夢幻と星屑、その代償④
「おぉぉおいしぃぃ~~いっ!!」
愛奈はマスクドデリシャスメロンパンを一口ほおばると、天を仰いで歓喜に身を震わせた。瞳はきらきらと輝き、全身からは幸せオーラが溢れ出している。
「……ほぉ、ほ~ん……」
お昼の時間、教室で机を寄せ合って昼食をとっていた四人。伊吹は興味なさそうに装っていたが、箸は止まったまま、視線はパンに釘付けになっていた。
「なかなか……かぐわしい香りですね」
お嬢様として普段から良いものを食べている雫ですら、愛奈の持っているパンに視線を持っていかれている。
「自分で食べればよかったっしょ……」
響華はぼそりと呟き、極力愛奈の方を見ないようにしていた。だが、チラチラと覗いてくるため、気になっているのは明らかだった。
「どうしたのみんな?」
「……なんでもない……」
「ええ、なんでもないですよ」
「なんでもないっしょ」
全員の視線が気になった愛奈。しかし、答えをはぐらかされてしまった。
「ははーん、さてはこのパンが気になってるんだね。なんたって――マスクドデリシャスメロンパンだもんね!」
愛奈は一口かじったパンを高々と掲げる。その声に釣られて、周囲のクラスメイトまで振り返った。
「あれが、購買幻のパン!?」
「美味しそう……っ、でも私はダイエット中……」
「まさか朝丘が手に入れるとは!」
「殺してでも うばいとる!……さすがにダメか」
「ふっ……ふっふっふー!」
教室中の注目を浴びた愛奈は、鼻高々にパンを掲げ直し、得意満面で笑った。一部物騒な声が混じった気もしたが――そんなことは、幸せいっぱいの彼女の耳には届いていなかった。
「仕方が無いなぁ、特別にみんなにも分けてあげる。幸せのおすそ分けだよっ!」
愛奈は胸を張り、得意気にメロンパンをちぎり始めた。
「はい、伊吹ちゃんには……これっ!」
指先でちょんとちぎった、ひとくちサイズよりもさらに小さい欠片を差し出した。
「……ちっさ……」
「だって伊吹ちゃんだし」
「……あたしの名前は悪口かよ……」
「文句を言うなら分けてあげないよ!」
「…………いる……」
伊吹は納得いかない表情であったが、パンの香りに抗えず、文句を飲み込んで受け取ることにした。
「雫ちゃんには大きいのあげるっ!」
「ありがとうございます。愛奈ちゃん」
愛奈はちぎったパンを手渡し、雫は丁寧にそれを受け取る。
「……サイズ、三倍違う。雫、少し分けて……」
「愛奈ちゃんから頂いたものですから、分けられません」
「……ケチ……」
「ふふっ、日ごろの行いの差です」
伊吹は手元のパンをじっと見つめ、溜め息をついた。対照的に雫は優雅に笑みを浮かべる。
「そして響華ちゃんには――一番おっきいのだよっ!」
「おおっ! マジで!? さっすが愛奈さまっ!」
雫に渡したパンよりも一回り大きくちぎられたパンを愛奈が渡し、響華はそれを両手で恭しく受け取る。
「あ、愛奈ちゃん……っ!」
「……日ごろというより、今日のゴマすりの成果だな。雫、ドンマイ……」
「元々は響華さんが買ってきたパンですし、おかしくはありませんね……」
理屈では理解している。だが、雫の胸にはどうしても拭えないもやもやが広がっていった。
「おぉいしぃぃ~いっしょ~~!!」
響華はマスクドデリシャスメロンパンを一口ほおばると、天を仰いで歓喜に身を震わせた。瞳はきらきらと輝き、全身からは幸せオーラが溢れ出している。
「でしょでしょ~」
その様子に愛奈は満面の笑みで身を乗り出し、嬉しそうに同調した。
「……さすがに大げさでしょ……うおっ、うんまっ……!」
伊吹が呆れ顔でパンを口に放り込んだが、パンの味に目を丸くして思わずうなってしまった。
「……こんなうまいパンをタダであげるなんて、響華、何企んでる……?」
半目のまま問い詰める伊吹に、響華は慌てて両手をぶんぶん振る。
「ちょ、ちょっと~! 企むとか人聞きが悪いっしょ! あーしは今日一日、愛奈さまの忠実なる従者! ねーっ、愛奈さま~♪」
「ねーっ、響華ちゃ~ん♪」
二人は笑い合いながら、親指を立てて互いに腕を伸ばしあった。
「響華ちゃんの行動は、今日朝早く来たわたしへのご褒美なんだから! 疑っちゃダメだよ!」
胸を張って誇らしげに言う愛奈。伊吹はその光景を見て、小さく鼻で笑う。
「……そう言えば、そんな理由だったね。今日一日か……ふっ、てことは明日が見ものだな……」
「見ものって何が?」
「……タダより高いものはないってことさ。覚えておくといい、愛奈……」
伊吹の口元には意味深な笑みが浮かんでいた。だが愛奈は、首をかしげるばかり。
「なに言ってるの伊吹ちゃん。タダは一番安いんだよ! わたしはちゃんと買い物してるから知ってるもん。安い事は偉いんだって! その様子じゃあ、伊吹ちゃんはちゃんとスーパーで買い物したこと無いんだねっ!」
「……何の自慢だよ。まぁ、愛奈には伝わらないか。ある意味安心……」
伊吹はニヤつきながら愛奈の言葉を受け流す。後で文句を言われないようにと、形ばかりだろうと忠告はしたのだから。
「どうしたの伊吹ちゃん? もしかして、わたしが響華ちゃんに取られたと思ってヤキモチ? も~、嫉妬はダメだよっ!」
「……うぜー。愛奈ごときでそんな嫉妬するわけないだろう。はむっ……」
「ごときってどういうことっ!? もっとわたしを大事にしてよぉ!」
しかし、明後日の方向に解釈する愛奈。伊吹は相手をするのも面倒だと食事を再開した。
「うっ……嫉妬って、いえ……わたくしは、そのような醜いことは……決して……」
パンを見つめ続けて固まったままの雫だったが、愛奈の言葉が耳に入り、さらに落ち込んだ。自分に対して言われた言葉ではないが、なぜか心に突き刺さってしまった。
「……流れ弾がそっちに行ったか。雫、元気だせ。そのパンの味は本物だぞ……」
「こほん。このパンですが、皆さん美味しいと口をそろえていますね。では、わたくしも頂きましょう…………これはっ!」
なんとか表面上取り繕うまでには快復した雫が最後にパンを口に運んだ。その瞬間、ぴたりと動きを止める。
「口の中に広がる芳醇なバターの香り……! この風味は、間違いなくフランス産発酵バター! 外側のクッキー生地は香ばしく、中のパン生地は驚くほどしっとり……この鮮やかなコントラストはそれぞれに適した違う種類の小麦粉を使用しているに違いありません! そして――最後に残るのは果物の王様、マスクメロンの甘み! メロンパンにメロンは普通は使われませんが、このパンはあえて使用しています!……上品な甘さと芳香が、次の一口を誘ってやみません! マスクドデリシャスメロンパン……このようなメロンパンは初めてです! まさに完璧という他ありません!」
「ひっ……ひふぅふぅひゃん……?」
雫の勢いに、愛奈はパンをくわえた状態で固まってしまった。
「あっ……す、すみません。つい、興奮してしまいました。お恥ずかしい……」
「……雫でも感動するほどの味だったか……」
「おいしいとしか言えないあーしらと語彙レベルがダンチっしょ……」
我に返った雫は、頬にそっと手を当ててうつむく。その顔にはほんのり朱が差していた。
◇◇◇
帰りのホームルームも終わり、教室がざわつき始めた放課後の時間。
「愛奈ちゃん! 『俺スタ』の本、お貸しします!」
珍しく強い声を上げながら、雫は鞄から取り出した本を両手で差し出した。頬はわずかに紅潮し、どこか必死な様子がにじんでいる。
「ええっ!? 雫ちゃん、まだ読み終わってないよね!?」
愛奈は目をぱちぱちと瞬かせ、思わず手を引っ込める。朝の時点ではまだ序盤だったはずで、その後の休み時間にも読み進めている気配はなかった。
「だ、大丈夫ですから!」
「持ち主である雫ちゃんより先に読むのはダメだよ! 雫ちゃんが読んだ後でいいからねっ!」
愛奈はぶんぶんと両手を振って強く否定する。その真っ直ぐな言葉に、雫の肩はしゅんと落ちた。
「そう、ですか……むぅ~」
唇を尖らせて不満を隠せない雫に、愛奈は慌てて身を乗り出す。
「雫ちゃん!? ど、どうしたの、今日は!?」
今日一日、愛奈の関心が響華に向いてしまい、心の奥で焦りを募らせていた雫。本を貸すことで自分に振り向いてほしかったのだが、その思惑は空回りしてしまった。
むくれる雫となだめる愛奈――いつもなら逆の立場なのに、その構図はすっかり反転していた。
「愛奈ちゃん! 今日読み切って、明日お貸ししますね!」
「えーっと……嬉しいけど、ゆっくり読んで雫ちゃんにも『俺スタ』を楽しんで欲しいなー……」
別れ際になっても、雫はどこか落ち着かない様子だった。
「では……愛奈ちゃん、また明日」
「うん! また明日! じゃあね、雫ちゃん!」
用事があると一足先に教室を出て行く雫。けれど名残惜しそうに何度も振り返り、そのたびに愛奈は変わらず大きく手を振って応えた。
「雫ちゃん、行っちゃった……さて、わたしも掃除しなきゃね!」
今日の教室の掃除当番は愛奈のいる班。雫を見送っていたため少し出遅れたが、これ以上遅れて班のメンバーに迷惑をかけるわけにはいかない。
「うう~、本当は早く帰ってお姉ちゃんに会いたいのに……なんでこんな日に掃除当番なの~」
小さな声で嘆きながら教室を見回した愛奈は、ふと首をかしげた。
「……あれ? 机とイスがほとんど端に寄ってる?」
本来なら班員一人につき一列ずつ運ぶのが暗黙の了解。となれば、愛奈の分が残っているはずなのに――。
疑問を抱いたその時、背後から声が飛んできた。
「机とイスの移動は、すでにこのあーしが片づけるっしょ! 続く床掃きも、全部引き受けるから安心めされよ、愛奈さま!」
「響華ちゃん!? え、えっ、代わりにやってくれるの!? やった~! ありが――」
班員でもない響華が、当然のように机を動かしてせっせと働いていた。今日一日〝主従ごっこ〟に付き合っていたことを班のメンバーも察しているのか、誰も口には出さなかった。
「い、いやいや、教室の掃除はみんなでやらないとねっ! 手伝ってくれるのは嬉しいけど、わたしがサボる訳にはいかないよ!」
口には出していないが周囲の視線が冷ややかに感じられ、愛奈は慌てて机を持ち運び始めた。サボり魔だと思われたら大変――その一心で、いつもより大げさに掃除へ加わった。




