第五節 約束の贈り物 遥かなる時へ ⑤
──ヒルデブラント王家が資料を管理しているはずよ。だから、まずはカサンドラ様に会いに行って。あと、髪と目の色は私と同じ色に変えていきなさいね。『本物のユリア・ジークリンデ』を知る人だという証拠になるはずだし、今の色だと現代では変に目立ってしまうわ。……やるべきことが多くて大変だけど、これらのことは出来るわよね?
──はい。絶対に……!
──今なら、セウェルスのおかげで目的の時間軸に辿り着けるでしょう
ルキウスは頷く。
──『計画』のために、姉さんが過去へ飛ばされた日よりも、もっと過去へ行きます。だから、ここで待っていてください……。未来にいる兄さんや皆さんと一緒に、姉さんを『呼び』ますから……!
──ええ。待っているわ
『時』がないゆえに、この空間には『死』もない。無のなかを漂流し、ずっと生き続ける。
大丈夫だ。必ず、迎えに来てくれる──。
別れは悲しい。だが、再会という約束と希望がある。セウェルスと同じだ。
ルキウスが離れていく──姿が、見えなくなった。
セウェルスの気配はまだ感じる。
ありがとう。でも、大丈夫よ。あなたも、もうじき限界でしょう? それに、私のなかにある寂しさがもっと膨れ上がってしまう前に、寂しさに慣れたいの。だから、もういいのよ──。
それでも、彼の気配は、ユリアの周りに留まっていた。
うれしいけれど、ひどいわ。長く傍にいられると、離れた後の悲しさが強くなってしまうじゃない。
やがて、彼の気配が消えていった。
ということは、セウェルスは──。
大丈夫。未来は、きっと大丈夫。
私は、みんなを信じている──。
また会える。
私も、会いたい。
◆◆◆
ルキウスとユリア、そしてセウェルスが星の外界から消え去ってしばらく経った頃のこと。
エレスドレアが禁足地と指定している神殿付近の林に、とある二人組が訪れていた。
「……このあたりだってのは間違いねえんだよな?」
「うん。使い魔によると、このあたりにいたらしいけど──」
ディゼーリオとレティエムだ。
この付近には誰もいない。
だが、人が踏み入ったあとがあった。足跡だ。〈名もなき神〉と深い縁があり、聖域でもありこの禁足地に平然と進入することができるのは〈きょうだい〉くらいだ。
「いる気配がねえな……。けど、魔孔から噴き出る魔力が正常化したってことは……やっぱり兄は、あの返事のとおりに星の内界に行ったってことなんだろうな──」
焦燥感を隠しきれないレティエムは、地面に手をつけて魔力に意思を流した。
──兄ぃいいい! 星の内界でやるべきことやったんならこっちに来いよぉおおお! まだ生きてんだろ!? コソコソしたってわかってんだよぉ!
といったような暑苦しく力強い意思を流している。
「星の内界にある力は、僕らよりもはるかに強大なものだから……レティエムちゃんの『声』は、かき消されちゃうんじゃないかな──」
ディゼーリオがそう呟いた、その時だった。
強い魔力の気配を感じた。
場所は、魔孔がある方向──禁足地の神殿からだ。
レティエムとディゼーリオは顔を合わせ、即座に魔力の気配を辿りながら走る。
「これの光って……『生まれる前の〈きょうだい〉』じゃない!?」
神殿にやってくると、そこには強い輝きを放つ光が浮いていた。その光は、大気にある魔力を急速に吸収していっている。
「とんでもない力だな……。ってことは、これは兄か!?」
光は輝きを増していき、低い音を唸らせていく。
やがて光は爆発したかのように強く輝いた。
レティエムとディゼーリオは腕で目を隠し、強い光を防ぐ。
その大きな光の中から現れたのは、簡素なローブのようなものをまとった、毛先がうねった白銀色の髪を持った長身の美丈夫だった。
「おにい、さん……?」
ディゼーリオが訝しそうに呟く。
美しい青年の姿をした者が、目を開く。光は消え、寝起きのようにぼんやりとした顔で地に降り立った。
「星霊になった時のたてがみのような髪質に、紅い目……気配も星霊──。本当に……使い魔から届けられた兄の返事のとおりのことが起こりやがったのか……」
呆然とした様子でレティエムが青年に近づくと、彼はわずかに首を傾げた。
「……だれ、だ……」
「……絶対に、全部あいつらだ──! 星をいじくった〈きょうだい〉たちのせいだ……!!」
レティエムは拳を握りしめて憤慨した。ディゼーリオも悔しそうに眉を顰めている。
生まれたばかりの星霊は、不思議そうに強く握りしめられている彼女の拳を見た。目覚めたばかりだからか反応が薄い。
「本当に、何も覚えてない……? セウェルスっていう名前は……?」
ディゼーリオが問いかけると、青年はかすかに訝しがる。
「セウェ──? 誰だ……? ……わたしの、名は……」
なんだ……知っている気がする……。
その言葉をぽつりと零しながら青空を見上げ、やがて口を開いた。
「アイ、オー……ン……だったか……」
アイオーン。
その名が出てくると、ディゼーリオは深く息をついた。
「そうか……。〈きょうだい〉のようで、〈きょうだい〉じゃない──〈名もなき神〉に近い星霊になったんだ……」
「なにか、おかしいのか……?」
「いやいや、なんにも」
ディゼーリオは無理やり笑顔を作った。
レティエムも拳を解き、静かにため息をつく。
「……あたいらは、あんたのことを知っている。これから、あんたは……気が遠くなるほど永く生き続けないといけないのさ。あんたが覚えてなくとも、『こうなる前のあんた』が決心したことだからな──」
レティエムの言葉に、アイオーンは不思議そうにしている。
すると、彼女は虚空から金色に輝く杯を出現させた。
「……兄の言葉とはいえ……まさか、ほんとにこんなことになるなんて思ってなかったけどな……」
「──って、それって……。今、レティエムちゃんの街は大丈夫なの? その金色の杯、街を防衛するために造ったものでしょ?」
「仲間の〈きょうだい〉に事情を話したら、あいつらがあたいの街の警備を請け負ってくれてよ。──あいつらも複雑そうだったけどな……」
「だろうね……」
暗い声色で話すふたりをよそに、アイオーンは青空を見上げていた。目に焼き付けるようにジッと空の色を見つめている。意味がわからないのか、ふたりの話には興味がないようだ。
セウェルスとアイオーンは、姿に似ていても中身はまったく違う。そんなアイオーンの様子に、ふたりは形容し難い感情を抱いていた。
「──ところでさ、レティエムちゃん。街の防衛に使うものなのに、なんで金色の杯の形にしたの?」
ディゼーリオが話を変える。その声色は雑談を楽しむ明るいものだった。
「いいじゃねえか。趣味だよ趣味。こういう輝いたモンで飲む酒は最高だろ? そんで美男美女を愛でんだよ。最高の時間じゃねえか」
レティエムもいつもどおりの口調で答えている。
これは余談だが、ユリアたちが任務でアヴァル国の遺跡に向かった際、クレイグが聖杯の形の理由を深く考察していたが、真実はレティエムの趣味だったということである。
「えー。僕はただ可愛い女の子と遊びたーい。綺麗な男の人は、別に興味ないもーん」
「ほんっとにディゼーリオとは趣味似てるようで合ってねぇよな……。なんで解んないんだよ」
と、レティエムはため息をついた。
そしてチラリとアイオーンを見る。変わらず空を見上げており、ふたりの会話など気にも留めていない。
「……このやり取りに呆れたり、『馬鹿』とか『問題を起こすな』とか『さっさとしてくれ』っていう小言も言ってくれないんだね……」
ディゼーリオは、目を伏せてぽつりと呟く。
レティエムは頭を掻き、「そうかい……」と感傷にふけったような声を出した。
「──あーあ。一回くらいは、恋に狂った兄を見てみたかったもんだぜ。徹底的にイジって、冷やかしてやりたかったな」
「だよねぇ……。まさか、最後の最後にお兄さんからそんな感情を抱いていたという返事が来るなんて思いもしなかったし……。どんなふうに想いを伝えるつもりだったのかな──」
ふたりは雑談を止めない。
その先にある事を見ないように目を背けているようだ。
「……先ほどから、何の話をしている……?」
雑談を広げるだけで何がしたいのか。その理由を読み取れなかったアイオーンは怪訝そうにふたりを見る。会話の内容を気にする様子はなかったが、一応聞いてはいたようだ。
話しかけられたレティエムとディゼーリオは驚いた。「あー、ごめんごめん……」とディゼーリオが慌てて謝罪し、小さく咳払いをした。
「──ねえ、アイオーンさん。覚えていなくても、僕たちを助けてくれてありがとうってことは言わせて。……それから、絶対にあのふたりとはまた会えるよ。僕はそう信じてるから」
「……何の話だ?」
アイオーンが問うと、レティエムは首を振る。
「あたいらは、あんたに何も教えてやれない……。それが約束だからな。──ところで、『ユリア・ジークリンデ』っつー、人間の女の名前は知ってるよな?」
「ああ……。これは、名か……。誰の名だ……?」
「遥か先の時間で出逢える、あんたの運命──いや、違うな。そんな枠組みには当てはまらない。『果たすべき約束』って言ったほうが正しいかもな」
「約束……」
「あー……。これ以上、一緒にいたら全部喋っちまう……。約束守れねぇ……」
レティエムはまた深く息をついた。
そして、彼女は決心した。
「あたいらが出来ることは、ひとつだけ──せめて、苦しみが短くなるように……異空間を作るから、そこで眠っててくれよ。異空間の維持に限界が来たら、また起きて外に出れられっからよ」
「……」
「……抵抗……しないんだな……?」
「ここにいても……何をすればよいのか判らぬゆえ……。理由を知るそなたたちの言葉に、従うことにする。……ともかく、眠ればいいのだな」
「……そう、だよな……」
レティエムは聖杯を掲げた。
ディゼーリオも魔力を操る。
アイオーンの身体が、淡い光に包まれていく。
「んじゃあな、兄。──あたいらのことは、忘れてていいからよ。いつかは思い出してくれよな。……おやすみ。今までありがとな。楽しかったよ」
「おやすみ……。僕らのお兄さん」
アイオーンはゆっくりと目を閉じた。
姿が溶けるように消えていく。
時に別れは唐突に。そして、望んだかたちでもなく、
レティエムとディゼーリオの頬に涙が流れた。
ふたりは解かっていた。アイオーンは、永く眠り続けたことでこの日のささやかな記憶を失い、ひとりで意味もわからず放浪することになる。別れと孤独に、ふたりは涙した。
これは、この星でたしかに起こった『残されなかった歴史』のひとつ。
◆◆◆
それから、幾星霜の時が流れた。
エレスドレアの街があった地が、旧ヴァルブルク領と呼ばれるようになり、文明がさらに進んで人々の暮らしが豊かになった時代。
それは、ある日のことだった。
旧ヴァルブルク領の地の上空に、小さな歪みが出現した。
そこから現れたのは、人の手、腕、肩──人間が姿を現した。十代半ばほどの見た目をした、現代の服を着た少年。彼の名は、ルキウス。
魔力で風を操り、ゆっくりと地に舞い降りる。空にできていた歪みは、溶けるように消えていった。
ルキウスは、あたりを見回した。誰もいないことが確認できると、小さなため息をついた。
ユリアに言われたと通り、ルキウスはすでに髪と目の色を、彼女のものと近い色味に変えている。
「──」
ルキウスの目には疲労感があった。
それもそのはずだ。実兄は、星を守ったことで記憶を失い、さらには永い時を彷徨うこととなった。そして、姉と慕う人は、自らを信じてこの世でもあの世でもない空間に閉じ込められている。
少年は、疲れた目で空を仰ぐ。空を懐かしむように見つめた。
穏やかな風が吹き、金の髪が靡くと、少年は自分の髪を目に映した。今は、もとの白銀の髪にはできない。
やがて、少年の目は悲しみに満ち、ゆっくりと閉じた。
「……これから先は、ひとりだけ──」
弱々しくそう呟いた少年は俯くと、やがて疲れたように息をつきながらその場に座り、両膝を抱えてうずくまってしまった。そして、少年は小さく嗚咽を漏らしはじめる。
兄さんは、おれのことを思い出してくれるかな──。
姉さんは、本当に生きているの──?
あの空間に『果て』など存在しない。
死という概念がないところであっても、力のない者が誘導者を見失えば出られない。意識を失うこともできず、永遠に無の空間を彷徨い続ける。
ルキウスがあの空間に戻っても、ユリアを見つけることは叶わない。ルキウスの『時を越える力』は不完全なものだ。そのうえ、目的の『座標』を目指すだけでもかなりの体力を消耗してしまっている。
おれは……やっぱり、まだ未熟だ……。姉さんを守れなかった……。兄さんがいたら、こんなことにはなっていなかった──。
そして、少年は、生まれてはじめてたったひとりになったことを自覚する。
ひとりとは、こんなにも寂しくて不安だったのか。
しばらく時が流れたあと、少年は顔を上げる。
──違う。これは、こうなる未来だった。だから約束した。後悔と不安に囚われていても何も変わらない。何もできない。
少年の頬には涙が流れており、恐怖と不安が入り乱れた顔をしていた。
そして、少年はまた空を見上げる。誰かを恋しがるように空を見上げる。
「……駄目だ。こんな調子だと何も果たせない……」
姉さんは死んでない。本当の兄さんを取り戻す。
少年は涙を拭き、立ち上がった。
手の甲で拭った涙を見て、「何やってるんだ。なんのためにここに来たんだ」と己を叱咤する言葉を呟く。
「約束のためにここに来た……! だから、行かないと──!」
少年は、広い大地に決意の目を向けて歩きはじめた。
目指す場所は、ヒルデブラント王国。その王家が居住する宮殿にカサンドラ女王はいるはずだ。
そして、少年の姿は、光の粒子となって消えていった。
第三章、終了です! やっと第二部の最後に書いた『断章』のエピソードに話を繋げることができました……。
それにしても、第二章と第三章は、ある意味では過去編となるストーリーでしたが、書いてみると意外と長くなってしまった……。
何はともあれ、次回からようやく現代に話を戻せます!
いろいろとややこしい話になってきましたが、ひとまず物語を書ききるために突っ走ります!




