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第三節 ふたたび ①

 空に朝日が昇り、それから数時間が経った。

 ローヴァイン家のとある部屋の窓には、カーテンが閉じられている。そのカーテンの隙間から光が差し、薄暗い部屋をわずかに照らしていた。

 その頃に、自室の寝台で眠り続けていたアイオーンのまぶたがゆっくりと開いた。

 感情は落ち着きを取り戻しているが、疲れがとれていないような憂鬱そうな目をしている。アイオーンは深く息をつきながら目元をこすり、上半身を起き上がらせた。


「……──」


 その時、自身の身に術式が施されていることを知る。この感覚は、感情の起伏を抑制させるもの。テオドルスがっやったのだろう。わざわざこのようなことをした理由は──。

 ふと、昨日のことが脳裏によぎった。

 自身の弟を名乗った──名は、何だったか。自分に似た、幼い顔つき。悲しそうな目と声。

 そうだ。ルキウスと言ったか。テオドルスの術式が効いている。少年のことを頭に浮かべても、ひとまずは平静さを保つことができている。

 ルキウス──。少年を目に映すと、嬉しさと愛おしさ。誇らしさを感じた。そして、それらを否定するかのように負の感情が生まれて、制御できずに一気に爆発した。

 知らない。わからない。だが、何かを知っている気がする。でなければ、これらの複雑な感情は何だったのだ。

 会うべきなのか。だが、あの少年が目の前にいると、なぜか勝手に暴走する怒りや憎しみが生まれた。

 あれは、なんだったのか。まるで感情だけが操られているような感覚だった。

 わたしは──お前は、何者だ?

 すると、部屋の扉の向こうから足音が聞こえてきた。ひとりではなく、数人いる。魔力の気配に意識を向けると、あのふたりだと判った。テオドルスとラウレンティウス。

 扉がノックされ、扉が開く。


「アイオーン……起きていたのか。気分はどうだい? ……すまないね。勝手に術式を施して」


「……いや」


 テオドルスからそう聞かれると、少しだけ申し訳なさそうに目をそらす。

 今はいつものアイオーンだということが、ふたりにも理解できた。


「昨日のこと……覚えているか?」


 ラウレンティウスから問われると、アイオーンは自嘲するかのような微かな笑いを交えたため息をもらし、やがて自責の念にかられて顔を歪ませる。


「……なぜ、あのような感情が沸き起こり……制御できずに振り回されてしまったのか……。わたしにもわからない……」


「……わからないことだらけで、不安で苦しいよな」


「……ああ。あの時は……己が己ではない気がした……。誰かに操られているようにも感じた……。あんなことは……したくなかったというのに──」


 テオドルスとラウレンティウスは、互いに顔を見る。

 今のアイオーンはまともだ。自分の状態を客観的に判断できている。

 それでも、ルキウスの姿を見れば、おそらくはまた──。


「わたしの……弟だと称していた、少年は……?」


 ふたりは口ごもる。

 すると、扉の向こう側から魔力の気配が現れた。


「……ここにいるよ。気配を隠して、ついてきてたんだ」


「──っ!?」


 ルキウスが部屋に入ってきた刹那、アイオーンの状態が急変する。

 目を大きく開き、瞳の奥から憎悪の感情が溢れている。

 ふたりは即座にアイオーンの体内にある魔力を使って拘束術をかけ、できるかぎり動きを封じた。


「すまないが、少し辛抱してくれ。会話をさせてほしいというのが、ルキウスの願いだからね」


「やっぱり、こうなってしまうのか……」


 魔術に長けたテオドルスがいるとはいえ、たったふたりだけでアイオーンの魔力を完全に封じれるものではない。そのことはテオドルスもラウレンティウスも解っている。

 それでも、アイオーンはふたりの拘束術を解こうとする動きを見せなかった。この状況になることを受け入れている。

 そうなると判っていたからこそ、テオドルスとラウレンティウスのふたりだけでアイオーンを訪ねた。それに、特務チーム全員が部屋に押し掛けると、さすがに気が休まらない。部屋にやって来た目的は、兄弟で会話をすることだ。大勢に囲まれていると話したくても話せないこともあるはずだ。


「……兄さん。おれは、『本当の兄さん』の言葉が聞きたい。今の心にあるのは『意味のわからない負の感情』だけじゃないはず……。その感情を教えてほしいんだ」


「……」


「どう言えばいいのか、わからない……? それとも、その感情は表に出したくても出せないの……?」


「……」


「教えて……。兄さん……」


 アイオーンは話さない。まっすぐにルキウスを見ているが、変わらず荒々しい感情が渦巻いている目だ。

 話すことは無意味。ならば──。


「……教えたくないなら、おれと戦ってよ。怒りや憎しみを堪えられないなら、それをぶつけてもいいから」


「おい、待て……。もう会話を諦めるのか……?」


 ラウレンティウスが驚いた様子で異を唱える。すると、ルキウスは「違います」と言った。


「言葉の交わし合いだけが、『会話』でははないのかもしれないと思ったんです。むしろ、戦ったほうが思い出せるかもしれません──。かつてのおれたちは、常に何かと戦っているのが日常でした。おれたち〈灰色の兄弟〉は、どこの街にも定住せず、社会や常識からも外れた傭兵でしたから……」


「……戦いのなかに、ふたりの思い出があるということかい?」


 と、テオドルスが言うと、ルキウスは恥じ入るように少しだけ眉を八の字にした。


「戦闘狂だと思われそうですが……実際、おれたちは、人間らしくない生き方をしていたと思います。人間と星霊、それぞれの社会についての知識は知っていましたが……それは面倒事を起こさないようにするためであり、それに沿った暮らしはしていませんでした。食事についても、味や香りを楽しむことはせず、ただのエネルギー補給という意味合いが強かったです」


 ルキウスはアイオーンを見つめながら言葉を紡ぐ。ふたりにかつて過去を伝えながら、アイオーンの反応を伺っているようだ。


「……兄さんは、力を持つ者として、弱き者たちに助けを求められたらそれに応えていました。それは傭兵としての仕事であり、力を持つ者としての責務でもあったからです。でも……いつしか世間は、どんな人間や星霊よりも力が優れていて人格者だからという理由で、兄さんを人間ではなく『優しくて頼れる現人神』として見るようになり、在り方を押しつけられるようになったらしく──。おれは、生まれてまだ数年なので、その頃のことは兄さんから伝え聞いただけなのですが……」


 そして、ルキウスは口を閉ざした。しばらくしてから小さく首を振り、ため息をつく。


「おれが生まれて、一緒に傭兵をするようになって……いつの間にか〈灰色の兄弟〉というあだ名で呼ばれるようになった頃──兄さんが、人間や星霊の社会で生きることを避ける理由が解ったんです……。おれたちの心は、ただの普通の人間でした。おれたちは、称賛なんて欲しくありません……。ただ、『自分』がここにいていいと許してほしかった。自由に生きたかったんです。どんな魔物でも退治できて、悪を裁いてくれる強い存在を欲するのは理解できます──ですが、在り方を押し付けられると『自分の心』はここに在ってはいけない気がして……それが苦しかったんです……。おれたちは、力を求められているだけで、人としてのおれや兄さんの『心』は、〈きょうだい〉以外誰も見ようとはしてくれなかった……。それから、おれたちは街に滞在する時間をできる限り避けるようになり、感情も表に出ないようになりました」


 そしてルキウスは目を伏せた。やがて、ゆっくりとまぶたが開く。少年の目には、光が宿っていた。


「ユリア・ジークリンデさんと出逢ったのは、そういう時でした。初めて出逢ったときから、あの人はおれたちを神様扱いすることなく、ただの一個人として接してくれました。それから、雑談や食事を楽しめるようになって……いろんな感情を表に出せるようになりました。──兄さん。こういう思い出があったのを、なんとなくでも覚えてない……?」


「……」


「……あえて何も言わないのか、それとも言えないのか──おれには、わからないけど……どちらにせよ、それも〈きょうだい〉たちからの『妨害』なんだろうね……」


 アイオーンは変わらず黙り込んでいる。望んでいた会話は、いつまでたってもできないままだった。

 ──ルキウスは決心する。


「テオドルスさん、ラウレンティウスさん。やっぱり、おれはヴァルブルクに行きます。朝にご説明したとおり、事が上手く運べばそのまま例の魔術発動に移行します。なので、皆さんと来てください」


「了解」


「あとで行く」


「お願いします。……それじゃ、兄さん。ヴァルブルクで待ってるから」


 ルキウスは踵を返し、部屋を出ていった。

 彼の魔力の気配が消えてから、ふたりはアイオーンにかけていた拘束術を解除した。すると、アイオーンは小さく息切れをしはじめる。ルキウスへの負の感情に堪えていたからだろう。やはり、何かによって負の感情が生み出されている。


「……アイオーン。君はどうする?」


 耐えるだけでも息切れをするほどの消耗だ。そのうえ戦いまですることになれば、記憶を取り戻すどころか過労で倒れてしまう。


「……ヴァルブルクへ、行く──。これらの感情の正体は何なのか……理由が知りたい。このまま何もせずにいることなどできない……!」


 疲労がありながらも強い決意の言葉。そして、アイオーンはふたりに頭を下げる。


「だから、頼む……わたしを助けてくれ。だが……もしも、わたしの身に異変があれば──」


「そんなことは一生来ないよ。大丈夫だって」


「俺たちや、みんなもいる。それに、お前だってそう易々(やすやす)と意味の解らないものに負けるつもりはないだろう?」


 おそらく、テオドルスやラウレンティウスも不安を持っている。

 だが、ふたりはそれを見せることなく前向きな言葉をかけ、アイオーンの肩や頭をポンと軽く叩いた。その意味を察したアイオーンは、わずかにハッとして口をつぐむ。


「──ああ……そうだな。後ろ向きな言葉は、必要以上に心を蝕んでくる……今は口にするものではない」


 ふたりの友に背中を押されたアイオーンは、それから小さく笑った。

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