かすむ記憶と光の少女①
「急いで! ハーティア!」
「うん! 分かってるっ!」
宵闇に包まれた町を駆け抜ける少女――ピュリステラ・ハーティア。
薄紅の残光を軌跡に残し、高速で疾走する。ガードレールを越え、塀の上を渡り、ときには民家の屋根やアパートの外壁までも踏みしめて、一直線に駆け続けた。
道行く人々は、夜空に伸びる薄紅の光の帯に思わず足を止める。
けれど、その姿を捉える者はいない。季節外れのイルミネーションに感嘆するだけで、少女が駆けているなど夢にも思わない。
「魔結界の展開速度が結構速いわ! もうかなり形になっているわ!」
「場所って駅前だよね!? たくさん人がいるのにっ!」
「恐らく多くの人が魔結界の中に囚われてしまっているわ!」
「そんなっ!――うわっ! っとと」
リーフィラの言葉に驚き、足がもつれてしまった。幸い、歩道を走っていたので大事には至らなかった。
「急いでとは言ったけど、安全第一よ! まだ手遅れじゃないわ、落ち着きなさい!」
「そうなのっ!?……でもっ!」
魔結界の気配は、すでに肌を刺すほど濃く強い。一刻も早く駆けつけなければ――そんな焦りが胸を占める。
「悲観しないで、ハーティア!」
隣を飛びながら追走するリーフィラが、凛とした声で呼びかけた。
「これだけ急に展開されたのだから、魔結界を構築している侵魔たちにも負担がかかるわ! だから、そうすぐには動き出せないの!」
「そっか……うん! 分かったっ!」
本当は結界の中がどうなっているのか、分からないことばかり。それでも、リーフィラの言葉だけは不思議と胸に届く。
今の自分にできることはひとつ。一刻も早く魔結界へ向かい、囚われた人たちを救い出すことだけだ。
ピュリステラ・ハーティアは薄紅の光跡を描きながら、さらに加速した。
すぐに行くから――そう強く、意思を持ちながら。
「もうすぐよ! ハーティア!」
「うんっ!」
ひやりとした空気がピュリステラ・ハーティアの頬をなでる。初夏の様相を見せ始めたこの頃、夜でも暖かい日が続いていた。今夜も同じように穏やかな気温だった。
だが、空気が変わった――それを肌で感じ取る。
(リーフィラの言う通り――近いっ!)
魔結界の近くでは、いつも冷えた空気が流れる。空間に漏れ出た瘴気が人々の生気を奪うためと言われているが、真相は分からない。
だが、体感として分かっている。既に身をもって体験している。本能が危険を訴える。それでも、聖契士としての使命が燃え上がる――瘴気を浄化せよと。
「見えたわ! あそこよっ!」
愛奈が普段利用する駅とは別の駅。周辺に高いビルが建ち並び、少しだけ都会気分を味わえる。そんな場所。
普段なら夜でも人通りの多い駅前なのに、今夜は遠目にも人影がない。それだけで胸がざわついた。
「魔結界が……もう出来上がってる!?」
「いえ、まだよ! まだ大丈夫! 今朝、閉まりかけの校門をくぐり抜けたでしょ! あれに比べれば、まだ全然余裕があるわ!」
魔結界の展開具合を感じ取り、焦るピュリステラ・ハーティア。しかし、リーフィラがいたずらっぽく答える。
「なんで知ってるのっ!?」
「構築中だから、中の侵魔も動けないわ! 多くの人が捕らえられてしまっているけれど、まだ間に合うわ!」
「むぅ……! わかった! ありがとっ!」
なぜ今日の登校時の事を知っているのか、聞き出したい気持ちが湧き上がる。けれど、今はそれどころではない。
ピュリステラ・ハーティアは呼吸を整え、気持ちを切り替えた。冷静に、だが無駄なく走る。駆ける勢いを殺さないように手を後ろに伸ばし――一言、叫ぶ。
「来てっ! 星光の剣!」
その瞬間、手元がキラリ、と星が瞬くように光る。きらめく光が一つの形を結び、星と翼を象ったステッキが彼女の手に収まった。
「はあああぁぁっ!」
ステッキに魔力を注ぎ込む――目いっぱい、ためらいなく。多少の変換ロスなど気にしていられない。
星が苛烈に回転し、翼が忙しなく羽ばたく。小さな光粒が連なり、連続して鋭く煌めく。
魔力に呼応して、ステッキが強く震える。次の瞬間、先端から桜色の光が噴き出し、刃となって急激に伸び上がる。
「さっさと――!」
駆ける勢いのままピュリステラ・ハーティアは地面を強く蹴り、夜気を切り裂くように高く跳躍した。
空中で星光の剣を掲げ、背を弓なりに反らす。髪もリボンも激しくはためくが、それらを気にせずただ前だけを見る。
放たれた矢のような速度のまま、桜色の軌跡を引きながら魔結界へ突っ込む。
「――開けてっ!」
勢いよく、振り下ろす。振り下ろした刃が虚空にぶつかる。
キィン――と硬質な衝撃が腕に返り、一瞬、空間と拮抗する。
「てやああぁぁっ!」
力任せに、だが迷いのない一撃。
澄んだ音を残して刃が空間を断ち切り、鮮やかな裂け目が走る。
「このままっ! ぐっ……!」
ピュリステラ・ハーティアは裂け目の中に身体を滑り込ませる。星光の剣を解除して、ステッキも空間に溶けていった。注いだ魔力よりも今は時間が惜しい。
「ちょ! ハーティアっ!?……もうっ!」
後ろからリーフィラの叱責が飛ぶが、それでも止まらない。開ききっていない裂け目へ、勢いそのままに身体をねじ込ませる。少し引っかかった感覚があったが気にせず前だけを向く。
押し戻されそうになる反動を歯を食いしばって耐え――ピュリステラ・ハーティアは、強引に魔結界の内側へ突入した。
空中から見下ろす街並みが姿を変える。立ち並ぶビルから光は消え、街灯だけが不気味に点滅を繰り返す。突然人の活動がなくなって、打ち捨てられた街――終末世界。そんな言葉が思い浮かぶ。
全身を叩く空気は、ただの夜風ではない。凍えるほど冷たく、皮膚を刺し貫いてくる。裂け目を強引に通ったときにできた擦り傷に染みて、僅かに眉根を寄せた。だが、目を閉じることはしない。視線を鋭く動かし、街に走る〝異変〟を探し続ける。
「――っ! あそこっ!」
ピュリステラ・ハーティアの視線が一点に定まる。視界の先、遠くに制服を着た男子と侵魔が対峙しているのを捉えた。
侵魔の動きは緩慢だ。リーフィラが言っていた通り、構築途中の魔結界ではまだ本格的に動き出しそうな気配は無い。
――だが、それは〝攻撃しない〟という意味にはならない。
(お願いだから――早まらないでっ!)
わざわざ相手の方から近づいてきたのなら、あの状態の侵魔といえど黙ってはいないだろう。
虚空を蹴って急降下する。近づくにつれ、はっきりと見えてくる。
男子の方は金属製のバットを構えていた。だが、魔力を有している侵魔にただの物理攻撃など、ほとんど意味をなさない。下手に攻撃しようと近づけば致命的な反撃を受けてしまう可能性がある。
その男子は震えているように見えた。無理もない。瘴気を発する侵魔を前に対峙する姿勢を見せられるだけでも勇敢であり、本来なら褒められるべきだ。
だが――その勇気が蛮勇へ変わる瞬間ほど危険なものはない。
「ハーティア――!」
そうなる前に、止める必要がある。
星光の剣は今すぐには使えない。ならば、今使えるのはこの身一つ。
だから――
「――流星キーーック!!」
風を裂く勢いで間に割り込み、桃色の光をまとったピュリステラ・ハーティアの脚が一直線に振り抜かれた。
『シャアァァッ!』
巨大なヘビ型の侵魔が、冷えた空気を震わせるように威嚇の声を上げた。
幾重にもとぐろを巻き、その中心から鎌首をゆっくりともたげる。
持ち上がったその頭は、地面に立つ人間の顔とほとんど変わらない高さにまで迫り、黒光りする鱗が街灯の残光を鈍く反射していた。
わずかに身をくねらせるたび、鱗同士が擦れ合い、金属音にも似た低い音が響く。
口元からは白い靄が漏れ出ており、生暖かい湿気を含んだ息が夜気を汚していく。その不快な温度感が、この巨大なヘビが確かにここに存在していることを嫌でも伝えてくる。
対峙している男子は極度の緊張からか、浅い呼吸を繰り返していた。最初は小さな震えだけだったが、時間とともにその震えは大きくなっていく。寒さのせいもあるだろう。だが、それ以上に――圧倒的な恐怖が彼の身体を縛りつけていた。
侵魔が動かない理由は分からない。
魔結界の構築に集中しているのか、あるいは、〝ただのエサ〟であるはずの人間が武器らしきものを構えて立ち向かってくるその姿勢が、気に食わないのか。
いずれにせよ、今はまだ――威嚇だけに留まっている。
だが、それも長くは続かないだろう。もたげた鎌首がゆっくりと高く、徐々に後ろに引かれていく。
引き絞られた弓矢のように、後はその力を解き放つだけ――
「とりゃああぁぁっ!」
『――ギシャアアァァッ!?』
突如、桃色の閃光が側面から飛び込み、空気が爆ぜるような衝撃が走り、巨大なヘビの鎌首を思い切り弾き飛ばした。
鱗がアスファルトやブロックを乱暴に削り取り、ガリガリと耳を覆いたくなる轟音が街に反響する。巻き上がった砂埃が、一気に視界を曇らせた。
直後――
「ふぅ、間に合ってよかった~。セーフだねっ……!」
砂埃の向こうから、少女の声が響く。先ほどまで巨大なヘビがいたところに桃色の残光が見えた。
「ピュリステラ・ハーティア! 推参!」
一陣の風が吹き抜けて砂埃が飛ばされた。そして、中にいた少女の姿が露わになる。
「お、おおっ……!?」
男子生徒からは後ろ姿しか見えなかったが、桃色の光をまとう少女は――珍妙な体勢を取っていた。
「あれ……? お、おかしいなぁ……ここで称賛の声と拍手が起こるはずなのに……」
背後にいる男子生徒からは困惑の声しか聞こえなかった。それによりピュリステラ・ハーティアも困惑してしまったようだ。
「何やってるのよあなたは……」
「あ、リーフィラ!」
「よ、妖精……っ!?」
何とも気まずい空気が流れた、その時――上空から新たな声が届いた。
「あなたに言いたいことが山ほどあるけれど……そこの男! 戦いの邪魔になるから離れておきなさい!」
リーフィラが男子生徒の方に近づき、鋭く指示を出した。
「しかし、女性を残して俺だけ逃げるというのは……」
「尻もちついて震えてるくせに何言ってるの! 侵魔との戦いに一般人が役に立つわけないでしょ!」
「ぐっ……情けないが俺では何の役にも立ちそうにないということか……」
「しょうがないですよ! あのバケモノは侵魔と言うんです! 侵魔の退治はわたしにお任せください!」
蹴り飛ばしたヘビは消えておらず、わずかに身じろぎしていた。そのため、ピュリステラ・ハーティアはそちらの方を向いたままだったが、力強く宣言した。
「そう……か。なにやらあのヘビのバケモノに詳しいご様子! ここは専門家であるあなたたちの指示に従わせていただこう!」
「ええ、そうしてください――って、あれ? この声……?」
只者ではないのだろう――そのことを理解した男子生徒は何とか立ち上がり、大きな声を出し、指示に従う姿勢を見せた。
しかし、男子生徒の声が気になり、ピュリステラ・ハーティアは振り返った。
「って……まっ、松丘ーっ!?」
振り返った先にいた男子生徒は――愛奈のクラスメイトの松丘駿平であった。




