夢幻と星屑、その代償②
時計が八時十五分を回るころ、教室は次第ににぎやかさを増してきた。
「おはおっは~、雫っち、愛奈っち!」
そんななか愛奈と雫の二人にテンション高く挨拶する少女――天雷響華。
短く折ったスカートに着崩した制服。茶色に染めた髪をゆるくウェーブさせ、片側でまとめたサイドテールを揺らす姿は、まさにギャルそのものだ。
「おはようございます。響華さん」
「おはおっは~! 響華ちゃん!」
雫はいつも通り丁寧に、愛奈は響華と同じテンションで挨拶を返す。
「って、あれぇ!? 愛奈っちがいるぅ!」
「なんでそんな驚くのっ!?」
いつも通りに挨拶をしたと思いきや、響華は目を丸くし、愛奈の方を二度見して大げさに驚く。
「だって愛奈っちだよ! いつもチャイムと競争して、大体負けてる愛奈っちだよ!」
「そ、そんなに負けてないし……」
後ろめたさからか、愛奈はそっぽを向き、人差し指同士をつんつんと合わせながら小さな声で言い訳する。
「いや~、この時間にいるの初めて見たっしょ! 天然記念物並みに珍しいから、記念に撮っとこ~っと」
響華は素早くスマホを取り出し、慣れた手つきでカメラアプリを起動した。
「ええっ!? なんでそんな珍獣扱いなのっ! わたしはどこにでもいる女子高生だってば!」
「いやぁ、愛奈っちの背と胸の大きさの組み合わせはあり得ないっしょ~。ややっ、これは新種の女子高生かもしれませんねぇ。写真を撮って今すぐ学会に報告せねばなりませんな~」
響華は冗談めかした声色と共に、愛奈に向けてスマホを差し向ける。
「新種の女子高生の生態を発表する学会なんて絶対存在しないよっ! しちゃいけないよ! うわぁ、写真は恥ずかしいってば~」
「うりうり~。愛奈っちはかわいいんだから、綺麗に撮られろ~」
愛奈は両手で顔を隠し、必死に抵抗する。
「響華さん。人を撮るときは、ちゃんと許可をいただかないといけませんよ」
「は~い……」
雫が静かにたしなめると、響華はしぶしぶスマホをしまった。
「雫ちゃ~ん」
「よしよし、愛奈ちゃん」
響華の悪質な撮影会から救ってくれた雫に愛奈は抱きつく。雫もそれを積極的に受け入れる。
「ちぇ~。せっかく愛奈っちを撮れると思ったのに~」
一方、響華はまだ不満気に唇を尖らせていた。
「ちゃんと許可を取りましょうね。わたくしはとびきりカワイイ愛奈ちゃんの写真を……ふふっ、百枚近く持っていますから」
「雫ちゃん!?」
普段は見せない小悪魔めいた笑みを浮かべ、スマホを掲げる雫。その不意打ちに、愛奈は思わず上擦った声が出た。
「えぇ、なにそれ!? 見たい見たーい! あーしにも見せてよ!」
「仕方がありませんね。響華さんには特別ですよ」
言葉とは裏腹に、どこか得意気にスマホを差し出す雫。
「どれどれ~……うわっ! マジでカワイイ! 加工なしでこの仕上がり!?」
「ええっ!? そ、そんな~、照れちゃうなぁ……」
画面を覗いた響華がミーハー丸出しで叫び、愛奈は思わず顔を背けた。
「超映えてる! このぬいぐるみ!」
「わたしじゃないの!?」
響華が褒めたたえた対象が自分じゃないと知った愛奈。勘違いして照れていた分、余計に恥ずかしさが込み上げてくる。
「うそうそ、ちゃんと愛奈っちもかわいいよ~」
「も~、響華ちゃんてばぁ……」
響華がニッと笑って冗談を明かす。
雫のスマホには、数日前の手芸部の体験入部で撮った写真が延々と並んでいた。ぬいぐるみに囲まれた愛奈の姿は、どれもこれも雫にとって宝物のように収められていた。
「ねーねー、あーしにもこの写真ちょーだい――」
「ダメです」
響華のお願いを、雫はにべもなく断った。
「あれぇ……?」
「却下です」
食い気味に返ってくる拒絶の言葉に、響華は目を丸くして固まる。
「え~、愛奈っちの可愛さを世界に広めるためだってば! 論文発表案件っしょ~!」
「それでも許可できません」
冗談めかして理由をつけても、雫の表情は一ミリも揺るがなかった。
「わたくしの学会は、愛奈ちゃんの可愛さを純粋に研究する場なのです」
「雫ちゃん!? そんな学会絶対存在しないよねっ!」
誇らしげに胸を張る雫。愛奈は慌てて否定するが、全く聞いてもらえない。
「あーしの学会だって、愛奈っちの魅力をガチのマジで追及中だし! だからいいじゃん、ちょーだい!」
「響華さんは、愛奈ちゃんをわざと恥ずかしがらせて反応を観察していますよね? それは邪道です。そんな学会に研究成果は提供できません」
「わたしって研究成果になるような観察対象なのっ!? 違うよね!」
愛奈の必死の抗議をスルーして、二人の議論はさらに白熱する。
「対象の魅力を最大限引き出すため、効果的な手段を選んでるだけっしょ!」
「いいえ、自然に湧き上がる笑顔こそが至高! この写真を見たあなたなら理解されたのでは?」
「ぐぅ……それでも、あーしはあーしの方法でこの研究を貫くまでっしょ!」
「ふふっ、そうですか。アプローチこそ違いますが、お互い願うところは一緒のようですね。分かりました。一部だけですが、特別にご提供いたしましょう。響華さん」
「雫っち……!」
二人は目を合わせ、同時にうなずいた。妙に通じ合った様子で、それぞれのスマホを操作し始める。
「えぇぇっ!? ちょっと待って! わたしの写真の話じゃなかったの!? 学会ってなに!? 研究ってなんなの~~!?」
――話題の中心であるはずの愛奈だけが、完全に置いてけぼりにされていた。
愛奈の写真をめぐって盛り上がる三人のもとへ、ヨタヨタと眠そうに歩いてくる少女がいた。
「お、伊吹っちじゃーん。おはおっは~!」
「伊吹さん、おはようございます」
「伊吹ちゃん! おはおっは~!」
「……おは。響華、雫……」
低いテンションで返事をした少女――風谷伊吹。
黒髪ショートは寝癖のように跳ね散らかし、半分しか開いていない目と間延びした話し方から、全身でダウナーな雰囲気を漂わせていた。
「わたしには挨拶返してくれないのっ!?」
そんな中、名前を呼ばれなかった愛奈が、すかさず抗議の声を上げる。
「……あん?…………誰……?」
「ひどいっ! わたしたち、曲がりなりにも友達だよねっ!?」
伊吹は片手で目をこすり、もう一度愛奈を見やる。しかし、それでもその存在を認識することを脳が拒んだようだ。
「……愛奈?……いや、この時間にいるはずない。これは愛奈のニセモノ。つまり――夢か幻……」
「本物だよっ! いつまでも寝ぼけてないで起きて! 伊吹ちゃん!」
「……あばばばばっ……!」
ニセモノ扱いが腹に据えかねたのか、愛奈は伊吹の肩をがっしりと掴んで思いっきり前後に揺さぶった。
寝ぼけ眼の伊吹はされるがまま、髪をぐしゃぐしゃに乱しながら、口から情けない声を漏らすしかなかった。
「……おえっ……吐きそう……」
「大丈夫ですか? 伊吹さん……」
散々揺さぶられた伊吹は机にぐったりと寄りかかり、肩で息をしていた。黒髪はさらに乱れて寝癖が倍増し、まるで嵐にでも巻き込まれた後のようだ。その背を、雫が呆れ半分、心配半分の表情で静かにさすっている。
「やっと起きたね! 伊吹ちゃん!」
「……もうやだ、帰って寝たい……」
「まだ一時間目も始まってないよ!」
「……誰のせいだと、思ってるんだ……」
かろうじて気を取り戻した伊吹は、じとりと怨念めいた視線で愛奈を睨む。しかし、愛奈はまったく気にしていなかった。
「……だいたい、なんで愛奈がこの時間に教室にいるのさ……」
「ああっ! そうそう、あーしもそれ、気になったっしょ!」
伊吹の疑問に乗っかるように響華が面白がるように身を乗り出す。
突然二方向から視線を突きつけられ、愛奈はたじろいだ。
「えっ!? い、いやぁ……それは~」
ごまかそうと笑顔を浮かべるが、その声はどこか裏返っている。
「なんか怪しいっしょ。もしや彼氏でも――」
「そ、そんなことよりもっ! 朝早く来たわたしをもっと褒めてくれてもいいんだよ!」
なおも探ろうとする響華の言葉を遮り、愛奈は強引に話題を変えて朝早く来れたことを自慢し始めた。
「……誰が愛奈なんか褒めるか。今日槍が降ってきたら愛奈のせいだな……」
「槍なんて降る訳ないってば。も~、伊吹ちゃんは脳天気なんだからぁ」
「ふふっ、洒落た言い回しですね。さすが愛奈ちゃんです」
「……うわぁ、愛奈に言われると腹が立つ……」
伊吹は皮肉で牽制したつもりが、逆に切り返されてしまった。雫も愛奈をよいしょして、ますます態度がでかくなる。負けた気分で机に突っ伏す伊吹に、愛奈は得意気に腰に手を当てた。
「伊吹ちゃんも朝早くに起きた方が良いよ。ねぼすけ伊吹ちゃんじゃあ、わたしの頭の回転の速さに着いてこれてないよ!」
「……うぜぇ~。コレに朝来る時間で負けたとか信じられん……」
ぼやく伊吹に、愛奈はさらに勝ち誇ったように笑みを浮かべて胸を張る。
「ふっふーん! でも事実なんだよねぇ。負けた伊吹ちゃんは今日一日、わたしのことを〝愛奈さま〟と呼んでもいいんだよ!」
「……誰が呼ぶか……調子に乗るな、阿呆の愛奈……」
愛奈が調子に乗って要求がエスカレートした。当然、伊吹はそっぽを向いてしっしっと手で払い、相手にしなかった。
「あーっ! アホとかひどい~!」
「まーまー、落ち着くっしょ~。ねっ、〝愛奈さま〟」
「おおっ! さすが響華ちゃん! ノリがいいね~。うむ! 苦しゅ~ないっ!」
「……えぇ……響華、本気……?」
響華は満面の笑みで〝愛奈さま〟と呼び、愛奈はすっかり殿様気分。だが、その光景を前にした伊吹の半目は、さらに冷めきっていた。




