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夢幻と星屑、その代償③

 その日は一日、響華が〝愛奈さま〟と呼び続けた。ひたすらおべっかを使って愛奈の気分を上手に盛り上げた――





「むぅ~……」


 愛奈は昨日行われた数学の小テストの結果を目にし、眉根を寄せていた。


「……ふっ、その顔じゃあ今回もロクな点が取れなかったようだな……」


 そこに伊吹がやって来た。その顔には小馬鹿にしたような嫌らしい笑みが張り付いていた。


「伊吹ちゃん……何点?」

「……六十点。そういう愛奈は……?」

「ぐぅ…………五十点」


 点数を聞いた伊吹が勝ち誇ったように腕を組んで鼻を鳴らした。


「……やはり、愛奈は阿呆だな……」

「んあ~っ! ほとんど同じだよ!」

「……たかが十点、されど十点だよ、愛奈……」


 エキサイトする愛奈を心配して雫が近づいてきた。


「愛奈ちゃん、落ち着いて。テストの点数なんて気にしないで、ねっ」

「む~っ! む~っ!」


 雫は後ろから愛奈の肩に手を置いて、なんとか落ち着かせようとする。しかし、愛奈は頬を膨らませて伊吹をにらみつけていた。


「……どうせ雫は百点。そんな上の人間は今はお呼びじゃない……」

「あの、今はわたくしの点数は気にしないで頂けませんか?」

「……やだ。で、結局百点なんでしょ……」

「それは、そうですけど……」


 そんな雫に対して伊吹は得点を言い当てて、愛奈の味方をさせないように牽制する。


「……ほら、雫にできないやつの気持ちは理解できない。愛奈のことはカワイイアホの子って思っているのさ……」

「アホの子っ!? そんなこと無いよね! 雫ちゃん!」

「えっ!? あのっ……」


 雫は〝カワイイ〟という部分に反応してしまい、瞬時に否定できなかった。


「……言いよどんだね雫……」

「雫ちゃん!? そんなぁ!」

「ああっ! 違うの愛奈ちゃん、これはっ……!」


 愛奈が裏切られたというような表情で雫に振り返る。雫は弁明を図ろうとするが、愛奈の表情にショックを受けてうまく言葉が出てこない。



「まーまー、愛奈さま! 次の勝利は確実! そこの伊吹っちも次回は涙目っしょ!」

「響華ちゃん!」

「……響華……?」


 そこに、やけに腰が低い態度で響華が近づいてきた。


「どういうことでしょうか?」

「前回愛奈さまは三十点で今回は五十点! つまり! 次は七十点で伊吹っちを上回るっしょ!」

「そう単純な話では……」


 響華は身振り手振りを交えて高らかに語る。しかし、雫は胡散臭そうな視線を送る。


「愛奈さまの成長具合はまさに天を突く勢い! すぐさま伊吹っちなんて抜き去るっしょ!」

「そっか!……伊吹ちゃん! 余裕ぶっていられるのも今のうちだからね! すぐにほえ面を~……えっと、かいてあげるんだから!」

「いよっ! さすが愛奈さまっしょ! かっくい~!」

「はっはっはーっ!」


 響華に乗せられ愛奈はすっかり有頂天。腰に手を当て、ふんぞり返って高笑い。


「ほえ面は、かかせるものですよ……愛奈ちゃん? 愛奈ちゃん~!」


 雫は明らかに間違って使用された日本語を訂正しようとしたが、愛奈は話を聞いていなかった。


「……雫、ドンマイ。これが阿呆の介護の宿命だな……」


 そして、なぜか伊吹が同情し始めた。





◇◇◇





「むぅ~……」


 愛奈は先ほど行われた体育の短距離走の結果を目にし、眉根を寄せていた。


「……ふっ、その顔じゃあ大したタイムがでなかったようだね……」


 そこに伊吹がやって来た。その顔には小馬鹿にしたような嫌らしい笑みが張り付いていた。


「伊吹ちゃん……何秒?」

「……七.九五秒。そういう愛奈は……?」

「ぐぅ…………八.一四秒」


 タイムを聞いた伊吹が勝ち誇ったように腕を組んで鼻を鳴らした。


「……やはり、愛奈はノロマだな……」

「んあ~っ! わたしだって速いもん!」

「……七秒台と八秒台、受ける印象が全然異なるんだよ、愛奈……」


 エキサイトする愛奈を心配して雫が近づいてきた。


「愛奈ちゃん、落ち着いて。愛奈ちゃんの速さは分かってますから、ねっ」

「む~っ! む~っ!」


 雫は後ろから愛奈の肩に手を置いて、なんとか落ち着かせようとする。しかし、愛奈は頬を膨らませて伊吹をにらみつけていた。


「……でも雫は九秒付近。そんな下の人間は今はお呼びじゃない……」

「あの、今はわたくしのタイムは気にしないで頂けませんか?」

「……やだ。で、結局九秒近くなんでしょ……」

「それは、そうですけど……」


 そんな雫に対して伊吹はタイムを言い当てて、愛奈の味方をさせないように牽制する。

「……ほら、雫にこの次元の話は理解できない。愛奈のことは胸デカアホの子って思っているのさ……」

「胸デカアホの子っ!? そんなこと無いよね! 雫ちゃん!」

「あのっ……先ほども似たような会話をしませんでしたか?」


 雫は既視感を感じる一連の流れに突っ込まずにはいられなかった。


「……否定しないんだね雫……」

「雫ちゃん!? そんなぁ!」

「ああっ! 違うの愛奈ちゃん、これはっ……!」


 愛奈が裏切られたというような表情で雫に振り返る。雫は弁明を図ろうとするが、愛奈の表情にショックを受けてうまく言葉が出てこない。



「まーまー、愛奈さま! 実質的な勝利は明確! そこの伊吹っちも本質を理解すれば涙目っしょ!」

「響華ちゃん!」

「……響華……?」


 そこに、やけに腰が低い態度で響華が近づいてきた。


「どういうことでしょうか?」

「愛奈さまはおっぱいが大きいのに対し、伊吹っちは小さい! つまり! おっぱいの成長具合の分だけハンデがあるっしょ!」

「胸の話は、そんな大きな声でするものでは……」


 響華は身振り手振りを交えて高らかに語る。しかし、雫は呆れた視線を送る。


「愛奈さまの成長具合はまさに天を突く勢い! すぐさま伊吹っちも己の過ちに気付くっしょ!」

「そっか!……伊吹ちゃん! 勝ち誇っていられるのも今のうちだからね! わたしの成長ぶりに目にもの見せてあげるんだから!」

「いよっ! さすが愛奈さまっしょ! すんばらしい~!」

「はっはっはーっ!」


 響華に乗せられ愛奈はすっかり有頂天。腕を組んで、天を見上げて高笑い。


「これ以上、胸が成長してしまっては困るのでは……愛奈ちゃん? 愛奈ちゃん~!」

 雫はそっと眉間を押さえて違う意味の〝成長〟を諭そうとしたが、愛奈は聞いていなかった。


「……雫、南無。阿呆の介護は一生ものだからな……」


 そして、なぜか伊吹が同情し始めた。





◇◇◇





 午前中、響華は愛奈をひたすら持ち上げた。それは午後になっても変わらなかった――



「う~……お腹すいたよぉ」

「愛奈ちゃん、元気を出して。着替えたらお昼を一緒に食べましょうね!」


 更衣室で制服に着替えながら、愛奈は情けない声を上げてへたり込みそうになっていた。四時間目の体育で全力疾走したせいで、エネルギーをすっかり使い果たしてしまったのだ。


「……あれ、まだ着替え終わってなかったの? 購買、もう並んでるんじゃない……?」


 そこに着替えが終わり、制服姿の伊吹がやって来た。豊かな自然の中にある瑞葉学園。裏を返せば食事を取れる場所が周辺に存在しない。必然的に学校内で食事を調達する必要がある。

 多くの生徒はお弁当を持参しているため問題ではないが、そうでない生徒は学食か購買を利用することになる。しかし、生徒の休憩時間は全学年同じ時間。つまり、出遅れると長蛇の列が待っている。


「あぁ!? しまったーっ! なんで教えてくれなかったの伊吹ちゃん!」

「……あたしのせいにするなよ。ふっ、今日も売れ残りの硬いコッペパンだけだな……」

「やだーっ! おいしいパンが食べたい~っ!」


 愛奈は中学の頃も高校に入ってからもしばらくはお弁当を持参していた。だが、姉である優奈が入院してしまってからは購買を利用していた。

 その意識の切り替えがなかなかできておらず、買い物をする時間に意識が向いていなかった。


「急ぎましょう! 愛奈ちゃん!」

「……雫も教えてあげないとか、結構薄情だね……」

「そんなっ!? 雫ちゃ~ん」

「それはっ……! 朝早くいらしたし、今はゆっくりされていたので、お弁当のご用意があるのかと……」


 伊吹と愛奈の視線を同時に浴び、雫はしどろもどろになった。自分でも言い訳だと分かっているので、声がだんだん小さくなる。


「わっ、わたくしのおかずを分けてあげますから、ねっ! 愛奈ちゃん!」

「それはそれで、雫ちゃんに悪い気が……」


 なんとか愛奈の機嫌を取ろうとする雫。だが、今度は愛奈の方が遠慮してしまった。


「……早く着替えたら? 今度は食べる時間も無くなるよ……」


 着替えの手が止まった愛奈に対し、伊吹が冷めた態度で告げた。



「心配ご無用っしょ! 愛奈さまっ!」


 その時――更衣室の扉が勢いよく開いた。


「響華ちゃん!?」


 扉を開けて中に入って来たのは――響華。体操着のまま、片手にビニール袋をぶら下げている。


「……どこ行ってたのさ、響華……」

「購買っしょ。いやぁ、体操着のまま並んでたら男子たちが鼻伸ばしてきて、超ウケた~!」

「その格好で並んだんですか? 響華さんは大胆ですね……」


 けらけらと笑いながら、響華は何でもないことのように言い放つ。そして次の瞬間、恭しい態度で愛奈の前にひざまずいた。


「王女様……こちらを献上するっしょ!」

「響華さん!? そっ、それは……!?」


 響華は腕に下げていたビニール袋から、そっとパンを取り出して差し出す。更衣室に焼き立てのパン特有の芳醇な香りが漂い始める。そして、その姿を見ていた雫が思わず声を上げた。


「マスクドデリシャスメロンパンだぁ!!」

「……不定期販売なのに一日二十個限定の幻のパン! 本当に存在していたというのか……」


 愛奈は手渡されたパンを高く掲げ、目を輝かせて叫ぶ。ついでによだれも垂れた。

 伊吹は珍しく目を見開き、パンを仰ぎ見る。


「くれるのっ!? ホントにいいの!?……じゅるり」

「マジマジ、差し上げる! タダでOKっしょ!」

「響華ちゃん! ありがと~っ!」

「わぷっ……うっひっひ~」


 感極まった愛奈が勢いよく抱きつくと、ひざまずいていた響華の顔はその胸にうずもれた。彼女は小声で「ラッキー♪」と呟き、妙に邪な笑みを浮かべる。


「あっ、愛奈ちゃん!? そんなっ……わたくしの存在価値が……一体どうすれば……」


 その様子を見た雫がへなへなとその場に崩れ落ち、胸元をぎゅっと握りしめて小さく震えていた。いつも抱きつかれるのは自分だったのに――その特等席を奪われ、胸の奥に切ない痛みが広がった。


「……いいから早く着替えろよ。あたし、先行くぞ……」


 冷ややかな目で一部始終を眺めていた伊吹が、ぶっきらぼうにそう告げて更衣室を出て行った。


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