滲む黒影、満ちる月⑤
ピュリステラ・ハーティアは、広大な草原を抜けた先にぽつんと立つ一本の木へとたどり着いた。
「結局、最初に出てきたウルギー以外は現れなかったね」
「そう、ねぇ……」
隣のリーフィラはどこか思案げな表情を浮かべる。
「どうしたの?」
「……何でもないわ」
答えは短く、それ以上を語ろうとはしなかった。ピュリステラ・ハーティアはそれ以上は言及せず、木のそばに視線を向ける。
「木に向かって行けば、次のエリアが分かるって言ってたけど……〝アレ〟?」
「そうね。あれね」
ピュリステラ・ハーティアは困惑気味にあるものを指さす。その先には一枚の扉があった。
装飾らしい装飾は施されていない。けれど、重厚で分厚く、長い年月を経たような威圧感を放っている。隙間からは黒々とした瘴気が漏れ出ていて、周囲の風景すら歪ませており、ただそこにあるだけで異様な存在感を放っていた。
「なんだか、いかにもボス部屋につながってますって雰囲気だね……」
ごくりと生唾を飲み込む。胸の奥に、じわりと緊張が広がっていく。
「この拠点型の魔結界を構築するコアと、それを守る侵魔がいるのはこの先よ」
リーフィラの声にも、かすかな硬さが混じっていた。
「行くよ! リーフィラ!」
「ええ! ピュリステラ・ハーティア!」
ここで引き返すことなどあり得ない。決意を込めて手を伸ばす。
扉を開いた瞬間――視界がぐにゃりと引き延ばされた。
「うわっ……景色が!」
次の瞬間には、すでに部屋の中央に立っていた。
◇◇◇
「ここは……?」
ピュリステラ・ハーティアは星光の剣を構え、全身を緊張で強張らせながら周囲を探った。
足元は土ではなく硬い床に変わっており、遠くには崩れかけた壁が見える。広い空間だが瓦礫が無秩序に散乱し、どこか古代の遺跡を思わせた。何より天井は崩落しており、そこから覗く大きな月が、不吉な薄明かりで部屋全体を照らしていた。
――ガハハハッ!
突如、低く響く男の笑い声が部屋中に木霊する。
「どこからっ!?」
「あそこよ!」
声の主を求めて目を走らせ――見つけた。リーフィラが指し示した先、一際高く積まれた瓦礫の上、人影が立っていた。
その影は月を背にして高く跳躍し、巨大な影がみるみる近づいてくる。次の瞬間、重い衝撃音と共に地を打ち震わせて着地し、瓦礫を四方に弾き飛ばした。
「くぅ……」
砂塵が舞い上がり、ピュリステラ・ハーティアは咄嗟に腕で顔を庇う。視界を細め、息を詰めて敵の姿を見据える。
「どんな聖契士が侵入してきたかと思えば、ただの小娘か! ずいぶんと奇妙な格好をしているなァ!」
「こいつが、ここのボス……!」
砂煙が薄れていくにつれ、その正体が露わになる。
全身を覆う灰色の剛毛。岩をも砕きそうな分厚い筋肉。二足で立ちながらも、剥き出しの牙と異様に長い爪は人間のそれではあり得ない。
月光に照らされ、野獣と人の狭間にある異形の姿――ウェアウルフが、そこに立ちはだかっていた。
「オレは〝ウルギルヘルト〟! キサマを喰らい、糧としてやろう!」
「うぐっ……!」
ウルギルヘルト――そう名乗った侵魔が吠えた。
大気が震え、全身に重圧がのしかかる。漂うマナすら敵意を孕んでいるかのようで、胸の奥が竦む。
「大丈夫よ、あなたなら」
「……っ!」
リーフィラが一言をくれる。決して力強く言ったわけではない。小さく、でも優しく発せられたその言葉が心に光を灯す。
「わたしは〝ピュリステラ・ハーティア〟! この魔結界を打ち砕く者よ!」
名乗りを返し、もう一度大きく息を吸う。
「街のために……そして、何より――お姉ちゃんのために!」
負けじと叫び、宣言する。名前を、為すべきことを。下がりそうになる足と気持ちを前に踏み出す。
(そうだ……わたしには、やらなくちゃならないことがあるんだから!)
星光の剣をまっすぐに構え、ピュリステラ・ハーティアは倒すべき敵を見据える。
「威勢だけはいいようだなァ!」
ウルギルヘルトが月に向かって咆哮した。その声に呼応するように、どこからともなく遠吠えが重なり、廃墟一帯に不気味な残響が広がる。
「気を付けて、ハーティア! 新手が来るわ!」
リーフィラが気配を察知して警告する。瓦礫の陰や崩れた建物の上、赤く光る眼光が次々と浮かび上がった。
「ウルギー……!」
姿を現したのは四体のウルギー。草原エリアで遭遇した個体とは違い、瞳には明確な理性の光が宿っていた。ボスであるウルギルヘルトの号令を待ち、低く唸り声を漏らしている。
「さあ、行け! 獲物を追い立てろ!」
号令と共に、四体のウルギーが一斉に駆け出した。
(四体同時に相手するのは危険……なら!)
「【幻影】!」
前回の戦いで習得した、自身と見分けのつかない幻影を生み出す魔法。それを使って二手に分かれ、駆け出した。
「はっ! こざかしぃンだよ!」
獲物が分裂したことにウルギー達は一瞬戸惑う。だがウルギルヘルトの一喝で、二体ずつに分かれて追撃を開始した。
薄紅の粒子を舞い散らしながら高速で駆けるピュリステラ・ハーティア。しかし、相手は狼。徐々に距離が詰まっていく。
『グルァ!』
一体が跳躍して襲い掛かった。
「てやぁ!」
『ギャン!』
振り返りざま剣を水平に薙ぎ、飛びかかってきたウルギーを斬り払う。
「うわっとっ!」
しかし勢いは殺しきれず、ウルギーの体がなおも突っ込んでくる。ピュリステラ・ハーティアは慌てて横へ跳び、かろうじて回避。
着地で一瞬動きが止まった隙を、もう一体が逃さず爪を振り下ろしてきた。
「そんな爪……お断りっ!」
『ガアッ!』
剣で爪を弾き、返す刀で胴を切りつける。だが傷は浅く、ウルギーを仕留め切れていない。
「ハーティア! 二体がそっちに行ってるわ!」
『ガウッ!』『ガアッ!』
リーフィラの言う通り、二体のウルギーの唸り声が近づいてくる。幻影に釣られた二体が引き返してきていた。
「もうっ……! 幻影!」
(一体でも早く減らさなきゃいけないのにっ!)
囲まれるのを避けるべく、再び幻影を生み出して走り出す。傷を負わせた二体に止めを刺したいが、四体を同時に相手取るのはあまりに無謀だった。
「はぁ……はぁっ……!」
肩を大きく上下させながら、ピュリステラ・ハーティアは荒い息を吐く。幻影で敵を分断していたが、思いのほかウルギー達の連携は巧妙で、決定打には至っていなかった。
(結局、一体も倒せてない……!)
四体のウルギーは傷を負いながらも、低い唸りを上げ続けている。その眼光には怯みの色どころか、闘志がさらに燃え上がっているのが見て取れた。
一方のピュリステラ・ハーティアは、かろうじて無傷ではあったものの、体力も魔力も確実に削られている。
(なにより――)
未だ動かぬボス、ウルギルヘルト。その鋭い視線だけが突き刺さる。やがて、愉快そうに笑いながら一歩前に出た。
「ふんっ、片方は幻か。だが、何度やっても同じような鬼ごっこ……つまんねェなぁ!」
「だったら、こっちにも……鬼を譲って欲しいんだけどっ!」
必死の立ち回りを、ただ〝つまらない〟と切り捨てられる。胸の奥に怒りが湧いた。
「そいつぁ、お断りだなァ!」
ウルギルヘルトが吠えると同時に、四体のウルギーが一斉に駆け出した。
「え……!? どこに行くの!?」
だが今回は違った。ピュリステラ・ハーティアを狙わず、四方へと散って瓦礫の影へと消えていく。
「ハーティア! 動いて! 囲まれるわ!」
「っ――幻影!」
リーフィラの言葉を聞いて反射的に身体が動いた。
「四体が一斉に……こっちに来た!?」
片方へと殺到する四体のウルギー。
「あっちに四体!? じゃあ、こっちは……って、えっ!?」
「ハッハァー!」
一体のウルギーも来ていない方のピュリステラ・ハーティアが驚いて足を止める。だが、その頭上からウルギルヘルトの笑い声が降り注ぐ。
「しまっ――」
「オラァァ! 剛爪破ァ!」
魔力を帯びた空を裂く長爪が、ピュリステラ・ハーティアを切り裂く――
「チィッ! ハズレか!」
かと思われたが、手ごたえは空。斬り裂かれたはずの身体は歪み、幻のように掻き消える。
「幻……つまり、あっちが本物ってことかァ!」
ウルギルヘルトがもう一方へと視線を向ける。だがその瞬間、一体のウルギーが噛みつこうとした身体も歪み、同じく霧散した。
「どういうことだァ――っ!?」
「てやああぁぁっ!」
怒声に重なるように、足元から声が響いた。
「ぐおぁッ!?」
ウルギルヘルトがのけぞる。首元を掠めた桜色の閃光が、わずかに喉を切り裂いた。
「幻は……二体出せたのかァ!」
ピュリステラ・ハーティアは頭上から襲われた一瞬、二体目の幻影を囮にして放ち、自らは瓦礫の陰に身を潜めていた。
(バレちゃった……でも、今しかない!)
このままではジリ貧だった。だが、しびれを切らしてボスが前に出てきた。今ならウルギー達も近くにいない。この機を逃せば数で押されてしまう。
これまで温存してきた手札を切った。ボスを倒すためなら惜しくはない。剣を握りしめ、果敢に攻める。
「ボスであるあなたを――ここで倒す!」
ウルギルヘルトは苦しい体勢のまま、しかし猛獣のように嗤う。
「来いよォ! そうこないとなァ!」
ピュリステラ・ハーティアは星光の剣に魔力を込める。桜色の光が剣から溢れ、夜闇に花弁のように舞い散る。
「スターライト――!」
必殺の光を放たんとした、その刹那。ウルギルヘルトの口端が吊り上がる。そこに凝縮されるのは、凄まじい闇の魔力。
「――っ……!」
気づいた時には遅かった。
「【魔狼の咆哮】!!」
「きゃああああぁぁっ!!」
咆哮が衝撃波となり、ピュリステラ・ハーティアを瓦礫ごと吹き飛ばす。
桜色の星光が、瘴気に呑まれ、消えていった。




