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滲む黒影、満ちる月⑨

 ピュリステラ・ハーティアが叫んだ瞬間、眩い光が弾ける。

 桜色の輝きは奔流となって闇を押し流し、黒き瘴気を焼き払いながら広がっていく。


「うぐおおおぉっ!……おっ!? お、おおっ!?」


 ウルギルヘルトの喉から困惑の声が漏れる。

 過去に浴びた浄化(ピュリフィケーション)は、肉を裂くような灼熱の痛みを伴ったはず。だが、今回は違う。痛みはどこにもない。代わりに、身体の芯をくすぐられるような――むず痒く、ぞわりとした奇妙な感覚が走っていた。


「これは……どういうこと……!?」


 リーフィラが目を見開く。信じられない光景だった。

 侵魔が浄化を受ければ、その肉体を維持できずに消滅する。それが常識。なのに――目の前の反応は、彼女の知識にあるどんな例とも異なっていた。


 やがて、桜色の奔流は静かに収まりゆく。

 光の中心にいたウルギルヘルトは――驚愕の表情を浮かべたまま、硬直していた。





「お……オレは、一体……!?」


 ウルギルヘルトは大の字に寝そべったまま、どこか茫然としていた。やがて違和感に気付いたのか、手をわき腹や胸へと何度も這わせる。

 そして――固まった。


「まさか……うおっ!? 傷が……無ェ!」


 驚愕して思わず上体を起こし、目で確かめたその身体は、つい先ほどまで切り裂かれていたはずなのに、どこにも傷が残っていなかった。だが、それ以上の衝撃が彼を襲う。


「あ?…………あ、あァん!? 身体から瘴気が感じられねェ! どういう事だ!? なんでオレは生きてんだ!?」


 侵魔は瘴気を糧に肉体を維持する。瘴気を失えば消滅する――それは常識。

 だが、現実はその常識を真っ向から否定していた。


「瘴気がなくても存在できる……つまり、あなたはもう侵魔じゃなくなったってことかしらね。まったく……とんでもないことをやってくれるわ、私の契約者は」

「侵魔じゃ……なくなった……だと?」


 リーフィラは冷静に事実を告げるが、その表情は呆れと同時に、どこか誇らしげでもあった。

 一方のウルギルヘルトは、自分に起きた変化を飲み込めずに、言葉を失う。


『クゥーン!』『ハッ、ハッ!』

「てめェら……」


 そのとき、ボスの無事を喜ぶようにウルギー達が駆け寄ってきた。だが、彼らの姿にさらに目を見張る。

 脚に刻まれたはずの裂傷は塞がれ、火傷の痕も影すら残っていない。それどころか、纏っていたはずの瘴気すら完全に消え去っていた。


「おいおい……マジかよ。侵魔から〝瘴気だけ〟を根こそぎ取り除いたってのか……」


 ようやく現実を受け止めながら、ウルギルヘルトは呆れ半分、感嘆半分の声を漏らす。

 そして、常識を覆した聖契士――ピュリステラ・ハーティアの方へ、ゆっくりと顔を向けた。



「調子はどう? けっこう上手くできたと思ってるんだけど!」


 胸を張るピュリステラ・ハーティアの顔には、得意げな笑みが浮かんでいた。


「ハッ! 出来すぎだよ……」


 ウルギルヘルトは鼻で笑う。こいつは自分が何をしでかしたのか、本気で分かっていない――そんな呆れと苦笑が入り混じる。


「それで、いつまで寝ている気かしら? もう傷は残ってないんでしょう」

「ん~……まあ、そうなんだがなァ……」


 リーフィラの言葉に対し、ウルギルヘルトは歯切れの悪い声を漏らす。


「せっかくだからよォ、この良い眺めを堪能してぇじゃねェか」


 悪そうな笑みを浮かべ、じろりと視線を向けてくる。


「わたし? 眺め? えっと、どういうこと?…………って!?」


 ピュリステラ・ハーティアは最初きょとんとしたが、すぐに気付いた。

 その視線は顔ではない。――胸元だ。


 大技を浴びた衝撃でコスチュームはボロボロに裂け、とくに胸下の布地は大きく破れていた。下から覗かれれば、柔らかな膨らみの下側がまる見えで……もしかすれば――


「うわぁぁっ! もうっ! バカっ! スケベ! ヘンタイ! 死んじゃえーっ!!」


 ピュリステラ・ハーティアは思いつく限りの罵倒を並べ、両腕で胸を隠しながら後ろを向いてしゃがみ込む。その頭からは、もうもうと湯気が立ち上った。


「ガハハッ! ヤらなかったのはそっちじゃねェか!……て、うおっ!?」


 ボロボロの姿であれだけ勇敢に戦っていたというのに、今さら羞恥で真っ赤になっている――そのギャップに、ウルギルヘルトは思わず吹き出す。


『ハーティアに色目を使うなんて……死にたいのかしら?』

「そうね、殺ってしまいましょう。グーミー」


 二人の女性が軽蔑の視線で迫って来た。グーミーが扇子を広げて炎を巻き散らし、リーフィラもギラついた光を放っていた。


「じょ、冗談だ! 冗談だって!――いやぁ、身体もすっかり元気になったってもんだぜェ!」


 慌てて両手を上げ、ウルギルヘルトは勢いよく立ち上がった。





◇◇◇





「ほら、入って来いよ」


 ウルギルヘルトは立ち上がったあと、全員を連れて戦場となった遺跡の奥の小部屋へ向かい、扉を開いて中に招き入れた。


「ここは……?」


 ピュリステラ・ハーティアが中に足を踏み入れ、思わず声を漏らす。

 部屋はこじんまりとしており、壁も天井も一面が真っ白で、どこまでも無機質。余計な装飾は一切なく、ただ冷たく閉ざされた箱のような空間に、異様な存在感を放つものがひとつ――。


「この魔結界を構築するコアがある部屋ね」

「ああ、そうだ。あれがコアだ」


 リーフィラが何のための部屋か言い当て、ウルギルヘルトが指さす。そこにはどす黒い結晶が鎮座していた。光を吸い込むかのように黒く濃密で、脈動する瘴気が部屋中を歪ませている。


「しっかしよォ、改めて近づくと……瘴気って、くっせぇなァ!」

『ワフッ!』『ウォエ!』


 ウルギルヘルトが盛大に顔をしかめ、鼻の前の空気を乱暴に払う。ウルギー達も短く鳴いて、嫌悪を示す。


「にひっ!」

「ふふっ……」


 思わず顔を見合わせて笑ってしまうピュリステラ・ハーティアとリーフィラ。つい先ほどまで瘴気を振りまいていた張本人が、その匂いに眉をひそめている――その事実が可笑しくてたまらなかった。


「笑いごとじゃねェんだがなぁ……」

「分かってるって!」


 ウルギルヘルトはぶつぶつ言いながらも、それ以上は何も言わない。

 瘴気を垂れ流すものを置いておくわけにはいかない。ピュリステラ・ハーティアは腕を前に突き出しステッキを構え、魔法を使った。


「――浄化(ピュリフィケーション)!」


 桜色の光がコアを包み込み、その色を徐々に薄れさせていく。やがて、どす黒い瘴気は完全に払われ、結晶は透明な輝きだけを残して静かにそこに佇んでいた。



「……あれ? これで終わり?」

「オイオイ、なにを期待してたってんだァ?」

「ほら、最後にコアが抵抗してくるとか……あるかもって思ったんだよ!」

「ふふっ、最後まで気を抜かないのは偉いわね。でも安心して。もう大丈夫よ」


 あまりにもあっけなく浄化が済んでしまい、ピュリステラ・ハーティアは逆に落ち着かず、周囲をきょろきょろと見回す。だが、どこにも異変はない。


「そっか! じゃあ――街に蔓延った汚れは消し去った! 浄化完了!」

『華麗なる勝利ですわ!』『んモ~』


 勝利宣言と共にピュリステラ・ハーティアがポーズを決めれば、両脇のグーミーとギューたんも得意げに決めポーズで追随する。


「なにをやってるのよ、あなたたちは。街の清掃でもしたつもりなのかしら……」

「ガッハッハ! いいじゃねーか、格好つけるのも。ま、かみ合ってねェし、だせぇがなァ!」

「まったく……決めゼリフも特訓が必要ね」

「う、うるさいなぁ! いいでしょ! かわいく、カッコよく決めたいんだもん!」


 外野から好き放題に言われ、ピュリステラ・ハーティアは顔を真っ赤にして抗議する。


「だいたい、人のことダサいダサいって言うけど、あなたはどうなのよ! 格好良く決めれるの!?」

「オレか? オレだったらまァ……」


 指さされたウルギルヘルトはしばし腕を組んで考え、やがて口角をつり上げる。大きく息を吸い込み――


「――満月の下、オレ達の牙が敵を噛み砕いたァ! 野郎ども、勝鬨を上げろォ!!」

『オオオーーン!』『オオオーーン!』


 大地を震わせる咆哮が部屋を満たし、従うウルギー達が一斉に遠吠えで応じる。その迫力に、ピュリステラ・ハーティアは思わず目を丸くした。



「……とまぁ、こんなモンかァ?」

「い、意外と……やるじゃない。わ、わたしを追い詰めただけは、あるじゃない……」

「ガハハッ! 嬢ちゃんの可愛さには負けるがなァ!」

「あーっ! 絶対バカにしてるー!」


 怒るピュリステラ・ハーティアと、愉快そうに笑うウルギルヘルト。

 死闘を繰り広げた二人。だが、その間にわだかまりは存在していなかった。





「それで、あなたはこれからどうするの?」


 リーフィラが改まった声音で、ウルギルヘルトに問いかける。


「こっちはこの辺にしかマナが無ェんだろ。だったら――〝カルレセメア〟に帰るわ。この魔結界も元々向こうから掘って来たもんだしな。しっかし、侵魔じゃなくなったオレは何なんだろうな……ひとまず獣人と、こいつらは眷属の魔獣ってことにしておくか」

「そうね。それが一番無難でしょうね」

「〝カルレセメア〟……?」


 突然出てきた単語に、ピュリステラ・ハーティアは首をかしげる。


「カルレセメア――あちらの世界の名よ。マナも聖契士の力も……そして、侵魔も元はカルレセメアから来たものなの。詳しいことは、また今度きちんと話すわ」

「あちらの世界?……って、ええぇ! もしかして、異世界ってこと!? ホントにあるんだ……」

「あン? ってこたァ、嬢ちゃんはこっちの人間なのか? どうりで聖契士にしちゃ、かわいらしい格好してると思ったぜ」


 ウルギルヘルトは驚いたように目を見開き、ピュリステラ・ハーティアをまじまじと見つめる。


「な、なによ……変な目で見ないでよね」


 顔を赤らめながら口をとがらせる。その仕草に、ウルギルヘルトは苦笑して肩をすくめた。


「悪ィ悪ィ。そう言やァ、その髪についてる星……どうなってやがる?」


 ふと視線が留まったのは、右前髪にある星。最後の攻防、本物を見分けるための目印にしたものだ。しかし、記憶と違う場所に付いていた。


「あっ! これ?」


 ピュリステラ・ハーティアは指先でつまみ――外して、今度は左前髪につけ直す。


「髪飾りだから、付け替えただけだよ!」


 にひっと笑う顔は、いたずらを成功させた子どものように意地悪げだ。


「…………あァ? ああっ! そっか、そうだよなァ! 髪飾りなら取り外せるわなァ! 見事に騙されたって訳だ! ガッハッハッハ!」


 豪快な笑い声が無機質な部屋に響き渡る。

 その声音には、敗北の悔しさよりもむしろ晴れやかな清々しさが宿っていた。





「じゃあな……〝ピュリステラ・ハーティア〟」

「うん! またね、〝ウルギルヘルト〟!」


 最後に名前を言い合い、ウルギルヘルトは部屋から出ていった。

 その背中は敗者のものではなく、戦士としての誇りを湛えたまま、堂々と去っていった。おそらく彼は、カルレセメアへと戻っていったのだろう。


「異世界かぁ……でも、わたしは帰らなきゃね」


 とても気になるし、すごく見てみたい。

 けれど、この世界から離れるわけにはいかない。学校もあるし、友達もいる。なにより――最愛の姉を残していくわけにはいかない。


「うっ……こっから帰るのかぁ。草原と洞窟をまた歩くのはもうヤダ~」

『元気を出して、ハーティア!』

『ボクもお腹すいたモ~』


 帰路のことを考えてげんなりするピュリステラ・ハーティアに、グーミーが心配そうに寄り添ってくれた。ギューたんは同意するように寝転がる。


「大丈夫よ。魔結界に出入りする時と同じ要領で裂け目を作れば、すぐに出られるわ」

「ホントっ!?」

「ええ、コアも浄化済みだから、今なら簡単に出られるわよ」

「よかった~。それじゃあさっそく、みんなで脱出だぁ!」


 リーフィラの言葉で元気が出て、魔結界の裂け目を作り始める。


『ごめんなさい。あたしたちは魔結界の外までは付いていくわけにはいかないわ』

『モ~……』

「えっ!? そんな……」


 グーミーとギューたんが、申し訳なさそうに告げる。

 彼らは【愛包の騎士(カドゥリー・ナイツ)】によって呼び出された存在。いつまでも共にいられるわけではなかった。


『そんな悲しそうな顔をしないで。あなたのお部屋で、またお話しましょう』

『またチョコチップのクッキーを食べたいモ~』

「グーミー……ギューたん……うん! 分かった。いったんお別れだね!」

『ええ、また』

『んモ~』


 ここで分かれたとしても、彼らは部屋のぬいぐるみとつながっている――だから悲しくない。


「さあ、戻りましょう。ピュリステラ・ハーティア」

「そうだね。リーフィラ!」


 二人は裂け目を通り、魔結界から出ていった。





――お姉ちゃん。わたし、がんばってるよ。

 お姉ちゃんは眠っちゃったままだけど、わたしは独りじゃない。

 学校には友達がいて、先輩たちもいる。それに、部活にも入ったんだ。

 いつかぬいぐるみを作って、お姉ちゃんをびっくりさせたいな。

 そうそう、いつもお話している部屋のぬいぐるみたちと本当に話せたんだ。

 さすがにそんなこと言ったら信じられなくて笑っちゃうよね――だから、それはナイショだよ。





◇◇◇





 どこかのとある部屋。それなりに広く、小奇麗なその部屋には様々なものが置いてあった。

 壁際の書架には分厚い文献がぎっしりと並び、棚には怪しい色の薬品が整然と陳列されている。机には何かを分析するための精密機械が静かにランプを明滅させている。


 そこに、一人の男がいた。

 アッシュグレーの髪を短く整え、黒いスーツの上から白衣を羽織った長身の男。眼鏡の奥で金色の瞳が光り、縦に割れた瞳孔は蛇を思わせる。濃い隈が刻まれた顔は、人の面影を持ちながらも異質さを際立たせていた。


 男は慣れた手つきで部屋にある機械を操作した。機械は送られた指令通りに動き始め、内にセットされている黒い結晶の分析を始める。

 装置の低い駆動音が響く中、男はデスクに腰を下ろし、パソコンへと視線を落とした。画面にはリアルタイムで更新される数値と、その推移を示すグラフ。男は無言のまま、流れる情報を凝視する。


 ふと、男がモニターから目を離す。そして遠くを見るように顔を上げた。


「……拠点型が浄化された、か」


 ぽつりと男が言葉を漏らす。部屋には男以外に誰もおらず、その言葉を拾うものはいない。



(カルレセメアから戦闘要員が何人か来ていることは把握している。外で倒された侵魔は、奴らの仕業だろう。だが、大した力はないだろう。拠点型の浄化など、聖契士でもない戦闘要員にできるはずがない……)


 男は立ち上がり、丁寧な所作でコーヒーを淹れる。その香りが室内に広がる。


(しかし、こちらの世界に聖契士が派遣されたとは聞いていない。辺境であるこの地に、わざわざ来る理由もない。なにより、周りが無駄に騒ぎ立てる)


 黒い液面を見つめながら、男は考えを巡らせる。己が手掛けた拠点型の魔結界が浄化された理由――答えは見えない。


(ならば、調べるだけか。こんな僻地にある星聖樹、容易に堕とせると考えていたが……)


 想定は崩された。だが、それを嘆く様子は微塵もない。


(問題はない……想定外こそ、望むものだ……!)


 男は静かにコーヒーをすすり始める。その口の端は邪悪に吊り上がっていた――


ここまでお読みいただきありがとうございます。

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