第一節 〈きょうだい〉 ①
「ルキウス……! いったい何があったの!?」
「おれが……あのときに……。全部、おれのせいです……。兄さんは、おれを庇ってくれて──」
ユリアが本当に聞きたかったことは、誰に何をされたのかということだった。想像以上にルキウスは強い自責と動揺、それによる錯乱状態に陥っている。
少年が戸惑いを見せ、その隙に攻撃をする者など、いったいどのような者だ。人間、あるいは星霊──だが、このふたりがそうなる存在など考えられない。ユリアが知るかぎり、ディゼーリオとレティエムくらいしかまともに交流していないはずだ。
「違う……お前のせいじゃ、ない……」
セウェルスはゆっくりと上半身を起き上がらせ、弟の言葉を否定する台詞を絞り出す。
彼の顔色は悪い。それに、魔力の気配が変だ。何かに蝕まれているような気がする。何かの魔術を受けたのか。体内の魔力を調べてみなければ詳しいことはわからない。
「心配するな……この苦しみは、いずれ収まる……」
と、セウェルスは力が入っていない顔で笑みを作り、弟の頭を撫でた。
「あなたのそれは……本当に治るものなの……? 術、よね……?」
「ああ……。だが、命を取るものではない……。解こうと思えば、解けるはずだ……。だから……部屋の寝台でしばらく横になりたい──もう一度、肩を貸してくれ。ルキウス……」
セウェルスが腕を伸ばすと、ルキウスは弱々しい声で「……うん」と頷いた。兄の腕を肩に乗せ、大きな身体を支えて立たせる。
そして、セウェルスはルキウスに支えられながらゆっくりと自室へ向かった。
セウェルスの部屋へ着くと、彼は静かに寝台へ腰を下ろし、横になった。深く息をつくと、暗い顔をしている弟に目を向ける。
「……そんな顔をするな。お前のせいじゃない……何度も言っているだろう」
ルキウスは黙り続けている。やがて、何かを否定するように首を振り、口を開いた。
「おれだけで、行く……」
力のない、低い声が聞こえた。
何のこと? どこへ行くつもり?
なんのことだか一切わからないユリアは、「え……?」と声を漏らす。だが、兄弟はその声に応えなかった。
「──絶対に止めろ……。ひとりで行けば、あいつらはお前を殺すこともありえる……。ユリア・ジークリンデには、俺が説明する。……お前はしばらく休め。お前も、今は休むべきだ……」
殺す? あいつら? 敵は、複数いるというの──?
ルキウスは再び黙った。目を強く閉じ、両手を握り締める。それら力を解いたのは、しばらく時が経ってからだった。
「……わかった」
か細い声で返事をしたルキウスは、部屋から出ていった。弟の退室を確認すると、セウェルスは苦しそうな顔でユリアを見る。
「ユリア・ジークリンデ……話を──っ……!?」
その時、セウェルスは胸を押さえ、声を殺して苦しみはじめた。
いったい何がそうさせているのか。彼を調べても何もわからないだろうか。苦しみを取り除きたい。
ユリアは身体に触れて調べようとすると、セウェルスは目つきを鋭くして彼女の手を振り払った。彼自身は、自分に触れたらユリアに危険がおよぶかもしれないと感じているのだろう。今は、ただ見守ることしかできない。
しばらくすると、苦痛に満ちていた表情が和らいできた。
「……セウェルス……」
「……すまない……」
「……あなたも、少し休みましょう。いらないかもしれないけれど、お粥を作ってくるわね……。部屋に持ってくるから」
そして、ユリアは部屋を出て厨房へ向かった。
セウェルスとルキウスが敵対している者たちは、何が目的なのだろう。
ルキウスに隙を見せ、セウェルスを苦しめて行動不能にさせる存在──いくら考えても検討がつかない。
(……今は、お粥を作ろう)
厨房に入ると、材料を取り出して調理に取り掛かった。
「……」
粥を作っていると、何かを感じた。
誰かに見られているような気がする。魔術の気配はないが、視線を感じる。
厨房にはひとつだけ窓がある。その窓に目を向けると、人間の影らしきもの一瞬見えた。
「──!」
すぐさま窓から外へ出て周囲を確認するが、誰もいない。
空は夕焼けに染まっている。陽が沈みかけていることで、大気が少し冷えている。
この時代に来た時期は、春頃だった。それからもう半年ほど経っているため、季節は秋へと変わっている。
エレスドレアは、ディゼーリオが住む街から遠く北上したところにある。秋といえども、普通の長袖だけでは少し肌寒い土地だ。ユリアの服には、特別な術式が組み込まれているため、薄手の長袖でもちょうどいい気温に感じている。
だが、セウェルスとルキウスの服は戦闘でボロボロになっていた。ふたりの服を調達することも考えないといけない。
(……魔力の気配はなくとも、あれは見間違いではない。間違いなく、誰かがいた──)
周辺を気にしながらユリアは厨房へと戻った。
やがて、粥が出来上がった。
器に移し、盆にそれと食器具を乗せてセウェルスの部屋へ向かう。
部屋の扉を開き、寝台のそばにある机に盆を乗せる。それから寝台で横になっているセウェルスの様子を見た。
眠っているが、汗が酷く、息が荒い。ユリアは彼の頬に手の甲を寄せた。まるで風邪のように熱い。いったいどのような魔術が悪さをしているのか。
(彼の体内の魔力を調べるしかない……)
ユリア自身、他者の体内を巡る魔力を調べるやり方は知っているが、経験はない。だが、やってみよう。何かがわかるかもしれない。
寝台の端に座り、セウェルスの頬を両手で包み込む。彼は気づいていない。寝入っている。
(まずは、この人の一部の魔力に干渉して、感覚が判るよう自分の魔力に繋げる。次に、干渉するところを全身へと広げていく──)
この術を受けていると、人によっては全身をまさぐられているように感じる。それでなくても、身体の内側を探られているのだ。そのことから、この時代ではこの技術が同衾と近い意味合いを持つのだろう。
セウェルスは起きない。思った以上に疲労しているようだ。起きてしまうと、こちらの身を案じて触れるなと言ってくるはずだ。気付かれないうちに探らなければ。
(……これは……)
彼の魔力が何かに汚染されている。その気配を長く調べていると、あることが脳裏に浮かんだ。
(ヴィヴィアンの聖杯にあった『呪い』か、不信派の異形たちが放っていた魔力の気配に近い……。負の感情──呪いの類だわ……!)
セウェルスの内側を蝕むものからは、さまざまな種類の負の感情が凝縮されたものを感じる。
魔力というものには、魔術の発動、情報や記憶の保存媒体になるということのほかに、術者の心の状況によって魔術の効果が相乗されるという特性がある。何かを守ろうとする感情が強ければ、その術者が放つ防衛術は強固なものとなり、怒りに任せて放たれた攻撃術はさらに攻撃性を増すのだ。その特性を利用して発明された魔術が『呪い』である。
呪いは、憎しみや恨みなど、対象者に苦しみを与えることを目的とする。いわば拷問に近い術だ。呪いに侵された者は、負の感情に対する耐性がなければ、最悪の場合、精神を病ませて廃人となる。
これに耐えられるのは、負の感情に呑み込まれない強い精神を持つ者。あるいは、その感情に慣れている者だ。セウェルスが苦しんでいるのは、その感情に耐性がないからかもしれない。それでも廃人にならずにすんでいるのは、セウェルスが持つ力が強いからだろうか。
(呪いなら……私が取り込んで我慢すれば……)
負の感情に対する耐性なら、彼やルキウスよりもある。
今までの経験は、こういうときのためにあるはずだと思いたい。今の私なら助けられる。彼を助けたい。
(──え……そんな……)
だが、セウェルスとユリアの魔力の繋がりが切れてしまった。
セウェルスに切られてしまった。
「あっ──」
セウェルスが目を開けた。瞳にユリアを映した瞬間、彼は驚きと焦りを見せた。そして、頬に添えていた彼女の両手をすぐさま払いのける。その時、セウェルスの右手から、黒に染まった魔力が煙のように出てきた。
「手から、黒い煙──これは魔力よね……? 何が起こっているの……?」
「なんでもない……。だから、ルキウスには言うな……」
「見せて。どうなっているの──」
「近づくなっ……!」
セウェルスから身体を押しのけられ、寝台の端から落ちそうになりながらユリアは立ち上がった。セウェルスは上半身を起こし、悲しげな目で首を振る。
「お前には、無理だ……。もっと離れろ……」
「……嫌よ」
「……俺でも、どうなるかわからないというのに……俺に触れようとするのか──」
「調べてみないと何もわからないもの」
「怖くないのか……? 得体の知れない不気味な気配を感じただろう?」
「そうね……でも、あまり怖くないわ……」
そう言った瞬間、セウェルスは呆れた。
普通の人なら間違いなく恐ろしいと感じるものだろう。だが、ユリアはその正体を知り、それと戦った経験があった。さらには、それに触れて、内側に留めていた時期もあったことから、力の扱い方も解る。こういった負の感情から生まれる力に関しては、〈灰色の兄弟〉よりも見識があるのだ。
「お前というやつは……いったいどういう感性をしているんだ……」
そんな真実をまだ知らないセウェルスは、小さなため息をついた。
「……わかった。なら、ここに座れ。……俺も、ひとつ試したいことがある」
と言いながら、先ほどユリアが座っていた寝台の端を軽く叩く。言われたとおりにユリアが座ると、セウェルスは何も言わずに彼女を抱きしめた。
「ちょっ──セウェルス……!?」
「……しばらく……このままでいたい……」
試したいことが、抱きしめること? どういうことなの?
意味が分からないことと恥ずかしい気持ち、そしてなにより、セウェルスが子どものように甘えてきたことに驚き、ユリアの頭の中が白くなってしまった。
しばらくして平静を取り戻したユリアは、あることに気が付いた。呪いの気配が少しだけ弱まっている。
「──やはり……この感情なのか……。どうすればいいのか解らなかった、この感情が……和らげてくれる……」
「セウェルス……?」
どういうことなの。
ユリアが問いかけると、セウェルスはかすかに微笑んだ。
「……もっと、俺の名前を呼んでくれ」
「セ……セウェルス──」
もっとだ。
そう耳元で囁かれた。声が甘く、どこか色気があったのは気のせいか。
慣れない声で囁かれたせいで身体が熱い。恥ずかしい。しかし、これで呪いの気配が弱まっているのは確かだった。だから断れない。ユリアもセウェルスを抱きしめ、もう一度彼の名前を呼んだ。
「セ、ウェル、ス」
妙に緊張しすぎたせいで、ユリアはたどたどしく呼んでしまった。すると、耳元で「くくっ」と小さな笑い声が聞こえ、セウェルスの抱きしめる力が強くなった。
「……耳が熱いな」
セウェルスは、また色気のある声色で囁くと、真っ赤に染まったユリアの耳に自分の頬を寄せた。
「耳元で……囁くから……」
「そうされることも弱いんだな。意外とお前には弱点が多い──他にも弱点がありそうだな」
こんなときに私の弱点を調べるなんて余裕じゃない。どうして私は、こんな人を心配していたのだろう。案じていたことが馬鹿馬鹿しくなってきた。そんな怒りが、心の底からふつふつと沸き起こってくる。
「もう……! いい加減にして! あなたったら、また私をからかって……! 心配して損したわ!」
「ああ……それでいい。もう心配するな。これは、俺を殺すためのものじゃない。……おそらく、脅しのようなものだ」
「脅し……?」
そのとき、ユリアは厨房であったことを思い出す。
「──そうだわ、セウェルス。先ほど、お粥を作っていたときに外から人の気配があったの。すぐに消えてしまったけれど……」
すると、セウェルスはユリアから離れ、「そうか……」と呟く。
「確認のためにやってきたんだろうな……」
「確認? 何が起こっているの……?」




