夢幻と星屑、その代償①
星森市――それは、都心から離れた郊外にある小さなベッドタウン。都心との距離も悪くなく、一昔前か二昔前、大規模な都市開発が計画されていた。
しかし、その計画は最終的に白紙となり、多くの自然と不便な交通網だけが残された。
都会に住む人が疲れた心を癒すために訪れることはある。だが、主要な幹線道路が通っておらず、鉄道も都心に出るには遠回りを強いられるため、この街が観光地として脚光を浴びることはなかった。
本来なら直線距離を考えればもっと発展していてもおかしくない。だが、交通や立地の微妙な不便さが重なり、発展の機会を逃してしまったのだ。
星森市とは、発展から取り残され、静かに時を刻む街である。
時刻は朝。穏やかな陽光が街並みを照らし、吹き抜ける風が頬を撫でる。人々の歩みもどこか緩やかで、頭上からは小鳥のさえずりが降りそそいでいた。
「安藤♪ アンド! あんドーナツ♪ Hey!
アンドゥ♪ アンチョビ? あれ、どうなん? Hi!」
そんな街の空気に混じる歌声。妙なリズムでヘンテコな歌を口ずさみながら歩く、ゴキゲンな少女がひとり――朝丘愛奈である。
愛奈は今年から瑞葉学園高等学校に通う新入生。しかし、幼い顔立ちと小柄な背丈のせいで、制服を着ていなければ高校生には見えない。
茶色が混じった黒髪を丁寧に結んだツインテールがリズムに合わせて揺れ、小柄な体に似合わぬほど豊満な胸までもが、彼女のステップに合わせて弾んでいた。
鼻歌交じりにステップを刻みながら、愛奈は駅へと続く通学路を進んでいく。普段は朝に弱く、遅刻ギリギリで駆け出すことが多い彼女だが、今日は珍しく余裕をもって歩いていた。
「飯田は♪ いいよ! いい人だ♪ Hey!
いいや♪ 言い訳! いい湯だな♪ Hi!」
リズムに合わせて胸も弾む。けれど、その胸の内はそれ以上に弾んでいた。
――お姉ちゃん。
あの日、侵魔に襲われて寝たきりとなってしまった愛奈の姉、優奈。
けれど今日――一時的にとはいえ、目を覚まし、言葉を交わせるかもしれない。昨日そう聞かされて以来、愛奈の胸は期待でいっぱいだった。
「内田は♪ 打つ気だ! 宇宙行き♪ Hey!
内気な♪ うちわで! うつけ者♪ Hi!」
この世界は、実は異世界とつながっていて、そこからマナや侵魔と呼ばれる存在が流れ込んでくる。アニメやゲームの中だけの出来事だと思っていたことが、裏では現実に起きていたのだ。
愛奈もまた、その裏側で戦う一人となった。
侵魔に襲われたあの日、星聖樹の精霊リーフィラと契約し、聖契士――〝ピュリステラ・ハーティア〟へと変身できるようになったのだ。
変身によってマナを取り込み、普通の人では到底成し得ない力を振るって侵魔と戦ってきた。
「遠藤♪ エンド! えんドーナツ♪ Hey!
エンドゥ♪ エリンギ? えぇ、どうなん? Hi!」
優奈の身体は侵魔に襲われた際に、瘴気――有害なマナに侵されてしまった。
愛奈は街に広がる瘴気を取り除き、そして、優奈の中に溜まった瘴気を少しでも浄化するために戦い続けていた。
「小田を♪ おだてた! お代官♪ Hey!
お代は♪ お黙り! おしまいだ! Yo!…………あ」
腕を振り上げ、気持ちよく歌い終えた愛奈。
だが、ふと顔を上げると、目の前から歩いてきたサラリーマンとばっちり目が合ってしまった。お互い一瞬立ち止まり――そしてサラリーマンは肩を震わせ、必死に笑いを堪えながら軽く会釈して通り過ぎていった。
「~~~っ……!」
愛奈は顔を伏せながら速足で歩きだした。身体から汗が流れるのを感じたが、それは朝の陽気によるものではないことだけは確かだった。
◇◇◇
「あっ! 雫ちゃん! おはよ~っ!」
教室に足を踏み入れるなり、愛奈は大きな声で上水流雫に挨拶した。
朝早い時間のため、教室にはまだ人影がない。そんな静けさの中、雫は一人、腰まで伸びた黒髪を風に揺らしながら本を読んでいた。その艶やかな髪と落ち着いた仕草は、ただ座っているだけで気品を漂わせている。
「あら、おはようございます。愛奈ちゃん。この時間に会えるなんて、今日はいい一日になりそうです」
雫は栞を挟んで本を閉じ、ふわりと笑みを浮かべて応じる。
「雫ちゃん、なに読んでたの?」
雫の手にある本にはカバーが付いており、内容をうかがい知ることはできなかった。
「これですか? 以前、愛奈ちゃんに教えていただいた〝俺スタ〟です」
カバーを外すと、そこにはアニメ風の絵柄の表紙があった。西洋風の華美な騎士服を着て剣を構える男の子と、華麗なドレスをたなびかせた女の子が描いてあった。
二人のキャラクターの上には〝異世界転生召喚チート無双 ~前世を持つ俺が勇者召喚された件。重複表示のステータスがバグって見えたせいで追放されたけど国が傾き今更戻ってこいといわれてももう遅い! だって複数の最強職業を使いこなし大切な仲間と自由気ままにスローライフを満喫中~〟と非常に長いタイトルが書いてあった。
「ホントに〝俺スタ〟だ! 読んでくれたんだ! ねぇねぇ! どこまで読んだの?」
愛奈と雫、二人で演劇部の体験入部に行ったときに演劇の題材となったのが〝俺スタ〟。雫はその時は知らなかったが、愛奈が薦めたことで興味を持ったようだ。
「森でタイラントボアを倒しところです。ちょうど演劇部で台本を読み合わせたあたりですね」
「まだ序盤ってところだね~」
「ええ。まだ読み始めたばかりですが、文章自体は読みやすくて戦闘描写も迫力があります。最初は設定に戸惑うところもありましたが、思っていたよりずっと面白いですね」
「良かった~! 雫ちゃんには合わないかもってちょっと不安だったんだよね」
「大丈夫ですよ。演劇部で序盤のストーリーは分かっていましたから」
「あっ! そっか、一緒に台本読んだもんね」
〝俺スタ〟の話題で盛り上がる愛奈と雫。
「でも、本は初めて見たな~。わたし、WEBでしか読んだことなくて」
「WEBで無料で公開されているのは知っていたのですが、どうしても紙で読みたくなってしまうんです」
「カラーのデュープくん、かっこいいな~。内容もWEBから加筆があるみたいだし、わたしも読んでみたい……」
表紙の少年――主人公デュープの姿に心惹かれる愛奈。けれど財布の中身を思い出し、胸の奥で小さくため息をついた。
「雫ちゃん! 読み終わったら、わたしにも貸してっ!」
両手を合わせて、目をぎゅっとつむりながらお願いのポーズを取る。
「ええ、もちろん良いですよ。でも、読み終わるのに少し時間がかかってしまうかもしれません。ゴメンね、愛奈ちゃん」
「全然大丈夫! 雫ちゃんの本なんだからゆっくり読んで! あとで貸してもらえるだけですっごくうれしいよ! ありがと~雫ちゃん!」
雫は優雅に微笑み、愛奈のお願いを二つ返事で引き受けてくれた。
「そう言えば、雫ちゃんって来るの早いんだね。この時間だから教室に一番乗りだと思ってたんだけどな~」
一番乗りできなかったことは残念だが、それよりも雫と会えたことの喜びの方が勝った。
「わたくしも少し前に来たばかりです。でも、本当に一番で来るのは難しいですよ。このクラスには――土井さんがいらっしゃいますから」
雫が言うや否や、教室の扉が開き、一人の少女が教室に入ってくる。今、話題に上がった土井峰子である。
肩ラインまでのミディアムボブ。眼鏡をしており、きっちりした印象の子だ。その印象通り、時間や規則に厳しく、愛奈たちのクラスの学級委員をしている。
片手に持ったノートに視線を落としていた。カバンなどは持っていないことからすでに教室で荷物を下ろした後だと分かる。
「委員長だ! おはよ~っ!」
「朝丘さん!? え、ええ、おはようございます……」
突然の元気な声に、ノートを見つめていた土井は目を瞬かせ、やや慌てて挨拶を返す。
「珍しいわね。この時間に朝丘さんがいるなんて」
「ふっふーん! わたしだって朝早く起きることができるのだ!」
いつも遅刻についてお小言を頂戴する土井に対し、愛奈は胸を張って自慢気に答える。
「そう? それなら、これから毎日そうしてね。そうしたら、私もいちいちうるさく言わなくて済むから」
「うっ……そ、それはまた別の話かな~」
愛奈はそっぽを向いて誤魔化した。
「それより! 雫ちゃんから聞いたんだけど、委員長がこのクラスで一番来るの早いんだね! いつも何時くらい来てるの?」
「そうね。だいたい七時には教室にいるわ」
「はやっ!? わたしが一番に到着するのは無理そうだよ~」
あまりの早さに愛奈は衝撃を受けて半歩後ずさる。
「朝丘さんは一番遅く来るのを何とかして欲しいわね」
「むあっ!?……聞こえな~い!」
「……はぁ。上水流さん、あなたからも注意してあげて」
「委員長!? 雫ちゃんになんてことを頼むのっ!」
遅刻常習犯に対する包囲網が形成されそうになり、愛奈は慌てふためく。
「ふふっ、愛奈ちゃんには愛奈ちゃんのペースがありますから。遅刻でないなら大丈夫ですよ」
「雫ちゃ~ん!」
雫はにこやかに微笑み、愛奈の味方をしてくれた。
「まったく……度々遅刻してるから問題なのに。上水流さんは朝丘さんにだけは甘いんだから……」
土井と雫はともに真面目で、規則についての考え方も大体は同じ。
けれど、こと愛奈のこととなると――二人の意見はどうしても噛み合わなかった。
申し訳ありません。ストックが無くなってきてしまいました。
今後は週2回の更新を目標に行かせていただければと思います。




