夢幻と星屑、その代償⑧
(うへへ~。みんな持ち上げすぎだよぉ)
電車の中、ポールを掴んでいた愛奈は熱い吐息と共に身体をくねらせた。
隣にいたOL風の女性が、そっと半歩距離を取る。だが、本人はそんな周囲の空気になどまったく気づかない。
(そうだっ! せっかくバイトの神様が導いてくれたんだもん、早速登録しないとねっ!)
ようやく現実に帰って来た愛奈。スマホを持ち直し、勢いよく画面をタップした。
(えーっと、登録はここからで、えっと……〝上限に達し次第募集を打ち切ります〟かぁ。ふ~ん、次に書いてあるのが〝残りの募集人数〟で――う、うそぉっ! あと三人だけぇ!?)
画面に映るは、〝残り三人〟の赤い太字。愛奈の顔から一気に血の気が引く。
(ゆっくり考えている場合じゃなかったーっ! ひぃっ!? 残りが二人に変わっちゃった! だ、誰かが今、応募しちゃったってことっ!? い、急がなきゃあああーっ!)
カウントダウンする数字に、心臓が跳ねる。
愛奈はスマホを握りしめ、渾身の勢いで〝応募する〟ボタンを――
「――ああっ!?」
ガタンッ! と電車が大きく揺れた。
その拍子に指が滑り、広告バナーに触れてしまった。
(もうっ! 広告のせいで変な画面に移動しちゃったじゃん! 邪魔しないでよ~! 早く募集のページに戻らないと!……って、なんでこんな時に画面の表示が遅いのーっ!)
気持ちが逸り、電車内だというのについ足踏みしてしまう愛奈。
前に座って寝ていたサラリーマンが迷惑そうに視線を送る。だが、愛奈の意識は電波によって完全に混線状態だ。
(うぅ~、はやく、はやくぅ~っ!)
逸る愛奈の気持ちとは裏腹にスマホの画面は一向に切り替わらない。
そのとき――スマホの上部に、冷酷な通知がポンと現れた。
〝データの使用量が上限に達しました。通信速度を制限します〟
「そんなあぁぁ~~っ!」
愛奈の叫びが、電車内にこだました。そして、周囲の乗客が一斉に目を見開いて愛奈を凝視する。
「あっ…………すっ、すみません~っ!」
注目を浴びてしまった愛奈は恥ずかしくなり、そそくさと隣の車両に退散した。
(画面がさっきとほとんど変わってないよーっ! バイトの神様のいじわる~っ!)
隣の車両に移動した愛奈は、スマホをにらみつけながらぷくっと頬を膨らませた。
しかし、画面の読み込みは遅々として進まない。もどかしさに足先が自然とパタパタと動く。
(もう誰かが募集しちゃったかもっ! もしかして、誰かが妨害電波を送ってる!? それとも、スマホの通信を盗み取って先に応募する産業スパイの仕業っ!?)
愛奈はハッとしてスマホを胸で隠し、周囲を警戒するように鋭い目つきできょろきょろと見回した。
(誰っ! いったい誰がっ! あそこのサラリーマン!? それともあっちのお母さん!? 実はあの子、ゲームで遊んでるふりして通信を傍受してるっ!? いやまさか……この車両全員がグル!? 闇の犯罪組織とかぁ!?)
誰も愛奈に注意を払っていない。だが、陰謀論を疑い始めた愛奈には周囲の人すべてが怪しく見えた。
無駄に周囲を警戒していたその時――ふと愛奈の耳にある会話が流れ込んできた。
「な~、おまえバイトやるー?」
「やるつもり。せっかく高校生になったし、いろいろ欲しいものあるからね。お金は必要だよ」
「だよな~。どこで働くつもりー?」
「まだ決めてないけど、ファミレスかコンビニかな」
「やっぱそうなるか~。コンビニは覚える事多そうだし、ファミレスは料理とか作るの面倒くさそっ。どっちもかったるいなー」
(バイトの話だ……)
愛奈がそっと振り返ると、そこには制服姿の男子高校生が二人。
一人は壁にもたれてだらしなく立ち、もう一人は背筋を伸ばして真面目そうな雰囲気だった。
愛奈はさっきまで無駄に周囲を警戒していたが、話の内容が気になり、そちらに耳を傾ける。
「まあ、身近なバイトだし。仕事の内容も想像つくから、最初にやるバイトとしては無難じゃない?」
「そうだけどさ~。どっちも接客必要じゃん。うぜぇジジイとかに絡まれたら最悪だろー」
「最近はどこのコンビニでもカスハラ対策掲げてるから、前よりはマシじゃない?」
「まーなぁ。でも、時給がな~。ジジイに絡まれたら〝カスハラ手当〟とか出ねーかなー」
「確かに。できれば僕もその手当は欲しいよ」
(時給で悩んでいるんだね……ふふっ、悪いけど――わたしは『簡単WORK』で日給10万円っ! 余裕で勝ち組なんだからねっ!)
時給に悩む二人に対し愛奈は口元をゆるませ、勝ち誇ったように心の中で笑った。
……が、その優越感も束の間。
(って、通信まだぁ!? 早くしないとわたしの勝ち組バイトプランがーっ!)
スマホの画面では、読み込みマークが無情にもくるくると回り続けていた。
愛奈はスマホを揺らし、電波よ早く届けと強く念じる。
「あ~っ、どっかに楽に稼げるバイトとかねぇかな~」
「そんな都合の良いものは無いよね。ああ、でもこれ――『学生限定! 楽々お仕事、日給10万円保障! 仕事は指定の荷物を運ぶだけ!』だって、こんなのどう?」
「明らかに〝闇バイト〟じゃねーか! んなもん見せんなよっ! 大体運ぶだけって、なに運ぶか書いてねーじゃん! ヤバイ薬とかだったら捕まって人生終了だってーの」
「ごめんごめん。知ってるか反応見たかっただけだよ。あ、今残りの募集人数が二人に減った」
「芸がこまけぇな~。どうなってんだコレ?」
「多分だけど、画面に映った時間をカウントして数字減らしてるんじゃない? 残りの枠が減ったように〝見せかけて〟、焦らせるつもりなんだろうね」
「なるほどな~。広告とかも一定時間で変わったりするから似たようなもんかー。でもよぉ、いくら何でも、こんなあからさまなのに引っかかる奴いんのかー?」
「残念ながらいるみたいだよ。この前もニュースになってたし。お金に困って追い詰められたような人が、藁にも縋る思いで応募するのかもね」
「マジかよ……俺だって頭悪いけどよ~。俺以上のバカが結構いるんだなぁ。ホント、この国の未来が本気で心配になるってーの」
「はははっ、そうだね」
「えっ……!?」
スマホに集中していた愛奈の肩が、びくりと跳ねた。男子生徒たちの会話が耳に入り、心臓がどくんと鳴る。
そっと顔を上げた先――制服姿の二人が、軽口を交わしながら荷物を持ち上げていた。
次の瞬間、電車が停まり、プシューという音とともに扉が開く。人々が次々と降りていき、男子生徒たちもその流れに紛れてどこかに行ってしまった。
(あからさまな募集? 引っかかる?…………バカ?)
車内に取り残された愛奈は、スマホを握りしめたまま呆然と立ち尽くしていた。
頭の中では、さっきの男子たちの会話が反響している。しばらくしてからなんとなく手元を眺めると、いつの間にか通信は完了していた。スマホの画面には『日給10万円らくらく可能!未経験OK・誰でもできる簡単WORK』と、先ほど胸を熱くさせた文字が踊っている。
(あの人たちが話していた内容と……ほとんど同じ?)
細部は違う。しかし、大筋は同じ。
高額な報酬。〝簡単・運ぶだけ〟を強調する仕事内容。そして――なにを運ぶかは一言も書かれていない。
(〝やみばいと〟? えっと、病みバイト? なんか、疲れた人がやるバイト? って、そんなわけ無いか。うーん…………闇? 〝闇バイト〟ぉ!?)
気だるそうにしていた彼が声を荒げた単語。どうにも引っかかるものがあり、心の中で何度も唱えた愛奈。ついにその答えにたどり着く。
(闇バイトって……お姉ちゃんが言ってたやつだーっ!)
頭の中で、優奈の穏やかな声がふっとよみがえる。まだ愛奈が高校生になる前、二人で夕飯を食べていた、あの夜の会話だ――
『わたし、アルバイト始めるよ! だってもう高校生だもん!』
愛奈は茶碗を持ちながら、ふんすと鼻を鳴らす。リビングの隅には、届いたばかりのピカピカの制服が誇らしげに掛けられている。
『ありがとう、愛奈。でも、私としては愛奈に学校生活を楽しんで欲しいわ』
優奈はラフな部屋着姿で、ゆっくりと味噌汁をすする。その湯気越しに見える笑顔は、いつものように穏やかで、少しだけ優しい。
『でも……』
『今は家計も安定してるから大丈夫よ。それに、私は料理作るの下手だから。愛奈にはこうやってお味噌汁作ってくれる方が、お姉ちゃんは嬉しいな』
優奈は茶目っ気を含んだ声でそう言い、愛奈に微笑みかけた。
『そ、そう? うん、分かった……』
愛奈はバイトすることを言えば、喜んでもらえると思っていた。だが、そうはならず、思っていた反応と違ったため、気落ちしてしまった。
『ごめんね、私のわがままで。でも、本当に愛奈がやりたいと思ったら遠慮しなくていいのよ。でも――どんなバイトをするかは事前に教えて頂戴ね』
優奈はやわらかく言葉を重ねた。ただ否定するのではなく、きちんと愛奈の気持ちに寄り添うように。
『バイトするならお姉ちゃんにも言うよ。でも何か心配するようなことあるの?』
優奈が付け加えた言葉。その声色には、どこか心配の色がにじんでいた。
『ほら、最近は〝闇バイト〟とかよくニュースになるから』
『やみ……ばいと? なにそれ?』
『高額な報酬でバイトに誘って、違法な行為をさせるような手口があるの。最初に言葉巧みに学生証とかの身分証を提示させるから、〝途中で止めたら学校に犯罪行為を連絡して退学させてやる〟って脅して犯罪行為を続けさせるのよ』
優奈は真剣な眼差しで愛奈を見つめる。
『へぇ、そんな手口があるんだ~。でもわたしだって高校生になるし、もう大人だよ! そんな怪しいバイトになんか引っかからないって!』
愛奈は優奈の言葉を聞きながらも、あまり真剣には捉えなかった。
『そうね、愛奈もこれから高校生だもんね。でも、私が心配なの。だからバイトをしようと思ったら私にも教えてね』
『お姉ちゃんは心配性だもんね。しょうがないな~。バイトしようと思ったら、お姉ちゃんにも教えるよ!』
そう言って笑い合った。夕食の香りに包まれた、穏やかであたたかな夜。
何気ない日常。ただの雑談で他愛もない話。
そんな日々がずっと続くと思っていたあの頃――
(これが〝闇バイト〟だったの~っ!)
電車に揺られながら、愛奈は心の中で絶叫した。
(あああっ、危なかったーーっ!)
慌てて闇バイトの募集ページを閉じ、スマホを胸に抱きしめる。
募集ページに書いてある内容は、男子生徒たちの会話、そしてお姉ちゃんの忠告と、まったく同じだった。
(お姉ちゃん、ありがとう~! それから……あの男子たちもありがと~!)
今は目の前にいない人たちに心の底からの感謝を捧げる。
そして、ふと思う。先ほども何かに感謝を捧げたことに。
感謝を捧げた対象。それは――
(ま、まさか……! バイトの神様は……神様じゃなかったの!?)
優しそうなお髭の顔、だがその仮面の裏は……。
(わたしを破滅に誘う悪い悪魔だったーっ!?)
ジーザス。
バイトの神など、初めから存在しなかった――




