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第三節 ふたたび ②

 ふたたびヴァルブルクの地に赴いたルキウスは駆けていく。

 背には、少年の身長と同等の長さがある兄が愛用していた剣と、それに巻きつけられた灰色の首巻き。くわえて腰には、自身の剣が帯びられている。

 やがて、駆ける速度を落としていった。

 目的の場所についたのだ。このあたりは、ヴァルブルクの街があったところに近い平原だ。


(たぶん、このあたりかな……。レティエムさんから借りた屋敷があったのは……)


 そこは、草花が生えるただの平原。風を遮る木々もない。

 あれから三、四千年ほどの時が流れているはずだ。大きな屋敷が建っていた形跡はどこにもない。

 だが、〈名もなき神〉が祀られていた神殿跡からの距離や方角から考えると、おそらくこのあたりだということがわかる。


(短い期間だったけど、屋敷で過ごしたあの日々は楽しかった──)


 レティエムの屋敷で暮らしていたのは、現代の暦で換算すると数ヶ月ほどの期間だろうか。

 短い時間だったが、ルキウスにとっては今でも心に残る色鮮やかな時間だった。なにせ、初めて人間らしく暮らすことができたのだから。

 帰る家があり、そこに誰かが待ってくれていて、「ただいま」と「おかえり」という言葉を交わす──縁が無かった『ありふれた日常』を経験することができた。


(だから……兄さんと姉さんに、「おかえり」って言いたい)


 懐かしさと一抹の寂しさが、少年の心を締めつける。

 その刹那、少年はもうすぐ起こる現実を自覚する。

 感傷に浸っている場合ではない。


(……兄さんの気配が、近づいてくる)


 負の感情が渦巻いている──人間ではあり得ない強い魔力。

 そこから離れたところには、人間ながらも非常に強い魔力を持った気配と、現代の魔術師のようで違う雰囲気を持った五つの魔力の気配がある。これらは特務チームの者たちだ。

 ルキウスは、背に帯びている兄の剣をおろし、そこに巻き付けていた首巻きを自分の首に巻いた。激しく動いても落ちないように結び目をきつく締め、首巻きの両側の端を襟ぐりの中にしまう。


 来た──。

 背後から気配が接近してくる。地に降り立ったような足音が聞こえた。ルキウスは振り返り、やってきた人物へ顔を向ける。


「──っ……」


 ルキウスと目が合ったアイオーンは、負の感情に振り回されぬよう顔を歪ませて耐えていた。

 少し離れたところには、特務チームの面々もやってきている。


「……兄さん。これ」


 ルキウスはアイオーンに近づき、兄がかつて愛用していた長い剣を差し出した。

 アイオーンは、変わらず顔を歪めながら口を閉ざしている。

 この時、ルキウスはあることに気がつく。

 先ほどまでは無かったが、兄の身体から術式の気配を感じる。どことなく、兄が浮かべている苦悶の顔が少しだけ和らいでいる。特務チームの仲間たちに頼み、感情の起伏を抑える魔術をかけてもらっているのかもしれない。


「兄さんが使っている『器』の背丈だと、少し扱いづらいかもだけど──これで戦ってほしいんだ。ずっと昔から兄さんが使っていた剣だから、何か思い出せるかもしれないから」


 アイオーンは、顔を歪めたまま目を細めた。

 言葉に返答せず、無言を貫くか──。


「……懐かしさ……愛おしさ……誇らしさ……」


 アイオーンが、震えた声でゆっくりと小さく言葉を紡いだ。絶えず襲ってくる負の感情を抑え、端的ながらもはっきりと伝わる想い。

 『本当の兄さん』の言葉が聞きたい──今朝に言えなかった、アイオーンからの返答だった。


「……お前の顔を見たとき──その想いが心に生まれた……。その理由を……知りたい……」


 そう言って、アイオーンは小刻みに震わせた手で差し出された剣を受け取った。

 おれの兄さんは、消えていない。

 〈きょうだい〉たちの『妨害』のせいで、記憶が眠りについた状態。そのうえ牢に囚われているようなものだ。

 兄さんは、セウェルスとしての記憶を守っていた。

 記憶が囚われていることを認識できていないが、目覚めようとしている。

 この記憶は、誰かから植え付けられたものではなく、初めから自分が持っていたものではないかとアイオーンは感じている。だから「理由を知りたい」という言葉が出てきたのではないか。


 ──泣くな。これからすべきことは何だ? 今は感情に囚われている場合ではない。すべきことに専念しろ。素直な感情を解き放つことは、すべてが終わってからでも遅くはない。


 兄さんなら、今のおれにこう言うはずだ。

 おれが持っている『兄さんの魂』は、まだ渡せない。

 もっと記憶を目覚めさせて、牢を破る意志を見せてほしい。

 この『魂』は、兄さんを囚える牢を破る力となれるはずだから。

 ルキウスは、浮かんだ涙を手の甲で拭った。


「……わかった」


 ルキウスは鞘から剣を抜いた。

 これは、記憶を思い出すための戦い。

 アイオーンも受け取った剣を鞘から抜きとる。

 しかし、それは通常の剣よりも剣身が長く、振りにくい。長身の人間のために調整して造られたものだ。


「この剣……本来のわたしの身長ならば、振るうに適していたことだろうな──」


 そう言って、アイオーンは魔術で身体をわずかに浮かせた。地面から足まで十五センチほど身を浮かせている。『器』を必要としない、かつての身長に近い高さになった。セウェルスの身長とほぼ同じだ。

 外見の一部分に違いはあれども、目の前に兄さんがいる。

 喜ぶのはまだ早い。

 兄さんの記憶を取り戻して、姉さんを喚ぶという約束を果たして、ふたたびあの日常を取り戻す。

 ふたりは剣を構えた。アイオーンの構え方は、セウェルスとは違う。


「──!」


 兄弟の『戦い』が始まった。それと同時に、特務チームが到着する。

 この戦いは、アイオーンの記憶が揺さぶることが目的だ。誰も止めてはいけない。

 初めは剣の打ち合いだけだったが、じょじょに魔術を使いはじめ、勢いが増していく。

 優勢なのはアイオーンだった。

 負の感情に振り回されているのか、感情を抑制させる術式が解けそうなのか──。

 アシュリーやイヴェットが、異変を訴えるような目でテオドルスを見る。それに気付いた彼は、首を振った。


「……まだ止める時ではないと思うよ。私には判る──アイオーンの戦い方が、いつもとは少し違うんだ」


 そう感じていたのは、アイオーンとよく鍛錬をしていたラウレンティウスも同じだった。


「ところどころ、いつものあいつの戦い方じゃない……。ルキウスの戦い方を参考にしているわけでもない気がする……」


「──信じて見守ってようぜ。ルキウスの反応や教えてくれた思い出を聞くかぎり、ふたりは互いに支え合って生きてきた兄弟なんだ。それに、魔力には想いが宿ると力を増すんだろ? 魔力学に残る歴史では、その力が奇跡を起こしたことが何度もあるらしいからな」


 クレイグも間に入るべきでないことを述べると、アシュリーは小さく息をついた。


「ウチらがユリアを助けるための方法ってのも、根本的には想いを力にすることやしな……。それ信じな、何も始まらんな──」


「……また、会えるよね。絶対に」


 イヴェットが祈るように手を組む。そして、ダグラスはひとりごとを零した。


「あの兄弟も、姫さんとも……また会うことができる──俺はそう信じたい」


 魔術を交えた打ち合いの後、ルキウスは間合いをとって鞘に剣を収めた。

 そして、即座に両方の手のひらに魔力を集束させ、剣に近い形状の月白色の武器を造りあげる。


「──それは……ユリアの……」


 アイオーンは目を見張る。

 この戦い方ができるのは、世界にユリアしかいないはずだった。

 魔力で武器となる得物をいくつも造る技能もそうだが、それを双剣術で扱い、かつ体術を組み合わせる。ユリアの戦い方に近づくだけでも、並大抵の才能や努力が必要となる。


「うん。姉さんから教えてもらった武術だよ。普通の人間でも星霊でもないおかげで、早く慣れることができた。魔力を凝固させて、自分で武器を造ったうえで双剣術や体術を使う戦い方をするのって……たぶん、姉さんとおれくらいだと思う」


 そのままルキウスは思い出を語る。


「この武術は、兄さんとユリア・ジークリンデさんとおれ──三人で長旅をしている時に教えてもらったんだ。そのときは、襲ってくる魔物を兄さんが率先して払いのけてくれたよね。おかげで、姉さんとの稽古がしっかりとできた。おれが姉さんの双剣術で戦えるのは、兄さんのおかげでもあるんだよ」


「……っ」


 アイオーンはこめかみあたりに手を添えて、目を細めながら眉間に皺を寄せた。

 どうやら頭痛が起こっているようだ。記憶が揺さぶられているのだろうか。

 と、その時。ルキウスは「あっ」と小さく言葉をもらし、やがて何かを失敗して悔やむような顔をして目を伏せた。

 アイオーンも何かを感じ取り、地に目線を向ける。それは特務チームも同じだった。


「……ごめんなさい。やっぱり魔物をどうにかしてから戦うべきだったかも──。姉さんを助けるための魔力リソースとなる『造り物』だから、大きな魔術で消滅させたらいけないものなんだ……」


 突然、ルキウスが地面を見つめて魔物のことを口にした。

 地中の奥に、何かが蠢いている。

 魔物だ。ワームのようなものではない。わずかに地上へ届く振動から、ムカデに近い形状の魔物か。


「……ユリアの、ため──」


 すると、アイオーンは頭痛の痛みに耐えながらも剣に魔力をまとわせて地面に突き刺す。ルキウスもアイオーンに続いて魔力をまとわせた剣を地に刺して、地中の魔力に働きかける。

 その瞬間、地面が大きくひび割れ、地を響かせる音が聞こえた。魔物の悲鳴だ。


「あ〜……来ないことを願っていたけれど……はやり、来てしまったか──。しかも予想通りの大群だ……」


 テオドルスはとある方角の空を見上げる。気配があるのは地中だけではない。遠くの空からやって来ているのは、猛禽類やドラゴンだ。くわえて地上の遠方からも魔物の大群が押し寄せてきている。

 魔物とは、生きるうえで魔力を必要とするが、人間のように体内で魔力を作ることはできない。呼吸で得られる魔力では足りないため、食事によって補っている。

 ちなみに、多くの魔物にとって、もっとも効率よく魔力補給ができて食欲を満たせる獲物は、人間である。

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