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瑞葉の学び舎⑭

 時刻は夕方。茜色の光が廊下に差し込む。それぞれの部屋で各々の部活動を楽しむ声が漏れ聞こえる。


「もう日も傾いてきちゃったね。この時間からだと体験入部を楽しむ時間も取れなさそう」


 楽しい時間が終わりに差し掛かっていることに、愛奈の中で寂寥感がこみ上げる。


「今日、いくつかの部活を巡りましたが、愛奈ちゃんは何か入りたい部活はありましたか?」


 並んで廊下を歩く愛奈と雫。廊下に他の人の影は見当たらない。


「……どの部活も楽しかったよ」

「そう、でしたか……それは良かったです」


 雫の質問に愛奈は間をおいてから返事をした。回答になっていないその返事に少しだけ気まずい雰囲気が流れる。



「この時間ですが、最後にもう一つ寄っていきませんか?」

「うん!……もちろんいいよ!」


 元気のいい愛奈の返事。だがその声は、気まずい雰囲気を作ってしまったことを気にしているかのように、少しだけ硬かった。


「どこに行くの?」

「ふふっ、ないしょです」


 雫は片目をつむり、人差し指を立てて口の前にもってきた。くすっと笑ってスカートの裾を揺らす。


「教えてくれないのっ!?」

「〝着いてからのお楽しみ〟ですから」

「お楽しみ!? 雫ちゃん……ハードル上げてくるねぇ」

「ええ、期待していてください」

「そこまで言われたら、期待……しちゃう!」


 愛奈は笑い、雫は微笑む。気がつけば、先ほどの気まずさはどこかに行っていた。





◇◇◇





 今日の体験入部の出来事を話しながら歩く愛奈と雫。階段を上りきったところで、廊下の奥から声が聞こえてきた。


「誰かいるみたい。なんか盛り上がってるね」

「いえ、盛り上がっているというよりは……」


 言い争っている。そんな様子の二人の女性の声が聞こえてくる。


「ふざけんじゃないわよ! いいからそれを渡しなさい!」

「ふざけんなはこっちのセリフよ! あんたみたいなのに渡すわけ無いでしょう!」

「美しい私の隣にいさせてあげるって言ってんのよ! これほどの宣伝効果はないのよ!」

「あんたの宣伝なんかお断りよ! 逆に評判が下がるわ!」

「私の可愛さを引き立てるために使ってあげるんだから光栄に思いなさい!」

「だから要らないって言ってんのよ!」


 言い争っている声はヒートアップしていき、感情的に相手を侮辱する口げんかに発展していく。


「あ~もういいわ! あんたもそれもブサイクすぎ! 美麗な私には似合わないわ!」

「はぁ!? ブサイクはあんたでしょ!」

「うるさいのよ!」

「あっ!?」


 ガタンという物音と、誰かが倒れる音が聞こえた。ついには手が出てしまったらしい。


「大丈夫かな!?」

「行ってみましょう、愛奈ちゃん!」

「そうだね、雫ちゃん!」


 倒れた人がけがをしているかもしれない。そう思い、音のした先へ向かおうとした時――


「危ないっ!」


 愛奈が雫の腕を引き、壁際に引き寄せる。


「きゃ!」


 突然の事に雫は小さく悲鳴を漏らし、壁に引き寄せられる。


「邪魔なのよ!」


 そんな二人を押しのけるように、重量感たっぷりの影が廊下の真ん中をドシドシと猛牛のごとく高速で通り過ぎていった。



「雫ちゃん! ゴメンね。大丈夫!?」


 相手が出会い頭に減速もせずに突っ込んできた。避けるためとはいえ、強く腕を引っ張ってしまった。


「大丈夫です。守っていただきありがとうございます。愛奈ちゃん」


 雫は乱れた服装を正し、愛奈に微笑みかける。


「よかったぁ。でもあの子、いきなり曲がって来て危ないなー!」


 愛奈は雫の様子に安堵しつつ、ぶつかりそうになった相手にも不満を漏らす。


「あの人は確か……秋野すも子さんでしたね」

「あっ! そうだっ、その子だね!」


 愛奈たちを押しのけて行ってしまった子は、先日神宮寺に抱きつこうとして取り押さえられた秋野すも子だった。

 初めて見たのがその時だったが。名前も行動も見た目もインパクト抜群であったため、二人の記憶にも深く刻まれていた。





「あー、いてて……」


 一人の女性が何かを抱えながらイスを立て直している後ろ姿があった。


「大丈夫ですか?」


 愛奈たちがその女性に駆け寄り声をかける。先ほど聞こえた言い争う声、手を出した方は秋野のものであった。そのため、目の前の女性が突き飛ばされた方なのだろう。


「んー? あぁ、大丈夫よ。恥ずかしい所を聞かれちゃったみたいね」


 そう言いながらゆっくりと女性が振り返る。線の細い体、顔にメガネがかかっている。しかし、メガネの奥にある目は切れ長で、気の強そうな印象を受ける顔つきだ。


「一体、何があったのでしょうか? 口論のようでしたが」


 雫が女性に問いかけた。もう一人の当事者と思われる秋野はもう遠くへ行ってしまったため、目の前の女性に聞く以外に事情を知る方法は無い。


「私が知りたいよ。いきなりこの子を寄こせ、私のために使ってやるって言って来たんだから」

「この子……?」


 今この場には愛奈と雫と目の前の女性しかいない。そのため、この女性が言う〝この子〟が誰の事か分からず愛奈は周りを見渡した。しかし、それでもそれらしき人の姿は見当たらなかった。


「おっと、ゴメンね。身体で隠しちゃっていたか」


 女性はそう言って身体をずらすと、彼女の影に隠れていたイスが姿を現した。そしてそのイスに座っていたのは――


「うわぁ……!」


 愛奈が目を輝かせながら感嘆の息を漏らした。心を奪われたようにその場で動かず、魅了されたように目を離せず、その場でくぎ付けとなる。

 イスに座っていたのはペンギンだ。白を基調にし、赤と黄色の刺し色が映えた衣装。気高くも華美な騎士の服をその身に纏った可愛いペンギンのぬいぐるみが、イスにちょこんと座っていた。



「はぁ~……」


 しばらく時間が経ったが、その間も愛奈は微動だにせず、ペンギンのぬいぐるみを見つめ続けていた。


「そこまで気に入ってもらえると嬉しくなるね。持ってみる?」

「ええっ! いいんですか!?」


 愛奈は驚きのあまり大きな声が出た。


「いいよ。あんたなら乱暴には扱わなさそうだし」


 目の前の女性が慣れた動作で、しかし、丁寧にペンギンのぬいぐるみを持ち上げる。そして、愛奈の方に渡してくる。


「ふわぁぁ~……」


 愛奈はペンギンのぬいぐるみをおっかなびっくり受け取り、細心の注意を払いながら腕に抱きかかえる。


「ふふっ、まるで赤ちゃんを抱いているようですよ。愛奈ちゃん」


 そんな愛奈の様子を雫は微笑ましく見つめている。


「だって~。こんな可愛い子、万が一のことがあったら大変だよ~」


 愛奈はペンギンのぬいぐるみに頬ずりしようとしたが、思い直してやめた。頭を撫でようと手を伸ばし、また止まる。結局、何ひとつ触れず、ただ静かに抱きしめることしかできなかった。



「この子……ありがとうございました!」


 愛奈が目の前の女性にペンギンのぬいぐるみを返すために腕を突き出した。


「いいのかい? 頬ずりとかしたかったんじゃない?」

「いっ、いえいえ! こんな可愛い子に万が一にも変な痕を遺すわけにはいきませんから!」


 愛奈は腕を突き出したまま頭をブンブン振るう。


「そうか」

「あっ……」


 目の前の女性がペンギンのぬいぐるみを受け取る。愛奈の口から、名残惜しむように小さく声が漏れた。


「もうあんまり時間もないけれど、せっかくだからウチに寄っていく?」


 ペンギンのぬいぐるみを小脇に抱えて、女性が愛奈たちに聞いてくる。


「えっと、ここは……?」

「ここは〝手芸部〟ですよ、愛奈ちゃん。最後にこの部に寄ってみませんか?」

「雫ちゃん……もしかして、〝ここ〟?」


 雫の口ぶりからして、〝着いてからのお楽しみ〟と言っていたのはこの部のことのようだ。


「ふふっ、ええ、〝ここ〟がそうです。気に入っていただけましたか?」


 雫はたおやかな笑みを浮かべていた。だが、その顔にはイタズラが成功したかのように、イジワルそうな笑みがちらりと混ざっていた。


「うん! 寄る! 絶対行く!」


 愛奈は興奮を抑えられず、勢いのまま雫に何度も返事をする。


「それじゃあ我が手芸部に、二名様をご案内~」


 ペンギンのぬいぐるみを小脇に抱えた女性が愛奈たちを先導し、一室の扉を開けて中へと招いてくれた。


「行きましょう、愛奈ちゃん」

「……うん! 雫ちゃん、今行くよ!」


 女性と雫の後に続き、愛奈も部屋に入る。


――雫ちゃんには敵わないなぁ


 そんなことを思いながら。


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