第2話:下女の沈黙と、消えた茶葉
午前の薄明かりが後宮の回廊を淡く染めるころ、シンファはまだ震える手で、昨夜の出来事を反芻していた。
倒れた侍女リーシャの顔を思い出す。あの不自然な痙攣と泡――間違いなく毒に侵された証拠だった。
「でも、あの茶葉がなくなっている……」
昨夜、処置に使った茶葉の入った袋が、いつの間にか薬房から消えていたのだ。
薬房は、後宮の中でも最も人が出入りする場所の一つだった。
だが、誰一人として茶葉を持ち去った者の姿は見えず、疑心暗鬼が広がる。
「茶葉を盗んだ者は、意図があったはず。単なる悪戯じゃない」
シンファは自分に言い聞かせるように呟いた。
そのとき、香炉の煙がたなびく部屋の奥から、沈婆が静かに現れた。
「おまえさん、昨夜のこと……あまり口を利くでないぞ」
沈婆は目を細めながらも、どこか心配そうだった。
「私も気をつけます。でも、誰かが狙っているのなら、黙っているわけにはいきません」
シンファの言葉に、沈婆は小さく頷いた。
夕刻、寝殿の前を通りかかると、警護の兵がいつもより多く配置されていた。
侍女たちがざわつき、噂話が飛び交う。
「また、誰かが倒れたらしい」
「今回は、茶葉が消えたのが原因とか……」
気配を感じたのか、シンファは身を潜めた。
こんな状況で、軽率に動けば命を落とす。
だが、ただ待っているわけにはいかなかった。
夜、薬房で一人、茶葉の行方を探していたシンファは、不意に背後から声をかけられた。
「おまえ、何をしている」
振り返ると、若い宦官・李華が立っていた。
「茶葉が消えた。これが何かの手がかりになるかと思って」
李華は冷静に頷いた。
「そうか。おまえはよく気がつくな」
李華はふと、何か思いついたように手を打った。
「だが、この件は口外するな。宮廷の内情に関わる。おまえの安全のためだ」
シンファは固く頷いた。
翌朝、茶葉は薬房の隅で見つかった。だが、それは既に手がつけられ、元の状態ではなかった。
誰かが香りを変え、混入物を隠すための工作がなされていたのだ。
シンファは自らの知識を総動員し、成分を調べ始めた。
「これが、あの毒の痕跡か……」
彼女の眉が鋭く光る。
物語は深まる。後宮の闇は、静かに、だが確実に牙を剥いていた。