第六節 Restart ⑥
外に出ると、玄関先にある円形状の庭にある噴水、そして、装飾的で大きな鉄格子の門まで続く石畳の道が目に入る。春か秋にかけては、玄関先の庭やその道の脇には花が咲き誇っているのだが、冬はほとんどない。冬に咲く花も植えているが、それでも四季のなかでは一番庭が寂しい。寒いため、冬のあいだは噴水も止めている。
ユリアが大きな鉄格子の門を開けると、道の向こう側から見慣れた姿がやってきた。
ラウレンティウスだ。今日もどこかへと出掛けていたらしい。彼が歩いてきている道とヴァルブルクへ向かう道は反対側だが──ユリアは、彼がこちらへやってくるのを待った。
「……おかえりなさい」
「ああ……。どこに行くんだ? 買い物か?」
「いいえ、ヴァルブルクよ。お墓参り」
「……そうか」
ラルスはどこに行っていたの? とは、言えなかった。
きっと婚約のことで忙しいのだろう。
あれから詳しいことは聞いていないが──それでも、この言葉はいつか言わないといけない。
それなら、今、言ってしまえ。
「そういえば……婚約おめでとう。幼馴染の女の人としたのよね? 少し前に、おばさんから聞いたわ。いろいろあったから言うのが遅れてしまってごめんなさい」
少しだけ、嘘をついた。
言うのが遅れたのは、彼の婚約を素直に祝えない自分がいるからだ。なんて子どもじみた言い訳だろう。血の繋がった本当の家族でもないくせに、変な独占欲が消えない。
「──ついさっき、その幼馴染の家に行って……正式に婚約解消の話をつけてきた」
自己嫌悪していると、彼から耳を疑う言葉が聞こえた。
「え──」
「幼馴染には……俺の弱い部分のせいで迷惑をかけてしまった。その謝罪もな……」
「どうして……そんなことに……?」
ユリアが聞くと、ラウレンティウスは悩むように黙り込み、目線を少しだけ落とす。
しばらくしてから、再び目線をユリアに戻した。
「……お前に聞いてほしいことがある。少し、時間いいか?」
「え、ええ……」
もともと人が少ない区域だが、それでも道で長話をするのは気が引ける。ふたりは鉄格子の門からローヴァイン家が所有する敷地に入った。
「少し、話が長くなるかもしれないが……」
「大丈夫よ。気にしないで」
ユリアがそう言うと、ラウレンティウスは息をついてゆっくりと話し始めた。
「……ローヴァイン家は、昔から王家と繋がりがある上流階級だ。一人息子の俺がこのまま結婚もせずにいると、俺だけじゃなくて両親や親戚にも魔術師社会から陰口を言われ、場合によっては精神が参るような嫌がらせをしてくるかもしれない。現代では、魔術師という人間は貴重だというのに、その力を子に継がせる使命を放棄した不埒者としてな……。だから、俺は、陰湿で窮屈な社会から家族を守るために、婚約することを決めたんだ。そうすれば、幼馴染のあいつも守れる。悪いことばかりではない」
ラウレンティウスは続ける。
「──幼馴染のあいつも、魔術師社会に嫌悪感を持っていてな。もしも、年頃になっても相手がいなければ、互いが結婚相手でも良いかもしれないなという話を、昔にしたことがあった。だから、俺はその言葉に甘えて、幼馴染に婚約の話を持ちかけたんだ。あいつは、『きみがそうしたいなら、別に良いよ』と許してくれた」
その言葉の後、彼は少し俯いた。
「だが……家族とベイツ家を交えてその話をしたら、両親や親戚たちからは『魔術師社会から反れることは今更だし、何をされても気にしない』と言われた──。アシュリーたちからは、勝手に決めて勝手に話を進めるなと怒られた……。あいつら三人は、魔術師社会に属さないか、それから反する道を選ぶらしい。だから、守ろうとする必要なんてないってな……。俺は、持って生まれた身分や世間体を強く気にするあまり、そのことに無意識に振り回されて生きていたんだと……そのときに、今更わかったんだ」
「そう……。あなたも、そうだったのね……。では、婚約を解消した理由は……家族を守る必要がなくなったから?」
「というよりは──持っている身分や世間体など関係なく、自分で自分の道を見つけてみたいと思ったから、だな……。両親や親戚、それと、あいつらみたいに……。俺がまだ学生だった頃、覚悟があるなら家のことは気にせず自由に生きてもいいと両親から言われたことはあったんだ。だが、俺は、魔術師社会を嫌っていてもそれに背く勇気がなかった……。家族の本音を聞いて、その勇気を少し持てた気がする──」
すると、ラウレンティウスは自虐するように微笑んだ。
「とはいうものの──これから何をすればいいのか、よくわからない……。婚約せずに家を継ぐのか、それとも継がずに別の道を行くのか……。たぶん、ここに来たばかりのお前も、こんな気持ちだったんだろうな……」
「……ええ……。当時の私は、生きていてもいいのかさえわからなかったわ……」
それから、ふたりの間にしばらくの沈黙が訪れた。
のちに、ラウレンティウスがそれを破る。
「……なあ。俺が、本当に幼馴染と結婚していたら──お前は、祝ってくれたか……?」
不意にそんなことを問われたユリアは、一瞬だけ胸の鼓動を早まらせる。
「……ごめんなさい……。祝えなかったと思う……」
彼から目線をそらし、小さな声で素直な気持ちを吐露する。
その返答を聞いたラウレンティウスは、「いや、いいんだ」と言った。彼の声はどこか安堵した様子だった。
「……おかしいな。お前からは、もう身を引いているというのに……祝ってくれないほうが嬉しいと思ってしまう」
そして、彼は小さく息をつき、ふたたび言葉を紡いだ。
「お前が数千年前の過去から戻ってきた、あの日──。ヴァルブルクの王女として、家臣と接していたときのお前は……俺の知っているユリアではないように感じた……。近くにいるようで、遠い──けど、こんなにも近くにいる……。だから、勘違いしていたんだ──。ずっと手を伸ばし続けていたら、『呪い』のような初恋でも……叶う可能性はあるんじゃないかってな……」
そして、彼はまた自虐の笑いを浮かべる。
「だが、お前は……形を肩を張ることなく、『ヴァルブルク王国のユリア・ジークリンデ王女』として振る舞っていたよな……。あの光景を見て、俺では駄目なんだと納得できた──。『誇り』と言われても、俺にはあまりピンとこない……。俺は、お前にとって弟のような存在ではなくて、ひとりの男として、お前に認められたかった……。いつか、お前の隣に立てる男になりたかった。俺なら、それが出来るはずだと思っていた──。そんな無意味な自信を持っていた自分が情けない……」
すると、ユリアは、ラウレンティウスの言葉に引っ掛かったように目線を泳がせはじめた。言葉に迷うように彼と地面を交互に見、やがて口を開く。
「……私は……その自信は、すべてがダメだったとは思わないわ」
「どこが……? 駄目ではなかった自信など、どこにある……?」
「うまく言えないけれど……その自信があったからこそ、命の危険があるところでも、あなたは迷わず一緒に来てくれたと思うのよ……。あなたやみんながいなかったら、私もセウェルスもルキウスも、どうなっていたかしら──。私たちは、その自信に支えられていたと思うのよ」
無駄だったわけじゃない。
予想もしていなかったことを告げられ、ラウレンティウスはポカンとした。
「……そう、思ってくれるのか……」
「ええ。──これからどうするかということについては、これから見つけていくのはどう? 極秘部隊での活動を続けていたら、何かを見つけられるかもしれないわ」
「ああ……。けど……ひとつだけ、やりたいことはある」
「やりたいこと?」
「普通の日常を、守りたい──この半年ほどで、『普通の日常』は当たり前にあるものではないと心から実感した……。だから、それを守りたいと思う」
極秘部隊となってからは、普通の日常と非日常の戦いを行き来していた日々だった。普通の現代人だった彼にとって、その差を強く感じたのだろう。
「あと……頼みがあるんだが……」
「何?」
「これからの俺を──見ていてほしい」
そう言った瞬間、ラウレンティウスは顔を赤くして焦り始めた。
「べ、べつに変な意味ではないからな!? 俺は、もうお前から身を引いている──といっても……しばらくの間も、頭の中からお前が消えなかったのは確かだが──今は、もう大丈夫だ。俺は、お前が選んだ道の邪魔はしたくない」
それから、彼は深く息をついて天を見上げる。
「……俺は、身の程知らずな男だったんだ。アイオーンから力を貰って、極秘部隊になれたが……そのせいで、お前の隣に立てたような気がして、浮かれていた気持ちもあった……。自分の身の程を知るためにも、ここまで一緒に来られて良かったと思っている。だが、これからも変わらないといけない──。変わることができているのかどうか、そのために俺を見ていてほしい。自分で見ていても、変わっているのか判断しにくいからな」
「わかったわ。その代わり……もしも、私が変な道へ進もうとしたらちゃんと怒ってほしいの。あの時、約束してくれたでしょう──?」
半年前に、彼はユリアにプロポーズをしてくれた。だが、ユリアそれを断り、そのあとに交わした約束だ。その時のユリアはまだ不安定な精神だったため、彼がそう言ってくれた。
とても嬉しかったのだ。英雄らしくない一面を見せても、彼は私を支えようとしてくれたことが──。
「ああ。約束したな。必ず守る」
彼は、もう一度約束してくれた。
ユリアは嬉しそうに笑い、小指を差し出す。何をしようとしているのか理解した彼は、ユリアの小指に自分の小指を絡める。すると、何か仄暗い気持ちを堪えるかのように、彼の目線がユリアからそれる。
「……お前とセウェルスの絆や、運命じみた出会いには……正直、嫉妬した。数千年も前に交わした約束を果たすなんて──。お前から身を引くと言ったのは、俺自身だというのにな……」
そして、彼は、気持ちを落ち着かせるように深く息をついた。
その後、首を振って瞳にユリアを映す。
「俺は、こんな男なんだ……。こんなのは、駄目だ──だから、俺はお前への恋心を手放すると決めた。お前への想いに縋っていたら、きっと何も変わらない。縋り続けた結果、暴走しかけた時もあった……。こんな想いを抱き続けていても、誰のためにもならない──」
自分に言い聞かせるように、ラウレンティウスは決意の言葉を紡ぎ続ける。
「ラルス……」
「それでも、俺は……ユリア・ジークリンデに恋をして良かった。──逢えてよかった」
刹那、ラウレンティウスはそう告げた。先ほどの暗い顔はすでになく、いつものような少々ぶっきらぼうな顔でもなく、晴れやかな雰囲気を感じる顔がそこにあった。
「逢えてよかったと……言ってくれるのね──。やっぱり、私はあなたには敵わない……」
彼は、恋という気持ちに苦しんでいた。
それなのに、いまだに私は、恋というものをよくわかっていない──。だから、彼からの恋心にどう接すればいいのかわからなかった。
だが、彼はそんな自分に苛立ちを見せることはなかった。
それどころか、『恋をして良かった』、『逢えてよかった』と感謝を述べられた。
恋というものは、時として人を狂わせると聞いたことがある。彼も、そうなりかけていたのかもしれない。
だが、彼はそれに取り込まれることなく、身を引いて感謝の言葉を口にした。
私は、そんな人間になれるのかしら──。
「……私もよ……。ラウレンティウスと出逢えて良かった。私がここまで来られたのは、あなたやみんなのおかげよ」
あれは、いつだったかしら──。あなたは否定していたけれど、やはり私は、あなたのことを素敵な人だと思うわ。
私は、そんなことを言える自信がない。血の繋がらない家族への独占欲に塗れている私では、まだまだ至れない領域──。
その敬意を込めて、ユリアは彼のあだ名ではなく本名を口にした。
ラウレンティウスは、満足そうに目を伏せる。
「……ヴァルブルクに行くなら、そろそろ行ったほうがいい。あまり遅くなるなよ」
そう言うと、彼は小指を外し、背を向けて屋敷へと続く石畳の道を歩きはじめた。
ユリアは彼の背中を見送っていた。
その時、ふと思った。
(ラルスの背中……あんなにも広かったかしら──)
こんなことを感じたのは初めてだ。
きっと、自分ではまだ至れない領域に彼が辿り着いたから、そう感じるのだろう。
私も、そういう人になりたい。




