滲む黒影、満ちる月④
見渡す限りの草原が、暖かい風にそよいで波打っている。遠くにはポツンと木が一本はえているだけ。小さな丘が所々にあり起伏を作っているが、視界を遮るほどのものではなく、青い空と平原が地平線を織りなす。
「それじゃあ、草原エリアの攻略がんばるぞー!」
「おー」
ピュリステラ・ハーティアは拳を高く突き上げて気合を入れる。リーフィラも一応合わせて拳を上げた。
「よーし!――……」
気合十分で一歩を踏み出した直後、その歩みは止まった。
「どうしたのよ、ハーティア?」
相方が突然止まったことに不審に思い、リーフィラは振り返る。
「……」
リーフィラの疑問は風に流され、ピュリステラ・ハーティアはうつむいたまま何もしゃべらない。
「ハーティア! あなた……まさか!」
リーフィラは一つの可能性に思い至る。
(この魔結界の瘴気に侵された!? 聖契士だから大丈夫だと思っていたけれど、この子は聖契士になってからは日が浅い――)
よく見れば小さく振るえていて、呼吸も浅くなっている。
(体調が悪化している!? このまま瘴気に侵され続ければ最悪命に関わるわね。完全に油断していたわ……このままだと不味い!)
今いる場所から戻ろうとした場合、再度洞窟を通らなければならない。体調を考慮するとフロギー達と戦うのも危険だ。
(こうなったら仕方ないわね。ダリウスに連絡して緊張離脱の準備を……)
消費魔力を考えると頭が痛いが、安全には変えられない。テレパシーを使おうとした時――
「ど……」
「ハーティア! 体調が悪いの!? 大丈夫よ、すぐに脱出の準備を――」
「どうしよう! どこに行けばいいのか分からないよぉ!」
「…………は?」
リーフィラは固まった。
「だ、だって、さっきの洞窟みたいな一本道じゃないし、スマホのナビも使えないじゃん! こんな広い平原、歩きかた分からないってば~!」
「あ、あ、あなたっ……ねぇ……!」
本気で心配していたのは何だったのだろうか――リーフィラは歯を食いしばって拳を震わせながら、怒りがこみ上げてくるのを必死で抑える。
「う~……気合を入れた後にどこに行けばいいか分からないなんて、恥ずかしくて言いにくかったんだもん……ごめんなさい」
リーフィラの怒気にあてられ、ピュリステラ・ハーティアは小さく白状する。
(体調不良と思ったのは完全に私の早とちり。それに、初めての拠点型の攻略。分からないことがあって当然よね……)
「ふぅ……こちらこそ、ごめんなさいね。怒ってないし、あなたは悪くないわ」
しゅんとなって背中を丸めて視線を下げているピュリステラ・ハーティア。リーフィラはその視界に写るように降りて微笑む。
「ほんと……?」
ピュリステラ・ハーティアはちらりと視線を上に向けてリーフィラを覗く。
「ええ、本当よ。それで、どこに行けばいいかだったわね。あの木に向かって行けばいいわ。あなたも魔力を探れば違和感に気付くと思うわよ」
リーフィラは遠くにポツンと一本だけはえていた木を指さした。
「あの木でいいんだ! 確かにちょっと変だなって気になってたけど、すぐには分からないってば~」
「それもそうね。これから覚えていけばいいわ」
「うん! それじゃあ、改めて――草原エリアの攻略がんばるぞー!」
リーフィラが怒ってないと分かり、元気を取り戻し――
「ちょっと待ちなさい!」
「うわぁ! 今度はなに!?」
気合十分で一歩を踏み出した直後、その歩みは再び止まった。
「あなた、体調は大丈夫?」
「え、体調? 大丈夫、だけど……」
ピュリステラ・ハーティアは急に体調の心配をされたことに困惑する。元気いっぱいに気合を入れた直後であり、心配される理由がよく分からない。
「瘴気に侵されて気持ち悪くなったりしていないでしょうね」
「自分の体調だから分かるって。悪かったらちゃんと言うよ」
「そうは言っても心配ね。調べるからちょっと待ってなさい!」
「え~……なんだか、遠足に行く前のお姉ちゃんみたいなこと言ってるよぉ」
リーフィラが周囲をふわふわと周り続ける。時折手をかざすと、ピュリステラ・ハーティアの身体が淡い光に包まれる。
態度からしてリーフィラが本気で心配しているのが分かった。それを無視するのも悪いと思い、気のすむまで大人しくしていた。
「風も気持ちよくて天気もいい! なんだか、ピクニックって感じだね!」
リーフィラによる体調検査は何事もなく無事に終わり、ピュリステラ・ハーティアはポツンと一本だけはえている木を目指して軽快に歩みを進める。
「あ! ちゃんと周囲も警戒してるからね! 大丈夫だよ!」
「ふふっ、そうね。ちゃんとしていて偉いわ」
「えっ?……あっ、うん!」
また気を抜いていると怒られないように警戒していることをアピールした。ちょっと言い訳っぽくなってしまったので何か言われるかと身構えてた。だが、予想に反して何か言われることもなく、逆に褒められてしまった。
(リーフィラが何かいつもと違う! 怒ってないって言ってたけど、やっぱりさっき何かあったのかな!?)
リーフィラがいつもより妙に優しい感じがして、ピュリステラ・ハーティアは変に警戒してしまう。
(う~ん、ちょっと気になるなぁ……)
「ね~、リーフィ――っ!」
思い切って聞いてみようと声を出した瞬間、遠くから高速で近づいてくる気配を察知した。
「ハーティア! 敵よ!」
「うん! 分かってる!」
リーフィラが鋭く声を上げて注意を促す。ピュリステラ・ハーティアは返事をしながら視線はそらさずに小さな丘をゆっくりと登る。
丘を登り切った辺りで、敵の姿が見て取れた。
「あれは……犬?」
「オオカミ型の侵魔〝ウルギー〟のようね!」
四足で軽快に草原を走る三体のウルギー。こちらを完全に獲物と認識し、一直線に近づいてくる。
「気を付けて! 一体回り込んでいるのがいるわ!」
「ホント!? わかった、ありがとう!」
ピュリステラ・ハーティアは三体のウルギーから目を離せない。だが、周囲の気配を探ると、確かに別の方向に一つ反応があった。
遠くにいたはずのウルギー達がもう近くまで迫ってきており、草原を裂くような足音が、瞬く間に耳元まで迫る。ピュリステラ・ハーティアは星光の剣を構え、ウルギーを注意深く見つめる。
大型犬ほどの大きさ。全体的に灰色の毛をしているが、泥などで色が変わっている箇所があり汚らしい。目は血走っており、開けたままの口には鋭い牙が並んでいて、その間からダラダラとよだれがこぼれていた。
『グルルァ!』
先頭のウルギーが鋭利な牙と爪を剥き出しにし、地を蹴って飛び掛かってくる。
(横に回避……じゃない!)
ピュリステラ・ハーティアは迷わず斜め前へと踏み込み、迫る爪を紙一重でかわす。爪先が捻った身体のすぐそばをかすめ、鋭い風切り音が耳を裂いた。
(後ろのウルギーは追撃が目的……なら!)
狙うのは、左右に分かれた二列目のウルギー。先頭の攻撃が外れた瞬間を狙うためか、少し距離を取って走っていた。
「とうっ!」
捻った身体の勢いをそのまま活かし、草を蹴って跳び上がる。予想外に前へ飛び込まれた二列目のウルギーは、飛び掛かる間合いを奪われ、反応が一瞬遅れた。
「回転……カッター!」
宙で身体を回転させながら、星光の剣が弧を描く。刃が背中を裂き、鈍い手応えが手に返る。
『ギャウッ!』
斬られたウルギーが悲鳴を上げ、体勢を崩して地面に転がり落ちた。
「次っ!」
背後でのたうつウルギーを一瞥もせず、ピュリステラ・ハーティアは地面を蹴った。左右から挟み込むように迫る二体が、牙と爪を光らせて飛び掛かろうとしている。
「はあぁっ!」
挟まれる前に自ら突っ込む。右のウルギーが飛び掛かる直前、逆側に低く滑り込み、すれ違いざまに袈裟懸けの斬撃を放った。
『ガフッ!』
ウルギーの身体がねじれ、地面に転がるのを視界の端で確認しつつ、すぐに振り返りながら構え直す。
『グガアァ!』
「――っ!?」
残る一体が真正面から突進。牙と爪を剥き出しにし、地を裂く勢いで迫り――
「ぐうっ……!」
星光の剣の刃と牙が正面衝突した。甲高い硬質音と共に火花が散り、突進の圧力が全身にのしかかる。荒い息遣いと共に、腐敗した獣臭が鼻を突いた。
「重いっ……!」
ウルギーが押し倒そうと体重をかけてくる。腕にかかる重圧を必死に堪え、全力で踏ん張る足が土を抉る。
「ここでっ!」
一瞬だけ片腕の力を抜く。相手の重心が斜めに傾いた瞬間、体勢を崩しながらも横へ半歩ずれて相手の押し倒そうとする力をいなした。ウルギーの爪がすぐ横の地面を深く抉り、草花が舞い散る。
「てやあぁっ!」
ウルギーが振り向き、再度飛び掛かろうとする仕草を見せた瞬間、星光の剣を突き出した。
『ガッ! グルウゥ!』
避けようとしたウルギーの肩に剣が突き刺さる。
「うわっ! このっ! 大人しくしてっ!」
刃が肩に深々と突き刺さり、瘴気を吹き出しながらウルギーが激しく暴れる。剣を奪われまいと必死に抑え込む。
「ハーティア! 後ろ!」
「なっ!?」
リーフィラの鋭い声に反射的に振り返る。そこには、回り込んでいた最後の一体が牙を剥き、空気を切り裂きながら跳び掛かってくる姿――
(剣が、抜けない……!)
背筋に冷たい悪寒が走る。
「なら、こうだっ――!」
剣を手放し、腰を捻り、全身のバネを足に込めて――
「ハーティア・スーパーキィィィック!」
叫びと共に放たれた後ろ回し蹴り。足先から迸る薄紅の残光が、ウルギーの顎を豪快にとらえる。
『ゴアアァッ!』
鋭く響く衝撃音と共に、ウルギーは空中で何度も回転しながら、黒い瘴気を撒き散らし、地面に叩きつけられた。
肩に剣が刺さったウルギーも、もう動くことなく瘴気を漏らし続けていた。
「ふっふーん! わたしは剣だけじゃなく、蹴り技だってこなしちゃうんだなぁ!」
片足を上げたまま、本人なりにクールな笑みを作り、勝利を宣言した。
「いい戦いだったわ。ピュリステラ・ハーティア」
「ふふふっ、照れちゃうな~」
星光の剣を回収するピュリステラ・ハーティアにリーフィラが近づいてきた。
「でも刺突をするのはもう少し考えないといけないわね」
「うっ! 確かに剣が抜けなくなったのはちょっと焦っちゃった。でも、わたしにはこの華麗な足技〝ハーティア・スーパーキック〟があるんだから!」
ポーズが気に入ったのか、再び片足を上げた姿勢を取る。
「ええ、素晴らしかったわ。名前以外」
「なんでぇ!? 名前もちゃんと考えたのに!?」
ピュリステラ・ハーティアは自信作だった名前を褒めてもらえずショックを受ける。
「ハーティア・パンチと同じじゃない」
「違うよ! ちゃんと〝スーパー〟って付けたもん!」
「余計酷いわよ! それで良いなんて八歳の男の子でも思わないわ!」
「二歳も下がったわたしのセンス!」
リーフィラのダメ出しに涙目になる。
「まったく。いつも最後に出す技は、ちゃんと名前も良いのに……」
「あれは、なんとなく……技の名前がなんか口から出ちゃったから」
「そうねぇ。つまりあなたは変に考えない方が良い名前になりそうね」
「そっか~。あ! じゃあ、〝回転カッター〟は良い名前ってことだね!」
良い名前の付け方のヒントをもらい、先ほどの戦いで閃いた技を思い出す。ピュリステラ・ハーティアの顔に自信があふれ――
「論外!」
「なんでぇ!?」
自信は泡沫と消え、再び涙目になった……




