執事アレクサンダーはセバスチャンを超えたい
私の名前はアレクサンダー・ロマノス。
よくとても素敵な名前ですね、などと言われてありがたい限りなのですが、少々私の思う方向とは違った印象を持たれてしまうのがもどかしいところではあります。
もし私が一国の主であったり、勇者であったりしたのであれば、この名前もしっくりきたのかもしれませんね。
しかし私は執事。スミス公爵家に仕える有能な執事にすぎないのでございます。
主人たるトニー・スミス様いわく、
「はっはっはっ! 私よりも立派な名前だな!」
とのこと。トニー様は笑っていらっしゃいましたが……。
くっ、仕えるべき方よりも立派な名前を持っているだなんて執事失格でございます……!
屋敷の管理を一任され、使用人たちの総責任者でもある有能な私ではございますが、名前だけはいかんともしがたく……!
ですから私は、誰にも負けない完璧エリート執事になろうと決意したのでございます。
学業はもちろん、武術、社交術、料理や裁縫などの家事全般から庭の管理に育児知識、それからあまり大きな声では言えませんが密偵としてのあらゆる技術も叩き込みました。
スミス家で仕えるために必要なことはなんでも学びたかったのです。
生まれつき物覚えが良いほうでしたので、苦労をしたという感覚はありません。
自分にできないことを次々と習得していくのは楽しく、スミス家の役に立てる、完璧な執事に近付けると思えばやりがいもありました。
「あれくさんだー!」
「おや、ジェニーお嬢様。庭でお散歩ですか?」
「うん。ね、だっこ、ちて!」
「承知いたしました。では失礼して」
よちよちと……ごほんっ、失礼。
ゆっくりとした慎重な足取りで両手を上げてこちらに歩み寄るジェニーお嬢様はまだ三歳になられたばかり。
だというのにすでに私の名を呼び、ご自身の要望をハッキリと伝えることができるとても聡明なお嬢様でございますね。
ジェニーお嬢様を抱き上げ、安定するようしっかりと支えると、お嬢様が小さな手を私の頬に当てながら私にはすぐ理解できない言語で問いかけてきました。
「あにょね、しぇばしゅちゃん、にゃいなの?」
「……少々お待ちくださいませね」
いくら有能な執事たる私といえど、幼児の言葉を解するには少し時間が必要なのです。
……いえ、醜い言い訳でしたね。私が未熟なのです。
まず「あにょね」は「あのね」でしょう。私への問いかけの一言です。
本題から入ることなくワンクッションを入れる気遣いたるや、公爵令嬢として素晴らしい才能であらせられます。
そして「にゃいなの?」は……おそらく「ないなの?」であり、つまり「ないのですか」もしくは「いないのですか」という問いかけだと推測されます。
そうなるとジェニーお嬢様がないのか、と訊ねたものはその前にあった「しぇばしゅちゃん」なるもの。
お嬢様はまだ発音するのが苦手な言葉がいくつかおありになる、ということを考えますと……。
なるほど、セバスチャン! 人名ですね!
結論、ジェニーお嬢様はおそらく私に、
「急な質問をしてごめんなさい。アレクサンダー、貴方はセバスチャンという名の者をご存知?」
と問いかけたのでございましょう。
いけませんね、理解するのに三秒もかけてしまいました。お待たせして申し訳ありません。
「ジェニーお嬢様。この屋敷には使用人含めて『セバスチャン』という名の者はおりません。私も存じ上げないのでございます。ジェニーお嬢様のお知り合いの方でいらっしゃるのでしょうか?」
「にゃいなの? んー……じゃんねん」
なんということでしょう。ジェニーお嬢様が頬に小さな手をあてて「はふぅ」とため息を吐いてしまいました。
とても残念がっておられる様子……。執事たるもの、お嬢様の憂いを晴らしてさしあげねば!
「ジェニーお嬢様。無知な私に教えていただけませんか? セバスチャンとはどういった者なのでしょうか」
聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥と申しますからね。
知らないことに直面した際、私はすぐに調べることにしております。
今回は人名ですので、お嬢様のお知り合いであると仮定してお聞きすることにしました。
しかしお嬢様の口から返ってきた言葉に、私はとんでもない衝撃を受けたのです。
「いっちばん、しゅごーい、しちゅじ!」
「……い、一番、すごーい、執事、ですって……!?」
最も身近に私という有能執事がいるというのにこのお言葉……!
暗に「お前はもう用済みだ」とおっしゃられているのでしょうか?
いえ、落ち着くのですアレクサンダー。
ジェニーお嬢様は天使のようにお優しい方。
ただ天使のように無垢で純粋であらせられますから、悪気など一切なく思ったことを口にされているだけ。
つまり、ジェニーお嬢様の公正な目で判断した結果、私よりも有能な執事がいるということでもあるわけですね……!?
くっ、心底お恥ずかしい。こんなにも努力し続けたのだから、自分が最も優れた執事であると私は自惚れていた……!
世界は広いのです。上には上がいるという言葉もございます。
それでも私は完璧な執事であると自負しておりました。
しかし現実を叩きつけられるのはいつだって突然なのですね……。己の未熟さを痛感いたしました。
それに気付かせてくださったジェニーお嬢様は本当に素晴らしいお方です。
本当に三歳ですか? 神童といっても過言ではありませんね。
感謝し、一生お仕えすることを約束いたしましょう。
今回のことがなくともそのつもりでしたが、より一層、粉骨砕身働かせていただきます。
「おりりゅ」
「かしこまりました。ご期待に添えず申し訳ありませんでした、ジェニーお嬢様」
割れ物を扱うようにそぉっと地面にお嬢様を下ろし、私は片膝をついて深々と頭を下げ、謝罪いたしました。
主人の要望に応えられぬようでは、完璧とは程遠いですね……。反省しきりです。
しかし。
「んーん。ありがと、あれくさんだー。しゅきよ」
「っ!! ジェニーお嬢様っ!! 身に余る光栄でございますっ!!」
「あーい。またね!」
こんなにも情けない姿を晒してしまったというのに、ジェニーお嬢様は私の頬にキスをし、寛大なお言葉をかけてくださいました!
走り去るジェニーお嬢様の後姿を潤む目で見つめながら、私は決意したのです。
必ずや「一番すごーい執事のセバスチャン」とやらを見つけ出し、その者を超えてみせましょう。
スミス公爵家の執事として恥ずかしくないように!!
◇
かくして、私の打倒セバスチャン作戦が始動しました。
とは言いましても通常業務がございますから、表立って何かをするわけではありません。
目標を知り、私自身がセバスチャンを超えたと納得できるまで己を磨くことが目的です。
相手を知らなければなにも始まりませんから、私は使用人仲間や町の人たち、それから主人にも聞き込みを始めました。
「セバスチャン? ああ、聞いたことはありますよ。とても有能な人だそうで」
「僕も聞いたことがあります! ただどんな方なのかは存じ上げませんね……」
「俺も噂を耳にしたことがあります。執事といえばセバスチャン、だとか」
使用人仲間の内で知っている者は半々、といったところでした。
知っている者も名を聞いたことがある程度で、どこの誰に仕えている執事なのかまではわからないとのことです。
噂話程度にしか知らない、そんな印象を受けました。
「セバスチャン? そんな洒落た名前、一度聞いたら忘れないんだがねぇ。すまないが俺ぁ知らないよ」
「あたしは聞いたことがあるわ! 貴族や王族に仕えてる老執事、だったかしら。伝説の執事だって話もあるわね」
「執事と聞いて浮かぶのはセバスチャンよねー! え? 実際に? 会ったことなんてあるわけないじゃないの。おかしなことを聞くのね」
「そもそも平民に執事なんて縁がないものねぇ?」
町で知る者も半々くらいでした。これもまた噂程度の話で、実際に見た者はいない様子。
ただ意外にも若者の間で噂が広がっているらしく、有力な情報を得ることができました。
なるほど、老執事……。
くっ、私のような若輩者ではそもそも勝負にならなかったのでしょうね。
どれだけの知識や技術を持っていても、長年の経験にはどう足掻いても敵いませんから。ひたすら経験を積んでいくしかないのでしょう。
とはいえ、そこで諦めて足踏みするなど愚かなことはいたしません。
経験を積む、と一言でいいましてもただ漠然と過ごしていたのでは意味がありませんから。
セバスチャンなる老執事が伝説の執事と呼ばれるようになったのも、彼のたゆまぬ努力があったからに違いありません。
もう少し、彼について情報を得る必要がありますね。ぜひお手本とさせていただきたいですから!
「なるほどなぁ。近頃、アレクサンダーがやけに張り切っていると思えばそういうことだったのか」
「ええ。お恥ずかしながら、私は伝説とも呼ばれる執事のことを最近になって初めて知ったのです。知っている者は皆口を揃えて『執事といえばセバスチャン』というようなことを言うのですが……スミス公爵家に仕える使用人たちの総責任者として大変不甲斐なく……」
「いやいや、知らないことは恥ずかしいことでも情けないことでもないさ。それに、有能な執事ほどそれを他者にひけらすこともないだろう。知らぬ者が多いというのはそういうことではないかな?」
「! なるほど、さすがはトニー様。ご慧眼をお持ちでいらっしゃいます」
それに引き換え私は……自分が有能だと、完璧だとひけらかしていたかもしれません。
もちろん、表立って態度や言葉にしたことはありませんが、そうした傲慢さが態度に出てないとも限りませんからね。
執事とは、主人の役に立ってこそ。自分が前に出るなどもってのほかです。
いつでも謙虚に、主人を立てること。この「謙虚」の部分を決して忘れないよう心がけねばなりませんね。
「さて。……む? あれはどうしたかな」
「トニー様。昨晩目を通すようお願い申し上げました書類はこちらにまとめてあります。また、本日午後の打ち合わせは馬車での移動となりますので、ご体調を考慮しまして早めの昼食を手配してございますよ。酔い止め薬の用意も抜かりなく」
「はは、アレクサンダーはいつも先に手を回してくれて助かるよ」
「いえ、当然のことです」
「ジェニーのことも手配済みかな?」
「もちろんでございます。ジェニーお嬢様と特に親しいメイドが数人と護衛騎士も交えて絵本やお人形遊びをするとのことです。午睡の時間もしっかりと取ってありますよ」
それから私は、奥様と跡継ぎであらせられるお坊ちゃまのご予定を説明し、庭の草木の剪定が入ることや、以前ご購入された絵画の搬入時期ついてもご報告いたしました。
「……君のような有能な執事がいて、私はとても恵まれている」
「勿体ないお言葉でございます、トニー様。私など、伝説の執事セバスチャンに比べればまだまだ……」
「あまり謙遜しないでくれ。目標があることは良いことだが、アレクサンダーだからこそ私は信用できるのだということを忘れないでもらいたい」
「はっ! ありがたきお言葉、胸にしかと刻みます」
本当に我が主人はお人柄が素晴らしい。
執事だけでなく使用人の一人一人を尊重し、感謝の意を伝えてくださる。
そうですよね。完璧であっても一番の執事にこだわる必要はありませんでした。
くらだぬ私の自尊心などどうでもよいこと。
ただ、スミス公爵家の皆さまの助けとなれる執事であればそれでよかったのです。
なんだか肩の力が抜けたような気がいたしました。
「書類に目を通そう。すまないが、アレクサンダー。お茶を頼めるかい?」
「はい。すぐに」
「……む。むむ!? ああ、思い出した。アレクサンダー」
「はい?」
早速お茶の準備を、と部屋を出ようとしたところでトニー様に呼び止められました。
振り返ると、トニー様はウインクをしながら愉快そうにしていらっしゃいます。
「私も今思い出したのだがな。セバスチャンのことを知りたければ、近頃ジェニーが気に入っている本を探してみるといい」
「本、でございますか? 承知いたしました」
トニー様にはなにか心当たりがおありだったのでしょうか。
言葉の意味がわからないまま主人の部屋を後にし、私はお茶を淹れ始めました。
再び主人の部屋に戻りお茶を置くと、仕事の邪魔をせぬよう静かに退室いたします。
それから、さきほどトニー様に言われたことを思い出しながらジェニーお嬢様の部屋へと向かいました。
部屋にジェニーお嬢様はいらっしゃいませんでしたが、掃除をしているメイドがいたので呼び止めます。
「ジェニーお嬢様のお気に入りの本、ですか? でしたらこちらになります」
「少しお借りしても?」
「ええ。ですがお昼寝前にはお戻しいただけますか? 最近は寝る前にこの本をお読みになりますから」
「問題ありません。今ここで少し読むだけですから」
メイドに渡されたのは幼児向けの絵本でした。
ジェニーお嬢様は絵がたくさん描かれている本がお好きですからね。芸術的センスや感受性を磨かれているのでしょう。素晴らしいことです。
掃除をするメイドの邪魔にならぬよう、部屋の片隅に移動して立ったまま読み始めます。
どうやらお転婆なお姫様が王子様と出会ったことで恋をし、立派な淑女になる話のようです。
ロマンスなどジェニーお嬢様にはまだお早いでしょうが……まぁいいでしょう。
なになに……?
ふむふむ。
なんと、この絵本に出てくる執事は素晴らしい人物ですね。
『姫様にはすてきなところがたくさんございます。たくさんありすぎるのです。一度にお見せするのはもったいない。王子様には少しずつお見せしましょう』
お嬢様のお転婆な部分をしっかり長所として受け入れ、彼女を傷付けない言葉を選びつつ、それでいて王子に見初められるような的確な助言。
『私はいつでも、どれだけ離れていても、お姫様の味方ですよ』
『ありがとう、セバスチャン。あなたは一番の執事だわ』
……セバスチャン。一番の執事。
なるほど、そういうことでしたか。
私はメイドに声をかけ、こういった絵本やロマンス小説にセバスチャンという名の登場人物がいないかと訊ねました。
聞けばなんと、ロマンス小説に出てくる執事の名前は大抵「セバスチャン」なのだとか。
言われてみれば、セバスチャンの情報を知る者はほとんどが女性でした。
全ての謎が解けましたね。
つまり、セバスチャンは実在する人物ではなく、しかも一人ではなかったのです。
それでいて、どの作品でも共通してセバスチャンは有能な執事でした。
どうりで敵わない存在なわけです!
「結局のところ、目指すものは変わりませんがね」
私はメイドに礼を言いながら本を返すと、ジェニーお嬢様の部屋を出て呟きました。
「やはり私の目指すところは、伝説の執事セバスチャンです」
物語に出てくるということは、理想的な執事ということ。
目標とするに適した人物像であることに変わりはないのです。
ひけらかすことなく謙虚に、と先ほど反省したばかりですが、少しだけ高望みをしてみるのもありでしょう。
なぜなら私の評価が上がることは、スミス家の名声が上がることにも繋がるわけですから。
そして本音を言うならば……何より悔しいのです。
なんなのですか、執事と言えばセバスチャンだなんて。
いつになるかはわかりません。
ですが密かな人生の目標として胸に目標を掲げ、私は精進し続けます。
誰に聞いても「執事といえばアレクサンダー」と言われるように。