第一節 〈きょうだい〉 ⑤
「わたしたちの愚弟……。受け継いだその力は、自分の望みのために使うというのですか……?」
上品な雰囲気をまとう穏やかそうな女は、信じられないと言いたげな目をルキウスに向けている。
「一方的に人間と星霊たちの負の感情を無くして、新しい世界を作ろうとする傲慢な思考回路が正しいとは思わない」
ルキウスの声や目には、もう迷いはなかった。
セウェルスが呪いを受けるまでは、ルキウスも彼らに対して〈きょうだい〉としての繋がりを強く感じていたせいで戸惑いを見せていたのだろう。鋭利な刃物で切り刻まれたであろう跡が数多くあるルキウスの服からもそれを推察できる。だが、これまでの会話のなかで、彼ら〈きょうだい〉とは解りあえないと確信した。
「確かに、おれたちは『普通』じゃない。でも、世界を統べる神でもない。……負の感情といっても、悪いことだけではないはずだ。それは時に、前に進むための力ともなる」
ルキウスの言葉に、女は両手を胸のあたりで組んで悲しげに俯き、青年はため息をつき、男は目を伏せ、少女は茫然とした。
「──何も変わらないなんて……。〈きょうだい〉なのに、解ってくれない人たちがいる……。誰も苦しまない平和な世界を目指してるのに……」
少女がぽつりと呟くと、青年は輝く星空を恨めしそうに見上げた。
「そこに至るまでにも苦しまないといけない──やっぱり、この世界は腐ってると思うよ……」
しばしの静寂がユリアたちを包む。
やがて、青年が口を開いた。
「帰ろう──。これ以上は時間の無駄になっちゃう。ほかの〈きょうだい〉たちも、オイラたちの帰りを待ってるだろうし」
その時、大気を漂う魔力が、四人の〈きょうだい〉たちの体内へと急速に吸い込まれていった。身体がまばゆく輝き、人間の姿から大きなものへと変化していく。あれは──。
(身体がドラゴンに……!? 気配も星霊のものになるなんて──!)
四人の〈きょうだい〉たちは、白銀のうろこをまとった体躯に、背には優美にうねる銀色に輝くたてがみ。紅い瞳に、大きな翼を持ったドラゴンへと姿を変えた。体躯に内包されている魔力量が、人間の姿のときと比べて倍以上にある。人間にもなれて、星霊にもなれる存在──これが、人間でも星霊でもない、〈きょうだい〉という存在。白銀の姿に癖のついたたてがみ、そして目の色が紅色であるためか、ユリアの頭にふとアイオーンの姿がよぎる。
『やれやれ……予知で視た〈星の特異点〉のことも気にしないといけないのになぁ……。ともあれ──次に会ったときは容赦しないよ』
青年の言葉が脳裏に響く。魔力を使って意思を伝達している。
(星の特異点……)
また知らない言葉が出てきた。彼らのうちの誰かが、未来の可能性のひとつを視ることができる予知能力で、その存在の到来を視たのか。ルキウスが何も問わないことから、彼もそのことを知っていそうだ。
「……そうだ。一番上の兄ちゃんであっても、自分の心をはっきり自覚しているから、あの呪いが生み出す負の感情に負けてしまうかもしれない。負けちゃったら異形に変わって、人間らしい理性も無くなるかもだよ。──その場合、殺すしか方法はないかな。それか、末っ子ちゃんが代わりに呪いを取り込んで、兄ちゃんに殺してもらうか。あるいは……はじめましての〈きょうだい〉ちゃんを生贄にしちゃうとか……。まあ、あとはお好きなように』
そして、四体のドラゴンは翼を広げて飛び上がり、周囲に暴風が吹き荒れた。四つの竜巻が生まれ、砂埃を舞わせる。ユリアとルキウスは、腕で目を覆って暴風と舞い上がる砂を防ぎ、やがて風が収まった。ドラゴンたちの姿は、もうない。
(これから、避けられない戦いが始まるんだわ……)
この〈きょうだい〉間の争いは、この時代で起こることが決定されていた出来事なのだろうか。
どちらにせよ、あの者たちの計画を潰さなければ未来が危ない。
「……帰りましょう、姉さん。おれが兄さんを助けます」
静かになった神殿の上空に広がる星を見ながら、ルキウスはそう言った。その顔に憂いなどはなく、何かを決心しているようだった。
「助けるって……あなた、何を考えて──」
「おれが……呪いを吸収します。おれよりも、兄さんのほうが強い。これから起きる〈きょうだい〉との戦いは、兄さんが行ったほうがいい。だから、おれが異形になったら……兄さんに討ってもらえば──」
「止めなさい! 何を言っているの!」
ユリアは怒声をあげながら、空を見上げ続けるルキウスの両肩を掴んだ。
しかし、ルキウスは目を強く瞑り、顔を俯かせながら首を振った。
「これ以外、方法はないんだ……! おれが生き残るより、兄さんが生き残ってほしい……!」
精神が乱れたルキウスは、幼い子どものように本音を漏らす。
これから起こるであろう戦いのための戦力云々の話よりも、兄が生きてほしいという気持ちのほうが強くあるのだろう。苦しみと死ぬ恐怖もないわけではなく、それを飲み込んで言っている。
やはり、あの呪いの対処は私がするべきだ。今まで己に襲いかかっていた負の出来事は、このような事態のためにあったのだと思いたい──。
「ルキウス……聞いてちょうだい。あなたが犠牲になる必要なんてないわ。私が、きっと……なんとかできる──」
「姉さんにはできないよ! そんなこと!」
「違うのよ……。私はね……セウェルスを苦しませているものを知っているわ。しばらくの間、それを内側で封じていた時があるの」
あの魔力の気配は、負の感情が渦巻いたもの。
星霊の心を信じなくなった不信派の人間たちが異形となった原因であり、アヴァル国の聖杯を汚染していたものだ。
だから解る。あれなら、アヴァル国での任務のときのように内側で封じることができる。
「何を、言っているんですか……?」
ルキウスは、今もユリアのことを記憶喪失だと思っている。信じられないのも無理はない。
「私にも、あなたたちと同じように隠していたことがある……。私は──記憶喪失ではないわ。忘却刑なんて受けていない。家族のことも、自分の過去のことも……すべて覚えているわ」
その告白に、ルキウスは一瞬呆然とする。そして、「……そういえば、何か覚えていそうな素振りは何度かありましたね」と呟く。それでも、ふたりからそのことを追求されたことはない。おそらく、信頼を寄せてくれていたからだろう。
「……呪いの耐性なら、私のほうが確実にあると言える。だから大丈夫よ。もう、あなたもセウェルスも苦しまなくて済む」
「……だからといって……姉さんが、代わりに苦しむなんて……」
「ルキウス。私は、戦争の経験がある戦士なの。呪いを抑えることもひとつの『戦場』だと思っているわ。呪いの解呪や浄化といったことはできなくても、他の誰よりもあの力を抑えることができる。その経験を活かすことができる──『戦場』へ行く覚悟は、もうできているわ」
たんなる同情心や自己犠牲精神に駆られて、セウェルスの呪いを肩代わりするのではない。この兄弟よりも経験と素養を持つがゆえに、呪いに抵抗できると見込んだからこそだ。
「……わかりました。頼みます、姉さん」
◆◆◆
その後、急いで屋敷に戻ったふたりは、セウェルスが眠る部屋へ向かった。
「兄さん!?」
扉を開けると、セウェルスは寝ておらず、上半身を起き上がらせて俯いていた。右肩から右手の先まで真っ黒な煙のようなものに包まれている。呪いが表に出てきているのだ。
「セウェルス……!」
ユリアとルキウスが駆け寄ると、小さな声で「近寄るな」と呟いた。
表に出てきてはいるものの、呪いの力は暴走していない。抑え込むことができているようだが、彼の声は弱々しかった。ユリアが用意した粥に口をつけた形跡はない。食欲がないというよりも、食事も摂れないほどに苦しんでいるのだろう。
「大丈夫よ。私が取り込んで制御するから。もう少しの辛抱よ」
黒い煙に包まれているセウェルスの右腕を掴むと、それはユリアの手にもまとわりついてきた。
ユリアは、セウェルスの体内の魔力に働きかけ、彼を蝕む呪いを断ち切っていき、自らの魔力へと結合するよう促す。黒い靄が、少しずつユリアの中に染み込んでいく。
(──これは……!)
ある程度の呪いを取り込むと、その影響で脳裏にとある景色が浮かんだ。
人間と星霊たちが戦っている。種族間の争いではない。街同士の戦いだ。
(負の感情が、私に襲いかかってくる……)
怒り。恨み。憎しみ。
そして、恐れ。嘆き。悲しみ──人間や星霊の感情は、魔力に影響する。
ひとくちに『呪い』といっても、その力の効果は多岐に渡る。この呪いは、対象者の心を揺さぶって負の感情を湧き上がらせ、それを力として増幅していくものだ。
増幅していった呪いは、やがて対象者の精神を喰らい尽くして肉体を乗っ取り、殺戮兵器としてこの世を蹂躙していくのだろう。肉体も強い力と融合し、異形へと変質していくはずだ。取り込んだことで呪いの性質が判った。
(これは、どこかの戦場で生まれた負の感情を、誰かが凝縮して作った呪いかもしれない……)
呪いという魔術は、相当な量の負の感情がなければ作り出せない。魔術師が対象となる者に対する強い悪意や負の感情がなければ、呪いの威力は弱まる。
しかし、セウェルスがこれを受けた時、あの〈きょうだい〉たちは彼に対して負の感情を抱いてはいなかったように見える。この呪いの強さから推測すると、あの〈きょうだい〉たちから発生したものではない。
だとすれば、この呪いのもととなった負の感情は、別の所から生み出されたものだ。戦場から発生したものだろう。だから、ユリアの脳裏に流れる映像も、作り物ではなく誰かが実際に見たもののはずだ。魔力には情報を記録する能力がある。
〈きょうだい〉の誰かが戦場へ行き、負の感情がまとった魔力を集めて作ったのがこの呪いだ。
(どこかの街で、数多くの戦士や民たちが死んでいる──)
憎しみを抱きながら力及ばず果てる。
誰かに庇われて生き延びたが、その者が死に悲嘆に暮れる。
街の者たちが無慈悲に殺される。
心をえぐる凄惨な光景がいくつも脳内に流れていった。
その時──。
──自らの使命を捨てた愚かなユリア・ジークリンデ様……。いや……〈予言の子〉だと盲目的に信じ、祭り上げた我々が愚かでしたか……。




