私ははっきりと反応した。
思わず、低く声が出る。
「ずいぶんと、よくできた仕組みね」
その一言で、祈りの流れがぴたりと止まった。
聖女たちが、一斉にこちらを見る。
「仕組み……?」
「ええ」
私は教会全体を見渡した。
「祈りを回復魔法に見せかけた、魔力収集装置でしょ?」
空気がざわりと揺れた。
「失礼な。私たちは、神に仕えて――」
「違うわ」
私は即座に遮る。
「これは神の奇跡じゃない。
ただの魔力循環の搾取よ」
信者たちが、ざわめく。
「個人の魔力は弱い。だから同期させて、束ねて、重ねる。
信者一人ひとりから、少しずつ魔力を吸い上げるというわけ。
信者が増えるほど、回復量は上がるわ。実にシンプルな仕組み」
年長の聖女が、静かに言った。
「……だからどうしたというの?
みなで魔力を高め、癒しあう。問題はありません」
「問題しかないわ」
私は淡々と言った。
「だって、ここ――
癒すための教会じゃないもの」
私は視線を、信者たちへ向ける。
「壊れるまで、ここで魔力を搾り続ける。
例えばそうね、私たちみたいな厄介ものを排除するにもぴったりよね。
邪魔者を消して魔力に変換するってところかしら」
息を呑む音が、あちこちで漏れた。
「でも、祈っていると、楽になる……。
祈りをやめた途端、不安に耐えられなくなる」
信者の一人が、かすれた声を上げる。
「そうね。なにも考えなくて、よくなるものね」
私は、ゆっくりと頷いた。
教会の中に漂っていた甘い香りが、いつの間にか重く感じられる。
私は祈る人々を一人ひとり見渡した。
「それはとても楽なことよ。でも、それは救いじゃない」
俯いたままの顔。縋るように組まれた手。
その表情にあるのは、安堵と同時に空白だった。
「あなたたちは、救われているつもりかもしれない。
けれど、でも違うの。思考することを放棄しているだけ」
祈りに身を委ねていた者の何人かが、困惑したように顔を上げる。
けれど、その視線はすぐに彷徨い、また床へと落ちていった。
「そして、魔力を集める理由は単純」
次に、私は聖女たちを見る。
彼女たちは動かない。
「皇都の上層に、魔力を流しているのでしょ?」
その言葉に、祈りの輪の緊張がほんのわずかに強まる。
中心に立つ聖女の瞳が、わずかに揺れる。
「回復魔法は、膨大な魔力を必要とする。
常時回し続けるには、個人の魔力じゃ到底足りない。だから、集めている。
そして——」
視線を横に流して私hはムを見た。
そこにいるのは、端で小さく縮こまっているひとりの少女。
「この構造が壊れない理由は、彼女がいるから」
リムの瞳が大きく揺れて、肩がびくりと震えた。
「ち、違う! でっちあげだ。みんな耳を貸すな!」
年長の聖女が声を荒げる。
「リムは、神に選ばれた――」
「違うわ」
私は即座に首を振った。
「この子は、あなたたちの暴走を止める役目を、押し付けられているだけ」
祈りの輪が、わずかに揺らぐ。
「彼女は、魔力が少ないもの」
場が凍りついて、リムの肩がびくりと跳ねた。
「魔力の流れも細い。
残念だけど、繊細な魔力操作を求められる回復魔法の主軸にはなれないわ。
でも——」
私は続ける。
「だから、教会の魔力循環に完全には溶けない。
集めた魔力を運ばせるには、都合がよかった。ちがうかしら?
夢と憧れ、役に立つため、やりがいを与えて、ここに縛り付けている」
聖女たちの顔が歪んだ。
「……ふざけないで」
中心の聖女が低く言う。
「この子は、みんなを癒すための、選ばれた子になるの」
「ええ」
私は否定しなかった。
「癒したいと願っている。その気持ちは本物よ」
私はリムから視線を外さなかった。
彼女は俯いたまま、小さな指をぎゅっと握りしめている。
リムが、かすかに息を吸った。
「……わたし……」
声が、震える。
「ずっと……おかしいって、思ってました……」
その一言で、教会の空気がさらに張りつめた。
「祈りが終わると、みんな楽になるんです。でも……」
リムは言葉を探すみたいに、唇を噛んだ。
「次の日になると、また同じ顔で戻ってくる……。
治ったはずなのに。また、ここに来ないとって。それが不安で怖くて……」
リムの声が、だんだん小さくなる。
「それって……治ってない、です」
リムは顔を上げないまま続ける。
「わたし……魔力が、少ないから……。
みんなみたいに、うまく癒せない……」
だから、せめて、祈りの輪を壊さないようにって……」
その言葉に、私は胸の奥がきしんだ。
最初から気づいていたのね。
ただ、壊したくなかっただけだ。
「みんなを、救いたかったんです……。
わたし、聖女に、なりたかった……」
その声は、泣いているようで、必死にこらえている声だった。
私はゆっくりと口を開く。
「リム」
私は優しく名前を呼んだ。
「あなたは立派な聖女よ。
誰かの役に立ちたいという気持ちは、誰よりもある」
その言葉に、リムの肩が小さく揺れた。
けれど、ぎゅっと握られていた指先の力が、ほんのわずかに緩む。
「でも、わたし、ここでは……」
言葉が途切れる。
自分で言ってしまえば、なにかが壊れてしまうと知っているみたいに。
「役に立たないって……ずっと、言われて……。
でも、みんなの祈りが、続いていれば、誰かが楽になれてるから……
きっと、それでいい。いつか立派になれるって」
小さな喉が、ひくりと鳴った。
リムはやっと顔を上げた。声が震えている。
潤んだ瞳が、必死に私を見ている。
「わたしが止めたら……。
わたしの、みんなの居場所がなくなってしまう」
「怖いのね」
その一言で、リムの唇がきゅっと歪んだ。
「でも、このままなのは、もっと、いやで……」
私は静かに頷いた。
「それに気づけているなら、もう十分よ」
リムが驚いたように目を見開く。
私は、少しだけ、声を柔らかくした。
「救いたいって思うことと、壊れた仕組みに従うことは同じじゃないわ」
私は教会を見回す。
「このまま続ければ、治療した相手が、次々と壊れるわ。心と思考が自律できなくなる」
「わたし……壊してたんですね……。
でも、それでも癒したいって。
そう思っちゃ、だめですか……?」
その問いは、あまりにも切実だった。
「癒したいという気持ちは、あなたのものよ。誰にも奪えない。
そして、どう癒すかは選び直せるわ」
私は目を逸らさずに言う。
「あなたが、自分の気持ちで決めていいことよ」
リムはしばらく動かなかった。
それから。
小さく、でも確かに一歩。後ろへ下がった。
祈りの輪が、初めて不安定になる。
信者たちの魔力の流れが乱れ、教会全体がきしみを上げる。
「止めなさい!」
中心の聖女が叫ぶ。
「リム、戻りなさい!」
リムが震える手を、胸の前で握りしめる。
「……」
震える声で、それでも、はっきりと。
「……いや、です」
その一言で、祈りは完全に崩れ始めた。




