第二節 暗影 ①
次の日になると、ユリアたちは早朝からヴァルブルクの調査に向かった。昨日と同じく、魔物はユリアたちを捕食しようと襲ってくるが、特務チームの敵ではない。
そのため、いくつかに分散して調査を行うことにした。ユリアは、土地勘があって魔物に負けることはないからと、ひとりで行くことを望み──そうしたら、今日も昨日と同じく無茶をしたら食事を減らすと釘を刺されてしまった。もはや人質ならぬ飯質である──、広大なヴァルブルクにある小高い丘から周囲を見渡していた。
ヴァルブルクは広いため、手練れの魔術師といえども、この非常事態をたった八人で素早く調べきることなど無理だ。そもそも原因の検討すらついていない。あるとすれば地脈だが、地脈は地中深くにあるもので、それも星全体にあるとされている。地上に生きる者にとってはあまりにも大きすぎており、その詳細もよくわかっていない。
魔物と戦うだけでは、何も見つけられない。時間だけがいたずらに過ぎていく。あの白いローブを着て、フードを深く被った不審な魔術師の姿も見当たらない。
「……」
相変わらず魔力が濃い。魔力の量は、これからも多くなっていくのだろうか。これ以上さらに濃くなれば、現代生まれの仲間たちは身体に何かしらの異常を感じてしまう。
すると、背後から魔力の気配が近寄ってきた。これは、ラウレンティウスの気配だ。
(どうしたのかしら……。何かあった……?)
人間の体内から生み出される魔力の気配には『個性』がある。魔力の気配の差異に敏感であると、魔力の気配を察知しただけで知り合いかそうでないかが判る。
どのようなものかというと、例えるなら他者の外見を見て印象を判断するようなものだ。優しそう、怖そう、明るそう、暗そう──そういう雰囲気が、魔力の気配でも判る。
一緒にいる期間が長くなると、その人の顔を覚えて知り合いだと判断できるように、魔力の気配だけで誰だか判るようになるのだ。
現代生まれの仲間では、おそらくクレイグが一番習得できるだろう。彼も魔力の気配の差をよく感じ取れている。
「どうしたの? 何か異変でもあった?」
ユリアは振り返り、こちらに来た理由を問うた。顔を向けているが、目線は少し外している。
特に理由はなく、近くにいたから寄ってきたのだろうか──。
「いや、違う。……勘違いなら別にいいんだが、昨日から俺のこと避けてないか?」
「どうしたの、急に。避けてなんていないわよ」
その指摘をされて思わずどきりとしたユリアだったが、その感情を顔に出すことはなかった。
「……何か、気に障ることでもしたか?」
「していないと言っているでしょう」
「だったら、なんで俺の顔を見ようとしない?」
「そこまで顔を見ながら話していたかしら」
「相手の目を見ながら話すのがお前だろう」
ユリアは静かにため息をつき、目を伏せる。
さて、なんと答えればいいのか。
居心地が悪くて落ち着かず、当たり障りない言い訳が出てこない。
(……この人からプロポーズされた時に、私が少しでも『前向きな言葉』が言える精神であれば……このような気持ちにはならなかったのかしら……)
だが、その『前向きな言葉』は言えない。
あの日の後悔は、今も心を蝕んでいる。戦士として戦い続けたい。
それでも、彼を束縛するような欲望があるのは、身内として、仲間として、みんなと共に歩めるこの時間が続いて欲しいと願っているからだ──幼い頃から渇望し続けていた『家族の繋がり』がここにある。身内と認めてくれる人たちが自分の傍にいる。その感覚が嬉しい。だから、離れていってほしくない。失いたくないと思ってしまう。
まるで幼い子どものような我儘だ。いつまでも、みんなを心の拠り所にし続けるわけにはいかないことなど、わかっている。みんなには、みんなの人生がある。
わかっているくせに心が苦しい。
どうすればいいのか、わからない。
「……ヴァルブルクがおかしくなった理由がまったく判らないから、不安で落ち着かないのよ」
子どものような我儘を抱えながらも、ユリアは冷静に言葉を返した。
この答えでも間違ってはいない。本音がもうひとつあるだけ。
隠してごめんなさい。絶対にあなたを困らせてしまうだろうから、言うことはできない。
「……この前代未聞の異常は、さすがのお前でも不安か」
「ええ。さすがにね……」
とりあえずは納得してくれたようで、ユリアは内心ホッとした。心がもやもやとしていても、今はヴァルブルクの問題と向き合わなければ。
せめて、現代では滅びたはずの種の魔物が出現している原因をつきとめたい。
「──魔物は、幻影術によるものではなかった。ここまで大量にいると、何者かによってヴァルブルクで魔物そのものが作られているという線も現実的ではないわね……」
鍵を握るのは、顔のわからなかったローブの者か。ひとりでいれば、また襲ってくるかと思っていたが、その様子はない。探そうにも、広大なヴァルブルクの地と手練れの魔術師ということで骨が折れる作業となるだろう。しかし、何か可能性があるとすればその者だ。
その時、ユリアはふと思った。屋敷に帰り、次の日を迎えてからまたヴァルブルクまでやってくる──なんだか効率が悪い気がする。
「その前に、ラルス……。夕暮れになったら屋敷に帰って、朝になったらまたヴァルブルクに向かうというのは、少し面倒だと思わない?」
「まあな」
「数日分の食料とキャンプ道具を持ってきて、ヴァルブルクに泊まり込んで調べたいものだわ」
「ひとりでか?」
「不便で寝づらくても気にならないのなら、あなたたちも一緒にどう? 私は慣れているから平気よ」
「食事の量がいつもよりかなり少なくなるが、それに耐えられるのか?」
その疑問に、ユリアは得意げに笑う。
馬鹿にしないでほしいわ。この環境下であれば、そんなことは私が会得している技術でカバーできるのよ。
「心配ないわ。狩りをすればいいだけの話だもの。魔物のお肉も食べられるものだから。よければラルスも食べてみる? 見た目はアレでも、食べてみるとなかなか美味しい魔物もいるのよ」
それは昔の時代に生きていた人ならではの発想だったようで、魔物の肉を食べると聞いたラウレンティウスは少しだけ複雑そうに顔を歪ませた。
「……そもそも、魔物の肉には多かれ少なかれ魔力が含まれているはずだ。お前はともかく、俺は短時間のあいだに魔力を摂取しすぎると危険じゃないのか?」
「大丈夫よ。ものに含有している魔力を除去する方法があるから。それも魔術だから、あなたにも出来るわ」
「……」
安全に食べられることが判ると、ラウレンティウスは黙り込んだ。今の彼の顔は、見るからに拒絶反応を示している。
「魔物を食べることは嫌? けれど、ここには普通の動物なんて滅多にいないから、お腹が減って仕方がなくなったときは我慢してちょうだい。普通のうさぎや鳥に似た魔物もいるはずだから、そちらを獲っても大丈夫よ。山菜を採ることもできるし、この近くには大きな川もあるから魚も食べることができるわ」
「……食事面のことはわかった。だが、魔物は夜だろうと活動する種類もいるんじゃないか? 寝ている時に魔力を察知されて襲われるのは、さすがに嫌だぞ」
「術式を組み込める建物のなかで寝れば大丈夫よ。魔物は、民家があっても魔力の気配がなければ襲ってこないわ」
「ということは、ヴァルブルクの民家か?」
「ええ。民家にも術式を組み込めるわ。だから、わざわざ頑張って防壁の術式を起動する必要はないわよ。術式を組み立てる必要はあるけれどね」
ラウレンティウスはしばらく考え込むと、軽く息をついた。
「……一泊だけでも、ヴァルブルクで寝泊まりして探してみるか。現代人にとっては慣れない過ごし方だからな。あまり長く寝泊まりすると、逆に疲れて戦いにくくなりそうだ」
「そうね。みんなにもどうするか相談してみましょうか」