第四節 『星』を掴む者 ⑥
「姉さん……。今思うと、おれと姉さんは結構似てると思います。おれも、やっぱり『普通』がいいなって思いますから──。みんなからは『現人神』って言われてますけど、そんなのには興味ないし……正直、神みたいになんてなれません……。だから、姉さんの気持ちはよく解ります。──でも、この強い力を持っていたからこそ、好きだと思うものを守りたかったという気持ちもありますよね。その気持ちも、すごく解ります」
ルキウスが、ユリアの過去を視たことによる素直な所感を伝えていく。
「姉さんは、『普通』を望む心を捨てられなかったことで、自分は『英雄』らしくないと感じて、自分を嫌っていたんですよね……。その感情がどんどんひどくなって、『民たちを騙している』という感覚を生んで、罪悪感を抱いてしまって──自分を『醜い存在』として仕立て上げて、『罰するべき人間』だと責めるようになっていったんですよね……。でも、もう苦しまないでください──おれたちからお願いです」
ユリアからの反応はない。
呪いによる動きもない。
「お前は十分頑張ってきて、苦しんできた。少なくとも俺は、すべてを知ってもお前のことを英雄だと思っている。お前は、共存派の人々にとっての希望となり、勇気を与え、他者のために戦い続けた。お前は、使命だと思っていたことを立派にやり遂げてきた。お前は『逃げて』なんかいない。──だから、もう自分を許してやったらどうだ……?」
変わらずユリアからの返事はないが、呪いも動いていない。
彼女の精神が、呪いを抑えつけている。
「アイオーンは、お前の身体に核を埋め込んだ時に、これらのことを知ったはずだ。今の俺のようにな──。だから、アイオーンは、お前のことを歴史に残したいと願ったんだろう。それは、お前が間違いなく英雄である行動を選べたからだ。己の望みや命を投げうって民を守った者が、英雄でないはずがない」
「アイオーンは……優しいからよ……」
セウェルスは、首を振ってユリアの言葉を否定する。
「お前の伯父である当時のヒルデブラント王もそうだ。かの王は、『逃げた』お前を責めたか? 逆に、お前を労っただろう。姪を『英雄』として祭り上げ、お前の本心を問いかけることなく『英雄』として戦い続けるよう求めていたんだ。そのことへの罪悪感は少なからず抱いていたはずだ。それに、お前のことを『罪人』ではなく『英雄』だとはっきりと言っていたはずだぞ。──未来にいる血の繋がらない家族に真実を話したときも、誰かお前を責めていたか? 誰もお前のことは責めなかっただろう」
そして、彼は小さく息をついた。
「生まれた瞬間から、お前は『逃げ場のない立場』に立たされ続けた。生まれる前から背負わされた責任を最期まで果たそうとした。民への愛を持った立派な王族であり戦士だ。今もそれは変わらない。だから、自分を許していい──許してやってくれ。お前に向けられた失望や幻滅などどこにもない。本当によく頑張った」
その後、ユリアからの言葉は無かった。
彼女は、セウェルスに抱きしめられながら小刻みに震えていた。
しばらく静かな時間が流れる。
そして──。
「……私は……あなたたちこそが『英雄』だと思っているわ……。不本意な生まれ方をして、普通の生き方もしづらくて──それでも、不完全なこの世を愛してくれるから……」
「いろいろと上手くいかない世の中だが……悪いことばかりではない。お前も同じだろう?」
「……ええ」
ユリアは、顔を上げた。明るさは無いが、憑き物が落ちたような顔をしている。
そんな彼女の顔を見たセウェルスは、ゆっくりとユリアから身体を離した。
「姉さん。少しずつ、自分にかけ続けていた『呪い』を解いていきましょう。今の姉さんなら、それができるはずです。それには勇気がいることだけど、今の姉さんならきっと大丈夫です。こうして、少しずつ前に進んできたんですから」
「……そうよね。もう、そういうことをやめないと──本当の意味で、前には進めない……」
ルキウスの言葉に頷くと、ユリアは肩の力を落とし、空を見上げて微笑んだ。
彼女の姿を見て安心したセウェルスは、軽くため息をついて彼女の背中を優しく叩く。
「未来に残された歴史には、なにひとつ嘘は無い。間違ってもいない。『あの日』の選択は、大勢の民を守るためであり、悔いる必要もない。──これからの人生は、胸を張って生きていけ。だから、自分を嫌悪して責める性格だけは直せよ」
胸を張って、生きる。
私は──『英雄』になれていた。
越えるべき『壁』は、自分の心をひとつひとつ解いていき、澱みの根本を探すことだったのかもしれない。
それこそが、自分を許せないという気持ちだった。
ユリアの目に、涙が浮かぶ。
ふたりが『私』を探して、導いてくれた。そして、認めてくれた。
自身の心の問題は、自分だけでは決して見つけることはできなかっただろう。人間でも星霊でもない彼らがいてくれたからこそ、ここに至ることができた。
胸の奥に澱んでいた重苦しい何かが消えていく。ずっと欲しかったものに手が届いたような気がする。
ずっと前から、誰かに言ってほしかった気がする。
あの選択を選んだことは間違っていない。だから、胸を張って生きてもいいのだと──。
(現代にいるときは、家族に囲まれて幸せを感じることができていたから──根本的な心の澱みから気をそらせていた……。自分を責める『呪い』なんて『間違っている』のに……よく判らない複雑な感情と向き合えなかったから、その『間違い』を正そうとは思えなかった……。それを乗り越えるための糸口も見つけられなかった……)
それをふたりが見つけて、私が乗り越えられるように言葉を贈り続けてくれた。それが、勇気と心の支えだ。
簡単なことのようで、とても難しく、どこか恐ろしいことだった。人の心というものは、本当に複雑で、たまに自分でもよくわからない。
それでも、本当の意味で乗り越えることはできたと思う。これで、最後だ。
「それと、『頭から抜け落ちているもの』は見つけられたか?」
「ええ……見つけられたわ。『誇り』と『希望』──でしょう?」
「正解だ」
セウェルスが満足げに微笑むと、次にルキウスが「これは、絶対に間違ってないことだと思うんですけど」という前置きをした。
「姉さんの両親は、姉さんのことを誇りに思っていたはずです。姉さんが小さい頃から、ずっと──。だって、大勢の人のためにこんなにも頑張れる人なんですから」
その時、ユリアの頭のなかで『あの日』の出来事がフラッシュバックした。
両親の最期。
私達を殺せ。お前は、ヴァルブルクの子──。
(あの言葉の、本当の意味……。もしかして、父上と母上は──)
両親は、娘なら誇りと希望を繋げてくれる──そう私を信じてくれていたから、そのような言った言葉ではないか。
その想いを込めて、「殺せ」と言ったのではないか。
父と母にも、戦場で感じる死の恐怖は抱いていたことだろう。
しかし、誇りを持ち続け、未来を信じて戦っていたことで、その恐怖を打ち消していたのではないか。
両親のことについては、テオドルスから伝え聞いたことしか知らない。実子の私とは、家族としての関わりは一切なく、個人的な話すらしたことはなかった。
両親は、我が子を他人として見ていなければ、愛情が邪魔をして『英雄』となることを許せなかったと彼は言っていた。
両親は、親としての心を殺し、責任を全うする道を選んだ。
そうするしかなかった。そのことは私も理解している。
ただ、私自身としては、世を暁に導く〈予言の子〉としてではなく、一時だけでも『自分たちの子』として見てほしかった。
だが、諦めるしかなかった。
そのことに関しては、今でもうまく言い表せない複雑な気持ちがある。
両親のことは、よく知らない。
だが、戦士としてなら──わかるものがある。『今の私』だからこそ。
誇りを持ち続け、未来を信じて戦っていたからこそ、異形に取り込まれたときの両親は、娘の私に殺せと言ったのだろう。
あの言葉は、絶望と苦しみから逃れたい気持ちで口走ったものではない。
誰かを守るために命を断とうと決心した。
両親は、民を守るために、死の恐怖と戦っていた。
『誇り』と『希望』を、私に託そうとした──これが、両親の「殺せ」という言葉の意味だ。
(私は……まだ、両親と同じ『場所』に──ヴァルブルクの戦士たちと同じ『場所』に立てる)
両親は、もういない。
私が、どれだけ両親を求めていたか──ふたりにそれを示すことはできない。
ヴァルブルク王国も、もう存在しない。
それでも、両親や戦士たちが持っていたあの気高き魂を、自分も持ちたい──。
両親と戦士たちが、誇りを持って生きていた証。
私がヴァルブルクの国王になりたかったのは、立場や肩書きが欲しかったからではない。
両親が私を『子ども』として見てくれるのではと思ったから──。
そして、自分も、両親のような精神を持ちたかったから。それを持てた証となるのが、王という立場ではないかと思っていた。
あのときの自分は、両親が持っていた精神の本質に気づくことはできなかった。
でも、今なら解る。
ヴァルブルクの戦士たちが、輝く星のように見えた理由も同じだ。
誇りと希望。そして夢。悲しみが多い時代だったにも関わらず、各々がそれを抱いて、戦っていた。だからこそ、戦士だけでなく、民や家臣たちの魂や生き様は美しく輝いていた。
(もし、現代に帰れなくなったとしても……私は嘆かない)
未来にいるみんなに、希望を託そう。
遥か過去からでも、歴史とヴァルブルク、ヒルデブラントを守る一助になることはできるはずだ。その時は、それを探す旅に出よう。
私の仲間たちなら、きっとヴァルブルクとヒルデブラントを守れる。
そのためにも、今は奴らの望みを打ち砕かねばならない。
(こんな気持ち、いつ以来かしら……。心に、気持ちの良い風が吹いているみたいだわ)
ずっと、暗闇のなかを彷徨っていた気がする。
道が判らなかったところを、このふたりが導いてくれた。
それにしても、ここに来るまでずいぶんと時間がかかってしまった。
「──ありがとう、ふたりとも。あなたたちに出逢えてよかった」
似たような立場、境遇があったからこそ、共感し、寄り添い、そして見つけられたのかもしれない。
その言葉を聞いた兄弟は、晴れやかに微笑む。
今思うと、自分を責め続けた日々のなかに、得るものは無かった。
あの気持ちは、ただの自己満足だった。
自分のことが嫌いで、どこまでも英雄らしくないことが許せなかったから、自責する気持ちに浸り続けていた。
そうすれば、叶わなかった夢やほかの苦しみを紛らわすことができたから。
すべて自分が悪い。自分のせいだ。
そう思い続けていても、解決することなんて何もないというのに──。負の感情は、想像以上に自分から離れてくれなかった。離れようとしても離れられなかった。
でも、ようやく離れていくことができる。
私は、何のために現代を生きようと決めた?
今度こそ守りたいものがある。それも、たくさん。
時代が違っても、国が違っても、両親が最後まで持っていた誇りを持って生きていきたい。
──見つけた。
「……セウェルスが言っていたとおりね。呪いを消す方法が判ったわ」
「そうか──だったら、頼んだぞ」
「ええ」
特別な魔術はいらない。
必要なことはひとつ。
迷いのない、惑わされない想いがあればいい。
魔力は、感情に影響される。呪いも負の感情がこもった魔力だ。
今の私なら、できる。
もう呪いなんかに同調しない。
この力は、未来のためにある。
もう自分を責める必要はない。
迷うこともない。
今の私には、誇りがある。夢がある。
未来を諦めない。最後まで希望は手放さない。
本当の意味で、私は『私』を見つけた。
その刹那、ユリアの内側に蠢いていた呪いが消えていく。
消えるというよりは、変質しているという言葉が正しいか。力が別のものへと変換されている。
やがて、呪いが完全に消えた。
ユリアの目には、力強い光が宿っている。
彼女は、求めていた『星』を手にした。
顔には自然と微笑みが溢れている。
「……もう大丈夫だな。お前には、そういう顔が一番似合う──いや、やはり二番目だな」
ユリアの顔をホッとしたように見つめていたセウェルスだったが、急にイタズラを思いついたような顔をして、口元に手を添える仕草をした。
「一番は何なの?」
「拗ねた顔と照れた顔と怒った顔だな」
「ひどい男」
やっぱり。
ユリアは軽く睨むように笑う。
「兄さんって性格悪いよね」と呆れた弟に言われると、兄は「ただの好みの問題だろう」と微笑んだ。
ユリアは、自身の精神面において少し「信用できない語り手」的なキャラクターとして動かしていた部分がありました。
そのため、『前に進むきっかけはこれまでに何度かあったけど、本当の意味ではまだ自分と向き合えておらず、いまひとつ前には進めていなかった』ということがようやく書けた気がします。




