瑞葉の学び舎⑨
「今日はわたくしに付き合って頂きありがとうございます。愛奈ちゃん」
部活動の勧誘でにぎわう放課後の学校。雫は一緒に歩く愛奈に話しかけた。
「そんなことないよ雫ちゃん。わたしだって文化部にどんな部があるか気になってたんだから。雫ちゃんと一緒に回れてわたしも嬉しいよ!」
愛奈は満面の笑みを持って雫に応える。
「愛奈ちゃんは運動が得意ですから、運動部の方に興味があると思っていました」
「身体を動かすことは好きだけど、でも運動部は別にいいかなぁ」
愛奈の答えに意外そうな顔をする雫。
「昨日もバスケ部の体験入部試合で大変な活躍をされたと伺いましたよ」
「バスケはね。中学の時に少しやってたから。でも一年足らずで辞めちゃった」
愛奈は少し寂しそうに中学時代の部活について話し始めた。
「わたし小さいからさ……やっぱりバスケって大きい人が有利だからね」
「小さい選手でも、やり方次第で活躍することも出来るのではないでしょうか?」
「そうなんだけど、わたしみたいなのが活躍しようするなら、いっぱい練習を頑張る必要があってさ、でもそうすると帰るのが遅くなっちゃうんだよね」
愛奈は段々歩く速度が遅くなる。雫は何も言わず愛奈のペースに合わせて歩く。
「もともと運動部って週の活動日が多くて、その上で自主練とかで毎日疲れて遅くなっちゃって、家に帰っても夕飯作れなくなっちゃってさ」
「もしかして、お姉さんが……?」
雫は愛奈の家庭事情を知っていた。だから何となく話の続きに予想が付いた。
「うん……。そのころは夕飯もコンビニで買ったものばかりになってさ。冬にお姉ちゃんが体調を崩しちゃったんだよね。お姉ちゃんは気にするなって言ってくれたけど、そうまでして続けるほどの事かなって」
「愛奈ちゃん……」
愛奈は笑っていたが、それが強がりであることは容易に想像がついた。
「そしたら全然練習に身が入らなくなっちゃってさ。だから辞めちゃった」
愛奈はその時の事を想いだす。姉である優奈には「背が低くて不利だから辞めた」と言っていた。
(でもあの時お姉ちゃん寂しそうな顔してた……)
だから愛奈の本当の気持ちも気付いていたかもしれない。でも活躍できるかあやふやなバスケを続けるよりも、優奈の体調の方が愛奈にとっては重要だった。
(それに今はピュリステラ・ハーティアとして戦わなくちゃいけない)
侵魔が魔結界を展開するのは黄昏時と決まっているとリーフィラが言っていた。もし、部活の練習中に侵魔が現れたら途中で抜ける必要がある。そんなことを何度も繰り返すことになれば不評を買うことになる。
(だから……、部活に所属するのは無理かな……)
夕方に時間を拘束される部活動に所属するのは難しいと感じている。だからせめてこの体験入部の時は楽しもうと思う愛奈。
「愛奈ちゃん……。ゴメンね、話しづらい事を聞いちゃって……」
「ううん、いいの。わたしも誰かに聞いて欲しかったから。雫ちゃんがいてくれてよかったよ! じゃ、行こっ!」
愛奈は再び元のペースで歩き始めた。雫は何も言わず愛奈のペースに合わせて歩く。
「せっかくですから、入る予定が無くてもいろいろな部活を楽しんでみませんか?」
雫から愛奈に提案があった。
「うん! わたしもそう思ってたの。今のうちにいろいろやってみたいなって」
それは愛奈が思っていたことと一致していた。
「では、こちらに寄ってみませんか?」
雫と愛奈は校舎最上階である四階の隅に来ていた。奥からは様々な楽器の音色が聞こえてくる。
「おお~! 吹奏楽部だね!」
文化部の花形ともいえる吹奏楽部。その活動場所である音楽室に二人は入っていった。
「いらっしゃい~。お、おおぅ、体験入部の新入生?」
「はい! そうです! わ~、いろんな楽器がありますね!」
すこしきょどり気味に出迎えてくれた吹奏楽部の男性部員。愛奈は元気いっぱいに返事をした。心地よい木管の音色と、気持ちが沸き立つような金管の音色が、愛奈たちの耳をくすぐる。
「触ってみたい楽器はある? あっちに並んでる楽器が体験入部用だから」
「おお~! トランペットにフルートと……あとたくさん!」
愛奈は並んでいる楽器を見て種類を言おうとした。しかし、分からなくなったので勢いで誤魔化した。
「ふふっ、たくさんありますね。愛奈ちゃん、あちらからクラリネット、サックス、トロンボーンです。あら、珍しいですね。バイオリンですか……」
雫は補足するように楽器の名前を答える。そして端に置いてあったバイオリンを見て意外そうな声を出した。
「バイオリンって普通じゃないの?」
「オーケストラではメインとなる楽器ですが、吹奏楽では一般的には使われません。音を出すのが難しくて、習得に時間がかかるのが大きな理由と言われてますね」
「そうなんだ~。でも難しいって言われたら、逆にちょっと挑戦してみたいな!」
(初心者なのに華麗にバイオリンを弾く、きら星のごとく現れた謎の天才美少女……!
『なっ、なんだっ!? 私の心をなんかものすごく癒してくれるこの音色は……? はっ! あなたは一体!?』
『ああ、失礼。美しい景色につい奏でてしまいました。私は愛奈……名乗るほどの者ではありませんよ……』
……なぁ~んて! うっはあぁ~、かっこいいっ!)
雫からバイオリンについて聞いた愛奈は妄想に力が入り、目を輝かせて気合を込めてバイオリンを強く見つめた。
「あー、ゴメンね。あのバイオリン、弦が切れてて使えないんだ」
「えー! そうなんですか!? ものすごく癒してくれる音色を奏でるわたしのバイオリンがぁ!」
「愛奈ちゃん、初心者では弾けませんよ……でも、愛奈ちゃんがバイオリンを弾く姿は見てみたかったです」
気合も妄想も空回りしてしまった愛奈。
「いやぁ、昨日来た子が力いっぱい引いちゃって、止める間もなくて……」
そう言って部員の男性は遠い目をしていた。よく見ると周りの部員も同様の雰囲気が漂っていた。
「なんだか昨日は大変だったみたいだね、雫ちゃん……」
「そのようですね、愛奈ちゃん……」
周りの雰囲気を感じ取って、愛奈と雫はこれ以上バイオリンを話題に上げることは避けた。
「よーし、じゃあいろいろ楽器を吹いてみよう!」
バイオリンは残念だったが、他にも楽器はたくさんある。気を取り直して体験入部を楽しもうとする愛奈。
「ごめんね、もう一つ言わせてもらうと、楽器は一人一日一種類までに限定させてもらっているんだ」
「いっぱいあるのに一つだけなの!?」
再びショックを受ける愛奈。
「恐らくマウスピースの問題ではないでしょうか」
「マウスピース?」
「楽器に息を吹き込むために口を付けるところです。あちらに並んでいますよ」
雫が示した方向には、楽器のパーツがタオルの上に並んでいた。
「小学校の時、リコーダーで見たことある!」
「そうですね。そちらは木管のものですね」
「じゃああっちの金属製は金管用ってこと?」
「はい、そうですね。洗った後のものを乾かしているようです」
「口付けたら洗わないと他の人が使えないね。一つになるのはしょうがないかぁ」
愛奈は一人一日一種類までの理由に納得した。
「でも一つを選ぶとなると迷っちゃうな~……やっぱりトランペットかな!」
「お、トランペットにするかい。それじゃあマウスピース付けるからちょっと待っててね」
男性部員はそう言って並べてあるマウスピースから一つ取ってトランペットに付けた。
「どうしてトランペットを選んだんですか、愛奈ちゃん?」
「日の出と共に崖の上で吹くトランペット……かっこいいから!」
「ふふっ、愛奈ちゃんらしいですね」
形から入りたがる愛奈。雫はそれを微笑ましく見守ることにした。
「〝ハトと少年〟ってやつかな? 僕もやってみたけれど、朝起きれなくて一度しかやってないよ。ははは……はい、トランペットをどうぞ」
男性部員が愛奈にトランペットを渡した。
「おお~トランペットだ! って持ち方が分からない」
とりあえず持ってみたが、正しい持ち方が分からない愛奈。そこに雫の手が添えられた。
「左手の親指を手前側に掛けて、薬指をこの輪に通すんです。右手は小指を掛けて、三本の指をピストンの上に沿えて……ええ、これで大丈夫です」
「それっぽく持てたー。ありがとう、雫ちゃん!」
添えられた雫の手に逆らわないようにしてトランペットを正しく握った愛奈。
「よ~し、行くぞー!」
(澄み切った空気、飛び立つ鳩……崖の向こうから光が差し込み、世界が目覚める音が響く――)
目を閉じてイメージを高め、気合を入れて愛奈はトランペットに思いっきり息を吹き込み――
『……ビィ~、ビィェ~~ボフッ…………』
「なんか……思ってたのと違う……」
想像していた音と全く違うガサガサした音が出た。
「愛奈ちゃん……じょ、上手ですよ……」
「絶対違うよね! そんなに無理に褒めてくれなくてもいいんだよ!」
「そんなことないですよ……真夜中に鳴るブザーのような情緒が溢れ……」
「どんな情緒!? 夜明けには程遠いよぉ!」
引きつりながら褒める雫。愛奈はなんだかいたたまれない気持ちになった。
「はははっ、最初はみんなそんなもんだよ。マウスピースだけ取って軽く口に当て少しずつ息を入れていくんだ」
そう言って男性部員は実演して見せた。少しすると『プォ~~』という音が鳴り始めた。
「おお~。マウスピースだけで音が出るんですね。ちょっとやってみます!」
愛奈はトランペットを丁寧に置き、マウスピースを取り出して息を吹き込む。
「よーし……『フシュ~……』……むむむっ」
愛奈はマウスピースだけで吹いてみるが男性部員のような音は出ない。
「唇を強く締めすぎているかな。軽くで大丈夫だよ」
男性部員からアドバイスをもらい、愛奈は再び挑戦する。
「分かりました!……『フシュ~~プォ』……出たぁ!」
「おめでとうございます。愛奈ちゃん!」
音が出たことに感動して喜ぶ愛奈。雫は小さく拍手を送り、愛奈の喜びに華を添える。
「今度こそトランペットで音を出すぞー!……『ビィ~……プォ』」
再びトランペットに挑戦する愛奈。最初はガサガサした音だったが、最後にはトランペットらしい響く音が出た。
「ふっふっふー。ついにわたしはトランペットをマスターしてしまったか……」
「愛奈ちゃんの才能は素晴らしいですね」
一瞬まともな音が出ただけなのにマスターしたと悦に浸る愛奈。雫におだてられ更に気分を良くした。
「雫ちゃんも何か弾いてみないの?」
トランペットの音を出せて満足した愛奈は雫の演奏が気になりだした。
「では僭越ながら、クラリネットを少々……」
そう言って雫はいつの間にか持っていたマウスピースを体験入部用のクラリネットに装着し、よどみない動作で口に付ける。
『~~♪ー♪~~♪』
雫の演奏するクラリネットから綺麗な音が響きわたる。音楽室にいる人たちが動きを止め、その音色にしばし身をゆだねた――
「……すっごーい! 雫ちゃんの出す音、すごくきれい!」
「ふふっ、ありがとうございます」
愛奈の称賛に照れ臭そうにする雫。周りにいる人たちも拍手を雫に送った。
「昔、ほんの少し嗜んだだけです。愛奈ちゃんのトランペットほどではありませんよ」
「えっ……!?」
雫は己の演奏を謙遜した。しかし、どう聞いてもただ一瞬音が出ただけの愛奈のトランペットが、綺麗に演奏した雫のクラリネットに優っている要素は一つも無い。
「わっ、わたしは今日が初めてのトランペットだからっ。トランペットマスターの道はまだまだこれからなんだからね!」
とりあえず練習中であることを必死にアピールする愛奈であった。




