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第五節 React ④

「な、ァ……ッ!?」


 異変は、突如としてやってきた。

 『彼女』が動きを止めて、目を見張って仰け反った。『彼女』に起こった光景を見て、誰もが動きを止める。

 まさかの出来事が起こっていた。

 『彼女』の、みぞおちから──。


「黒い、手……!?」


 黒い人間の手が、『彼女』の腹部と鎧を突き破っていた。

 『彼女』の腹や下半身は、血の代わりに黒い泥が流れ、それに濡れていく。『彼女』は動かない。なんらかの魔術が働いているようだ。

 あの黒い手は、何だ。間違いなく『彼女』の一部ではない。

 黒い手は、そこから出ようとしているのか、もがくように動き続けている。やがて、腕の部分が見えてきた。

 素肌に、白い服の袖らしきもの。黒い手は、黒色の手袋だ。

 白い服の袖には、細かな金糸の刺繍がある。あの模様は──。


「ユリア・ジークリンデ!」


 セウェルスの叫び声が響き、仲間たちは黒い手の正体を認識する。

 その声に呼応するように、黒い手袋をした手の指が伸び、力が入った。


「〈星の特異点〉……! 邪魔を──するなァッ!!」


 『彼女』が叫んだ瞬間、ユリアの姿が一瞬にして黒い泥に戻った。黒い泥はボコボコと音を立てながら貫いてきた手を呑み込み、ラウレンティウスたちの顔が蒼白していく。


「──」


 そんななか、セウェルスの顔から表情が消えていた。剣を鞘に戻し、姿も消える。

 泥は、再びにユリアの身体を形作っていく。

 ──次の瞬間。

 

「ユリア・ジークリンデを──」


 どこからかセウェルスの声が聞こえてきた。

 肉体の形成に気を取られていた『彼女』は、セウェルスの姿がないことに気が付く。

 気配もない。どこだ。


「返せぇッ!!」


「!?」


 『彼女』のみぞおちに、再び穴が開いた。

 目の前には、魔力をまとわせた拳を打ち込むセウェルスが現れる。

 彼の拳は、『彼女』の腹部にめり込み、そのまま貫くように力を入れて腕を沈ませた。しかし、二の腕あたりまで沈んでいるというのに、『彼女』の背には彼の拳が出ていない。


「やはり──召喚術式は、お前が持っていたか……!」


 『彼女』の身体は、召喚術式を封じるための一種の異空間になっていた。だから身体を貫いていても、背中側から彼の拳が出ていなかった。

 セウェルスは、『彼女』の身体に拳を沈めたまま、召喚術をこじ開けようとし、そのうえ『彼女』に拘束術をかけて行動を制限している。

 魔力を膨大に扱い続けていることで、セウェルスの造られた身体である『器』が悲鳴をあげている。しかし、諦めることはできない。これらは彼にしかできないのだ。


「おの、れぇ……!」


 だが、『彼女』は動いた。手に魔力を収束させて武器を作る──が、それを阻止しようとテオドルスがやってきた。


「──させるものか!」


「た──助けて……! テオッ!」


 『彼女』はユリアの声で、テオドルスに助けを求めた。

 だが。


「今更、無意味な言葉を発するとはな。愚か者め」


 テオドルスは、無慈悲な声色で呟きながら、躊躇することなく武器を破壊し、そのまま『彼女』の額を剣で貫いた。


「がッ──!?」


 貫かれた額からは黒い泥が流れ、『彼女』の顔を黒く染める。

 貫いた武器が、封印術式の役割を果たしており、『彼女』の動きはさらに抑制された。


「星の記憶を見ていなかったのか? オレとユリアは、必要であれば殺せという約束を交わしている。オレは、半身との約束を違えるつもりはない」


 世に仇なす存在ならば、半身として愛した姿をした相手でも討ち取る。テオドルスの目には一切の迷いはなかった。


「……お前たちは、心を持つ者たちの弱さだけ(・・)を信じているんだな。心が強い者などいないと思っている──だから、ずっとユリアの姿で負の言葉を紡ぎ続けていた。それでオレたちの心が、いつか折れるものだと思っていたのか……舐められたものだ」


 テオドルスは、静かに怒りを爆発させていた。魔力の気配が、いつもよりも力を増しているのが判る。

 強い感情は、良いものも悪いものも、魔力の力を増幅させるという効果を持つ。それは、時として人智を超える力となることもある。

 テオドルスにとって、『彼女』は共存派と不信派の戦争を引き起こした元凶であり、争いを広め、悲劇を拡大させた。さらには半身を騙った罪がある。収まらない怒りは、彼に力を増させていく。


「醜いという理由で、切り捨てようとした感情から生まれている力に封じられた気分はどうだ……? さぞかし最悪なものだろうな」


 すると、感じなれない気配の術式が現れた。

 シルウェステルとカタリナが、地中を含む周囲に術式を施している。


「星の内界に潜む残滓の力が、こちらに押し寄せてきた……! これは我々が食い止める!」


「皆様は、ユリアをお願いいたします……!」


「──ダグラスさんは、おれと一緒に奴の動きを封じてください! 他の皆さんは、兄さんを支えてください!」


 これからすべきことを直感したルキウスは、ダグラスに呼びかける。

 ダグラスは、ヒルデブラント王家の血筋であるため、現代人の中でも体内で魔力を生成する量に優れており、強い魔術を放つことができる。そのためルキウスは彼に頼んだのだろう。


「兄さん! 姉さんをお願い!」


「姫さんのこと頼んだぞ!」


 ルキウスとダグラスは、『彼女』に動きを封じる術を施す。

 セウェルスは、召喚術式の維持や『彼女』への妨害で、体内の魔力が急激に減っている状態だ。いかにセウェルスといえど、造り物である身体から魔力を消費し続けていれば、彼の心臓である核が消滅して死んでしまう。それを阻止するためには、外部からの供給が必要だ。


「ったく、とんでもなくしつこいヤロー共だな!」


 セウェルスに駆け寄ってきたクレイグは、泥に飲み込まれていない部分の腕を掴み、そこから魔力を流していく。さらに、次々と仲間の手が彼の腕を掴み、彼の命を支えていく。


「この世の中には、たしかに醜いところはたくさんあるけど……それでも、身勝手に星の未来を決めつけていい権利なんて誰にもないよ!」


 イヴェット。


「なんやかんやそっちも負の感情に振り回されとる人生やし、人のこと言えん立場やんけ! エラそうに押し付けてくんな!」


 アシュリー。


「人の心を物のように扱う精神を持ったヤツらが作った世界など、この世の中よりも大した事ない世界だろうな!」


 ラウレンティウス。


「心を持つ者たちは、己の心から生まれる負の感情に負ける──。お前たちは、今もそのことしか信じていない。……ならば、そうでもないことを俺達が証明してやる」


 仲間たちに支えられているセウェルスだが、『彼女』の腹部に沈む腕には、肉が絞られるような痛みが走り続けている。それでも、彼はその痛みに耐えながら笑っていた。


「な、ぜ──」


 地を這うような声で『彼女』は問う。


「確かに、負の感情がなければ争いはなるかもしれない。だが、俺は、この世界の可能性を信じたい──。ここには、お前達が理解できなかった『愛しいもの』がたくさんある」


 ユリア、どこだ。

 俺はここにいる。

 返事をしろ。


「べつに俺達は、お前達のような『崇高な思想』を持っているわけじゃない。ただ、この世を否定するなら、この世で育った自分達も否定されたようなもの──そのことが気に食わなかっただけにすぎん。だから、この世を破壊しようとしたお前達に立ち向かったんだ」


 そこにいたか。

 お前に頼みたいことがある。

 俺達は、敵が作り上げた空間に閉じ込められている。その空間を、敵ごと打ち破ってくれ。

 怒りの感情に任せて撃ってもいい。これは、もうお前の力でないと無理だ。俺の『器』は、もう限界でな。ほかのみんなも疲れきっている。


「それにくわえて、ユリアの言葉を騙ったこと。そして、傀儡として扱おうとしたことは……万死に値する」


 ──数千年越しの約束を果たそう。あとはお前に頼む。盛大に暴れてやれ。


 ──約束を守ってくれてありがとう。あとは、私に任せて。


 その直後、『彼女』の腹部から白い光が射した。

 現代では見かけない意匠で白を基調とした服を着た女性が、セウェルスに引っ張られて『彼女』の腹部から現れる。

 囚えていた人物を奪われてしまった『彼女』は、人のかたちを崩壊させて黒い泥に戻り、地面に染み込んでいった。

 ユリアが空間に降り立つと、燃え盛るヴァルブルクの街並みの風景は真っ黒に塗りつぶされていった。


(周囲にあるのは、私たちを守るための防壁──それが崩壊しかけている……! その防壁の向こう側にいるのは、〈きょうだい〉の──)


 星の内界に潜む〈きょうだい〉たちの力がある。それから守られるように防壁はあるが、その力は〈きょうだい〉と同じものだ。なぜ、その力が私たちを──。

 だめだ。気にするな。今すべきことは、敵を倒すことだ。


(私がすべきことは、仲間たちを閉じ込めるこの空間を破壊し、敵を討つこと。手をつないでいたときに、セウェルスが魔力で教えてくれた)


 近くにいた仲間たちを見ると、安堵した顔つきをしているが、誰もが疲弊しきっている。身体には軽傷だが傷跡がいくつかある。


「……よくも、私の家族を傷つけてくれたな……!」


 盛大に暴れてやれと言われた。ならば、暴れてやる──。

 ユリアの心に、怒りが満たされていく。体内で生み出される膨大な魔力が、その感情に呼応して力を増して暴れだす。空間にある魔力が、すべてユリアの支配下となった。


「……みんな。巻き込まれないように気を付けて──怪我をしても文句は受け付けないわよ」


 本当に、こんな力を扱う人間が存在するのか──。

 現代に生まれた仲間たちは、初めてユリアに恐れを抱いた。自身に向けられた力でなくとも、彼女が秘める力は恐ろしいものだと嫌でも感じる。すでにユリアの力を知るセウェルス、ルキウス、テオドルスは彼女が味方でよかったと言いたげな苦笑いを浮かべていた。星霊でもここまでの力を持つ者はそういない。

 これまでの彼女は、力を無意識に制限してしまう出来事か、人間離れしたことをしていても目立たない力を発揮する出来事だけだった。

 だが今は違う。あれはこの世から葬るべきもの。手加減や容赦など一切いらない。この身の内に渦巻く負の感情が止まない──。

 ユリアの周囲に強大な魔力が集束していく。やがて、集束した魔力は、黄金に輝く大剣となった。

 数千年前の旅を経て、ユリアは心の弱さを乗り越え、『呪い』を変質させる方法を知った。

 それが、〈きょうだい〉たちの残滓と対抗する力となる。

 ユリアは、黄金に輝く大剣を手に持ち、それを掲げた。


「──消え失せろ」

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