第二節 明日への調律 ④
「まずは、兄さんについてですが……もう少しだけ、会話をさせてほしいんです。なので、しばらく兄さんの動きを抑えつけてくれませんか?」
「──すまない。ひとつ質問があるんだが……君は、『アイオーンがセウェルスだった頃の記憶がすべて詰まったもの』を預かっているのだろう? それを今、寝ているアイオーンに渡すのは駄目なのかい?」
「今の兄さんにとって、その記憶は排除すべき異物のはずです。眠っているとはいえ、渡したらさすがに気づかれると思いますし、その時に記憶が壊される可能性もあります……。だから、兄さんが受け取ることを納得したうえで渡したいです」
「無意識に湧き出てくる負の感情に抵抗していて、ルキウスとの記憶についても悩んでいる雰囲気だったけれど──破壊されるという可能性もゼロではないか……」
ルキウスは頷く。
「はい……。『記憶』といっても、それは文章のような単純な情報じゃないんです。その時々の場面で抱いた兄さんの機微も記録されています。もしも『記憶』が壊れてしまったら、おれでは修復できないものなんです。……『記憶』は、兄さんの『魂』そのものなんです」
「その『魂』を壊されてしまったら、ルキウスのお兄さんは死んでしまったようなものか……。もしもの話だけれど……受け入れてくれなかったら、どうするつもりだい?」
「もしも、話し合いで解ってくれなかったら──もっと兄さんの記憶を揺さぶるために、ヴァルブルクへ向かいたいです。そこで、兄さんと戦います」
その時、場の空気が張り詰めた。
「兄弟で、戦う……」
イヴェットが呟く。
「命を懸けた戦いではなく、記憶を呼び起こすための戦いです。記憶のない兄さんは、疑問に思いながらも本気でくるでしょうから、おれも本気で挑みます」
「……俺たちには、何をどうすればいいのかわからない。──だから、俺はルキウスを信じる。ルキウスのやり方に従おう」
特務チームには何もできない。歯痒いことだが、ラウレンティウスはそのことを受け入れ、ルキウスを信じた。他の仲間たちも、彼の言葉を聞いて頷いている。
「そうだね……。ルキウスと兄さんの絆は、ルキウスにしか分らない。──では、ユリアを助けるには、どうすればいいか判るかい?」
「はい。ユリア・ジークリンデさんを助けるためには、とても大きな術式を展開しなければいけません。皆さんには、それを展開するための補助をお願いします」
「どんな魔術や?」
アシュリーが問うと、ルキウスは特務チームの顔を見て口を開く。
「……昔から禁術とされている──召喚術です」
禁術については、現代の魔術師なら誰もが知っている。
もはや禁術を発動させるための環境すら作れない現代だが、魔術の危険性を知るために、現在でも伝えられているのだ。
『禁術』と称される魔術は、世界そのものを混沌に巻き込むほどの影響力を持つとされている。
それに属する召喚術とは、この世には存在しないものでも喚び寄せることができるといわれている術だ。時代どころか異なる時空の存在すら喚ぶことができるという。
全員が戸惑い、息を呑む。
「それって、何が出てくるかわからねぇっていう魔術だろ……? 別時空にも繋がる可能性があるとか──」
「それは、『無計画に』召喚術を使用した場合の話です。面白そうだから何かを喚んでみようといった感じに遊び半分で召喚術を使われると、この世がめちゃくちゃなことになりかねません。だから、はるか昔から禁術に分類され、現代では術の危険性しか伝わっていないんでしょうね」
クレイグの質問に、ルキウスは説明を続ける。
「召喚術とは、この星に働きかけて『何か』を喚び出す魔術なんです。言い換えれば、この星に何かを召喚してくれとお願いする魔術なんです。その『何か』は、特定の存在を指定することもできます。術のやり方については、おれが知っているので大丈夫です」
「指定って、どないするん? なんか複雑な技術いるとか?」
アシュリーの問いに、ルキウスは首を振った。
「魔力とは、心が生み出す『想いの力』で、魔術や個々が持つ能力の効果を増幅させることができます。つまり、必要なものは『ユリア・ジークリンデさんと縁を持っているおれたちの強い願い』です。何も無い状態で召喚術を発動すると、召喚術は何を喚べばいいのかわからないので、その結果とんでもないものを喚び出してしまうことがあるんです」
すると、ルキウスは悩ましげに目線をそらした。
「ですが……召喚術を発動できたとしても、ユリア・ジークリンデさんを確実に助け出せるのかはわかりません……。この星の魔力には、〈きょうだい〉たちの残滓が残っているからです」
「敵対していた〈きょうだい〉たちとやらは、死してもなお邪魔してくるのか──」
ラウレンティウスは忌々しそうに眉間に皺を寄せる。
「その〈きょうだい〉たちは、負の感情というものが無くなれば世界から争いはなくなると信じていました……。それを否定され、野望まで阻まれてしまったことから、おれや兄さんに絶望を与えようとしているのかもしれません。あるいは、心が生み出す負の感情の危険性を、おれたちに解らせたいのか……」
「何にせよ、召喚術しか助ける方法がないというなら──俺はそれに賭けたい」
ラウレンティウスがそう言うと、ルキウスは頷く。すると、イヴェットが首を傾げた。
「ちょっと待って……。そのときに残滓をなんとかできたとしても、それって根本的な解決にはなってないよね? 残滓は、この星そのものと同化してるから、星の内界をどうにかしないといけないはず。だから、ほっといたら、またいつか問題を起こしてこない……?」
「可能性はあります。ですが、そのことについては大丈夫です。完全に消す方法はありますので」
「何をするの?」
「──詳細なことは後日にお話します。これ以上話すと、さらに夜が更けていきますから」
と、ルキウスは、どことなく言いづらそうに話をそらした。
「あー、そうだな……。そろそろ俺たちも食事をとったほうがいいな。寝る時には、日付けが変わっちまってるだろうけどよ」
ダグラスは、壁にある掛け時計を見た。
現在の時刻は、いつもだとすでに入浴も済ませて寝る準備をしている頃合いだ。しかし、それ以前にまだしっかりと食事をとっていない者もいる。
幸い、屋敷にはユリアが空腹になったとき用に備蓄してある非常食や栄養食、日持ちする軽食がたくさんある。作る時間が惜しいため、今日はそれらを食べることになるだろう。
「そうですね。明日もやることが多いですから、響かないようにもう休みましょう」
ダグラスの言葉にテオドルスが同意すると、部屋の空気が緩くなり、一同の肩の力も抜けていく。
そんなとき、テオドルスはなんとなく思っていたことをルキウスに伝えた。
「……生まれ方は、人間とは違うようだけれど──それでも、君は全体的な顔のつくりがアイオーンに似ているね。少し違うのは、目のかたちかな」
アイオーンは、少し威圧感のある凛々しい目だが、ルキウスは幼さがある柔らかい感じの目だ。ほかの部位はよく似ている。
ルキウスは真面目で素直な性格だ。アイオーンへの接し方を見るに、この子とともに傭兵をしていた頃のアイオーンは、自分の弟として可愛がっていたのだろう。
「星の内界から地上へ出てきたばかりの頃のおれは、どんな姿の人間になればいいのかわかりませんでした。そのときに、おれが生まれてくるまでの瞬間を見守ってくれていた兄さんの姿を模したから、ここまで似ているんです」
「──ルキウスは、お兄さんのことは好きかい?」
「はい。だから、おれのことを思い出してほしいです」
「そうか──。孤高で冷たくて近寄り難かったアイオーンが、はるか昔は立派に兄という立場として弟と育てていたなんてね……。意外な一面があったものだな」
テオドルスがしみじみと呟くと、ラウレンティウスがあることを思い出す。
「たしかに意外だが……アヴァルの違法研究所に閉じ込められていた子どもたちとは、苦手意識もなく一緒に遊んでいたな」
「小さい子がアイオーンに懐いて、膝に頭置いて寝てたよね。あの時のアイオーンは何も言わなかったけど、その子たちに対してちょっと懐かしさとか抱いてたのかな」
イヴェットもアヴァル国での任務を思い返すと、ルキウスがぽつりと言う。
「……おれにとっての兄さんは、親代わりのような存在でもありました。おれは、〈名もなき神〉から最後に分離した弱い力から生まれてきたせいか、生まれてすぐの頃は今よりも身体が小さく、ほかの〈きょうだい〉と違って意志薄弱で、表情も乏しかったので……」
「そして、ここまで大きくなったんだったね。とても大事にされていたことがわかるよ」
「はい。……そのせいか、ユリア・ジークリンデさんから見た兄さんは『ブラコン』だって思われていたようですが──」
「ブラコン!?」
その刹那、テオドルスが驚愕する。
驚いているのはテオドルスだけではない。ラインフェルデン家の血を引く者たち全員がざわついている。
「ユリアちゃんが『弟想い』じゃなくて『ブラコン』って思うほどだったんだ……!?」
「こういう時のあいつは、意味合いを意識して言葉を選ぶことが多い。わざわざ『ブラコン』という言葉を選んだということは──」
「過保護で兄バカ度が高いってことに違いねえな」
イヴェット、ラウレンティウス、クレイグが順に会話を繋げると、
「アイオーンがブラコン兄貴ヅラしてるところ、地味に見てみたいわ……」
と、アシュリーがこぼした。
たった一言の言葉で盛り上がりを見せた一族に、ダグラスは片手で顔を覆って呆れている。しかし、かすかに笑ってもいる。本来のアイオーンの意外性にツボを突かれたようだ。
「……全員、ブラコンって言葉に反応しすぎだろ」
「総長も面白がっているじゃないですか」
ラウレンティウスに指摘されると、ダグラスは「いやいや」と言いながら首を振る。
そんな一気に気を緩ませた特務チームに、ルキウスは無言かつ真顔で目線を向けていた。
「あっ。いやぁ……すまないね。私もアイオーンとはそれなりに長い付き合いがあるから、ユリアの言葉につい驚いてしまって……」
「いえ……。皆さんは平和な現代で生まれた普通の人間で、今日だけでも非日常的な出来事がたくさんあったのに、尻込みされるどころか変なところで盛り上がっているので──本当に肝が据わっている方々だなと思って……」
呆れていたかと思えば感心されていた。そして、ルキウスは微笑む。
「──だから、ユリア・ジークリンデさんは、皆さんを頼るんでしょうね」
彼らは、形容することが難しい不思議な『光』を放っている。
普通の現代人よりも遥かに頼りになる。しかし、戦士としての経験はまだ浅いと感じざるを得ない。くわえて、たまに軽いノリを素直に表すから少し不安になってしまう。
だが、それは、揺らぐことのない『光』があるからこそ。
それがあるから、あの人はこの人たちを信じている──少年は、そう思った。




