第三節 ふたたび ④
ルキウスは胸に手を当てた。
そこから淡い光が溢れ、手を離すと小さな紅い石のような物が浮かんでいる。
「……その気配……知っている気が、する……」
「これは、兄さんがセウェルスとして生きていた頃の記憶だよ。その時々にセウェルス兄さんが抱いたさまざまな感情が、これに込められてるんだ──。これを取り込めば、きっと全部思い出せると思う。……記憶を、取り戻したいと思ってくれているのであれば」
そして、ルキウスはアイオーンをまっすぐ見つめた。
「それと、俺の魔力も一緒に乗せて記憶を渡したい。兄さんとも一緒に戦ってほしいから、今この星に起こっていることを知ってほしいんだ。──受け取ってくれる?」
アイオーンは静かに頷いた。
「……受け取ろう」
ルキウスは、浮かぶ小さな紅い石を指先でそっと押しだした。宙を浮きながらゆっくりと動く石は、やがてアイオーンの胸に触れ、沈むように内側へ吸収されていった。
「──!?」
石が胸の中に沈んでいって少しの間があった後、アイオーンは大きく目を見開き、めまいを起こしたかのようにふらついて膝をついた。
「兄さん……!?」
アイオーンは俯くと、片手で頭を押さえ、もう片方の手を地につけた。地についた手の指先には力が入り、土を抉っていき、そのまま拳をつくる。さらに、喉の奥で苦しそうに唸りはじめた。
痛みがあるのだろうか。それとも膨大な記憶を一気に認識したことで、心がついていけていないのか。
ルキウスは、何かに耐えている兄を抱きしめた。
その時に特務チームが全員、駆け寄ってきた。緊迫したアイオーンの雰囲気に戸惑いながらも、特務チームは仲間を見守った。
やがて、アイオーンから息切れをしたような声が聞こえ──嗚咽へと変わる。
「なぜ……今まで、忘れていた……。思い出した……」
「何を?」
兄のか細い声に、ルキウスは優しく問いかける。
「──あのふたりに……別れを告げられなかった……」
「あのふたり?」
「星の内界から脱出し、地上で肉体を生まれ変わらせていた時に……ディゼーリオとレティエムが来てくれていた……。だが、その時の俺は……もう何も、思い出せなかった──」
「ディゼーリオさんもレティエムさんも、きっとその時の兄さんを見て、全部わかってくれていたと思うよ。兄さんからの別れは言えなかったけど、ふたりは兄さんに『さよなら』を言ってくれたと思う」
やがて、アイオーンは片手をルキウスの背にまわし、しっかりと抱きしめた。
そして場は静寂に包まれる。
「アイオーン……?」
テオドルスがおそるおそるに声をかけると、アイオーンはルキウスから離れ、手の甲で目元を吹いた。
そして、心を整えるように深呼吸をし、特務チームの面々に顔を向ける。
向けられたその目つきは、いつもよりも強い意志を感じさせる雰囲気があった。
「……アイオーンという名前は、俺にとっては仮の名前なんだ。俺の本当の名前はセウェルスという。……だが、お前たち──」
その瞬間、テオドルスは無意識に「あっ」と思わず声を出してしまう。
アイオーンは、「ああ、そうか……」と言って、古い友の口から零れた言葉の意味を理解し、言いなおす。
「『きみたち』……なら、別にアイオーンと呼ばれても気にしない。だが、できれば……セウェルスと呼んでほしい」
耳に届いた声色も、いつものアイオーンのものとは少しばかり違った。
普段のアイオーンの口調は、現在のアイオーンの声と比べるとゆったりとしていて、抑揚がほんのりと弱めだ。
だが、この声にはしっかりとした芯があり、アイオーンと比べると早口で、堂々とした雰囲気を醸し出している。
仲間たちからの反応が返ってこない。雰囲気から察すると、戸惑っていることが読み取れる。ルキウスから話は聞いているはずだが、実際に会話すると違和感を持ってしまったようだ。
アイオーンの頃のような軽い会話はできないのか──セウェルスは少しだけ落ち込んだようすで目線をそらし、やがて口を開いた。
「……すまない。物言いが柔らかだった者が、突然『お前』や『俺』という言葉を使いはじめると、たしかに驚いてしまうだろうな……。乱暴な言葉遣いに聞こえたのなら謝る。今までは『アイオーン』だったが……今、ここにいる『俺』は、『セウェルス』として振る舞うほうがしっくりくるんだ」
すると、ラウレンティウスは焦りながら「違う。お前は何も悪くない」と言った。
そのあとテオドルスが「そうだよ」と言って言葉を引き継ぐ。
「──ごめん。気を遣わせてしまって……。ルキウスからひと通りの話は聞いてはいたけれど、一瞬だけ……『セウェルス』とはどのように話せばいいのか、少し考えこんでしまった……。やはり、感性は違うんだね」
「……まあ、そうだな。俺自身も、『アイオーン』だった頃と、今の俺は違うと感じる。生まれた経緯や過ごしてきた環境や時間の長さが違うからだろうな……。テオドルスたちにとっては、突然すぎて簡単には受け入れられないかもしれないが……」
「いいや……。それでも、『アイオーン』であった頃の記憶や感性は消えていないはずだ。今までの記憶はそのままに、失われていた本当の自分を取り戻した。──とりあえず、そういう話だろう?」
「あ、ああ……。確かに『アイオーン』は消えていない。だが、『アイオーン』だった頃の感性は覚えているというだけで、今はもう違う。本当の俺は『アイオーン』ではなく、『セウェルス』なんだ」
「ああ。わかっているよ。さっき君が言ったとおり、アイオーンとセウェルスは持って生まれたものや生きていた環境が全然違う──だから、これから少しずつ教えてくれ。セウェルスは、セウェルスらしく生きてほしいからね」
そして、テオドルスは「というわけで」と腰に手をあててにこやかに笑った。
「──この話は、これで一旦置いておこう。呼ぶ名が変わろうとも、性格が少し変わろうとも、友達であることには変わりはないからね。『アイオーン』とは呼べなくなり、雰囲気も変わったけれど、君の本質に変化はなく、私たちを繋ぐものも変わっていないだろう? だから、気にすることはないさ」
と、テオドルスは古き友に向かって言う。
その顔にセウェルスは面食らった顔をして、すぐに呆れと嬉しさを混じらせた表情となった。
「……さっきまで何を話そうかと戸惑っていたくせに、それから驚くほどの早さで受け入れたな。逆に俺がついていけん」
「謎に順応力が高くて細かいことを気にしないのは、ラインフェルデン家あるあるなのさ。きっとそれは現代の子孫まで受け継がれているよ。そもそも、ここにいる全員は君と付き合いが長いから、お互いにそこまで深く考えなくてもいいんじゃないかな。──あ。ちなみに、『お前』って言われても別に気にしないから大丈夫だよ。ほかの皆も……でしょ?」
そして、テオドルスは自信たっぷりの笑顔を仲間たちに向けていった。
彼の実姉の血を引くラウレンティウス、アシュリー、クレイグ、イヴェットは、なんともいえない陽気さに呆れた笑みを浮かべている。現代の子孫まで受け継がれているという言葉はあながち間違いではないようだ。
セウェルスも、そんな古い友に「ふっ」と笑う。
それを境に、場の空気はどんどん軽いノリが飛び交うものへと変わっていく。
「俺はラインフェルデン家ゆかりのモンじゃねえからさ、たまにアイオーンって言い間違えたときは勘弁してくれよ」
「いや、ゆかりのモンでも間違うときは間違いますって。そん時はご愛嬌やで」
ダグラスとアシュリーがそう言うと、次にクレイグが名前についての話に路線変更した。
「セウェルスって名前は、ラウレンティウスと同じように歴史ある格式高い名前ってイメージはあるけどよ、今でも普通に使われてるから堂々と呼びやすくなるな」
「だよね。アイオーンって名前は、神話に出てくる神様の名前だもんね。ルキウスっていう名前も格式高いものだし──ユリアちゃんってなんだかんだいって王家の出身だから、自然とそういった名前が浮かぶのかな?」
「多分な。ユリアって、ふとした時にそういった『私は王族ですよ感』出すけどよ……それ以外だと、ただの腹ペコバーサーカーだよな。ヴァルブルクの調査のためにここで暮らしていたときには、『あ。ご飯見っけ』みたいなノリで魔物を狩って食べてたみてぇだし」
と、クレイグとイヴェットは言う。
その会話に、ラウレンティウスは話には加わらないものの、なんとも言えない顔で口角を少しずつ上げていく。アシュリーも否定しない。ダグラスも頭を搔いてあることを口にする。




