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第五節 絆の証 ⑤

「おれの姉さんに何をするつもりですか……?」


「……許可もなく勝手に連れていこうとするな」


 そして、兄弟は、威圧感のある凄みのきいた低い声を発した。


「ひぃっ!?」


 男性は悲鳴と同時に、素早くユリアから手を離した。同じく、ユリアも心の中で「ひぃっ!?」と叫ぶ。

 心の中で悲鳴を上げている場合ではない。みんなが見ている。明るい雰囲気が台無しだ。早くここから離れないと面倒な騒ぎになってしまうかもしれない!


「──す、すみませんすみません! 私の兄弟なんです! 過保護な兄弟で本当にすみませんんんん!」


 兄弟の手を引き、ユリアは急いでその場を去っていった。

 やがて、広場から遠く離れた地区にやってきた。どうやら閑静な居住地のようだ。


「……助けてくれたのは嬉しかったけれど、睨む必要はなかったと思う……」


 駆けていた足を止めたユリアは、引いていた兄弟の手を離すと、肩を竦めながら兄弟を見た。セウェルスは口をつぐんで目線をそらし、ルキウスは俯く。


「すみません……。それに、勝手に姉さんと呼んでしまって……」


「それはいいのよ。嬉しかったわ。『姉さん』と呼ばれてみたいと思っていたから」


 そう答えると、ルキウスはかぶっているフードの端を持ち、顔を隠した。


「だったら、これからは……ユリア・ジークリンデさんのこと……『姉さん』と呼んでも、いいですか……?」


 ちょっと待って。今、なんて言った?

 『姉さん』と呼んでもいいですか?

 『姉さん』?

 ──『ルキウスのお姉さん』になってもいいと!?


「本当に!? 呼んでくれるの!? ありがとう! それなら、もう丁寧な言葉遣いもしなくていいわよ。だって『姉さん』だもの!」


 ユリアの顔は満面の笑みで輝き、勢いよくルキウスを抱きしめた。

 この時、セウェルスの顔が真顔となったことにふたりは気づいていない。


「えっ……」


「え? 敬語、やめてくれないの?」


 ユリアがルキウスの顔を覗くと、少年は頬を真っ赤に染めおり、恥ずかしそうに目をそらす。


「そ、それは……まだ、もう少し……慣れてからで、お願いします……」


 この時、ユリアの心にはルキウスの心を尊重したいという気持ちと、少しだけいじわるをしてもっと困らせたいという気持ちがせめぎ合っていた。


(か、可愛い〜……。両手でほっぺた撫でまわしたい〜……。嫌がられるかしら? 可愛い〜)


 素直で可愛い年下のきょうだいがいると、こんな感じなのだろうか。

 にやけが止まらない。不審者に見えるかもしれないが止められない。


「……何をにやけているんだ、ユリア・ジークリンデ」


 ようやくセウェルスが口を開いた。その声には呆れと若干の苛立ちがある。


「可愛い弟の『姉』になれたのよ。喜ばないほうがおかしいでしょう」


「今のお前は『姉を名乗る不審者』だぞ」


「失礼ね。本人公認の『姉さん』よ」


「実兄の俺は認めていない」


 簡単には認めないあたりやっぱりブラコンだわ、この人。羨ましい。

 ひとりっ子だからこそ、きょうだいという家族がいて羨ましい。大切に想う心を家族に捧げることができて羨ましい。私には二度とできないことだから。


「──兄さん……」


 セウェルスが頑なにユリアをルキウスの『姉』と認めようとしないことは、弟の願いを受け入れないことでもある。そのことにルキウスは悲しげに俯いた。そんな弟の姿を見て、セウェルスは目を見開き、しまったという表情をしながらうろたえた。やがて、悔しそうに「くっ」とかすかに唸る。


「……あまり、そう呼ばなければ……別にいい」


 だが、出てきた言葉は『姉さん』呼びを許したのか許してないのか微妙すぎる台詞だった。ルキウスも「え……?」と困惑した様子だ。ユリアもセウェルスのブラコン具合に呆れてジト目を返す。

 ルキウスから『姉さん』と呼ばれたら、さらに帰りにくくなる気持ちが生まれてしまう。ふたりに感情を入れ込みすぎたら、心が苦しい。

 それでも、後悔が少ないほうを選びたい。

 現代へ帰りたいという意思は、今も変わらない。

 私は、未来へ帰る。

 それからも、セウェルスとルキウスが〈灰色の兄弟〉だと気づかれることはなく、三人はエレスドレアの観光を楽しんだ。その間にも、ルキウスは、ことあるごとにユリアを『姉さん』と呼んだ。ユリアに向ける輝く笑顔はまるでじゃれつく子犬のように愛らしく、そのたびにセウェルスは複雑な表情をユリアに向けた。ユリアは、冗談でしばらくセウェルスのことを『兄さん』と呼ぶと、彼はさらに複雑そうな顔をした。

 そんなやり取りをしていたせいか、夕食のための食材を買った店の者たちからは、仲の良いきょうだいだと勘違いされてしまった。

 それから、三人は夕方になる頃まで街の観光を楽しんだ。三人は屋敷に戻ると、いつも通りに夕食を作り、エレスドレアでの観光の話に花を咲かせる。

 やがて、就寝する時間となった。

 ユリアが自室で就寝のための準備をしていると、部屋の扉を叩く音がした。誰かが訪ねてきたようだ。


「──どうしたの? 明日も早いのに」


 扉を開くと、そこにはセウェルスだった。


「いや……。少し、聞いておこうと思ってな」


「何を?」


「……お前は、自分の家族を探したいとは思っていないのか?」


「……急にどうしたの?」


「なんとなく、そう思っただけだ。ルキウスから『姉さん』と呼ばれて、かなり浮かれていたからな。それに前々から、家族について強い想いを抱いていそうだとも感じていた。お前が持っている『家族と関係がありそうな剣』──かなり丁寧に扱っているだろう。それを見ていると、そう思う」


 『家族と関係がありそうな剣』とは、ユリアの両親にとっては思い出の剣であり、形見の剣でもある。だからこそ、ユリアは滅多にそれを戦闘で使おうとはせず、手入れも入念に(おこな)っている。


「……そもそも、私には家族の記憶なんてないわ。探そうにも探せないでしょう?」


「そうだな。お前は、忘却刑に処せられた可能性が高い。……だが、失われた記憶は取り戻せなくはない」


「……そんなことが、できるの……?」


「忘却術は、脳にある記憶のみを消す術だ。記憶を保存できるのは脳だけでなく、体内で生み出される魔力にも記録されている。魔力には情報を記録する機能があるからな。もちろん、体内の魔力に記録のための魔術や術式を施しているわけではないから、脳ほど記憶の保持はされていない。だが、体内の魔力から人物の記録を読み取り、そこから特定の記録を抽出、そして、あいまいな情報を明確化し、修復するという技術がある──。それを可能とする術者を、ひとりだけ知っている」


 まさか、そんなことができるとは思わず、ユリアは固まった。

 会いたいが、会うことはできない。家族は未来にいるのだから。

 しかし、未来から来たという証明はできない。そのことは、まだ言えない。


「……私は、罪を犯したかもしれないのよ。そんな身内なんて、会いたいと思ってくれるかしら」


「お前をそういう性格の人間として育て上げた家族なら、会いたがっているのではないかと思う。……俺も、もしもルキウスが罪を犯してしまったとしても、会いたいと思う──その罪は、(なす)りつけられた罪ではないのかとも思うからな」


「……」


 セウェルスは、自分を信じてくれている。

 信じないで。放っておいて。私は、あなたたちに嘘をついているのよ。


「お前が会いたいと思うのなら、俺達が探す。依頼としてな。もちろん、今の依頼が終わってからになるが」


「依頼として……? 私には、お金なんてないわよ」


「対価は、俺達の食事を作ることでいい。家事も労働だ」


「食材代はあなた持ちでも?」


「ああ。……個人的な話だが……もしも、お前の家族が健在なのであれば、俺はお前の家族に会ってみたい」


 その刹那、ユリアは言葉を詰まらせて俯いた。セウェルスを見ることができない。


「……家族のことを思い出すことや、実際に会えるかもしれないということは……お前にとって、嬉しいことではないのか?」


 嬉しい。会いたい。でも、遠い未来にいるのだ。

 本当なら、このことを言うべきなのだろう──信じられない話で、未来から来たという証明すらできないが。


「嬉しいわよ……もちろん……」


 なんとかして、家族に会いたいという願いを諦めてもらわねばならない。

 何か、ないか──。


「──それなら……あなたたちの家族のことを教えてくれる? 私も、あなたたちの家族について、知りたいと思っていたの」


 すると、セウェルスは戸惑うように目をそらした。何かを悩んでいるように複雑な顔をし、目を伏せた。やがて、彼は深く息をついた。


「……いつか、本当のことを言う」


「本当のこと……?」


「俺達は……お前に隠していたことがある。……隠すために、嘘もついていた」


「え──?」


 まさか、あなたたちも?

 どうして?

 何を隠していたの?


「詳しいことは、今は言えない……。だが、いつか必ず教える。──約束する」


 セウェルスは、そらしていた目線をユリアに向け、どこか不安そうな目でゆっくり微笑んだ。


「……明日も、俺とルキウスは明朝に屋敷を出る。……じゃあな」


 そして、彼はユリアに背を向けて廊下を歩いていった。

 違うのよ、セウェルス。そんな顔しないで。私も同じなのよ。

 行かないで。私も、言わないと──。


「待って──待って、セウェルス……!」


 のどに何かが詰まったような感覚のせいでうまく声が出なかった。それでも、ユリアはなんとか声を絞り出した。セウェルスは足を止めたが、振り返らない。


「ごめん、なさい……。私も……隠していたことがあって……。ふたりに、嘘を……ついていたの……」


 そう言葉を紡ぐが、不安と罪悪感からどんどんユリアの声は小さくなっていった。

 彼に届いただろうか。どんな顔をしているのだろうか。

 セウェルスが振り返る。特に驚いた顔はしておらず、怒りも悲しみもない。ただ、安堵したように微笑んでいた。


「……やっぱりそうだったのか。『お互い様』だな」


「……わかっていたの……? 私が嘘をついていたということ……」


「お前は、確かにこの世の常識は知らなさすぎていたが……記憶喪失にしては芯が強く、それでいて妙に明るく前向きだと思っていた。だが、そんなお前のおかげで、今の俺たちはここにいる。──俺は、今の暮らしが気に入っているんだ」


 セウェルスは穏やかに言葉を紡ぐが、ユリアは罪悪感ゆえに口を閉ざして俯いている。


「ユリア・ジークリンデ。俺は、怒ってなどいない。ルキウスも、きっとそうだろう。……時が来たら、互いに抱えていた秘密を打ち明けないか」


「……私の秘密は、あなたたちでも信じられないかもしれない……。許されないことかもしれない……」


 時を越えたことは自らの意志ではなく、敵の企みだった。

 敵は、何を思ってこのようなことをしたのかは判らない。

 だが、ユリアは間違いなくこの時代の『異物』だ。にも関わらず、彼らに深く関わってしまった。無事に未来へ帰ることができたとしても、これによって何かの未来を変えてしまったかもしれない。後悔の少ない選択をしてきたが、言い換えるとそれは自分勝手な選択。

 だが、ふたりのことを気にかけるなと言われても無理だった。

 己と似た境遇と同じ想いを持つこの兄弟を助けたかった。ふたりが心を殺し続け、壊れていくところを見たくなかった。どのような心を持った人たちなのか知りたかった。ふたりの笑った顔が見たかった。


「──『かもしれない』、だろう? それは、お前の不安から生み出されたものにすぎん。まだ何も決まっていないのだから、必要以上に不安になるな」


「……」


 しかし、ユリアの様子は変わらない。

 セウェルスはため息をつくと、彼女に近づき、ゆっくりと抱き締めた。


「……どれだけ称賛の言葉が飛んできても、〈灰色の兄弟〉としてエレスドレアの街を歩いたあの日は、やはり良い気分にはならなかった。だが、その後で、お前がこうして抱き締めてくれたおかげで、不思議と気分が軽くなった。理由はわからないが、抱き締めるという行為にはそういった効果があるのだろうな。……少しは落ち着いたか?」


「……今まで……ごめんなさい」


「お互い様だと言っただろう。もう気に病むな」


「……気にならないの? 私が何者なのか……」


「ある程度、把握はできている」


「うそ」


「嘘じゃない。たとえ予想が間違っていたとしても、俺は別に構わない。……今まで、こうして大きな問題もなく暮らせているんだ。お前が伴侶を探すつもりがないのなら、この生活が長く続けばそれでいいと思っている」


 長く続けば、それでいい──?

 セウェルス……それは、続かないのよ──。

 その時、セウェルスがユリアの前髪を退かせ、額に口づけを落とした。


「な……何を……!?」


「下を向けば、ちょうどいい位置にお前の額があったものだからな」


「り、理由になってない……!」


 ユリアは、セウェルスから離れると、頬に朱を走らせて両手で額を隠した。

 そんな彼女をセウェルスは面白そうに見つめている。


「だったら、その顔が見たかったからというのは理由になるか?」


「き、急にふざけた事を言わないでくれるかしら……!?」


「見事に顔は赤く、声は裏返ったな。──ひとまず不安は消えたか? 何度も言うが、俺は嘘をつかれていたことに怒りなど抱いていない」


「……私の慌てた顔が見たかったから、おでこに口づけしたの? それとも、不安を紛らわせるため……?」


「それは、お前の感性に任せる。どちらが好みだ?」


 この少し得意げな顔は──間違いない。からかわれている。

 ユリアは何も答えることなく悔しそうにそっぽを向くと、セウェルスは「くくっ」と笑い、それから優しい微笑みを向けた。


「──おやすみ」


 そして、彼は踵を返して廊下を歩いていった。

 結局のところ、どちらが彼の本心だったのだろう。素直に聞けばよかったかもしれない。でも、悔しかったから聞けなかった。そのせいで、今は少し悶々としている。


(どういう気持ちで休めばいいのよ……)



◆◆◆



 それから、彼は事あるごとにちょっとした言葉でからかってくるようになった。前からも、たまにからかう言葉はかけられていたが、頻度が増えた気がする。

 ルキウスが、姉さんを困らせないであげてと注意するも、あまり止めようとする気配はない。

 そんなやり取りがある日常が続き、またひとつの節が過ぎた。

 そのすぐのことだった。


「──兄さん! 兄さんッ!!」


 ある日の夕方。ユリアが食事の準備にとりかかっていると、玄関からルキウスの悲痛な声が届いた。すぐさまユリアが向かうと、そこには膝をついて兄を案じるルキウスと、苦しそうに倒れているセウェルスがいた。

 ふたりに外傷はないが、服やズボンには刃物で引き裂かれたような傷がいたるところにある。そして、よく見てみると、布の裂け目や彼らの皮膚には赤色が付着していた。おそらく血が固まった跡だろう。傷を受けたが治癒術で治したと思われる。


「セウェルス……!?」


 ふたりがここまでの傷を負うなど有り得ない。そう思っていた。何が起こったのか。

 この時、ユリアは直感する。誰よりも強い力を持つふたりがこのような姿になっていることから、そう思ってしまうのか。自分でもよくわからないが、なぜかそう感じたのだ。


 ──この星に、危機が迫っている気がする。

第二章、終了です! 長かった……。

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