第六節 Restart ④
「最後に……わがままを言ってもいいですか……?」
「なんだ?」
「年甲斐もないことです……。それでも、恥を承知で……申し上げます──」
本当に年甲斐もないことだ。情けないことでもある。だが、今は、二度と起こらない奇跡のなかにいる。
こんなお願い、小さな子どもしか言わないことくらい解っているわ。それでも別にいいでしょう? 叶ったことがないんだもの、こんなこと。誰かに迷惑をかけるようなことではないの。私自身が恥ずかしいだけ。
だから、許して。
「頭を……撫でてほしいです……」
そう言った彼女の声は小さく、そして幼さがあった。
両親は、我が子の願いを叶えた。優しく何度も。声を殺して涙を流していたユリアだったが、とうとう嗚咽が出てしまった。
そんな娘につられ、両親の目からも涙が流れていた。
「──ありがとうございます……。もう……私は大丈夫です」
やがて、ユリアは涙の跡がついた顔で言葉を紡ぎ、晴れやかな笑顔を見せた。
前を向いて歩いて行ける。今までは、どこか薄暗い気持ちを引きずったままだったが──これで本当に、進むことができる。
そんな娘の姿を見た両親も、涙を流しながら安堵の笑みを浮かべる。ヴァルブルク一家は、ようやく家族として笑うことができた。
「……シルウェステル国王。カタリナ王妃──」
しばらくしてから、セウェルスがヴァルブルク一家にゆっくりと歩み寄る。真剣な面持ちだ。
「アイオーンだった俺を、特異な星霊ではなく、ただのアイオーンとして接してくれていたことに深く感謝する。今まで礼を言う機会を掴めずに……申し訳なかった……。そして、その頃の無礼で傲慢な振る舞いも、重ねて詫びさせてほしい」
と、丁寧な礼と謝罪を示した。
シルウェステルとカタリナは少しだけ呆気にとられた顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「そなたたちが作ってくれた墓に参ってくれたら、私は全然許そうと思うのだが──カタリナはどうだ?」
「良い提案だと思いますわ。それでチャラにいたしましょう」
国王と王妃は、砕けた現代の言葉で条件を伝えると、セウェルスはふたりを意外そうに見つめ、笑った。
「ありがとう。──すべてが終われば、真っ先に参ろう」
「それから……娘のことを頼む。これからも一緒にいてやってほしい」
「ああ、もちろんだ。約束する」
そして、シルウェステルはテオドルスを見た。
「テオドルスも──。あとのことは頼んだぞ」
「はい。お任せください」
副王にも託したことで、国王は安堵の顔を浮かべた。
「……そろそろ時間だ。あまり悠長にはしていられない」
シルウェステルは妻にそういうと、カタリナは「はい……」と名残惜しそうに呟いた。
「……皆様。短い間でしたが、本当にありがとうございました。ともに戦うことができて光栄でしたわ──。後のことは、我々にお任せください」
王妃のその言葉に、誰もがこの時間の終わりが近づいていることを悟った。
「私たちには、まだやるべきことがある──。ユリアの攻撃のおかげで、敵の力は一時的に弱まっている。チャンスは今だ」
「何を、するつもりですか……?」
ユリアは父に問いかける。
「星を、あるべき『姿』に戻すのだ」
「戻す──」
今を生きる者ではない両親とは、長く一緒に入られない。わかっていても、悲しい気持ちに囚われてしまう。
そんな彼女の心境を察したセウェルスは、ユリアの背中に触れた。
「セウェルス殿にルキウス殿……。私たちと共に──やってくれるか?」
「無論。そのつもりだ」
「はい。大丈夫です」
父と銀髪の兄弟の会話の意味を察し、ユリアはセウェルスの腕を掴む。
「まさか……また、星の内界へ行くというの……?」
「ああ──。戦いは、まだ終わっていない。星の内界に〈きょうだい〉たちの残滓が潜んでいるかぎり、この星はお前を呪い続けてしまう存在と成り果てている。それを元に戻すことができるのは、俺達〈きょうだい〉だけだ。そして、各国の〈母なる息吹〉の異常も直さないといけない──。もちろん、大気中の魔力濃度は現代人に合った量で調整する。そうしなければ、ほとんどの人間が苦しむことになるからな」
星の異常は、この星ときょうだいだと言われていた〈名もなき神〉の力から生まれた〈きょうだい〉によって引き起こされたもの。異常を取り除き、この星を元に戻すことができるのも〈きょうだい〉だけ。
「そんなとこ行ったら──アンタらの身体、どないなるんよ……」
アシュリーが案ずると、セウェルスは首を振って「心配するな」と言った。
「俺とルキウスなら、また身体を作ってから地上へ戻ってこられる。過去の俺が、アイオーンとなった時のようにな」
「いつ戻って来れるんだ?」
ラウレンティウスが問うと、セウェルスは「どうだろうな……」と目線をそらした。
「具体的な日数は判らない。だが、なるべく早くに戻ってくる」
そして、セウェルスはユリアに微笑みかけた。
「──ということだ、ユリア・ジークリンデ。それまで待てるな?」
「……あなたは、私をなんだと思っているの……?」
「寂しがり屋で泣き虫。お前がそういう女なのは知っているからな」
そう言って、彼はユリアの頬にある涙の跡を親指の腹で拭った。
「……俺達はともかく、両親と会話を交わせるのはこれが最後となる──」
両親たちの魂は、敵の力と同一のものとなっている。ゆえに、星に異常を与える力を消滅させると、両親たちはこの世から消える──。
「ええ……。そうよね……」
そう呟くと、ユリアは、目を伏せて呼吸を整えた。
「──父上、母上。私は、これからもヒルデブラント王国と、今を生きる者たちを守り続けます。だから……安心してください」
もう涙を流さなかった。その目にも悲しみはない。
偽りのない彼女のその言葉を聞いたラウレンティウスは、さまざまな想いを馳せたような顔つきとなり、ゆっくりと息をついた。
「そうか……。無理をしないよう──頼んだぞ」
「体調には気を付けるのですよ」
親として、未来を行く子に想う言葉を伝える。
すると、セウェルスが首に巻いていた首巻きを外し、鞘に納めた剣とともにユリアへと差し出す。
「──ユリア。この剣と首巻きを持っていてくれ」
「すみません、おれのも……。この剣だけは、失いたくないものなので」
「大丈夫よ、わかっているわ。あの時代の思い出があるものね」
兄弟の剣と首巻きを預かる。
そして、セウェルスは弟にある疑問を言った。
「ところで、ルキウス──。人の身で、星の内界へ向かうことに怖いとは思わないのか?」
「おれだって、未熟な生まれ方だったとはいえ〈きょうだい〉のひとりだよ。こうなることはずっと前から覚悟してたし、もう子どもじゃない」
「そうか──わかった。まあ、俺もいるから怖くはないだろう」
「その言い方……絶対わかってないでしょ」
ルキウスはむくれた。
少しだけ大人になっている弟に、セウェルスは困ったように口角を上げると、改めてユリアを見た。
「……では、虚数座標空間を開けてくれ」
虚数座標空間──アイオーンが、時を越えるための異空間だと思い違いをしていた、あの術。実際には、星の内界に繋がる入口だった。仲間たちが先ほどの戦闘で疲労している今、それを開けられるのはユリアしかいない。
およそ千年前には、そこに〈きょうだい〉たちの残滓に侵されたテオドルスと両親を追い込み、『殺した』。今は、この星を守るために繋ぐ。ユリアは過去に臆することなく了承した。
「──我らの魂は、ユリア・ジークリンデ様の御心と共に!」
その時、シュライヒ家の男性が声を上げて、自らの武器を掲げた。
ヴァルブルク家に仕えていた人間の家臣たちは彼の声に続き、その言葉を述べながら武器を掲げる。
対して、仕えていた星霊たちは、体勢を低くして頭を下げ、ユリアの足元に魔力を円状に巡らせていた。それらの言葉や動作は、当時の人間社会、星霊社会において主君に忠誠を誓う者がするものだ。
彼らは皆、ユリアが自分たちの主君なのだという証を示したのだ。その光景を見ていたユリアは涙を堪えながら、しっかりと家臣たちを見つめていた。
「……ありがとう。私は、あなたたちのことや今日のことを決して忘れはしない。誇り高きヴァルブルクの戦士たちよ──あなたたちの魂は、今を生きる私が受け継ごう。──皆、大儀であった」
主君からの労いに、一同は「はっ」と勇ましく声を上げる。
現代で生まれた仲間たちは、彼女たちの英姿に目を奪われていた。そのなかでも、ラウレンティウスは彼女に対して言葉にできない心の揺さぶりを感じていた。
今までの彼女は、現代人とそう変わりない『普通』の一面を見せていた。心に淀みを持ち、それに苦しんでいたのも事実。だが、今の姿もユリア・ジークリンデのものだった。どれもが本物の彼女であり、仮面や偽物の姿はどこにもない。
「──ユリアよ。謁見の間は、このままにしておきなさい。もはや不要な場所だ。今を生きる者たちを守り続ける決心は立派だが……それよりも、今を楽しんで生きてほしい。これは、父からの願いだ」
「わかりました。今を楽しみながら、皆の意思を継ぎます」
ユリアは微笑む。
「いってらっしゃい、ユリア」
「気を付けていってきなさい」
半年前の夢の中でも、こうして見送られた。
これで最後だ。
「いってきます。──さようなら。父上、母上」
ユリアは、なくなった謁見の間に星の内界への『扉』を開いた。
開かれた『扉』は、前までは禍々しい気配を漂わせていたが、今回は淡い光が見える『扉』だった。漂う魔力も穏やかだ。
ユリアは、過去の時代で星の内界を訪れた。そのときに、そこの魔力から情報をもらったことで『扉』の正しい開き方を知ることができたのだ。アイオーンから教えてもらった術であるが、そのときの彼は記憶喪失だったため、この術の情報に欠落があったのだろう。
『扉』を開いてしばらくすると、ヴァルブルクの戦士たちの姿が光の粒となった。両親が彼らの実体を解いたのだろう。光の粒は少しずつ『扉』の中へと飛んでいき、消えていった。
「さようなら。ユリア」
両親の姿が少しずつ透明になっていく。やがて、ふたりも光の粒となった。ふたりは、最後まで娘を見つめて微笑んでいた。光の粒となった両親は、『扉』の中へと消える。
夢の時間は、終わった。
「じゃあな──。俺達とは、またすぐに会える。だから泣くんじゃないぞ」
と、セウェルスはユリアの背中を優しく叩いた。
「すぐに戻りますから。大丈夫ですよ」
「……ええ。ふたりの帰りを待っているわ」
また戻ってくる。だから、別れの言葉は必要ない。
セウェルスとルキウスは、光の粒となることなく『扉』へと入っていった。ユリアの両親やヴァルブルクの戦士たちとは違い、彼らは星の内界で誕生した〈名もなき神〉から生まれた存在だからだろう。
ふたりの姿も消えると、ユリアは『扉』を閉じた。
優しい風が吹いている。
「──帰りましょう」
彼女は残った仲間たちに顔を向けた。声や顔に悲愴は一切ない。
あるのは、未来への期待と誇り。
ほどなくして、ヴァルブルクの異変や各国の〈母なる息吹〉に起きていた異常は、少しずつ収束していった──。




