第12話:燻る頁と、読まれぬ物語
翌朝、翡翠宮の静寂を破るように、重い扉の開く音が響いた。
翠玉は朝霧のような眠気を払いつつ、李華と共に封印された部屋へ向かっていた。昨夜の「嘆きの調香」の余韻が未だ心に澱のように沈んでいる。
「封じられた扉の向こうは、ただの物置ではない。かつて皇后が秘蔵した“禁断の薬書”や、異端の知識が眠る場所――」
李華が言葉を切ると、扉の錠前に手をかける。
「おそらく、あの朱砂の符号と関係がある。後宮の誰かが何かを封じ、また解こうとしている痕跡だ」
慎重に鍵を回すと、内部はほの暗いが異様な空気に満ちていた。
部屋の中央には古びた書架がひとつ。そこにあるのは、煤けて黒ずんだ一冊の古書だった。表紙にはかすかに朱の紋様が浮かび上がる。
「……これは、“禁書”の一つだ」翠玉は息を呑む。
ページをめくると、紙の端が焦げ、ところどころが炭の粉に変わっている。だが、そこに刻まれた文字はまだ読み取れた。
「“後宮にて隠蔽された薬草の秘密。正体不明の症状と毒の解明”――記録者の名前は消されているが、書かれている内容は異端医学の極致に迫るものだ」
李華は眉を寄せる。
「この本が燃やされかけたのは、何者かが過去の真実を封じ込めようとした証だ。だが、その試みは途中で断念された」
「なぜ?」
「おそらく、知る者の思惑だ。完全に消してしまえば、自らの罪も明るみに出る。途中で放棄し、証拠を残してしまったのだろう」
その時、部屋の隅からかすかな囁き声が聞こえた。
「誰かが……いる?」
二人は身をひそめる。
一瞬、影が揺れ、続いて黒い影が書架の背後から現れた。
「……隠しても無駄よ」
薄暗い灯りの中、現れたのはかつて後宮の調香師として知られた老女だった。彼女の目には深い哀しみが宿っていた。
「あなたたちは、何を探しているの?」
「真実を、そして香蓮の死の謎を」翠玉が答える。
「……私も、かつて同じ道を歩んだ。あの子は、危険な香りに魅せられた。だが、その香りは記憶だけでなく、人の心をも壊す」
老女はゆっくりと近づき、焦げた頁を指でなぞった。
「この本は、呪われている。読む者を狂わせる“記憶の毒”が封じられているのよ。だから封印された」
翠玉は心を強くした。
「それでも、私はこの謎を解かねばならない。香蓮の死も、そして宮廷の闇も」
扉の向こうで、静かに燻る古書の香りが、新たな物語の幕開けを告げていた。