第一節 混沌 ③
「私には……わかりません……。それに、私には……ラルスの人生に口出しする権利などありません。ラルスがそうしたいのであれば、私は彼を選択を尊重します」
ユリアが冷静にそう言うと、ミルドレッドは肩を竦めた。
「お堅いコメントねぇ……。それじゃ、身内としてはどうなのよ?」
身内として──。
そう思うと、今の感情を表す言葉がすんなりと出てきた。
「……すごく遠くに行ってしまったような感じがして──嫌です」
そして、微かに眉を顰め、嫌そうな感情を表に出した。
すると、ミルドレッドは面白そうに微笑む。
「あの子と同じようなこと言うのねぇ……。やっぱり、なんだか似てるわ。あんたたちって」
「同じこと……?」
「半年前にあったヴァルブルクでの事件のときに、ユリアは戴冠式用のカッコいい鎧とかマント着てたでしょ? 家に帰って、あたしが『ユリア、かっこいいわよね。似合ってたわ』って言ったら、あの子ったら不貞腐れたように『似合ってない』って言ったのよ。何が似合ってないのか聞いたら、『似合ってるけど、届かないほど遠くに行ってしまったように感じるからなんか嫌だ』って言いたかったらしくてね」
『戴冠式の衣装が似合わない』という言葉は、ユリアもラウレンティウスから聞いていた。その時に、どこが似合わないのかを聞くと、『荘厳な雰囲気が似合わない』と言っていた。しかし、それは言葉通りの意味ではなく、遠回しな表現だったようだ。
「──あの子ったら、真っ直ぐにそう言えばいいのに、なんでか言えないのよねぇ……。諦めも悪いし。そんな性格だから初恋拗らせちゃったんじゃないのかしら……」
ユリアから見れば、息子の真っ直ぐに言えないという一面は、母であるミルドレッドに似ているのではと感じたが、それを指摘する勇気はなかった。この母子は、親族からツンデレと称されている。
「まあ、それはともかく。あの子が急に縁談を進める気になった理由は、実はまだよくわからないのよ。聞いても『そろそろいい年になったから』とか言うだけでね……。だから、家族や親族で腰を据えて話をする機会は作るつもりよ。今はヴァルブルクが緊急事態だし、肉体的精神的にも疲れてるだろうから、まだできないけど──。でも、理由はたぶん、魔術師社会をよく知っているからこそ、『次期当主』という自分の立場に囚われてるんだと思うわ。今まで縁談を断り続けていたけど、それでもあたしら両親に対していつも申し訳なさそうにしてたからね。こっちは別に断り続けててもよかったんだけど、それが積み重なりすぎたかな……。あの子、変なところで真面目だから」
「……そうですね」
心を傷つける陰口や、白い目など家族に向けさせないために──彼が縁談を進めたのは、きっとそれが理由だろう。それなら、彼が結婚することはまだ納得できる。口や態度には出ないが、ラウレンティウスは家族想いなのだ。彼にしかできない家族の守り方でもある。
「話はそれだけ。休んでるときに悪かったわね。……あ。ラウレンティウスの縁談のことはまだ誰にも言わないでね。もちろん、本人にも」
「……はい」
ミルドレッドは「それじゃ」と言って、部屋の扉を開けて出ていった。扉が閉まると、ユリアは寝台に座り、ため息をつく。
私が気にするべきことは、ラルスの縁談のことではなく、ヴァルブルクのことだ。
(もしも、ラルスが幼馴染みと結婚したとしても、極秘部隊に属することはできる。ラルスは、変な選択をしようとしたら私を止めてくれる──そう約束してくれた。だから、極秘部隊を辞めることはきっとない)
寂しい気持ちを落ち着かせるために、ユリアは己にそう言い聞かせた。
(……家族、か……)
親であるミルドレッドが、子であるラウレンティウスの将来を案じていた。家族というものに縁遠かったため、そのことに対して羨ましいという気持ちが沸き起こった。
(アシュリー、クレイグ、イヴェットにも、実家に両親がいる……)
あらためて、実家に両親がいるこの四人のことが羨ましいと感じる。両親がいる実家へ帰るというものは、どういう感覚なのだろう。
久しぶりにローヴァイン家の屋敷に帰ってきたときは、なんとなくホッとした。そんな感じなのだろうか。
だが、ホッとした場所だというのに、今はまったく落ち着けない。しばらく庭の花でも見ていようか。
そう思ったユリアは、自室を出て中庭に向かった。中庭に出ると、道の脇には等間隔に洒落たランプが設置されている。それに明かりを点けるスイッチを押し、中庭を歩いていく。
夜風が心地良い。今は少しずつ花や葉が散りゆく季節だが、その季節だからこそ美しく咲く花や色付く葉がある。
しばらくの間、ユリアは、中庭の中央あたりに生えている木を見上げた。すべての葉が黄色に染まっている。
「──姫さん。大丈夫か?」
「あっ……おかえりなさい、総長。……すみません。気が付かなかったです」
いつの間にかダグラスが屋敷に帰ってきていた。それどころか、庭に入ってきていたことにすら気付かなかった。上の空になりすぎていたことにユリアは苦笑する。
「いろいろ考えちまうよな、前例のない事態だしよ……。伯母さんもかなり不安がってた」
「私も不安で……だから、気晴らしに中庭へ来ました。もう少し風に当たってから部屋に戻ります」
「そうか。風邪引かん程度にな」
会話が終わると、ダグラスは踵を返してユリアから離れていった。その時、ユリアは、ふと近い境遇にあった彼に問いかけたい気持ちが生まれた。
「……あの、総長」
「どうした?」
ダグラスは振り返る。その時のユリアは、どことなく遠い目を向けていた。
「総長は……実の両親に甘えたかったと思ったことはありますか……?」
そう問いかけると、ダグラスはゆっくりとユリアから目線をそらし、しばらく沈黙したあとに答えた。
「……ないことは、ない。けど、どっちも親としては最低最悪だったからな……。今はもうそんなことは思えんよ」
「そうですか……。私は……未だに心のどこかで『甘えたかった』と思ってしまいます。せめて、一度だけでも頭を撫でてほしかった──そう思ってしまうのです」
「……たしか、姫さんとこのご両親は、姫さんに対しての愛情は持ってたんだよな。けど、娘を深く愛してしまうと、娘を同盟国や民が望む『英雄』にさせることが許せなくなってしまいそうだったから、名付けることもせず、赤ん坊の頃から直接関わることもなかったんだっけか……?」
「はい。テオから、そのように聞きました」
「……昔の自分の境遇……恨んでるか……? 予言の子だとか、英雄だとかになりたくなかっただろ?」
「恨みはありません……。ですが、その通りです。ずっと嫌でした……。心からなりたくて、努力していたわけではありません……。なぜ、予知されたのが私だったのか──それでも、望まれたとおりにならなければ、自分が生まれてきた意味はないと思っていました……」
テオドルスとアイオーンだけは、そんな未熟な本当の自分を認めて受け入れてくれた。ふたりと出会ってからは、さまざまな物事の見方ができるようになり、その責務を純粋に果たしたいと思うことができた。
だが、周囲からの期待と、自身の本性の露見は恐ろしいものに変わりはなかった。他者からの幻滅や失望という感情は、自分を簡単に殺す凶器に見えたのだ。
だから、今でも英雄と呼ばれることや、〈予言の子〉という名前自体には、今も何とも言えない感情を持っている。
「──それでも……その境遇がなければ、きっと私はここにはいません。みんなにも会えませんでした。だから、この気持ちは言い表しにくくて……複雑なものです……」
「……そうだな。そういうことでもあるか……」
「はい。──それでも、これが私の人生なのだと、受け入れていきます。すぐには無理ですけれど、少しずつ前に進んでいきたいです」
「そうか……。強くなったな、姫さん」
ダグラスにそう言われると、ユリアは微笑みながら「ありがとうございます」と言った。そして、どこか悩んだような微笑みで問う。
「そうだ、総長。両親の墓前に文句を言うのって、アリだと思いますか? この話をしていると、なんだかひとつくらい両親に言いたかったことを言っておけばよかったと思ってしまいまして」
すると、ダグラスは小さく笑った。
「アリだろ。姫さんは、本音を隠してずっと頑張ってきたんだ。次の墓参りの時に、いろいろ言っちまっても罰はあたらんだろうさ。自分の心を整理するためにも、心に澱んでるもんを吐き出しちまったほうがいい」
「はい……。そうします」