第五節 約束の贈り物 遥かなる時へ ④
「兄さん……どうやって、外界に戻ってくるつもりなの……? 〈名もなき神〉の力を手にしていても、星の内界の力には……きっと──」
ふたりの会話を静かに聞いていたルキウスが、今にも消えそうな声で兄に問う。
「ああ……。また『生まれて来る』しか方法はないだろうな……。星の内界に長く居続ければ、さすがに肉体は分解されてしまうだろう。それでも、一部でも星の主導権を〈きょうだい〉から奪い取れば、俺の望むように生まれることができるはずだ。──心配するな。また外界に戻って来る。お前たちが見つけられるよう『この姿』でな」
「……うん。また会おう……兄さん。未来で、絶対──」
「ああ。絶対だ」
そう言ってセウェルスは微笑むと、腰に帯びていた長剣──セウェルスの長身に合うよう作られている、通常よりも長い剣──と、灰色の首巻きをルキウスに渡した。
「これらをお前に預けておく。このふたつだけは、星の力に分解させたくはないからな」
「……首巻きには、何の思い出があるの?」
ユリアが聞く。
「これは、ルキウスが俺ために買ってくれたものだ。ルキウス自身が貯めたお金でな。その時は、ちょうど砂漠があるところで仕事をしていたんだ。魔術を使わずとも首元に入ってくる砂を防げるからと買ってくれた」
ルキウスがはじめに着ていた服は、首元がしっかりと閉じたものだったが、セウェルスの服は弟の服ほど砂の侵入を防げない襟付きのものだ。弟からの気遣いを、ずっと大切に身に着けていたようだ。ルキウスはそれらを受け取ると、周囲を見渡した。
「……姉さん。ここって、未来でも魔力があって神殿も残されているんですよね?」
「ええ。残っているわよ」
「──兄さん。だったら、このあたりに異空間を作って保管しておくよ。〈きょうだい〉でも、相当な察知能力がなければ観測されることもないだろうから。物の時間を止めれば、劣化する心配もないだろうし」
今のルキウスは、ユリアの血を得たことで時間を操れるようになったのだろう。
少年は、その場に変わった気配を漂わせる空間を作った。そこに、兄から預かったふたつの品と、自分が愛用している長剣を入れた。武器を直接、現代に持っていくと目立つと判断したのだろう。
その光景を見ていたユリアは、これから起こるであろう『矛盾』を思いついた。
(──? ルキウスが『私をこの時代へ送ったローブの者』だったら、これから未来へ向かう私とルキウスは、『同じ時間軸に降り立ってはいけない』のではないかしら……? そもそも、ルキウスが『ローブの者』になった理由は何……? どうして顔を隠していたの……?)
それに、知っていることに差異はあれど、同一人物が同じ時間軸にふたりいることはおかしい。目的の時間軸に着いたら、当時のユリアと今のユリアは『融合』でもするのか。
それとも、ルキウスがユリアだけを別の時間軸に送ってくれるのだろうか。そのあたりがまだ不明瞭だ。
(くわえて、ヴァルブルクの急な環境変化──あの地だけが、魔力が急激に増えた理由や、魔物がやってくる理由すらまだ何もわからない……)
未来の時間軸で、ヴァルブルクで起こっている謎。
『ローブの者』が起こしたのか? だが、『ローブの者』がルキウスならば、どうしてあんなことをしたのか。
どうして『ローブの者』は、アイオーンへ接触しなかったのだろうか。記憶がなくとも、アイオーンはルキウスの兄であるセウェルスだ。
考えられることは──。
(まさか……時を越えるときに……私の身に何かが起こった……? セウェルスがアイオーンとなるときに、〈きょうだい〉に何か『妨害』された──)
ユリアがその推論を思い浮かべた──刹那。
「なッ──!?」
周囲の景色が、突如として真っ黒に染まった。まるで映像の途中で、急に黒い画面に切り替わったように、一瞬で。
あまりにも突然すぎることだった。
魔力の気配は感じなかったため、この状況になることを防ぐことは誰にもできなかった。
「何なの、これは……!? 身体が……重い……!」
身体全体に圧力をかけられているような感覚がある。それは身体の行動だけでなく、魔力を抑えつけるものだ。
「〈きょうだい〉の意思が、星と同化している……星が乗っ取られかけているのか──!」
セウェルスは、この力から何かを感じ取れるようだ。しばらくすると、抑えけられていた力が緩まった。
「時を越えるための『道』を開いて逃げろ! 俺は星の内界へ向かい、妨害を止めながら星をもとの姿に戻す!」
力が緩まったのはセウェルスが敵の力を防いでくれているようだ。この力は大いなるものであり、もとが人間であるユリアにとっては未知なる力だ。
突如としてやってきた別れの時。
ユリアとルキウスは、まだ半端な覚悟しか持っていなかったことを悟る。
「兄さ──!」
「覚悟を決めろルキウスッ!!」
ルキウスの悲痛な声に、セウェルスは叱咤した。ルキウスは涙を浮かべながら頷く。
しかし、セウェルスの本心はふたりと同じだった。早く逃げるよう急かしたが、ユリアとルキウスの腕を強く引っ張り、胸に抱き寄せる。
残された時間は、もうない。
「必ずまた会える。未来で待っていてくれ──」
願掛けをするように囁くと、セウェルスはふたりを強く突き放した。
その際に、彼の手から紅く輝く小さな石が放たれた。気配から察するに、それはセウェルスの血を凝固させたもののようだった。それはルキウスの胸あたりへと近づき、そのまま入り込んでしまった。
「兄さん、これ──」
「『もうひとつの俺』だ。それをアイオーンに与えてくれ。『未熟な俺』が、『本当の俺』に戻れるだろう。──頼んだぞ」
それは、彼が見たすべての記憶とその時々に抱いた感情が刻まれているもの。セウェルスの『魂』だ。
また、圧力をかけられているような感覚が強くなってきた。この空間自体が潰れていっているのか。
永い別れとなる実感がない。誰もが涙を流せなかった。
──それでも、命の危険にさらされていることには変わりない。
この星のために、未来のために、やるべきことがある。
セウェルスはふたりに背を向け、空間を開いた。ユリアもよく知る『星の内界に行くための扉』だ。
ルキウスも背を向け、ユリアの手を引いて感じたこともない気配が漂う『扉』を開いた。これが、時を越える道。
ルキウスとユリアは、ともに『扉』に入った。そのときにふたりは後ろを振り向いたが、もう彼の姿はなかった。
◆◆◆
──ここまで干渉してくるなんて……
ルキウスに引っ張られるかたちで、ユリアは月白色の空間を飛んでいるように移動する。
どこに進んでいるのかわからない。そもそも進めているのかということも判断できない。
この空間に来てから五感が無い。喋れない。息もできていないが、生きている。
もしかしたら、ここには『時』というものがないのかもしれない。
『時』がないということは、生物に対する生と死という概念も存在しないのだろうか。無機物には、劣化というものがないのかもしれない。
どこにいけば、どこに辿り着くのか──。それはおそらく、この空間を開いたルキウスのみ知っている。ルキウスは、何かを目指しているように見える。
喋れないが、繋いだ手の魔力からルキウスの意思が感じる。意思疎通は可能だ。
──向こうに行きたいのに、押し戻されてしまう……! 無駄な力を使わせて体力を消耗させるつもりだ……!
敵対する〈きょうだい〉たちから妨害を受けて、押し戻されている──。ルキウスから感じた意志はそのようなものだった。
ユリアには何もわからなかった。ルキウスがいなければ、何もできない。
でも、わかることがある。
今の私は、ルキウスの重荷にしかなれない。
──ルキウス
魔力で呼びかけると、ルキウスはユリアを見た。何かを言いたそうに苦悩の目を向けている。
彼の言いたいことが、わかる。
ここに来る直前に自分が『勘づいたこと』は、おそらく正しい。
──ルキウス、私は大丈夫よ。だから、ひとりで突破しなさい。ここには、おそらく物質や生き物に対して『時』という概念がないところでしょう? だから、私は何も感じないのでしょうね……。だって、そろそろお腹がすく頃だというのに、何も感じないもの。喉の渇きすら感じないわ
ユリアは、なるべく軽い感覚でその意思を伝えたが、ルキウスは苦渋に満ちた顔を向けた。己の力不足を責めているのだろう。
それでも彼はよくやってくれた。兄とたったふたりで、星の内界で活動する大勢の〈きょうだい〉たちの力に抵抗してくれているのだから。
──『過去からやって来たルキウス』は現代にいるのに、『過去から戻ってきた私』は、『当時の私がいる現代』にはいない……。きっと、今このことがあったからだわ
これが、ここに来る直前にユリアが『勘づいたこと』だった。
ユリアが『過去の時代へ送られるまでの時間軸』には、『過去を知るユリア』はいない。
時を越える力など、たとえルキウスであっても連続には使えない。
きっと、彼とともに現代へ行こうとしてはいけない──。
──それでも……姉さんの苦しみを取り除くために、ふたりで脱出したい……。そう思っていたのに……
──あなたのせいではないわ。自分を責めないで。私は、つい先ほど未来の自分のことに勘づいたけど、あなたは前からわかっていたみたいね
──はい。姉さんの血を飲んでから、なんとなくですが……。それでも、おれにもっと力があれば、姉さんが苦しむ未来は変えられたかもしれない……
──違うわ、ルキウス。こうなっていいの。これで、私の知る未来になってくれる。これが正しいのよ
ユリアは、己の運命を受け入れていた。
諦めたのではない。
ここから先の未来には、希望がある。
彼なら、きっと『その希望』を成し遂げてくれる。
──私は……過去に飛ばされる前に、ルキウスに会っていたのね。初めてあなたの顔を見たのは、ウェールカトル祭の前日のときだったけれど……不思議な縁ね
これも、自分が〈星の特異点〉だからこその出来事なのだろうか。
ユリアは、愛おしそうにルキウスの頬を撫でる。
その時、何も感じなかったはずのユリアに、ある感覚が伝わる。
セウェルスだ。
彼の気配が感じた。星の内界で〈きょうだい〉たちの力を抑え込んでくれているからか。ルキウスも、何かを感じているように周囲を気にしている。
──大丈夫よ。現代であっても、あなたの力があれば、私はここから出られると思っているわ。だから、ルキウス……。あのヴァルブルクの環境を作り出すために、私が『あなたによって過去へ飛ばされた日』よりも、さらに過去の時間へ向かいなさい。ルキウスが『ローブの者』になるためにね
そして、ユリアは『とある計画』をルキウスの魔力に刻む。
──『その方法』で……姉さんを……
ユリアは頷く。
──そのためにも、これを持っていって。これが、きっと強い証拠となってくれるはずだから。証の言葉は、私の過去を知ったあなたならば判るわよね?
──はい
ユリアがルキウスに手渡したのは、ヒルデブラント王国軍の極秘部隊に属するという身分証明のための指輪だ。
未来を察していたユリアとルキウスにしか解らないやり取りは続く。




