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夢幻と星屑、その代償⑫

「買うっ!? 愛奈くんを!? それは……いやいや、なにを言っているんだ!」

(落ち着けっ! 落ち着くんだ私ーーっ!)


 ダリウスは理性を総動員し、必死に心を鎮めようと努めた。


「パパでもご主人様でもぉ、なんでもお呼びいたしますぅ……♪」

「ほ、ほう?……って、そういう問題では無いのだがっ!」


 しかし、理性がガリガリと削られていくような感覚に襲われ、焦燥が胸を焼く。


 目の前の少女は、はっきり言ってカワイイ。いや、〝とてつもなく〟カワイイ。

 まだ化粧もしていないだろうが、軽くメイクをしただけで芸能人顔負けになる。そう確信できるほどに綺麗で整っている。

 自分ではチビで色気が無いと言っているが、そんなことはない。幼い容姿は庇護欲を誘うほどとても愛らしく、大きくたわわに揺れる胸は多くの男性の理性を容易く打ち砕くほどの破壊力が秘められている。

 これまでは明るくて素直で無邪気であったから、そのような邪な感情を抱かなかった。しかし、今のように迫られれば、どうしても意識させられてしまう。


 光を失った瞳による上目遣い、熱に浮かされ漏れ出る吐息、そして首元を伝う一筋の汗が胸の谷間に吸い込まれる――


「うっ……! と、とにかく、一度席に座ってだねっ!」


 視線が奪われた。だが、理性まで奪われるわけにはいかない。


「おおっ、そうだ! エリオラくん!……って、エリオラくん!?」


 ダリウスはこの場にいるもう一人の人間。頼れる秘書であるエリオラに助けを求める。しかし――


「君ぃ! なぜスマホを取り出す!? もしや、警察を呼ぶ気じゃあるまいね!?」

「そうですが。人身売買、児童買春。どちらもこの国では犯罪と記憶しております」

「私はどちらもしていないぞっ!」

「しかし、このままでは時間の問題では?」

「そう思うのなら! 今この場で、未然に防ぐ方向で協力してもらえんかねっ!?」


 にじり寄る愛奈。じりじりと後ずさるダリウス。

 しかしここは病院の談話室――広さなどたかが知れている。すぐに壁際まで追い詰められた。


「え、エリオラくん! 早く助けて欲しいのだがっ!」

「……ふぅ、仕方がありませんね」


 エリオラは一息吐いてからつかつかと歩み寄り、そして――愛奈をそっと、優しく抱きしめた。


「大丈夫です。安心してください。あなたが心配しているようなことは、何も起こりません」

「――っ! でも、でもっ……!」


 包み込むような柔らかい声。その響きに、愛奈の肩の力が抜けていく。

 さっきまでの退廃的な気配は、春の雪が溶けるように消えていった。


「夜の店も、汚い男も、あなたには関係ありません。我々が――あなたを守ります」

「本当……ですか……?」

「ええ、本当です。どうか、私たちを信じてください」

「――っ! うぅぅ~っ!」


 こらえていた涙が頬を伝い、愛奈はその胸の中で嗚咽した。

 その小さな身体の震えが止まるまで、エリオラは何も言わず、静かに抱き続けた。

 彼女の腕の中で、愛奈はようやく――人の温かさを思い出していた。





 エリオラのおかげでようやく落ち着きを取り戻した愛奈。テーブルに座り、大人しくしているが、暗い影は依然として消えきっていなかった。


「つまり、先ほどの話は――」


 テーブルの向かいに座ったダリウスが腕を組み、静かに言葉を紡ぐ。


「優奈くんの入院で借金がかさみ、その返済のためにヤクザに連れていかれて、キャバクラで働かされることになったと思ったら、気色の悪い男に買われてしまった――そんな悪夢のような未来を想像してしまった、ということかい?」

「はい、そうです……でも、このままだと……」


 愛奈は声を小さくしながら俯いた。ようやく落ち着いたとはいえ、彼女の瞳はまだ不安で揺れている。


「優奈くんの入院費をどうにかしなければならない。だから、ピュリステラ・ハーティアとして戦う余裕がない――そう思ってしまったわけだね」

「それに……家賃とか、生活費とか……どうなっているか、わたし全然分からなくって……」

「つまり、まとめると〝お金〟に不安がある、ということだね……ふぅ」

「うっ! すみません……」


 問題の根本が分かり、ダリウスはようやく一息ついた。だが、愛奈は呆れられてしまったのかと身体を小さくしてしまった。


「ああいや、済まない! 君は全く悪くない。まだ学生なのだ。お金や社会の仕組みに詳しくなくて当然だ。悪いのは、そんな悩みを一人で抱えさせてしまった我々のほうだ」

「でも、知らないじゃ済まされないです……」

「そういったことは、大人が担うべき責任だ」


 ダリウスは椅子に預けていた背を離し、真っすぐに愛奈を見つめる。


「端的に言おう。愛奈くん、君はお金に関して心配する必要は全くない!」

「……えっ?」


 きっぱりと言い切られ、愛奈はきょとんと目を瞬かせた。

 そのまま頭を少し傾け、言葉の意味を掴みかねている。


「もう一度言おう、お金に関して心配する必要は全くない!」

「は、はい?……え? でも……そんな、そんなことっ……!」


 ダリウスの言っていることは分かる。だが愛奈はそんな都合の良い話があるとは信じられないでいた。信じたい気持ちと期待を裏切られた時の恐怖が混ざり合い、感情がぐちゃぐちゃになっていく。


 そのとき、隣にいたエリオラがそっと手を伸ばした。細く、温かい指が、愛奈の手を優しく包み込む。


「愛奈さん、どうか安心してください。そして、我々の話を聞いて頂けませんか?」

「エリオラさん……? ぐすっ……はい」


 手のひらに伝わる体温が、冷え切った心をじんわりと温めていく。愛奈が目を上げると、メガネの奥で穏やかに光る瞳があった。その優しい眼差しに、こみ上げていた感情がゆっくりと静まっていく。


「……ふぅ、助かったよ。ありがとう、エリオラくん」

「恐縮です」


 短く答えたエリオラは、次の瞬間――打って変わって冷たい視線をダリウスに向けた。


「うっ……済まないね。エリオラくん……」


 ダリウスは肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。





「さて――まずは君のお姉さん、優奈くんの入院費用についてだね」


 ダリウスはゆっくりと腕を組み、穏やかに言葉を紡いだ。


「こちらについては我々〝翠芽の会〟で全額負担しよう。だから、愛奈くんが心配する必要はない」

「ええっ!? いいんですかっ!?……でも、どうして?」


 思いがけない言葉に、愛奈は大きく目を見開いた。

 望外の知らせ。だがその理由が分からず、不安が残る。


「君が聖契士として侵魔と戦ってくれているんだ。そのバックアップを行うことは当然、我々の仕事だ。前回、この場で話したことでもあるね」

「え? あ、ああっ……!」


 確かにそんな話をしたことを思い出した。


「バックアップってそういう意味だったんですかっ!?」


 てっきり〝侵魔の出現位置を教えてくれる〟とか〝相手の特徴を教えてくれる〟とか、〝一緒に戦ってくれる〟など、そういう意味だとばかり思っていた。


「君は聖契士なのだ。金銭的な援助も当然、行わせてもらうさ。本来であれば、名声的な意味でも報いたいところだが、この世界ではそれは難しくてね……済まない」

「いえいえいえっ! そんなっ!」


 急に大きな話になり、愛奈は両手をぶんぶん振って慌ててしまう。


「あっ、でも……家賃とか、どうやって払ったらいいんでしょうか……?」


 入院費用の問題は解決の兆しが見えた。だが、まだ解決していない問題がある。


「その点も心配いらない。家賃、光熱費、水道代に通信費。これら含めて各種料金は一時的に契約を変更し、こちらで振り込み済みだ」

「ええっ!? なんでそんなことできるんですかっ!? もしかして、ダリウスさんって……魔法使いなんですかっ!?」


 思わず身を乗り出してしまう。

 一体全体、なにをどうしたらそんなことができるのか。愛奈にとって、それこそ摩訶不思議で現実離れした技に思えてしまった。


「私もマナの研究者だ。多少の魔法くらいは使えるとも……と、そういう意味ではないね」


 聖契士である愛奈から魔法が使えるのかと問われてしまい、思わず笑いながら返してしまった。


「その手の契約に関しては、あの青いノートに書いてあっただろう?」

「あの青いノート……って、どのノートですか?」

「おや……?」


 噛み合わない会話に、二人はそろって小首を傾げた。


「こちらのノートになります」


 エリオラが横からすっと差し出したのは、一冊の青いノート。

 表紙はどこにでもありそうなデザインだが、角が少し擦れて色褪せている。長く使い込まれた跡が、静かな存在感を漂わせていた。


「あれ、このノートって……?」

「君のお姉さん、優奈くんから預かったノートだよ」

「ホントだ、お姉ちゃんの名前が書いてある……って、ええっ!? これって、家賃とかそういう話が書いてあったんですか!?」


 見覚えのあるノート。前回、優奈が起きた時にダリウスに預けたノートであることを愛奈は思い出した。


「んんっ!? 愛奈くんが『中は確認しなくても大丈夫』と言ったので、知っているものと思っていたのだが?」

「わ、わたし、そんなこと言いましたっけ!?」


 ノートに何が書いてあるか知らない。ではなぜダリウスがあんなことを言ってきたのか、必死に思い出そうとする――



――ダリウスさんはお姉ちゃんと知り合いだったんですか?

――ボランティア関連の仕事でね……青いノートはこれのようだ。中を確認するかい?

――あ、いえ、大丈夫です



――――あ、いえ、『大丈夫です』



「ああーーっ!」


 言った。確かに言った。『大丈夫です』と言った。

 だが、そうじゃない。そういう意味ではない。


「だって! ボランティア関連の仕事って、そう言ってたじゃないですかっ!?」

「ボランティア? 確かに翠芽の会の活動内容ではあるが……今、それがどう関係してくるんだね?」

「だからわたし、中を知らない方がいいって思って!」

「……何をどうしたらそんな結論に至るんだい?」

「えっ……? ち、違うんですか!?」

「ん、んんっ? どうにも話がズレている気がするのだが……」

「あ、あれぇ……?」


 互いに見つめ合い、沈黙。部屋の空気が、なんとも言えない気まずさに包まれた。


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