この想いが、わたしの力①
「……はぁ……」
深夜、人気のない街道を走るタクシー。
その後部座席に座っているひとりの少女――朝丘愛奈はまるで光を失ったかのような表情で重いため息を吐いた。
トレードマークの茶色が混じった黒色のツインテールも、主の心を映すようにしおれて見える。
半日前までは、ごく普通の女子高生だった。姉の朝丘優奈と帰り道を歩いていたとき、突如、現実とは思えない空間へと迷い込んだ。
そこで現れたのは、言葉を失うほどおぞましい〝バケモノ〟――
そのバケモノに襲われ、命の灯火が消えかけた時、不思議な声の導きにより〝ピュリステラ・ハーティア〟として覚醒し、激しい戦闘の後に勝利し、謎の空間から脱出できた。
しかし、ことはハッピーエンドでは終わらなかった。バケモノに襲われた後遺症により、姉である優奈が目を覚まさなかった。
(お姉ちゃん……大丈夫だよね……)
謎の空間から脱出した後、駆け寄って来た男性たちが救急車を呼んでくれた。愛奈はその救急車に同乗し、病院に付いて行った。
病院に到着した優奈は、すぐに急患として診てもらうことができた。服に血が付いていたため驚かれたが、命に別状はないと診断された。
〝良かった〟――そう思ったのも、ほんの一瞬だった。優奈は、それっきり目を覚まさなかった。
原因について、それからいつになったら眼を覚ますのか。詳しい話を聞くために愛奈は医者に食いついた。しかし、医者からは詳しい話は明日と、それ以上の言葉は聞き出せなかった。
気が動転していたため、勢い余ってあのバケモノのことも口から出てしまった。それで、錯乱していると思われてしまったのかもしれない。
なぜか医者の横にいた外国人と思われる男性からお金を渡された。今日は家に帰るようにと。そして明日病院に来るようにと。そのタクシー代としてお金を渡された。
最初は遠慮してお金を戻そうとしたが、男性は受け取らなかった。結局、愛奈は折れてお金を受け取り、彼が呼んでくれたタクシーに乗り込んだ。
今――その帰り道の車内。
車窓に流れる風景をぼんやりと見つめたまま、愛奈はまたひとつ、重いため息をこぼした。
◇◇◇
「四千八百円になります」
「…………」
「はい、一万円ですね。少々お待ちください。はい……ありがとうございましたー」
愛奈は自宅のあるアパートに到着した。結局、タクシーの運転手は愛奈に話しかけず、淡々と己の業務だけをこなして去っていった。
いくら少女が落ち込んでいるとはいえ、病院から出てきた人が重々しい雰囲気をまとっていたのだ。下手につついて特大の地雷を踏むような愚を避けたかっただけかもしれない。しかし、その事務的な対応が今の愛奈にはありがたかった。
「……はぁ……」
そしてアパートの自宅の扉の前、愛奈はまた重いため息を吐いた。扉を開ける気力がわかず、うつむいたまま玄関の前に佇んでいた。
開けた先には暗い部屋があり、〝お帰り〟を言ってくれる相手がいない。その現実を受け止める勇気が出ないまま、ただ佇んでいた。
愛奈は今までこんな深夜に家に帰ったことは無かった。遅くなる場合でも、必ず優奈に連絡をしていた。そうすれば優奈は〝お帰り〟と迎えてくれた。少なくとも、愛奈の方が遅くなる場合は。
無断でこんな遅い時間に帰ったらお姉ちゃんはどんな反応をするんだろうか、と愛奈は思った。
――扉を開けた瞬間に駆け寄ってきて、心配したと抱きついてくれるだろうか。
――扉の前で仁王立ちして待っており、長い長い説教をしてくれるだろうか。
――扉の奥から顔だけ覗き、何気なくただ〝お帰り〟とだけ言ってくれるだろうか。
色んなお姉ちゃんが思い浮かべられる。怒るだろうか、泣くだろうか、それとも笑うだろうか。想像が膨らみ頬が緩んで行き――
「へくちっ!」
全て消し飛んだ。
「……はぁ……」
(玄関前で……何やってんだろう、わたし……)
春とはいえ、もう深夜。じっとしていると、体の芯から冷えてくる。先ほどの様にくしゃみも出てしまう。
(お姉ちゃんと一緒に……家に帰ろうって頑張ったのに……)
謎の空間であのおぞましいバケモノに立ち向かえたのは、ひとえに一緒に家に帰るためだった。しかし、その望みは叶わなかった。
このままじゃ風邪ひいちゃう。そんなのバカみたいだと、いい加減にして扉を開けるかと鍵を回す。
ドアノブに手をかけ、そっと回す。ギィ、と音を立てて開いた扉の向こう、そこは――やはり真っ暗だった。
「……はぁ……」
当然のごとく真っ暗な部屋を見て、またため息をこぼした。ため息をつくと幸せが逃げるとかよく言うが、もう逃げるほどの幸せも無いだろうとヤケになる。
愛奈はうつむいたままトボトボと玄関に入る。返事が来るはずないが、一応の習慣としてボソッと呟いた。
「……ただいま……」
――おかえりなさい!
「……ぅひぃゃあぁ!? な、な、なにっ!? 誰っ!? ドロボウさんっ!?」
するはずのない返事が中から聞こえた。
◇◇◇
「いやドロボウは無いか……でもなんで返事!? 誰かいるっ!?」
さすがにドロボウが返事する訳ないと自分に突っ込みを入れたが、では中にいるのは誰か。確かめるべく慌てて靴を脱いで家に上がる。
そして、愛奈は部屋の奥からボヤッッと空中を漂う光の玉を見た。
「ふわぁあっ! お、おばっ……おばけぇっ!?」
そのあり得ない光景に真っ先に思い浮かんだのはお化けの存在だった。
「こっ、こなっ……こないでぇ~!?」
愛奈は腰を抜かして地面にへたり込んだ。こちらに迫る光の玉と距離を取ろうと足を動かすが、廊下を滑るばかりで体は動いていない。
――失礼ね。人をバケモノ扱いするなんて……
光の玉に襲われることは無かった。それどころか、光の玉から凛とした女性の声が聞こえた。よく見ると光の玉の中心に、ふわりと人影が浮かび上がる。
それは光の粒子をまとう小さな女性の姿――宙を漂いながら、ゆっくりと愛奈の前に姿を見せた。
「お化けがしゃべったぁ!?」
しかし、女性の話す内容は頭に入らず愛奈は慌て続ける。
「あわわわわっ!……あれ……?」
慌て続けた愛奈であったが、光の玉の中にいる女性の姿が目に入ったことにより、少し落ち着きを取り戻した。
「ようやく落ち着いたかしら」
「あ、うん……あれ、この声……」
落ち着いたら、この凛とした女性の声に心当たりが出てきた。
「おかえりなさいピュリステラ・ハーティア。いえ、今は愛奈かしら」
「あのバケモノと戦っていた時にわたしを助けてくれた声の人だ……」
愛奈はこの凛とした女性の声が謎の空間で戦いを導いてくれた声とようやく気付いた。
「あれ、でも何で名前知ってるの? わたし名前を言った覚えはないような……?」
ピュリステラ・ハーティアとはあの時も何回か呼んでくれた。でも愛奈という名前は言っていなかったようなと疑問に思った。
「契約者になったのだから、名前くらいは分るわよ」
目の前の女性は言ってきた。
「契約者……」
思わずオウム返しをする愛奈。
確かにピュリステラ・ハーティアになる前に契約がどうとか言っていた気がする。そうぼんやりと思い出し、目の前の女性を改めてゆっくり見直してみる。
薄い緑色の髪は長く、ひざ下まで伸びている。頭身バランスの整ったスレンダーな体型。切れ長の瞳が印象的で、全体的に大人びた雰囲気を纏っている。
全長が人の頭よりわずかに大きい程度であり、背中から一対の羽が伸びており、ゆったりと羽ばたきを繰り返している。
服装は驚くことに蔦や葉でできたビキニとパレオしか着ておらず、ほとんどの肌を晒している。
しかし、それらは下品な印象を全く与えない。それどころか、持ち前の美貌と妖精のような特徴が、侵しがたい気品と神聖さを醸し出している。
「リー、フィラ……」
愛奈の頭にはなぜかその女性の名前が浮かんできた。
〝リーフィラ〟そう呼ばれた妖精のような女性は、よくできましたと言うように微笑んだ。




