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星が輝いた日③

「お姉ちゃん! もうっ! 遅いっ!」


 愛奈は不満を全面に押し出して優奈に文句を付ける。ともすれば過剰とも思えるほど、全身を使って不満を表に出していた。


「愛奈……」


 要領の悪い後輩に捕まった。ちゃんと引継ぎ資料を作成したにもかかわらず、資料も見ずに質問してきて無駄に時間が取られた。

 仕事だから。生活のためだから。そんな言葉が頭にはあった。


「ごめんね。愛奈」


 しかし妹の顔を見た瞬間それらの言葉はどこかに吹き飛んでしまった。優奈は愛奈に謝りながら、そっとその小さな体を抱きしめた。


「もうっ! お姉ちゃんってば!」


 優奈の胸の中で愛奈が叩く。力は全く入っておらず、ただただ感情をぶつけてるようであった。


「本当にごめんね。愛奈。待たせちゃって」


 優奈は愛奈の頭を撫でながら優しく諭す様に言う。


 振り向いたときの愛奈の顔には、こわばった表情が張りついていた。抱きしめた腕に伝わる微かな震えが、彼女の緊張を物語っていた。大げさに文句を言うのも泣きそうだった声色をごまかすためだろう。



 確かに約束の時間には遅れてしまった。少しとはいえだ。だが、愛奈がここまで感情を出してくることはここしばらく無かった。

 今年進学し、新しい環境になってからまだひと月も経っていない。何かと気持ちが移ろいやすい季節である。

 何が原因かは分らない。だが自分の遅刻が要因となり愛奈をここまで不安にさせてしまった。

 ひたすらに、慈しむように、優奈は妹の頭をなで続ける。


「もう……お姉ちゃん、ずるい……」


 しばらくして愛奈は落ち着きを取り戻し、小さく呟いた。頭ひとつ分小さい愛奈の表情はうかがえない。それでも安心した表情をしているであろうことが手に取るように分かる。


 優奈は優しく愛奈を抱きしめ続ける。愛奈も離さないと言わんばかりに強く抱きついてきた。久しぶりに姉妹の時間が取れるのだ。今日は存分に愛奈を甘やかそうと決めた優奈。


 ずいぶん前に両親は他界してしまった。

 お互いが、唯一残された肉親なのだから。





◇◇◇





 夕飯に向けて買い物をする主婦たちも、もう少ない時間帯。愛奈と優奈はスーパーの中を並んでゆったりと歩く。


「新しい学校には慣れた?」


 優奈はちょっと心配そうに愛奈に尋ねた。新しい環境に馴染めていなかったりしないか。もしくは学校でトラブルが発生していないか。何かあれば愛奈の方から言ってくると思っているが、ついつい口に出てしまう。


「うん! 大丈夫だよ!」


 そんな心配を感じ取ってか、愛奈は全く問題ない事を声色に乗せて明瞭に返事をする。


「そう、良かったわ。その様子だと余程いい友達が出来たみたいね」


 妹の様子をみて安心する優奈。友人関係の話になり、その話題を待っていましたと言わんばかりに愛奈は饒舌になる。


「そうなの! やっぱり雫ちゃんとまた一緒になれたのが嬉しくて!」

「ふふっ、その話は入学式の日にも聞いたわね」

「それでもなのっ! 前からお嬢様~って感じだったけど、今はもっとすごいんだから!」

「入学式の時に遠目で見ただけだったけど、確かに気品ある娘がいたわね」


 愛奈の口から真っ先に出たのは、帰る間際にも世話になった上水流雫の事だった。


「もうお嬢様オーラ全開だよ! 雫ちゃんがいるだけで空気がこう……三段階ぐらい綺麗になるんだから!」

「そ、それは凄いオーラね……」

「匂いだってお嬢様だよ! 爽やかでフレッシュで……眼をつぶったらシャボン玉が思い浮かぶって!」

「愛奈ー、それは本人に言っちゃだめよー」

「い、言ってないよ! わたしじゃなくて、クラスの子がそう言ってたんだって!」


 友人自慢が変な方向に行きそうになったので窘める優奈。愛奈は姉にちょっと引かれて、慌てて自己弁護する。


「本当はね、ちょっと怖かったんだ……」


 愛奈はぽつりと言葉をこぼす。優奈は少し顔を傾けて続きの言葉を急かさずに待つ。


「ほら、お嬢様ーって感じだったから。『あなたみたいな庶民とはもう付き合えませんわー』とか言われたらやだなーって……」

「でもそんなことはなかったんでしょ?」

「雫ちゃんの方から話しかけてきてくれたから。『また一緒になれて嬉しい』って。わたしの方が嬉しかったのに!」


 先に雫ちゃんに言われちゃった――悔しさなんて微塵もない顔で、愛奈ははにかみながら笑っていた。





 ふと、愛奈は隣を歩く優奈を見上げる。

 背は女性にしては高く、スラっとした体型をしている。働いていた後に直接来たため、スーツを着たままだが違和感なく着こなしている。

 目元はキリッとしているが、肩までの柔らかいウェーブがかかった髪がキツイ印象を与えない。仕事ができるOLでもあり、家庭的なところもある自慢の姉だ。


 愛奈の目線に気付き、ふわりと微笑み返す優奈。


「今日の献立は確かカレイの煮付けとほうれん草のおひたしだったわね」

「うん、そうだよお姉ちゃん」


 お魚かぁ。とちょっと気のない返事が、つい口からこぼれる。嫌いというわけでは無いが、好きというわけでもない。骨を取るのが苦手で、うまく食べられた試しがない

 気をつけて食べてるのに、たまに口の中に骨が刺さるので、ちょっと怖いのだ。

 積極的に食べたいとは思わない。

 ……まあ、どちらかというと、嫌いなほうかもしれない。


 しかし献立を決めているのはお姉ちゃんである。栄養バランスを考えて決めてくれているので文句を言うつもりもない。

 でもせっかく一緒に夕飯を取れるのだからもっと良いものを――


「愛奈が良かったらだけど、今日はハンバーグにしない?」


――お姉ちゃんの方から提案してくれた。


「え、いいの……?」


 驚いて遠慮がちに確認する愛奈。


「ええ、愛奈が良かったら、だけど」


 愛奈の気持ちを肯定する優奈。


「うん! わかった! 今日はハンバーグにしよっ!」


 嬉しさのあまりショッピングカートを掴みながら何度も飛び跳ねる愛奈。さすがに周りに迷惑がかかると呆れてたしなめる優奈。


 傍から見れば歳の近い親子にも、見えたかもしれない。





◇◇◇





「ぎゅーとぉ ぶーのぉ ご合いびきー♪」


 精肉コーナーに来た愛奈は妙なリズムでヘンテコな歌を口ずさみ、ハンバーグ用の合い挽き肉を両手に取る。両方のグラム数を確かめた後に、少ない方を手に残し、多い方を売り場に戻した。


「あら、その量だと足りなくない?」


 愛奈が選んだ方は、二人分には幾分足りない量に思えた。


「お姉ちゃんは分って無いなぁ。お豆腐を混ぜるさっ!」


 姉に説明できるのがよほどうれしいのか、愛奈は芝居がかった口調で胸を張るように答えた。


「ここで問題です! 混ぜる豆腐は絹と木綿どっちでしょう!」


 なおも愛奈の小芝居は続き、姉に問題まで出してくる。


「そうねぇ……途中で崩れたら駄目だから、固い木綿の方かしら?」


 優奈は少し考えてから、論理的に答えを出した。


「正解はー……」


 愛奈は妙に答えを引き延ばし、優奈の顔を見つめる。優奈も愛奈の顔を見続ける。


「当たりでーっす」


 しかし優奈が黙ったまま見つめ返してくるだけだったので、愛奈は観念して正解を告げた。



(むぅ。本当は木綿だって、固いからってわたしが説明したかったのにー)


 クイズ形式にしたのは、答えを間違ったお姉ちゃんに自慢気に説明したかったからである。

 しかし優奈は理由を含めて当ててしまったので愛奈の思惑は外れてしまった。続きを話すことが出来なくなった。ぶぜんとした感情が浮かんでくる。


「やったぁ、当たった。嬉しい」


 だが優奈は正解を殊の外、喜んでいた。


(お姉ちゃんが笑ってくれるなら、これでも良いかな)


 釣られて愛奈も笑顔になった。





「それにしても、いつの間にハンバーグに豆腐を混ぜるようになったのかしら?」

「この前からだよ。テレビで豆腐を混ぜると良いって聞いて、レシピをネットで調べたんだ!」

「ああ、この前のハンバーグも豆腐が入っていたのね。疲れてたけどもたれず食べれたわね。私もまだまだイケると思ってたけど、愛奈の愛情のお陰だったのね」

「愛情って、そんなこと……」


 優奈に面と向かって言われてしまい、照れて顔をそむける愛奈。


「実際、愛奈には感謝してるのよ。食事は作ってくれるし、最近は買い物にも行ってくれる」

「買い物は仕方ないよ。お姉ちゃんが忙しくなっちゃたしね」


 以前までは献立と買い物が優奈、調理は愛奈が担当していた。しかし、最近は買い物も愛奈が行うようになっていた。

 愛奈はちょっとだけ誇らしい気持ちになった。


「買い物もできて料理もできる。愛奈は将来素敵なお嫁さんになるわよ~」

「ちょ、お姉ちゃんってばぁ……」


 手放しで褒めてくれるのは嬉しいが、恥ずかしい。


「可愛くて素敵よ。やだ、私の妹ってば完璧だわ!」

「もぉ~」


 恥ずかしがっているのは分かっているのにさらに過剰に持ち上げてくる。分かっていて、からかっているのだ。

 ほめ殺しに耐えていた愛奈だったが、


「それじゃあ今晩の夕食、一緒に作ろ♪」


 反撃を開始した。



「あら……」


 優奈は二の句が継げず固まってしまった。



 心配性の優奈はレシピ通りに作ろうとしても、後ちょっと、もう少し足りないかなと調味料や加熱時間をつい増やしてしまう。一回であれば誤差程度だが、優奈は何回も繰り返し行ってしまう。

 結果、妙に味の濃いみそ汁や焦げ付いたお魚ばかりが食卓に上ることになっていた。一通りの家事をこなせる優奈だが、料理だけはうまくできなかった。


「ほらほら、ハンバーグに入れる玉ねぎをみじん切りにするとかだからさっ!」


 反撃に成功した愛奈は楽しそうに続きを話す。


「そ、そうね……切るだけなら、やってみるわ……」


 早々に白旗を上げる優奈。


「ふふっ、お姉ちゃんと一緒に料理、楽しみだな~」


 家に帰ってからの楽しみが増えたとはしゃぐ愛奈。



 ふと、隣をすれ違う主婦たちの会話が聞こえてしまった。


――聞きましたぁ? 行方不明の話ぃ~

――最近起きてるらしいわねぇ、嫌よねぇ~



 愛奈が固まった。

 先ほどまで小さな子どもの様にせわしなく動いていたのに。急に金縛りにでもあったように、その場で動きが止まった。


 これか、と優奈は察した。

 スーパーの前で待っている時にも、愛奈はこの噂話を聞いてしまったのだろう。確かに愛奈がいなくなるなんて想像ができない。想像してしまったら胸が苦しくなる。

 そう感じた優奈は驚かせない様に、ゆっくりと愛奈に近づいた。





◇◇◇





 頭が真っ白になる。

 全ての音が遠くなる。

 さっきまで楽しかったのに全て吹き飛ばされてしまった。せっかくお姉ちゃんと一緒に買い物していたのに。

 何故だか分からない。でも〝あの言葉〟を聞くと胸が痛みだす。聞くたびに苦しくなる。前回よりも強く苦しくなる。

 足元が崩れていく様な、地面が感じられなくなる様な、全然意味が分からない。


 これじゃあダメなのに……でも、身体は全く動いてくれない。せっかく買い物も任せてもらえるようになった。健康に良いレシピも探せるようになった。

 もう子どもじゃない。お姉ちゃんに心配されるだけの子どもじゃない。今まで散々迷惑をかけたはず。覚えているものよりも、もっと、ずっと。

 これから返していける。そう思っていたのに……



 突然、身体に衝撃が走る。

 なんてことはない、ただ肩に掌を置かれただけだ。それだけなのに、急に体が自由に動く。

 氷のように固まった体が、掌から伝わる温かさによって解けていく。足元に地面はあり、音は自然と耳から入ってくる。


 お姉ちゃんが覗き込んでくる。何も言わずに自然な笑みを浮かべたまま。


 〝大丈夫〟

 〝安心して良いよ〟

 〝急いで大人にならなくても〟


 そう、言ってくれている様な気がした。





 いつも気遣ってくれている。黙っていても察してくれる。落ち込んでいる時は自然に寄り添ってくれるし、失敗しても優しく受け止めてくれる。

 いつかはわたしもお姉ちゃんのように、かっこ良くて優しい女性になるのが目標なんだ。

 理想の身長には全然届かなくて、嫌気がさすことばかりだけれど。でも、お姉ちゃんがいるからこのままでも良いかなって。

――ちょっとだけ、そう思ってる


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