黒姫 ―貞子の生涯―【前半】
本作は、幼少期に「黒姫」と呼ばれた九条貞子の生涯を描いた歴史物語です。
貞子は、後に大正天皇の皇后となった貞明皇后です。
幼くして里子に出され、野山を駆けた「黒姫」が、やがて皇后となり、近代日本を静かに支えた女性へと成長していきます。
史実をもとにしながらも、人物の息遣いや心の揺れを感じられるよう物語仕立てにまとめました。
まずは 第1章から第3章まで を一気に掲載します。
序章
夏の夕暮れ、御所の庭を渡る風はどこか懐かしい匂いを運んでいた。
その匂いに、ひとり静かに佇む昭和天皇は思わず目を閉じる。幼き日に、母から聞かされた話が胸の奥から甦ってくるのを感じた。
――「私はね、黒姫と呼ばれていたのよ。」
笑みを浮かべて語る母の横顔。あの優しい声。
九条家の姫として生まれながらも、田舎の農家に預けられ、野山を駆け回って育った少女。陽に焼けた肌と快活な笑顔から、人々は彼女を「九条の黒姫」と呼んだ。
だが、その幼き黒姫が、やがて大正天皇を支える皇后となり、近代日本の移り変わりを見届ける存在になろうとは――。
時代は激しく揺れ動いていた。明治の改革、大正の政変、そして昭和の嵐。
母はそのすべてを、皇后として、ひとりの女性として、生き抜いたのである。
昭和天皇は庭の彼方に沈む陽を見つめながら、静かに息を吐いた。
――母の歩んだ日々を、私は忘れてはならない。
「九条の黒姫」から「貞明皇后」へ。
これは、一人の女性が国の運命に寄り添い続けた生涯の物語である。
第1章 九条の黒姫
第1節 里子の姫
明治十七年七月一日。夏の光に満ちた京都九条家の屋敷に、一人の女児が産声を上げた。名は貞子。公爵家の正嫡として、やがて宮中に仕える可能性を背負う存在であった。しかし、生後わずか七日で、この幼子の運命は思いがけぬ方向に舵を切る。
「里子に出そう。」
当主である九条道孝は、迷うことなくそう言った。理由は一つ。都会の屋敷では子は病に弱く育つ。田舎の風にあて、土にまみれ、丈夫な体を作らねばならぬ――その信念が、貞子を東京府豊玉郡下杉関の大河原金造・テ夫妻のもとへと導いた。
大河原家は裕福な農家でありながら、決して華美ではなく、土地に根差した暮らしを守る一家であった。二人は託された姫を特別扱いすることなく、自らの子らと同じ飯を食わせ、同じ畑に立たせた。乳母に囲まれるどころか、泥まみれで草鞋を履き、裏山を駆け上がる幼少の日々が始まったのである。
村の子らと混じり、木の実を拾い、川で石を投げ合い、トンボを追いかける。太陽の下で過ごす時間は、少女の頬をこんがりと焼き、黒く照り返す肌を生んだ。村人たちは愛嬌を込めて、彼女を「九条の黒姫」と呼んだ。公爵家の娘に似つかわしくない呼び名であったが、本人は気にする様子もなく、むしろ誇らしげに胸を張った。
「黒いのなんてどうでもいい。強いほうがいいんだ!」
いつしか彼女は、誰よりも大きな声でそう笑う子となった。
大河原夫妻も、彼女の奔放さを諫めすぎることはなかった。テは時折「お姫様らしく」と口にしたが、貞子は小首を傾げ、野山へ駆け出すばかりだった。だが、その頑健さこそが九条家の願いであった。風邪ひとつせず、食欲も旺盛。四季を通じて農家の子らと同じように汗を流し、夜は泥のように眠る。誰もが、この娘は丈夫に育つだろうと信じて疑わなかった。
そんな暮らしが四年四ヶ月も続いた。彼女の幼心には、そこが「本当の家」であり、大河原夫妻こそ「父母」であった。幼い手で田植えを手伝い、収穫の喜びを知り、祭りの太鼓に合わせて踊った記憶は、やがて人生を通じて彼女を支える力となる。
だが、楽しい日々にも終わりが訪れる。明治二十一年十月、学齢を迎えた貞子は九条家に呼び戻されることとなったのだ。
「おまえは、もうじき御殿へ帰るのだよ。」
金造の言葉に、幼い貞子は目を丸くした。御殿とは何か。自分が生まれた場所を思い出すこともできない。彼女にとっての世界は、畑と林と川、そして里の友だった。
別れの日、村の子どもたちは泣きじゃくり、貞子も涙をこらえきれなかった。大河原夫妻は彼女を抱きしめ、「忘れるな、ここで遊んだことを」と囁いた。小さな胸の奥に、深い穴が空くような寂しさが広がった。
九条家へ戻った少女を待っていたのは、豪奢な屋敷と礼儀作法に満ちた日常であった。漆塗りの廊下を静かに歩くよう命じられ、声を張り上げれば叱責される。里のように駆け回ることも、泥に触れることも許されなかった。
兄の吉正は後に語っている。
「妹は急に無口になった。以前のように笑い声を上げることはなく、物静かな子になった。」
その変化は、幼い貞子にとって避けられぬ宿命だったのかもしれない。だが、心の奥底には、かつての「黒姫」としての記憶が確かに残っていた。
後年、貞子が皇后となったとき、丈夫な体で数多の皇子を産み、皇統を支えることができたのは、この里子時代の経験にあると九条道孝は誇らしげに語ったという。
「やはり、田舎で育てたのは正しかった。」
彼女を「黒姫」と呼んだ日々は、決して消えることなく、ひとりの女性の運命を形作っていたのである。
第2節 御殿の空気
九条家に戻った日から、貞子の朝は音で始まる。
障子の向こうで衣擦れがして、静かに湯盆が置かれる。女中は声を潜め、「おはようございます、姫様」と告げる。里では金造が戸を開け、外の光ごと朝を連れて入ってきた。ここでは光さえ、襖を一枚隔ててから入る。
膳も、言葉も、歩幅も、あらかじめ決まっている。
廊下で膝を折る角度、座したときの指のそろえ方、扇を広げる幅までが数えられる世界。庭に降りたくても、女官に微笑まれながら制される。「お履き物を。お足の裏が黒くなってはなりません」
黒くなることは、強いことの印だったはずだ。
里の川底を踏みしめ、畦を駆け、陽の色が肌に宿るのが誇らしかった。だが九条の屋敷で「黒」は、うっかりの汚れと同じ名で呼ばれる。貞子は唇を噛み、代わりに「うむ」と小さく頷く術を覚える。
学問は嫌いではなかった。
筆は里の棒切れよりはるかに軽く、半紙は水面のように白い。師は「言葉は刃であり、香でもある」と教えた。音読は腹で鳴らし、和歌は胸で育てるのだと。貞子は里の歌を思い出す。祭りの太鼓、風鈴、草を踏む音。それらが胸の奥で和歌の拍になって並んでいく。
しかし、体はしょっちゅう思い出に引かれた。
廊下を抜ける風が里の土の匂いを連れてくると、足が勝手に庭先へ走ってしまう。ある日、池のほとりで翅の欠けた蜻蛉を見つけ、袖でそっと包んだ。指にまとわるかすかな温み。その瞬間、背後で咳払いがする。
「姫様」
女官の松江は目を伏せ、やわらかい声で言った。「御手を汚されては」
「汚れていない」と言いかけて、貞子は言葉を嚙み殺した。里でなら、汚れは働いた証だった。ここでは、振るい落とすものだった。
夜、寝所の灯が揺れる。
母の香が近づき、布団の縁を正してくれる。母は多くを語らない人だったが、その手はいつも温かかった。「明日は礼法の稽古ね」
「はい」
「あなたは、よく食べ、よく眠る子です。それは、何よりの才覚」
道孝の言葉と同じだ、と貞子は思う。丈夫であること。九条が里に預けた意味。自分が戻された理由。胸の奥に見えない杭が打たれていく。
兄の吉正は、時折、廊下の柱にもたれて妹を見ていた。
「おまえ、前より静かになったな」
貞子は目を上げる。「叱られるから」
「叱られない静けさもあるぞ」
「どんな」
「耳で測る静けさだ。気配を聞いて、先に身を置く」
「……むずかしい」
吉正は笑い、妹の頭を軽くたたいた。「むずかしいほうが、おまえは好きだろう」
そうして日々は、音なく磨かれた。
足袋の裏に床板の木目の癖を覚え、扇子の骨の数で間を計る。笑いの大きさは、隣室の壁まで届かぬほどに。言葉の刃は鞘の中で光らせ、香は胸の裡だけに薫らせる。黒姫は、黒を表に出さずに、芯に宿す方法を学んだ。
その冬、初雪が瓦を白くした日、書院に客が来た。
父の前に黒い封の文が置かれる。宮内省の紋。貞子は襖の影で、火箸の先のように胸が熱くなるのを感じた。父は封を切り、目を走らせ、そして母と目を合わせた。短い息が室内に浮かぶ。
「明治二十四年の春、御所にて」
父は淡々と告げる。「皇女殿下の遊び相手に、貞子、ならびに姉君方を召す」
遊び相手。
言葉はやわらかいが、その下にひそむものを、廊下の木目のように読み取る。遊びは試しであり、相手は物差しであり、御所は秤である。貞子は思わず掌をぎゅっと握り、翅の欠けた蜻蛉の感触を思い出した。守りたいものを、そっと抱いたあの力加減。今度は、自分の中の何かを潰さぬように抱えなければならない。
準備の日々が始まった。
礼装は肩先まで重たく、帯は呼吸を浅くする。膝を折る稽古は、膝の皿が床の冷たさを覚えるまで続く。扇の開閉は風の音さえ立てず、視線の上げ下げは水面の波紋ほども乱れぬように。
松江が言う。「姫様、笑みはお忘れなく」
「笑ってはならぬ、と叱られる」
「歯を見せねばよいのです」
「むずかしい」
「むずかしいほうが、姫様はお似合いで」
貞子は、ふっと喉の奥で笑い、すぐに飲み込んだ。
春は、気づけば近い。
梅の香が格子の隙から忍び込み、遠くから車輪の軋む音が届く。御所へ向かう日、空は朝から澄んでいた。髪は結い上げられ、首筋に一本、里の風の記憶がそよいだ気がする。
玄関の敷台に立つと、磨かれた板に、小さな自分が映る。その姿は、里の泥を知らぬ顔をしている。けれど、足の裏だけは、いまも畦の固さを忘れていない。
「行ってまいります」
父と母に頭を下げ、貞子は輿に乗った。帳の内側は薄く暗く、外の気配が布越しに伝わる。拍子木の音、車夫の掛け声、見えない人々の視線。帳の縁から指を離し、両の手を膝に置く。
深く息を吸う。帯の間で息が反射し、胸に戻る。
――黒姫を、内に燃やせ。
だれにも見えぬ火で、身を温めよ。
御所への門が近づく。
陽は高く、瓦は白く、砂利道は鳴る。輿が止まり、帳が上がる。光が一気に流れ込み、貞子は瞬きをした。
ここから先の一呼吸、一所作が、見られている。
扇をわずかに開き、胸の鼓動を一枚、隠す。足を揃え、一歩目を砂利に落とす。
九条の黒姫は、御殿の空気へと、静かに身を沈めた。
第3節 候補者の影
御所の広間は、朝の光をうけて畳の目ひとつひとつが金色に光っていた。女童たちの笑い声が響くなか、皇女殿下の遊び相手として集められた娘たちが、色とりどりの衣を身にまとって並んでいる。貞子もその中にいた。
だが彼女の胸には、遊びなどという軽やかな言葉とは違う、重たい鼓動が響いていた。父が言ったとおり、これは「試し」なのだ。女童と駆ける姿、言葉遣い、仕草のすべてが見られている。
姉の一人は慎み深く、もう一人は端正な容貌で評判が高かった。御所の空気も、彼女たちを中心に回っているように見えた。貞子はといえば、笑顔をつくろうとするとぎこちなく、足を速めると女官の目が鋭く向けられた。
――落ち着きがない。
その声が、背中に貼りついて離れない。
貞子は里を思い出す。川を跳び越え、泥の中で笑った日々。あのときは誰も「落ち着き」を求めなかった。強く、よく食べ、よく眠ることがすべての価値だった。けれど、ここでは違う。足を速めれば「品がない」、声を張れば「無作法」。
その矛盾に、幼い心は戸惑った。
けれど同時に、彼女は見た。姉たちの背後に寄り添う女官の表情を。選ばれし者に寄せられる期待と、不安。誉れと同時に背負わされる重み。
やがて、評判は姉たちから、節子女王へと移っていった。皇族の血筋、気品、落ち着き。誰もが彼女こそ皇太子妃となるだろうと囁いた。貞子の名は遠くの隅に追いやられた。
「いいのだ。私は黒姫だ」
心の奥で、そうつぶやいた。日の色を背負い、里で鍛えられた体をもつこと。それが自分の誇りである、と。
しかし運命は、静かに揺れ動く。明治三十二年、節子女王に排斥の疑いが持ち上がったとき、その影は一気に薄れた。皇太子が病弱である以上、血筋や気品よりも「強さ」が求められる。そこで、九条貞子の名が再び挙がることになる。
「健康であること」
それは、この時代において、皇室を支える最も重要な資質だった。
貞子はまだ知らなかった。
自らの「黒姫」と呼ばれた日々が、未来を変える力となりつつあることを。
第2章 選ばれし者
第1節 御所への招き
明治二十四年の春、京の空気はまだ冷たさを残しながらも、庭の梅がほころび始めていた。九条家に一通の知らせが届いた。御所より、九条家の姉妹を皇女殿下の「遊び相手」として招くとのこと。
けれど、それがただの遊びで終わらぬことを、大人たちは皆、知っていた。皇太子の将来を見据えた内々の「お披露目」、すなわち皇太子妃候補を見定める場であることを。
貞子はまだ七歳。御所とはどのような場所かも知らない。ただ母に髪を整えられ、白地に紅を差した小袖を着せられると、胸の奥で心臓が激しく跳ねるのを感じた。
「姉上と同じように振る舞うのよ」
母はやさしく言った。けれど貞子には、それが難しいとわかっていた。姉たちはお淑やかで、物静かで、誰からも褒められる存在だ。自分はどうだろう。つい走り出してしまい、笑い声が大きすぎると叱られる。
輿に揺られて御所に着くと、そこには広大な庭と、静かな気配が漂っていた。石畳を踏む音さえ、空気を乱すように思える。大広間に通されると、他の名家の娘たちも集まっており、その中にはすでに「最有力」と囁かれる節子女王の姿もあった。
彼女は背筋を伸ばし、微笑を浮かべて座っていた。光の中に置かれた絵のようで、貞子は思わず見とれた。姉たちも緊張した面持ちで並ぶ。その横に座る自分は、どう映っているのだろうか。
やがて皇女殿下が入室され、子らは一斉に立ち上がって礼をした。遊びの場と称されながらも、女官たちの目は鋭く、誰がどのように動くかをつぶさに見ていた。
「こちらへ」
声をかけられた貞子は、胸を張って前に進んだ。だが歩幅が大きすぎたのか、畳に足袋の先を引っかけてつまずきそうになった。息を呑む女官の視線。すぐに姿勢を正したものの、背中に冷たい汗が流れる。
遊びは折り紙や絵合わせ、歌の朗誦など多岐にわたった。節子女王は優雅に手を動かし、落ち着き払った声で歌を詠む。姉たちも慎ましく従った。一方で貞子は、気を抜くと声が大きくなり、手元の動きも勢い余ってしまう。
「落ち着きがない子」
そのささやきが、耳の奥に突き刺さった。
けれども不思議なことに、皇女殿下は笑ってくれた。貞子の少し拙い折り紙を受け取り、「元気があってよい」と言われたのだ。女官たちは目を伏せたが、貞子はその一言に救われる思いだった。
遊びの会が終わり、退出のとき。姉たちの背中を見つめながら、貞子は拳を握りしめた。自分は彼女たちのようにはなれない。けれど、別の何かを持っているはずだ――そう思わずにはいられなかった。
春の風が御所の庭を吹き抜ける。白い砂利道に立つ少女の影は、小さいながらもまっすぐに伸びていた。
第2節 節子女王の影
御所での「遊び相手」の日々は、数えるほどしかなかったが、貞子の心には長く影を落とすこととなった。
節子女王の存在は圧倒的だった。皇族としての血筋、気品にあふれる佇まい、そして落ち着いた物腰。その場にいるだけで周囲が静まり返るような力を持っていた。宮中でも「節子女王こそ皇太子妃にふさわしい」とささやかれ、九条家でもその声は聞こえていた。
姉たちもまた、節子女王を立てるように振る舞った。美しい花のように咲き誇る存在のそばで、九条貞子はただの芽にすぎない。あの日、折り紙を差し出したときに皇女殿下が「元気があってよい」と言ってくれたことだけが、貞子を支えるわずかな灯だった。
「落ち着きがない」「世話の焼ける子」
陰でそう評されるのを、貞子は耳にしていた。御所から戻ったあとも、九条家の大人たちは彼女を見守りながら首をかしげることがあった。姉たちは小袖の袖を優雅に扱い、言葉を選んで会話できるのに、貞子はつい身振り手振りが大きくなる。屋敷の女中も困ったように笑った。
しかし父の道孝だけは違っていた。
「元気があるのはよいことだ。病弱な皇太子を支えるには、健康で、明るいことが何よりも必要だろう」
その言葉はまだ七歳の貞子にはよく理解できなかったが、父が自分を見放していないことだけは伝わった。
時は流れ、貞子が十二歳になるころ、節子女王が皇太子妃としての最有力候補に決定したとの報が広まった。御所での評判もあり、誰もが納得する人選だった。九条家でも貞子の名はほとんど挙がらなくなり、彼女自身も「私は黒姫、選ばれることはない」と胸の奥でつぶやいた。
だが、運命は思わぬ方向に転がった。
明治三十二年、節子女王に「排斥」の噂が流れた。出自をめぐる不穏な声、陰口、そして皇太子の体調との兼ね合い。皇太子は病弱で、かつて生死の境をさまよったこともあった。そんな彼に、わずかでも疑念を持たれる女性を妃として迎えることは許されない、と明治天皇は考えたのである。内定は取り消され、宮中は再び次の候補を探すこととなった。
候補者たちは再び議論にかけられた。その中で、九条貞子の名が挙がる。
「落ち着きがない」「元気すぎる」――そう評されたはずの娘が、なぜここで再び呼ばれたのか。理由は明白だった。健康であること。
皇統を守るために最も大切なのは、跡継ぎを産み、育てられるかどうか。病弱な皇太子を支えるには、共に病を抱えるような妃ではならない。健康で丈夫、よく食べ、よく眠る。それこそが、この時代において最大の価値だった。
貞子は知らぬところで、自分の幼少期が武器となっていた。
里で畦を駆け、川で遊び、真っ黒に日焼けして「黒姫」と呼ばれた日々。大河原夫妻に鍛えられたその体が、いまや皇室に必要とされている。
「学校でも、昼休みに校庭を走り回っている」
そうした報告さえも、明治天皇にとっては喜ばしい材料となった。学問や礼儀で姉たちに及ばぬとしても、その落ち着きのなさを裏返せば、命の力強さの証である。
御所から戻った夜、母がそっと声をかけた。
「貞子、あなたはどうしてそんなに走るの」
「走ると気持ちがよいから」
「人に見られているときも?」
「……うん」
母は小さく笑った。その笑みが意味するものを、貞子は理解できなかったが、胸の奥に灯がともるのを感じた。
やがて明治三十二年八月、正式に内定が下った。九条貞子、皇太子妃に。
黒姫と呼ばれた日焼けした少女が、ついに選ばれたのである。
第3節 内定の重み
明治三十二年八月。蒸し暑さが残る京の夜、九条家の広間には淡い灯がともされていた。家人たちが緊張した面持ちで集まり、父・道孝は沈黙を守ったまま正座していた。やがて彼は口を開く。
「貞子、皇太子妃に内定した」
その言葉は重く、空気を切り裂くように響いた。
家人たちは顔を見合わせ、小さくどよめいた。姉たちは驚きと戸惑いの表情を浮かべ、母は膝の上で指を強く結んだ。家の誇りであると同時に、これは大きな責務である。貞子はその重さをまだ幼い胸でうまく受け止められなかった。
「どうして、わたしが……?」
思わずこぼれた言葉に、父は静かに答えた。
「おまえは丈夫だからだ」
ただそれだけ。だが、その一言がすべてを物語っていた。
節子女王の内定が取り消され、再び候補者が検討されたとき、重視されたのは健康であること、子を産み育てる力であった。学問や立ち居振る舞いで姉たちに勝ることはなかったが、黒姫と呼ばれた日々が、いまや最大の価値に変わったのだ。
しかし、貞子にとって「丈夫であること」がどれほどの意味を持つのか、理解できてはいなかった。彼女の胸にはただ、里で過ごしたあの日々が浮かんでいた。畦道を駆け、泥にまみれ、笑っていた自分。大河原夫妻の手に抱かれた温もり。そのすべてが、皇太子妃となる未来へとつながっているとは想像もしなかった。
翌日から、屋敷は一変した。女官たちが次々と訪れ、作法や礼儀の指導が厳しく行われた。箸の上げ下げから歩く際の視線の高さ、声の抑揚までが細かく正される。
「皇太子殿下の御前では、一挙手一投足が見られているのです」
そう諭されるたび、貞子は胸を締めつけられた。里での奔放さは許されない。笑うことさえ、慎重でなければならない。
姉たちは静かに支えようとした。
「無理に大人びようとしなくてもいい。あなたらしさがあるから選ばれたのよ」
そう言われても、貞子には理解が追いつかなかった。元気なことが評価されたはずなのに、その元気を抑えるように求められる。矛盾に悩み、夜、寝所でひとり涙をぬぐった。
しかし、心の奥には小さな灯が消えずに残っていた。
父の言葉、母の笑み、そして御所で皇女殿下が言ってくれた「元気があってよい」という一言。そのすべてが、自分を支える柱になっていた。
秋の訪れとともに、九条家には祝いの品が届けられるようになった。親戚や縁者たちは口々に「おめでとう」と言ったが、その裏に潜む思惑を幼いながらも感じ取った。祝福と同時に、九条家が再び皇室に深く結びつくことを意味するのだ。
庭を歩けば、木々の葉が赤く染まり始めていた。貞子は立ち止まり、空を見上げた。
「本当に、わたしでよかったのだろうか」
未来はまだ霧の中だった。皇太子妃という栄誉と責務が、どのような道を示すのかはわからない。ただ一つ、彼女が胸に刻んだのは、幼い頃から変わらぬ思い――「黒姫」と呼ばれた自分を捨てずに生きたい、という願いだった。
やがてその願いは、彼女が皇后として日本の近代を支える強さへと変わっていく。だがこのときの貞子はまだ、少女のままの瞳で、広い空を見上げていた。
第3章 嫁入りと母となる日々
第1節 花嫁行列の前夜
明治三十三年二月。都の空は薄曇りで、冬の名残をとどめていた。九条家の屋敷は朝から慌ただしく、女官や仕立て人が行き交い、布地の擦れる音や人の声が絶えなかった。
その中心にいるのは、十六歳になった貞子である。皇太子妃としての婚儀を控え、白い小袖に袖を通しながら、彼女は深く息を吸い込んだ。
「いよいよ明日だな」
兄の吉正が、廊下から声をかけた。子どもの頃から変わらぬ穏やかな眼差しで、妹の肩を見つめる。
「姉上たちも立派に務めてきた。おまえも堂々としていればいい」
「堂々と……できるかしら」
「できるさ。おまえは丈夫だから」
またその言葉。幼い頃から繰り返し言われてきたこと。けれど今は、それが自分の唯一の武器であると感じていた。
夜になると、貞子は一人、灯のともる部屋で筆をとった。墨の香が静かに漂う。思い浮かぶのは、かつて自分を育ててくれた大河原夫妻の顔だった。
――昔我が住み里の杜には菊やさらん栗やえむらん。
短歌をしたため、懐に忍ばせる。花嫁となる前に、必ず夫妻のもとへ届けようと心に決めていた。
婚儀の朝は凛と冷えていた。庭の砂利は霜をかぶり、吐く息が白く舞う。屋敷の前には立派な花嫁行列が整えられ、貞子はその中央に据えられた。
行列が屋敷を出る前に、彼女はどうしても足を止めた。人目を避け、馬車に乗る前に小さく頭を下げる。そこに立っていたのは、大河原金造と妻・テだった。老いた二人の目は涙で濡れ、しかし誇らしげに輝いていた。
「立派になられましたなあ……」
「忘れません、貴女の笑顔を」
言葉に詰まる二人を前に、貞子は懐から短歌を取り出し、差し出した。
「どうか、お受け取りください」
夫妻は手を震わせながら和歌を受け取り、胸に抱いた。幼いころの記憶がよみがえり、貞子の胸にも熱いものが込み上げる。しかし涙を見せることは許されない。彼女は背筋を伸ばし、再び行列の中心に立った。
花嫁行列はゆっくりと進み出した。京の街路は多くの人々で埋め尽くされ、群衆は口々に「おめでとう」と叫んだ。だがその目には好奇と期待と、不安の色が混じっていた。皇太子は病弱で、婚姻が皇室の未来を左右することを人々は知っていたのだ。
輿の帳の内で、貞子は静かに拳を握りしめた。
「私は黒姫。丈夫であることだけは誰にも負けない」
そう心に誓いながら、彼女は新しい運命の門をくぐろうとしていた。
第2節 初対面の朝
明治三十三年二月十一日、紀元節。空気は澄み渡り、都の街には朝から人々のざわめきが広がっていた。今日は皇太子嘉仁親王と九条貞子の婚儀、「納采の義」が執り行われる日であった。
夜明け前から九条家の屋敷は喧噪に包まれていた。衣装を整える音、女官たちの足音、祝詞を唱える声。花嫁である貞子は白い衣に身を包み、鏡の前に座していた。映るのは、幼い頃「黒姫」と呼ばれた少女ではない。白粉に覆われた顔は、別人のように清楚で、緊張に強張っていた。
「姫様……いえ、妃殿下」
女官の松江が思わず口を改めた。涙ぐんで頭を下げる姿を見て、貞子は胸にこみ上げるものを必死に抑えた。
婚儀の行列が御所へと進む。街の両側には群衆が押し寄せ、白い息を吐きながらその行列を見守った。人々の期待、祝福、そして不安。そのすべてが視線となって、帳の内にいる貞子の背に重くのしかかった。
御所の正門に到着すると、張り詰めた空気の中で貞子は馬車を降りた。冷たい砂利の感触が足袋越しに伝わる。一歩ごとに心臓が激しく脈打ち、耳の奥で自分の血の音が響いた。
そして――。
婚儀の場で、初めて皇太子と対面した。嘉仁親王はまだ若く、病弱であることは噂の通りだった。背は高いが、姿勢はどこか頼りなく、視線も定まらない。貞子は深々と頭を下げ、その顔を盗み見る。親王は表情を崩さず、ただ小さな声で「よろしく」とだけ告げた。
その瞬間、周囲の者たちが安堵と緊張を同時に吐き出したのが分かった。皇太子が花嫁に難色を示すのではないか――それが最大の懸念だったのだ。嘉仁親王は結婚前に「貞子は色が白いか」と問うたことがあった。容貌に難があるのではと心配されていたからである。しかし、目の前に立つ貞子は想像以上に清楚で、凛とした雰囲気を漂わせていた。
儀式は粛々と進み、祝詞が響き、神前に二人の姿が並ぶ。玉串を捧げるとき、貞子の手はわずかに震えたが、声は澄んでいた。幼き日に里で大声を上げて笑ったあの日々、その健やかさを心の奥に呼び覚ますように。
婚儀を終えた帰路、貞子は短く息をついた。重い衣装の下で全身が汗に濡れていたが、顔には表さなかった。
その夜、静まり返った御殿でひとりになったとき、ふと胸に過る思いがあった。
――これからの日々、私は皇太子殿下の傍に立ち続けられるのだろうか。
政略のために選ばれた妃。健康であること、子を産むこと、それが自分に課せられた務めである。愛情などなくとも、皇統をつなぐことが最優先される。その現実を理解しながらも、貞子の胸には小さな灯がともっていた。
「私は黒姫。丈夫であることこそ、私の力」
そうつぶやきながら、彼女はまだ見ぬ未来に向けて目を閉じた。
第3節 皇子の誕生
婚儀からおよそ一年が過ぎた明治三十四年四月二十九日。春の空気はやわらかく、都の桜は散り、若葉が萌え始めていた。だが、九条貞子――いや、いまや皇太子妃となった貞子の部屋には、緊張が張り詰めていた。
妃は身ごもり、すでに七か月を迎えていた。初産である。皇室にとって待望の跡継ぎを授かるかどうか、その一点に人々の視線が注がれていた。女官たちも医師たちも息を詰め、ただその時を待った。
産声が上がったのは、午前の光が差し込むころだった。
「男児にございます!」
声が響いた瞬間、部屋の空気が一気に変わった。女官たちは涙ぐみ、医師たちは深々と頭を下げた。産褥の床で力尽きたように横たわる貞子は、汗に濡れた額を拭われながら、かすかな笑みを浮かべた。胸の上に抱かれた小さな命――迪宮裕仁親王。その泣き声は甲高く、力強かった。
知らせはすぐに宮中へ、そして明治天皇のもとへ届けられた。子宝に恵まれなかった明治天皇は、孫の誕生を心から喜び、深夜まで盃を重ねたという。老いた帝が声を震わせて「これで皇室は安泰だ」と語ったとき、その喜びは宮中全体に広がった。
貞子はまだ若く、母としての経験もなかった。だが、幼い頃に育った里での暮らしが、彼女の母性を自然と形づくっていた。泣けば迷わず抱き、眠ればそっと歌を口ずさむ。女官たちが驚くほど、妃は皇子の世話を自ら進んで行った。
「お妃様、どうかお体をお大事に」
「よいのです。私は丈夫に育てられましたから」
そう言って笑う姿は、まさに黒姫と呼ばれた頃の面影を残していた。
皇子の誕生は、皇室の未来を大きく変えた。もし女子であったなら、再び側室制度を維持せねばならなかったかもしれない。しかし、健康な男子が生まれたことで、その必要はなくなった。明治天皇の時代から模索されていた「一夫一妻」の在り方が、ようやく現実のものとなりつつあったのである。
夜、皇子の寝顔を見つめながら、貞子は小さくつぶやいた。
「あなたは、国の未来を背負う子。けれど、まずはただ私の子です」
その声は誰に聞かれることもなかった。母としての本音を口にできるのは、この小さな部屋の中だけだった。
日々は慌ただしく過ぎていった。貞子は皇子の成長を見守りながら、次第に「皇太子妃」としての自覚を強めていった。幼い頃の奔放さは影を潜め、内に秘めた強さとして彼女を支えていた。
しかし、皇子誕生の喜びが冷めやらぬうちに、再び妃は懐妊する。明治三十四年十二月。人々は驚き、同時に安堵した。皇室の未来は盤石だと。翌年六月、雍仁親王が生まれると、さらに続くように高松宮宣仁親王も誕生する。
わずか十八歳にして三人の男子を授かった貞子。皇統を支える母としての役割は、すでに果たされつつあった。
だが、母としての幸福と、皇族としての責務。その二つの間には埋められぬ溝があることを、彼女はまだ知らなかった。
第4節 十八歳の母
迪宮裕仁親王の誕生から間もなく、宮中は久方ぶりに活気に包まれていた。跡継ぎの誕生は、ただの慶事ではない。皇統を揺るぎないものとし、国家の未来を保証する出来事であった。貞子はその祝意の渦中にありながらも、まだ若き母として戸惑いを抱えていた。
明治三十四年十二月。皇子の誕生からわずか八か月後、貞子は再び懐妊していることが明らかとなった。周囲は驚きつつも安堵した。皇太子妃が立て続けに子を授かるという事実は、それだけで「皇統の安泰」を示すものだったからだ。
翌年六月、第二子・雍仁親王が生まれる。貞子は十七歳になったばかり。母としての経験を積む間もなく、次の命を育てる日々に追われていた。夜泣きする長子を抱きながら、身ごもった体で次の子を気遣う。周囲の女官が心配して休ませようとしたが、彼女は頑なに首を振った。
「私は丈夫に育てられました。大丈夫です」
その言葉は強がりではなかった。幼き頃、土に触れ、太陽に焼かれ、里で鍛えられた体が彼女を支えていた。
しかし、母としての喜びの裏には、静かな不安もあった。皇室に生まれた子らは、すべてが国の未来を背負う存在として育てられる。愛するわが子でありながら、その成長は自分だけのものではない。乳母や教育係に引き渡され、母の手を離れていく。貞子はそのたびに胸を締めつけられた。
明治三十八年正月、第三子・宣仁親王(後の高松宮)が誕生する。まだ十八歳の彼女は、すでに三人の男子をもうけたことになる。これは皇室にとって前例の少ない、まさに奇跡のような出来事であった。
「皇室の未来は安泰だ」
誰もがそう語り、貞子を称えた。だが彼女自身は、誇らしさと同時に重さを感じていた。幼い体を抱き上げるとき、その小さな温もりの奥に、国中の期待が宿っているのを感じる。自分の子でありながら、自分だけのものではない――その現実を突きつけられるたびに、母としての胸は痛んだ。
それでも、彼女は決して顔に出さなかった。
笑顔を絶やさず、毅然と振る舞い、幼子の髪を撫でる。女官たちが「お若いのに」と驚嘆する中で、貞子は静かに決意を固めていた。
――私は母であると同時に、皇室を支える者なのだ。
十八歳の少女は、母としての愛と、皇太子妃としての責務、その二つを両肩に担っていた。
宮中の廊下を歩くとき、彼女の姿はすでに「黒姫」と呼ばれた日焼けした少女ではなかった。白い衣をまとい、背筋を伸ばし、視線はまっすぐに未来を見据えていた。
その姿に、人々は「新しい時代の母」を見た。
やがて、この若き母は皇后として立ち、激動の大正を支えることとなる。だが、その始まりは――十八歳の母として三人の皇子を抱き、笑みを浮かべた、この瞬間にあったのである。
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「黒姫」と呼ばれた幼き日の貞子が、皇太子妃に選ばれ、若くして母となるまでを描きました。
これまでの章では、
第1章 九条の黒姫(幼少期と里子としての暮らし)
第2章 選ばれし者(皇太子妃候補に選ばれるまでの経緯)
第3章 嫁入りと母となる日々(婚儀、歌の贈り物、そして出産)
を収録しています。
次章からは、皇后としての苦闘と、新しい皇室像を築いていく姿を描いていきます。
引き続きお付き合いいただければ幸いです。