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黒姫 ―貞子の生涯―

作者:智有 英土
明治十七年、九条家に生まれた少女・貞子。
生後まもなく里子に出され、農家の夫婦に育てられた彼女は、日焼けした肌から「九条の黒姫」と呼ばれた。野山を駆け回り、泥にまみれた幼少期は、やがて彼女の原点となる「丈夫さ」を育んだ。

学齢を迎え九条家に戻ると、貞子は皇太子妃候補として御所に招かれる。最初は落ち着きがないと批判されるも、その健康さと素朴さが評価され、ついに大正天皇の皇后となる道を歩み始める。

結婚の前夜、彼女はかつて育ててくれた里の人々に歌を贈った。――「昔わが住み里の杜には菊やさらん栗やえむらん」。黒姫と呼ばれた少女の心は、皇后となっても変わらなかった。

やがて彼女は若くして三人の皇子を授かり、母として皇室を支える。さらに、長らく続いていた側室制度を廃し、一夫一妻を皇室に定着させるという、大きな変革を成し遂げる。夫婦が並んで公務に臨む姿は、明治の時代にはなかった新しい皇室像を示した。

しかし、大正天皇の体調は次第に衰えていく。第一次世界大戦の重圧、政務の疲労が病を進ませ、言葉や歩みは乱れ、やがて政務は皇太子裕仁に託される。貞明皇后はその最期まで寄り添い、病床で夫のかすかな笑顔を見届けた。

時代は移り、昭和へ。母として、祖母として、彼女は次代を見守り続ける。政治に踏み込むことなく、質素な日常を守り、戦時には布を裂いて包帯を作り、国民と苦難を分かち合った。その姿は「揺るがぬ母」として人々の心に刻まれた。

黒姫と呼ばれた少女が、皇后として、そして母として歩んだ道は、声高に語られるものではない。だが、その静かな献身と一夫一妻を確立した功績、そして家族を守り続けたまなざしは、確かに後世へと受け継がれた。

――これは、近代日本を静かに支えたひとりの女性の物語。
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