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瑞葉の学び舎①

 瑞葉(ずいよう)学園高等学校――それは、都心の喧騒から遠く離れた、緑の匂いに包まれた丘の上にある私立の大学附属校。広い敷地の中には各スポーツの運動場だけでなく、林や草原、小さな池まである豊かな自然と共にある学校だ。

 制服のデザインが良い、大学受験が必要ないなどのメリットがある一方、虫が多い、都心から遠いという理由で敬遠されることもあり、学校としての人気は決して高くは無かった。


「はひーっ、はひーっ、ま、間に合った~」


 そんな瑞葉学園の教室にひとりの少女――朝丘(あさおか)愛奈(あいな)が激しく息を切らしながら入ってきた。

 愛奈は幼いころに両親を亡くしており、当時は公立校しか考えられなかった。姉の優奈がひとりで働いて支えてくれている以上、それが現実だった。


 しかし、数年前に施行された教育費補助制度。それと、ふるさと学校支援制度、その試験運用校に瑞葉学園が選ばれたことが重なり、学費の負担が実質ゼロになった。

 学費の心配がなくなったことで、愛奈の選択肢は少しだけ広がった。迷った末に選んだのが、この瑞葉学園だった。また、同様に学費の面で有利なこの学校を選ぶ人が増え、近年密かに人気のある学校となった。


「あー、朝丘かー、朝のホームルームを始めるからー、早く席に座りなさい」

「はひぃ~」


 担任の先生が早く席に座るように促すと、愛奈は返事になってない返事を返し、よろよろと自席に向かう。周りからは微笑ましいものを見守るような優しい視線と共にくすくすと笑う微かな笑い声が聞こえた。





◇◇◇





「おはようございます。愛奈ちゃん」


 朝のホームルームが終わり、愛奈の席にやって来たのは友人のひとり、上水流(かみずる)(しずく)

 背は愛奈より少し高いが、全体的にはやや小柄な印象だった。腰まで伸びた艶やかな黒髪をなびかせて優雅に歩いてきた。


「おはよ~雫ちゃん。も~生活指導の先生、校門閉め始めるの早いよ~」


 ギリギリの登校に全力を尽くした愛奈は、まだ疲れが抜けきっていなかった。そのため席から立つ気力が無かったため、自席で雫を迎えた。


「でも間に合ったのでしょう。良かったです。ところで、愛奈ちゃん……!」

「え、ど、どうしたの? 雫ちゃん……?」


 ほっとしたのも束の間、急に雫が顔を寄せてきた。迫るような視線に、思わず愛奈は身を引いた。


「髪が崩れていますよ。いけません!」


 そう言って雫は素早く愛奈の背後にまわる。そして愛奈のツインテールを形成しているヘアゴムをよどみなく取り外す。


「愛奈ちゃんの髪は潤いがあっていい髪なんですから、ちゃんとケアしましょうね」


 どこからか取り出したヘアミストを使い、愛奈のはねた髪を整えていく。


「うへへ~。ありがと~雫ちゃん」


 されるがままの愛奈。もはや、手のかかる妹と、甲斐甲斐しく世話を焼く姉にしか見えなかった。





 雫にヘアメイクをしてもらい気持ちよさそうな顔をしている愛奈の元に、テンションの異なる声が二つ、頭上から響いた。


「……おは、愛奈、雫。……愛奈、良いご身分……」

「おはよーっす! 愛奈っちー、雫っち―!」


 先に愛奈に声をかけた少女、風谷(かざたに)伊吹(いぶき)。愛奈と同じくらいの背をしているが、伊吹の方が僅かに高い。ハネの多いショートヘアとやや眠そうな目をしており、話し方に独特な間がある。そのため、一見無口な人に見られることが多いが、結構饒舌である。


 もう一人の少女は天雷(てんらい)響華(きょうか)。女子の中では背が高い方で、スタイル抜群。短いスカートと着崩した制服、茶色に染めたウェーブのかかったサイドテール、三白眼気味のつり目をしていて、自他共に認めるギャルである。


「おはよ~、伊吹ちゃん、響華ちゃん!」

「おはようございます。お二人とも」


 二人に挨拶を返した愛奈と雫。

 上水流雫、風谷伊吹、天雷響華。愛奈がこの学校で共に時間を過ごすことが多い三人だ。



「……それで、響華はどっち?……あたしはしてない方……愛奈だし」

「あーしも当然してない方だねぇ。愛奈っちだし。んふっ」

「……残念、賭けは不成立。ふふっ……」


 愛奈の顔を見るなりいきなり賭けの話をしだした。伊吹と響華が無言で目配せし、同時に唇に少しなまめかしく指を当てた。


「いきなりわたしで賭け事始めないでよ!」

(……な、何? なにそのジェスチャー!?)


愛奈の背中に嫌な汗がつうっと流れる。


「それにした、してないって……それは、当然、したことないけど……」


 朝からいきなり何の話かと思ったが、意味深に唇に手を当てているのでそういうことだろうと思い、顔を赤らめて目を逸らしながら答える愛奈。


「……したことない? 何言ってるの……数学の宿題だよ……」

「へ?…………宿題? 数学?」


 伊吹の言っていることが分からない愛奈は、全身から疑問符を出していた。


「髪はこれで良し、ですね。愛奈ちゃん、数学の宿題の件は先週帰りのホームルームで、先生も念を押すように言ってましたよ」


 愛奈のヘアメイクが完了した雫が満足げにしながら伊吹の言葉に補足を加えた。その言葉で時が止まったような愛奈の脳内で、やっと回路が繋がった。


「あーー! 宿題忘れてたーー!」


 やっと思い出した愛奈は大きな声を上げた。その絶叫は、隣のクラスにもバッチリ聞こえていた。





(週末はお姉ちゃんとリーフィラと侵魔とかで色々ありすぎて忘れてたー!)


 愛奈は先週までごく普通の女子高生だったが、週末に優奈と帰宅中に侵魔と呼ばれるバケモノに襲われた。その時、リーフィラという精霊の導きにより〝ピュリステラ・ハーティア〟に変身し、バケモノと戦う力を得ることとなった。

 しかし、優奈はバケモノに襲われて昏睡状態に陥った。侵魔などに詳しいダリウスという人物とリーフィラの話によると姉の症状を回復させるためには今後も侵魔と戦う必要があると分かり、愛奈は戦うことを決意した。

 そしてつい先日、強力な侵魔と戦ったばかりだ。


 この週末はとにかくいろいろなことがあった。ありすぎた。宿題の事など思い出す余裕などないほどだ。


(侵魔を退治するのに忙しかったから宿題やってませんーなんて言えないよ~)


 侵魔は人を襲う際に特別な空間――魔結界に人を誘ってから襲う。しかし、魔力の操作ができない人はこの魔結界内の出来事を正しく覚えていられない。そのため、侵魔という存在を公に話すことはためらわれた。


「数学は五時間目だから時間はありますよ」

「そ、そうだね。時間はあるね。時間は……」


 それを聞いても愛奈の心は全く晴れなかった。


(時間があっても解ける気がしないよ~。でもやらない訳にもいかないー! 解けない問題と五時間目までにらみ合うのやだよぉ)


 愛奈は数学を苦手にしている。五時間目までこのモヤモヤした気持ちを抱えるくらいなら、いっそのこと一時間目が数学でさっさと怒られて終わりにしてしまいたい気分だった。


「そんなに硬くならなくても大丈夫ですよ、愛奈ちゃん。分からないところがあれば教えてあげますから」

「雫ちゃん! ありがと~。わたしの救世主さま~」


 そんな愛奈に救いの手が差し伸べられた。涙目になりながら感謝と共に雫に抱きついた。雫もまんざらでもない様子で、ほんのり頬を染めながらふわりと微笑んでいた。





「……ところで愛奈、したことないって何のこと……」

「ふわあっ! い、いきなりどうしたの伊吹ちゃん!?」


 雫の優しさと温かさに気分を良くしていた愛奈の耳近くで伊吹が先ほどの事を掘り返してきた。


「……それで、なにを、したことないの……?」

「えっ! いや、それは…………数学の宿題だよっ!」


 改めて詰められた愛奈、想像していた内容を正直に言うのは恥ずかしかったので、上ずった声で言い訳をした。


「異議あり―! それは無いっしょ愛奈っちー。したことないって言った後に宿題忘れてたーってあんなに叫んだじゃ~ん」

「うぐっ!」


 稚拙な言い訳はあっさりと論破された。


「……矛盾を突き付けられた被告人、朝丘愛奈。彼女はさらに嘘を塗り固め、真実の追及から逃れようとしていた……!」

「変なナレーション付けないでよ伊吹ちゃん! 被告人ってわたし悪い事何にもしてないよ!」

「それじゃあ愛奈っちはー、一体〝ナニ〟を考えていたのかな~」


 ナニの部分を変に強調しながらニヤニヤと聞いてくる響華。


「だって、二人が唇に……あ、いやなんでもないよ。なに言ってるかよく分からないもん」


 伊吹と響華の意味深なポーズを思い出し、再び顔を赤くして目を逸らす。


「あれあれ~、お顔を真っ赤にしてぇ、何かエッチな事でも考えたの~?」

「……愛奈のむっつりすけべさん……男の人とベッドで抱き合う妄想でもしてたに違いない……」

「エッチでもスケベでもないよっ! それに男の人と抱き合うって、そそそ、そんなっ! わたしキスだってしたこと…………あ」


 あらぬ誤解を解こうと言葉を重ねようとしたところで、愛奈は自分の失言に気が付いた。二人は誘導がうまくいき、失言を引き出せたことに大いに満足する。


「したこと無いってのはキスの事かぁ。愛奈っちは純情だもんね~」

「……愛奈は初心。分かりきったことだね……」

「ち、違うって! なんで二人ともそんなにニヤニヤしてるのー!」


 からかう二人とからかわれる愛奈。この教室でよく繰り広げられる光景だ。


「お二人とも。クラスには殿方もいらっしゃるのですから、あまり過激なことは言わないでください」

「はいはーいっ」

「……承知……」


 最後に場を閉めるのが雫になる。そして、一時間目の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。


「ほいじゃまったね~」

「……また一週間が始まる……めんどい……」

「では愛奈ちゃん。次の休み時間に」


 そう言って三人は愛奈の席を離れて自席に戻っていった。


「うん、みんなまたね~!」


 新しい一日が始まる――平和で、ちょっぴり恥ずかしくて、でもどこか嬉しい朝だった。


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