忍び寄る影、打ち払う光①
「あ、卵……二つ使っちゃった……」
キッチンで朝食を作っていた一人の少女――朝丘愛奈はフライパンの上の目玉焼きを見つめてため息をついた。
「お姉ちゃんの分……要らなかったのに……」
少女の姉である朝丘優奈は入院中のため家にいなかった。姉妹で二人暮らしをしていた愛奈にとって、休みの日の朝に姉がいないというのは非常に珍しい事だった。
「お姉ちゃん、早く元気になってくれたら良いのに……」
優奈は社会人として働いていた。そのため、休日に出勤することもあった。だから、朝を一人で過ごすのは初めてではない。
――ただ、こんなにも寂しいのは、今回が初めてだった。
優奈は入院中であり、しばらく家に帰って来れないと分かっている。優奈が長期間家に帰って来れないことは初めてだったからだ。
「目玉焼き、どうしようかな」
いつも通りの日常の動作が、いつも通りの結果にならない。そのことに寂しさが膨れ上がり、声からも元気が失われる。
姉の分もと作った目玉焼き。捨てるのはもったいない。朝食で二つ食べるか、冷蔵庫にしまってお昼に食べるか。その二択程度だろう。そう考えていたが、意外な選択肢が提示された。
「余ったなら、私が食べても良いわよ」
愛奈の隣に人の頭くらいの大きさの妖精の様な女性が現れた。
「リーフィラ!?」
その女性の名前はリーフィラ。愛奈と契約を行い、戦うための力を授けた星聖樹の精霊である。
「リーフィラって食べるの?」
出会ってからまだ数日だが、この精霊がものを食べていることは見たことが無い。お腹がすいた等のセリフも聞いたことがない。
「ていうか、実体ってないんじゃなかったっけ?」
この精霊は目には見えても、触ることはできない。触れないのならばものを食べることなどできる訳が無い。
「魔力は消費するけど実体化できるわよ」
「そ、そうだった……」
以前実体化したリーフィラに胸をいじられたことを思い出し、なんとなく愛奈は腕でその大きな胸を隠した。
「でも食べて意味あるの?」
リーフィラが実体化すれば食べられることは分かった。しかし、生きるために必要な行為には見えなかった。愛奈は小首をかしげてリーフィラに聞いた。
「一応魔力の回復には役立つわね。実体化で消費するから微々たるものだけど。ま、娯楽としての意味合いが強いかしらね」
「へ~そうなんだー」
よく分からないが精霊とはそういうものなのだろうと納得する愛奈。
「でも娯楽ってことは、甘いとかしょっぱいとかは分かるってこと?」
「あら、意外と鋭いわね。味も食感もちゃんと分かる……はずよ」
珍しくリーフィラが言いよどんだ。
「はずってどういうこと?……食べたこと、ないの?」
一度でも何か口にしていれば〝はず〟などという曖昧な言葉が出てくることは無い。少し心配そうにリーフィラの方を見る愛奈。
「そうね。ものを食べたことは無いわね。でも知識としてはあるわ……それだけよ。そんなに心配そうな顔をしないで、愛奈」
「そうなんだ……。じゃあ、リーフィラが初めて食べるものって、わたしが作った目玉焼きになるってこと?」
リーフィラが初めて味を感じるのが自分の作った料理になる。その事実に愛奈はちょっと意地悪そうにニンマリと笑った。
「ええ、頂けるのならそうなるわね」
リーフィラは愛奈のいたずらっぽい視線に気づきながらも、ふんわりと柔らかく笑った。
「期待しているわよ愛奈」
「が、ガンバリマス……」
リーフィラに真っ直ぐ返された愛奈はそこまで期待されるとは思っておらず、ちょっとたじろぎながら返事をした。いつも作っているので失敗することは無いはずだ。でも今日は、ほんの少し慎重になって、フライパンの上の黄身をじっと見つめた。
「むむむ……」
愛奈は食べる手を止め、緊張まじりにリーフィラをじーっと見つめていた。
「そんなに見つめられたら食べにくいわよ」
「あっ、ゴメン……」
流石に見つめすぎたためリーフィラから注文が入った。素直に謝った愛奈だが、ちらちらそわそわとリーフィラの方を何度も見てくる。
リーフィラも愛奈の緊張の理由が分かるため、それ以上は気にしないようにした。
「……ふにふに?……して面白い食感ね。ほんのりしょっぱくてイケるわね。美味しいわ」
「ふひひっ……良かった。美味しいって言ってもらえて。リーフィラが初めて食べるものだもんね」
目玉焼きをもそもそと食べているリーフィラが感想を話した。その内容に愛奈は満足げに笑った。リーフィラの頬がゆるむのを見て、愛奈は胸があったかくなるのを感じた。
「リーフィラ……何かカワイイっ。ハムスターみたい!」
リーフィラの食べる様子を見て愛奈は呟いた。小さい身体を目一杯使って食べる姿を見て、愛奈は動画で見たハムスターの食べる姿を思い出していた。
リーフィラは、愛奈の言葉に気づいているのかいないのか、小さな口をもぐもぐと動かし続けていた。
「でもリーフィラ、それ全部食べられるの……?」
リーフィラの大きさは人の頭程度だ。普通に考えればリーフィラの全身と同じくらいの大きさの目玉焼きがその身体の中に入る訳が無い。
「大丈夫よ。身体の中にたまる訳じゃないから」
「ええっ! なにそれ!? お腹の中は四次元ポケットなの!? ズルい!」
リーフィラの説明を聞いて、愛奈は国民的人気キャラクターの某青いタヌキ?のロボットを思い浮かべた。
「四次元ポケットって、あなたねぇ……人の胃袋よりは大きいと思うけど、限界はあるから何でも入る訳じゃないわ」
その小さな体で皿の端にちょこんと立ち、目玉焼きの端をつまんでは一口ずつ味わうリーフィラ。
「そうなんだ……って言うかリーフィラって変だよね」
「変って……何がよ」
いきなり変と言われたリーフィラはちょっと不満げに短く返した。
「だって食べたことは無いのに食べられる限界は知ってるって変じゃない?」
「今朝の愛奈は……なかなか鋭いわね。そうね改めて考えると変ね」
愛奈の指摘の正しさを理解し、リーフィラ自身も考える。
「そうねぇ……でも私にも分からないわ。星聖樹本体の記憶か何かかしらね」
「リーフィラ自身も分からないんだ。不思議だね」
リーフィラは肩をすくめるようにして、あっさりと言い放った。愛奈も疑問は残ったものの、解消しなければならない理由も無いため、疑問のまま置いておいた。
「ごちそうさまでした」
「ええ、私もごちそうさまでした」
愛奈は食パンと目玉焼きの朝食を食べ終えた。リーフィラは目玉焼きだけだったが、すでに食べ終えていた。
「お粗末様でした。でもリーフィラ、食べるの早いね」
リーフィラの大きさからもっと食べるのに時間がかかると思っていた愛奈は少し意外そうに、リーフィラに声をかけた。
「そうかしら。でも身体の大きさを愛奈と比較するとそうかもね」
リーフィラは愛奈の言葉に同意しつつ、特に気にした様子は見せなかった。
「それよりも愛奈、なんだか今日はいつにも増して嬉しそうね」
リーフィラの指摘通り、どうやら愛奈はニコニコと笑っていたようだった。
「えっ! あっ、そう……かな?」
「ええ、そうよ」
愛奈は自分の表情を認識していないような反応をした。言われてから顔に手をやり、自分の表情を確かめていた。
「でも、そうだね。リーフィラと一緒に……ご飯を食べられたからだよ!」
トレードマークのツインテールを大きく揺らして愛奈は満面の笑みを浮かべていた。
「そう、それならまた作ってもらえるかしら。そしたらまた一緒に食べましょう」
「うん! わかった! リーフィラのために色々作ってみるよ!」
誰かと一緒に食事をとれるのがよほど嬉しいのだろう。からかいたくなる気持ちを抑え、寂しがり屋な契約者のために一肌脱ごうと決めたリーフィラ。
決して美味しいものが食べられるからじゃない――と、そっと心の中で言い訳しながら。リーフィラはその笑顔を静かに見守っていた。




