第三節 戦雲のなかへ ④
「──ひとりで眠れないのなら、添い寝してやろうか?」
セウェルスがいろいろと誤解を招きかねない発言を放ったと同時に、場の空気が急に緩んでいった。
「……はい?」
そのせいでユリアの口からは間抜けた声が出た。
「……姉さんは、『兄さんの妹』じゃないんだけど……?」
と、ルキウスはジト目で兄を見る。
セウェルスは、薄暗い雰囲気を取り払うためにそんな台詞を言ったのだろうが、内容が内容だっただけに妙な空気になった。
「冗談だ。そんな目で見るな。──だが、それならルキウスがユリア・ジークリンデと添い寝するか? お前の『姉さん』だろう」
軽く流すような言い方でルキウスに言葉を返すと、年頃の少年は顔を真っ赤に染め上げて慌てふためいた。
「な、なんでそうなるの!? おれも男だよ! 魔術で眠りを誘ってあげればいいじゃないか!」
「……あなた、変な冗談でルキウスをからかわないであげて」
とうとう弟までいじるようになったのか、ブラコンのくせに。
いや、やはりブラコンだ。初心で純真な弟をものすごく愛らしそうに見ている。
「ルキウスは恥ずかしさゆえに遠慮したいようだが、俺は構わない。──お前はどうする?」
「えっ、いや、ちょ、う、ん、えっ?」
本気なの? それもからかいの言葉よね? と、ユリアは目を向ける。
セウェルスは無言で微笑んでいる。すると、片手をユリアへ差し伸べた。
さらに声は出さず、口だけが動いた。
口の動きを見るに、どうやら「来い」と言っているようだ。
え、本気? それとも、甘えても良いという意味? どちらなの?
彼の表情は、至って普通の微笑みだ。イタズラ目的の雰囲気には見えないような気がする。
気遣って言ってくれている──でも、恋人でもないのに、添い寝なんてことをするものなのか。この時代では普通のことなのか。
いや、忘れるな。彼はイジワルな性格だ。何度も彼からのからかいを受けているだろう。
どっちの意味合いなの──何もわからない!
「ひ、ひとりで寝るわっ! おやすみっ!」
そう叫びながらユリアはセウェルスに背を向けると、勢いよく寝ころんだ。
「少しは元気が出てくれたようで何よりだ。しかし、食後すぐに寝るのはよくないとか言っていなかったか?」
ほら! やっぱりイジワルじゃない! 期待しなくて良かったわっ!
ユリアは背を向けたセウェルスに対して舌を出した。
「もう……兄さん……。元気になったんじゃなくて拗ねちゃったんだよ」
ルキウスが呆れると、「少しからかっただけだ」とセウェルスは小さく笑う。
何が少しだ。わかりにくい。
「それにしても、やはりお前は初心だな。こういうやり取りが苦手とは──俺達よりは、多少なりとも多くの時間を生きているはずだろうに」
そうだった。セウェルスの見た目は二十代後半ほどだが、彼はこの世に生まれ落ちてからまだ十数年。年下だ。
「……というより……よくわからないのよ……」
ユリアは不貞腐れたように呟く。
「まるで異性との関わりなど一切無かったかような台詞だな」
「そんな余裕なんて無かったもの……。生まれた時から戦争があって……私は、戦うために生まれてきたようなものだった……。恋とかおしゃれとか、歌や楽器、刺繍に舞踏──『普通の女の子』らしいことなんて……」
ほど遠いものだった。
そこまで言いかけると、ユリアは口をつぐんだ。
幼いころは、『普通の女の子』になってみたいと思っていた。しかし、大きくなるにつれて、それへの憧れを抱くことをやめた。ほど遠いものだったからだ。
あまりにも遠すぎたため、いつしか『私はみんなとは違う。特別だから』という言い訳がましい理由をつけて諦念した。テオドルスと出会ったことで、少しだけ『普通の女の子』になれたような気がしたが、それでも心の緩みが生まれそうだったから、あえて遠ざけていた。
戦争が終わった後に、少しずつゆっくりと『普通』になっていけばいい。
そう思っていたが──。
「──ふたりとも。〈きょうだい〉のなかに、アイオーンという名前の人──いえ、ごめんなさい……やっぱり、なんでもない……」
ユリアは話を変えた。
面白い話でもない。だから、頭に浮かんだ内容を口にした。
だが、今思えば、口に出した話題は聞くほどのものでもなかった。そう感じたユリアは、問いかけの言葉を中断した。
「遠慮するな。気になることがあるなら言ってみろ」
セウェルスに優しく諭され、ユリアはおずおずと口を開く。
「……〈きょうだい〉のなかに、アイオーンという名前の人はいない──わよね……?」
いるはずがない。
だって、あのヒトは、セウェルスたちのような『人間でも星霊でもない存在』ではなく、『人間の姿をした星霊』なのだから。
「俺達は知らない。だが、すべての〈きょうだい〉の名前や外見を把握しているわけではないからな……。そのアイオーンとやらは、どんな外見をしている?」
「……セウェルスと、瓜二つの姿をしているわ」
あのヒトとセウェルスは違う。
それでも、なぜふたりは奇妙なほどに外見が似ているのだろうと思ってしまう。
そのことを知ったルキウスは、不思議そうに「え?」と漏らし、セウェルスはかすかに眉を顰めた。
「でも、違うところはあるの。目が深い紅色であることと、毛先に癖があること。そして、星霊であることと、名前がアイオーンであること。あとは、性格──。それ以外はセウェルスと一緒だわ。大柄な背丈も、声も……。だから、初めてセウェルスを見たときは、本当に驚いてしまったわ……」
「だから、おれたちが殺意を向けて戦っていても、姉さんは戸惑っていたんですね……」
ルキウスの言葉に、ユリアは頷く。
「……ですが、兄さんとよく似た外見の〈きょうだい〉なんて、兄さんの外見を真似て身体を構築したおれだけだと思います」
「そうよね……」
ユリアは小さくため息をつき、「ごめんなさい。このことはもう気にしないで」と言った。
しばらく沈黙が流れると、セウェルスが口を開く。
「……俺と瓜二つの姿をしているとは……妙な存在だな、そのアイオーンという者は」
「まあ、ね……。私も不思議だと思うわ」
「しかし……深い紅色の目に癖のある白銀色の髪、か。──ただの偶然だろうが、そこだけは星霊に姿を変えた〈きょうだい〉の特徴に見られるものだな。アイオーンは、自分のことを何も知らないのか?」
「ええ……。アイオーンは、自分がいつどこで生まれたのか覚えていないようなの。私が人間らしくない力を持っているのは、そのヒトから血を貰ったからなの。ほかの星霊や人間からは『神様のような力を持っている』と言われていて、そのせいで力を狙われて──不老不死の力を持っていたこともあって、ずっと孤独に生きていたヒトなの。私も、完全なものではないけれど、今は不老不死となっているわ。私が持っている異常な治癒力も、不老不死の力の一部よ」
「──そいつとお前は、どういう関係なんだ?」
急にセウェルスから、先ほどまでの話とは関係のない質問が飛んできた。曖昧な返事をしたら、またいじられそうだ。
「血の繋がりがない家族よ」
ユリアは、今もセウェルスとルキウスに背を向けながら横になっているため、顔は見えない。
だが、変な顔はされてないはずだ。星霊と人間という異種間での結婚など当たり前の時代であり、養子縁組の制度だってある。
「あれ……? そういえば、未来では魔孔から噴出する魔力量は減ってしまっているんですよね? アイオーンという星霊は、魔力が少しでも生きられる特性を持っているんですか?」
ルキウスが問う。
「いいえ。アイオーンは、人工的に作られた人間の身体──〈器〉というものに核を入れているから、生きることができているの。あのヒトは……私を助けるために……本来の身体を捨ててくれて……。だから、私は……人間ではあり得ない力を、色濃く持っているの……」
「……それって……まさか……」
ルキウスが言葉を失う。
ややあって、セウェルスが紡ぐ。
「──肉体的な死を迎えたことがあるのか。お前ほどの力を持った女が」
「……」
沈黙しかできなかった。
その詳細は、言いにくい。
言ったほうがいいのだろうか。
ふたりになら、別に知られても構わないとは思うが──それでも、〈灰色の兄弟〉とかつての自分を無意識に比較して恥じ入ってしまう。
このふたりは、心に澱みがあっても、誰かのために戦い続けられる。
誰かに請われたからではなく、強制されたものでもなく、ただ強い力を持って生まれたからこそ戦うのだという。
己の使命であり、自分がやりたいことだとも言っていた。
〈灰色の兄弟〉は、この星を愛している。だからこそ、今もたくさんの者たちから現人神のように祭り上げられている。特別な存在として見られていることに良い感情は持っていなくても、ふたりは誰かのために戦える人。
それなのに、あのときの私は──。
「──今日はもう休め。呪いの影響で、お前の心が疲れ果てているようだからな。呪いを抱え続けていれば、精神どころか体力の消耗も激しいだろう」
「おれたちが見張りをしますので、姉さんはゆっくり休んでいてください」
「……ありがとう──」
正直に言うと、精神も体力は消耗していない。呪いによる苦しみもない。自分の身体の一部のように、呪いが馴染んでいるからだろう。
だが、ユリアはふたりに甘えて休むことにした。
(平気でも……自覚が無いだけで、呪いの影響を受けているのかしら……)
なんとなくだが、呪いを取り込んでからなにかと後ろ向きな思考が多い気がする。醜く浅ましいことばかり頭に浮かんでしまう。〈予言の子〉と呼ばれていた頃の自分がここにいるような気がする。
そのせいだろうか。〈灰色の兄弟〉を見ていると、なぜかとても焦ってしまう自分がいる。
未来のために、セウェルスとルキウスを守るために──〈灰色の兄弟〉に負けないように、役に立たないといけない。そんな焦りが生まれてしまう。
──いいなぁ。互いの心の澱みを解り合えて、暗い感情を受け入れられる対等な兄弟。羨ましい。
(足を引っ張らないように……ふたりにはできないことで、役に立たないと……)
ともかく、自分ができることをしっかりとやり遂げたい。
勝利のために呪いを武器へと変質させることが自分の役目ではないか。
この力は、きっと敵側の〈きょうだい〉に対抗できる武器になってくれる。
(呪いを武器にすることなど諸刃の剣。それは承知の上。けれど、そうなる可能性を低める方法が、ひとつだけある──)
それは、あの頃のように心を殺し続けることだ。
大丈夫。
私は、役に立つことができる。




