第六節 Restart ⑤
それから、ひと月と少しが経った。
ある日の午後。ユリアは自室にて、ある人物と電話で会話をしていた。
「──はい。──わかっております。それでも私は、その血筋の者ですから──」
暦では、もう冬となった。たまに秋の気配が残っていると感じるが、それでも厚着をしなければ風邪を引きそうになる日が多い。
今日もそんな日だ。外に出るなら厚手のコートやマフラーがほしい。
「ええ──簡単にできることではないということは承知しております。それでも、私の意志は変わりません」
現在、特務チームは休暇を満喫している。
この休暇は、カサンドラ女王から命じられた。今のところ、他国から緊急な要請は来ていないらしい。そのため休暇は無期限となっている。
アシュリー、クレイグ、イヴェットは、久しぶりにそれぞれの実家に戻っているため、ローヴァイン家の屋敷にはいない。人が少なくなったことで、屋敷の中はとても静かだ。少し前に連絡をとってみると、三人ともが学生の長期休暇のようにだらだらと過ごしているらしい。
「──ありがとうございます」
ダグラスも自家に戻っており、たまに伯母であるカサンドラを訪ねているという。理由は、諸外国へむけての〈母なる息吹〉の異常についての見解書をまとめるためだ。
各国の〈母なる息吹〉と旧ヴァルブルク領で起きた異常はすでに収まっている。しかし、諸外国の各最高指導者たちは、この件がどういう理由で起こったものなのかが判らないため、まだ不安と混乱のなかにいる。それでも、星の内界のことや〈名もなき神〉、〈きょうだい〉といった事を公表することはできない。できたとしても、簡単には信じられないうえ、証拠も提示しにくい──いや、できない。なので、若干の罪悪感はあれども、そんな人たちを安心させるために白々しい見解書を作成しているのだそうだ。
テオドルスは、現代にあるさまざまなことを書籍や動画を見て学んでいる。彼は敵に操られ、ユリアたちの働きにより正気に戻ったが、それからすぐに極秘部隊として働くことになった。そのため、この時代をじっくりと学ぶ機会がなかったのだ。
ラウレンティウスも、ダグラスと同様に忙しそうにしている。おそらく婚約の話を進めているのだろう。そのせいもあって、ここ数日は彼の姿をまともに見ていない。
姿を見ても、ユリアにとっては、いろいろな意味で声をかけにくかった。
「では──。はい、後日に。お待ちしております。はい、それでは──失礼いたします」
その言葉を伝えると、ユリアは携帯端末を耳から離した。画面に指の腹を滑らせて接続を切る。始終、ユリアの表情は真剣だった。
その後、ユリアは机の上に置かれていた小さなショルダーバッグの中に携帯端末を入れ、チェストを開けた。そこから取り出したのは、外出用の冬服一式──スタイリッシュなパンツスタイル──とコート、マフラー、手袋。それらを寝台に置くと、部屋着を脱いで着替えはじめた。
(……これくらい着込めば、寒くないわよね)
この外出は、急用ではない。ただ、行ったほうがいいという気持ちが急に膨れ上がってきたのだ。
『行きたい』ではなく、『行ったほうがいい』。
場所は、ヴァルブルク──。
(どうして……こんなにもヴァルブルクに行ったほうがいいという気がするのかしら……)
もしかして、ふたりに会える──?
まさか。アイオーンと結んでいた魂の契りは、もうなくなっている。
だというのに、自分でも驚くほど衝動的に外出用の服に着替えて、ローヴァイン家の屋敷の玄関まで来てしまった。
ふたりに出会えなくても、両親の墓参りをすることはできる。もう少し後にしようと思っていたが、今日行っておいてもいいだろう。
それに、休暇中といっても意外とすることが少なくて退屈だ。疲れはもう癒えている。家事をして、食料を買いに出掛けて、趣味や鍛錬をして一日を終えるのも飽きてきた。知っている場所でもいいから、久しぶりに遠出がしたいという気持ちもある。
旅行でもしようかと考えたこともあったが、そのときにふたりが帰ってくるかもしれないと思うと、妙に行きづらかった。
それに、ふたりが頑張ってくれているなか、旅行をするのはどうなのだろう──。あのふたりなら、そんなことは気にするなと言ってくれるだろうが、その気持ちもあって行動にすることはなかった。行くなら、みんなで行きたい。
(……きっと、会いたいという私の願望が、そのような錯覚をさせているのでしょうね──。何の根拠もないのに、『行ったほうがいい』だなんておかしいもの……)
いつもそばにいてくれた、あの人がいない。あの人の姿を毎日見て、そばにいるのが当たり前だった。
だから、なんとも言いがたい違和感と寂しさがずっと心を占めている。必ずふたりは帰ってくるというのに──。
(変な感じだわ……。過去に行った時や、時を渡るための空間に留まっていた時よりも寂しい気がするなんて……)
こうして日常を過ごしているからだろうか。
しかし、こうして寂しがるのも情けない。ふたりが戻ってきた後のことを考えて気分を紛らわさせよう。
ふたりは、星をもとに戻すために頑張っている。だから、まずはそのことを労おう。わがままをたくさん聞くくらいしかできないが──。
そういえば、ルキウスはこちらに来てからずっと気を張っていたはずだ。戦いが終わって、すぐ星の内界に向かい、この星のために頑張ってくれている。真面目な子だから、わがままを言ってほしいと伝えてもわがままを言えないかもしれない。
(──行こう)
ユリアが玄関の扉の持ち手を掴もうとしたその時、扉が開いた。
朝から不在だったダグラスが帰ってきた。
「おう、姫さんか」
「あ──。おかえりなさい、総長。カサンドラ様のところへ行っていたのですか?」
「ああ。やっと見解書の提出をし終えてきたんだ。お前さんは、今からどこ行くんだ?」
「ヴァルブルクへ行こうかと」
「ご両親の墓参りか? もう昼過ぎだぞ。明日にしたらどうだ?」
「それは、そうなのですが……なんとなくヴァルブルクに行きたくなったので──」
「そっか──。姫さんも、変わったなぁ……。半年前のお前さんだったら、ヴァルブルクに行きたいとか思えなかっただろうに……。ホント、いろいろあったな──」
この年の春では、まだトラウマに囚われてヴァルブルクに行くことが恐ろしかった。
あれだけ恐怖に支配されていたというのに、今は行きたいと思う。不思議なものだ。
「はい、本当に……。総長からの違法の協力要請が来たあの日から、いろいろなことがありました」
「地味に違法の部分を強調せんでくれ……。決まり事を破ったのはわかってるから」
ダグラスはばつが悪そうに笑って目線をそらすと、ユリアは「すみません」と笑う。
「──奇跡とは、起こるものなのですね……。あのように両親と話すことができるなんて思いませんでした……」
「あれは、姫さんが起こしたようなもんだろ。ずっと頑張ってたんだから」
ダグラスも、ユリアと同じく、実の両親とは縁遠い人生だったという。
それも、単純に縁遠いというものだけではない。母は王家の立場を持つ男と同衾し、その立場を得るために母は彼を生んだが、願いが叶わなくなって捨てられた。
きっと、彼にとっては、家族や両親というものには良い感情を抱けなかったはずだ。ユリアは憧れのほうが強かったが、ダグラスは憎しみのほうが強いだろう。
「そうでしょうか……。それなら総長だって、ずっと──」
「いや、俺の場合は……なんつーのかな……。たぶん、もう起きてたんだ──」
と、困ったように言うと、「柄でもないことだけどよ」と呟いて照れたように頭を搔いた。
「伯母さんや養父さん。そんで、姫さんやみんなに出逢えたことが、もう奇跡みたいなもんだと思ってる。そりゃ……ローヴァイン家とベイツ家みたいな家族仲見てると、なんで俺はこうなれなかったんだって感じるときはある……。それでも、ローヴァイン家は、その環の中に俺も入れって言ってくれる──。だから、昔に比べりゃ負の感情はかなり薄まってるよ」
その言葉は、同じく家族と縁遠かったユリアにしか言えないものだった。
ダグラスにとって、こういう話はユリアにしかできない。事情を知らない者には笑顔ではぐらかし、踏み込まそうともしないのだ。
ユリアは、そのことをなんとなく察しており、口にはしないが、彼の薄暗い言葉をすべて受け止めると決めている。直接言ったとしても、彼は恥ずかしがって止めてくれと言うだろうから。
「……私も、同じです。ローヴァイン家やベイツ家は、今でも眩しい存在だと思います──。私だって、総長たちとの出逢いは奇跡だと思っていますよ」
ユリアは、その言葉をからかうことなく微笑んだ。
その奇跡がなければ、自分はここにはいない。
星をもとに戻すこともできなかっただろう。
「──では、そろそろ行ってきます」
「ああ。予報だと、夕方頃からさらに冷え込むらしいから、あまり長居しないほうがいい」
「わかりました」




