第二節 明日への調律 ①
夜の闇に包まれた旧ヴァルブルク領。
月に照らされた山の麓にある静かな森の中に、ルキウスが降り立った。
その瞬間、少年を『魔力を多く持つ獲物』と捉えた夜行性の魔物たちが次々とルキウスを襲う。だが、ルキウスは小虫を払うかのように自身が愛用する剣で斬り刻んでいく。森の中で魔物の悲鳴が響き渡った。
悲鳴が聞こえなくなると、ルキウスは森を抜けて領地の中央部へと進んでいった。
(──!)
しばらく経つと、遠くから魔力の気配を察知した。
人間ではない強大な気配が、こちらへと近づいてくる。
目に映ったのは、人ではない。強い輝きを放つ魔力の塊だ。
セウェルス兄さん。
ルキウスは手のひらに魔力を凝縮させ、やってくる閃光のほうへと放った。
ふたつの強く輝く光がぶつかると爆発が起き、それにともない暴風が広範囲に起きた。近辺にいた魔物たちの驚く鳴き声がかすかに聞こえてくる。
さらに、その爆発は地面を抉り、砂埃を舞わせた。地を照らしているのは仄かな月明かりのみであるため、目視だけではどこで何が来るのかわからない。
しかし、強大な魔力を漂わせる人物は、ルキウスのすぐ近くにまで迫っていた。
「兄さん……!」
ルキウスが声を上げる。
ぼんやりと人の姿が見えてきた。
「貴、様……は、ァッ……!」
今にも泣きそうな──殺意と苦しみ。
現れた青年の顔つきを見たルキウスはそう思った。
アイオーンは右手を刃に変化させており、冷や汗を垂らしている。さまざまな感情を抑えながら、ゆっくりとルキウスのほうへ歩いてきた。
「……『その意思』は、兄さんの本心じゃないよね……?」
苦しむ兄に駆け寄ろうとルキウスは一歩踏み出したが、兄の殺意を抱く目を見て踏みとどまった。
「兄さんは、星の内界に溶け込んだ〈きょうだい〉たちによって、おれに敵意を持つようになってしまっているんだと思う。兄さんが記憶を失っているのも、きっと〈きょうだい〉たちが──」
「だま、れッ……!」
アイオーンはルキウスに斬りかかった。ルキウスは剣で防ぐが、払おうとはしない。兄の目をまっすぐに見つめている。だが、兄の敵意は弱まらない。アイオーンは空いた手に魔力を集束しはじめた。
「──止めろっ!」
突如、天から青年の声とともに、ふたりの剣が交わるところに魔力で生成された矢が降ってきた。
その矢の先がふたりの剣が交わるところに当たると、矢を構成していた魔力が弾けて強い光がふたりを包む。一時的な目くらましだ。強い光で視界を遮られたふたりは咄嗟に間合いを取る。
「邪魔をするなッ! テオドルス!」
アイオーンは光を遮った腕を下ろしながら、天から降りてきたテオドルスに怒声を放つ。
「落ち着け、アイオーン。この少年は、どうやら敵ではない。カサンドラ様がそうおっしゃっていたんだ」
「カサンドラもテオドルスも騙されている! こいつは──」
刹那、アイオーンの口が止まった。時間が停止してように動かなくなり、やがて左手で顔を覆って苦しそうに唸りながら膝をつく。
「っ──あ、ァァッ……うっ、ぐ、ぅ……!?」
「アイオーン!?」
テオドルスが駆け寄ると、アイオーンは苦しそうに俯いた。
その光景を見ていたルキウスは、悔しそうに拳を握り締める。
すると、五つの魔力の気配が近づいてきていた。魔力を照明代わりに使用する発光術も見える。
ユリアの血から得た情報で、ルキウスは五つの気配の正体を思いつく──ダグラス、ラウレンティウス、イヴェット、クレイグ、アシュリーが到着した。
「皆さん……」
「……アンタがカサンドラ様が言ってたっていう、あの──?」
アシュリーが困惑した様子で少年に問いかけると、少年は頷いた。
「はい。ルキウスといいます。おれは、アイオーンの正体を知っています。そして、ユリア・ジークリンデさんが消えた理由と、今どこに居るのかということも知っています」
「はっ──な、なんだって!?」
単刀直入な説明にダグラスが大きな声を上げる。ほかの者たちも驚愕している。
「ッ──!」
すると、アイオーンが立ち上がった。
やってきたばかりのラウレンティウスたちは、殺意が満ちたアイオーンの気配に驚く。
「落ち着け! アイオーン!」
「急にどうしちゃったの!? 耐えられないほどの感情をむき出しにするなんて、らしくないよ!」
ラウレンティウスとイヴェットが、肩や腕を掴んで制止するも、アイオーンはふたりの手を振り払おうとした。
感情を制御できなければ、仲間を傷つけるのではないか。その可能性を案じたテオドルスは、魔術を使ってアイオーンの動きを抑えつけた。
「テオドルス──!」
アイオーンの睨みに対し、テオドルスは冷ややかな目を向ける。
「今の君はおかしすぎる。その自覚を抱けないのなら、こうするしかないだろう」
「……まさか、なんかの術式のせいか……?」
言うことを聞き入れようとしないアイオーンを見てクレイグが訝しむと、ルキウスは首を振った。
「いいえ。原因は、術式ではありません。星霊の核そのものが、こうなるように造られてしまっているからだと思います」
「どういう意味やねん……?」
アシュリーが問う。
「星霊として生きるための核や肉体を構築する際に、〈きょうだい〉たちによる『妨害』を受けたのでしょう。昔の記憶を覚えていないのも、そのせいかと……」
「はぁ……? なんやようわからんけど──それやったら、ユリアがどこにおんねん……? 死んでないんやろ……!?」
苛立ちと不安を押し殺したような声色でアシュリーは少年に迫り、ルキウスは動じることなく頷いた。
「はい。ユリア・ジークリンデさんは確かに生きています。ただ……この世ではないところに、ですが──」
「……!?」
その瞬間、ユリアの家族は絶句した。
どのように助ければいいのか。誰もが助けられる可能性を見いだせず絶望しているなか、ルキウスだけは冷静だった。
「大丈夫です。ユリア・ジークリンデさんを助ける方法はあります。そのためにも、まずは兄さんをもとに戻すことが必要です。助けるには難しい魔術を使うことになるので、兄さんがこの状態では難しいです」
そして、ルキウスは覚悟を決めて己の正体を開示する。
「……おれは、今この時代より遥か昔からやってきた存在です。時を越えて、ここにやってきました。──過去の時代では、おれは兄さんと一緒に傭兵をしていました。ある日の任務で、時を越えてきたユリア・ジークリンデさんと出逢い、それから三人で旅をしていました。ですが……ある事件が起きてしまったんです。そのせいで、おれたちは離ればなれになりました──。だから、おれたちは未来でまた会おうという約束をしたんです」
「いや、ちょっと待ってくれ……! たしかに、君はアイオーンに似ているが──」
戸惑いを隠せないテオドルスはとある疑問を呈し、ルキウスを見る。少年は、アイオーンに比べて目元が柔らかい。しかし、鼻筋、口、輪郭といったその他の部位はどことなくアイオーンに似ていた。
「アイオーンとは、未来からやってきたユリア・ジークリンデさんが知っていた『仮の名前』──この人が、星霊として生きていくために貰った名前です。人間としての名前は、セウェルス。おれたちは、人間でも星霊でもあるため、血筋という言葉は使えませんが……それでも、間違いなくおれの兄にあたる人です」
今までにも驚くことが多すぎたためか、現代に生きる者たちはとうとう声を上げずに黙り込んでしまった。
それでも、皆に知ってもらわねば──ルキウスは説明を続ける。
「この時代のユリア・ジークリンデさんは、過去へ行きました──『まだ何も知らないおれと兄さん』と出逢うためにです。ユリア・ジークリンデさんが過去へ行かなければ、星の記憶に矛盾が生じ、おれたちの記憶がおかしくなっていました。だから、ユリア・ジークリンデさんと兄さんは、記憶障害を伴う頭痛に悩まされていたんです。おれも、なっていました」
そして、ルキウスはアイオーンを見つめる。
「……兄さんは、おれが想像していた以上に〈きょうだい〉からの妨害を受けてしまっていた──。でも……約束どおり、もう一度生まれてきてくれて……永い時を生き続けてくれた……」
「先ほどから……意味の、わからないことを──」
テオドルスの術で動きを抑えつけられているアイオーンが、俯きながら唸るように言葉を紡ぐ。すると、ルキウスはアイオーンへと近づいた。背に帯びていた剣とそこに結んでいた首巻きを、俯くアイオーンの差し出した。
「……これ。兄さんの首巻きと剣。兄さんから預かっていたものだよ」
「──」
しばらくすると、アイオーンから嗚咽が聞こえはじめた。地面には涙が落ちる。
「何か……覚えてる……?」
「……何も、わからない……。なのに……お前への殺意が、止まらない……」
アイオーンは震えながら感情を抑えている。先ほどよりも理性が勝っている雰囲気だが、どことなく声には疲れを感じる。『負の感情を生み出す傀儡』となった精神を、理性で抑えこんでいるからだろう。
「兄さんの今の状況は、〈きょうだい〉たちからの『呪い』みたいなものなんだと思う……。負の感情にまみれて、苦しんで、悲しんで──あいつらは、自分たちの望みは間違っていなかったんだと、おれたちに言っているように感じる……。人間も星霊も、負の感情には抗えない。だから争いが始まるんだって、あいつらは思っていたから──」
アイオーンからの返事はなかった。
やがて、ルキウスは静かに深く息をつく。
「……兄さんは、しばらく眠ってて。起きてると、意味がわからないまま生まれ続ける負の感情に襲われて、苦しいだけだと思うから……」
この言葉への返事もない。それでも、拒絶や抵抗する様子もない。
「今までのおれは、ずっと兄さんに守られてばかりだった。だから、今度はおれが兄さんを守るよ。おれ、頑張るから──兄さんは休んでて」
そう言いながらルキウスは両手を伸ばし、アイオーンの頬を包んだ。
俯いていたアイオーンがわずかに顔を上げ、少年の目を見る。
体内の魔力がルキウスによって操られているが、アイオーンは無抵抗のまま意識を手放した。ルキウスは倒れる兄を抱きとめ、兄の肩に顔を埋めて抱き締めた。
この時点で、アイオーンとルキウスが兄弟であることに疑問を抱く者など、もはや誰もいなかった。
「……やはり、断片的な説明ではまったく理解できないかと思います。なので、ユリア・ジークリンデさんと初めて出逢った日からお話します。おれが知っていることと、この時代の母なる息吹を調べたことで判明した『星の状態』のことも──すべてお伝えします」
ルキウスは、兄の肩に埋めていた顔を上げた。
その頬には、かすかに涙の跡があった。




