第五節 絆の証 ③
屋敷での暮らしをはじめてから、ひとつの節──およそ一ヶ月──が過ぎた。
エレスドレアの図書館に届く各街の情報紙確認も、ほぼ毎日続けている。遠く離れた街の情報紙によると、昨日に人間同士の大きな争いがあったようだ。現場に遺体は見つからなかったが、至る所に激しい争いを物語るさまざまな傷跡や血痕があったという。
今のところ、エレスドレアの街やその周辺にはこのような出来事はない。だが、情勢は確実に不安定となっている。
もとの時代に帰るための方法は、まだ何も見つけられていない。時を越えようと試みた魔術師がいたことや、その研究者のことすら何もない。
(……召喚術と同じく、禁術に指定されているのかしら)
禁術とは、世の中にとって危険性が高い術を指す。
その区分にある召喚術とは、この世には存在しないものでも喚び寄せることができるといわれている術だ。過去に存在した魔術の研究者曰く、『すべてが非常に不安定な術であるため、研究者でも触れることを恐れる一方的かつ傲慢な転移術といえるもの』らしい。
転移術とは、この世にあるふたつ以上の特定の場所をしっかりと結び、そこだけを安全に行き来するための術である。
そして、召喚術というものは、この世には存在しない──言い方を変えれば、異なる時代から異なる時空の存在までも喚ぶことができるという。
しかし、少しでも何かを間違えると『厄災』を喚び出してしまう恐れがある。遠い昔に、その『厄災』を喚び寄せたことがあるという。そのため、ユリアが生まれた時代よりもさらに昔から禁術とされている。
召喚術は恐ろしい。されど、生き物だけでなく、ありとあらゆる『存在』を喚ぶことができるとされている。
そのため、ユリアが小さい頃には、魔力がたくさんあった時代から魔力を『召喚』できれば、母なる息吹が弱まっても、魔力がたくさんある環境を維持できるのではないかと言われていた。
魔術を扱えるとはいえ、魔力を生み出す星そのものをどうにかできるはずがない。だから、それに縋るしかないのではないか──。
それでも、失敗すればとんでもないものを喚び出すかもしれない。さらに、禁術であるため、術を発動する手順はわかっても、術をうまく扱える者は誰一人としていない。使えるとしたら、神くらいだろう──。
結果、召喚術を使って魔力を増やすという方法は、多数の反対により取り下げられた。
「ねえねえ。〈灰色の兄弟〉様、やっぱ来てるってさ。お母さんも見に行ってるって」
図書館の本棚を見ていると、近くにいたふたりの少女のうちのひとりが発したであろう声が届いてきた。
どうして、ふたりがこんなところに?
郊外の屋敷で暮らしていることが露見してしまった?
少女たちのほうをちらりと見ると、手のひらに納まるほどの小さな水晶玉を手に持っていた。あれで母親と連絡をとっていたようだ。
ユリアは会話に耳をそばたてる。
「ホント……!? それじゃ、おふたりの御姿を見に行こう! 神のご加護にあやかれるだろうし!」
(なにがご加護よ……。ふたりは、ただの人間なのに……)
「行こう! 人も星霊も増えてきちゃう」
少女たちは去っていった。
いつの間にか、図書館にいるのは職員とユリアだけとなっていた。まさか、他の者たちも〈灰色の兄弟〉を見にいったのだろうか。
(……ふたりの様子だけ、見にいこうかしら)
行っても何もできないが、心を表に出せるようになっていたふたりのことが気がかりだった。
◆◆◆
人混みが凄い。
どこにふたりがいるのか、まったくわからない。
だが、向こう側で狭い範囲に障壁術が発動していることが感じ取れる。それがゆっくりと移動している。そこにセウェルスとルキウスがいるのかもしれない。
「──すみません。どうして〈灰色の兄弟〉様がここにいらっしゃるのですか?」
近くにいた人間の若い男性に、ユリアは声をかけた。
「なんでも、先ほどまで魔物の大群がエレスドレアに向かってきていたらしくてよ。街の守備兵たちが立ち向かおうとしていたら、〈灰色の兄弟〉様が突然やって来て、一気に一掃してくださったんだと。その報告を聞いた統治者様がお礼をするために、〈灰色の兄弟〉様をエレスドレアに招いたらしいぜ」
「そうでしたか……」
仕事と関係があったのだろうか。彼らは、断片的なことしか話してくれないが、仕事場は毎日違うらしいことはわかっている。
「──やはり、〈灰色の兄弟〉様の人気はどこも凄いものですね」
「ああした警備隊に囲まれていないと街中を歩けないほどだからな。あんたも、御姿を拝見してご加護をいただきに来たのか?」
「まあ……はい……。ですが、見れそうにないので、遠くから魔術を使うしかなさそうですね」
「いやいや、そいつはやめとけ。エレスドレアの警備隊はかなりの手練れだ。それに、〈灰色の兄弟〉様から警戒されちまったら、ご加護をいただくどころじゃない。みんなにも迷惑がかかる。ほら、今は飛んでるヤツなんてどこにもいないだろ?」
たしかに、翼がある星霊たちも屋根に乗っているだけで誰一人、上空を飛んではいなかった。
(……それなら、あの術を使ってみようかしら。慣れない術だけれど)
たとえ見つかってしまったとしても、あのふたりなら気配で術者が誰なのか把握ができる。大事にはならないはずだ。
ユリアは、人混みから離れて街を出た。そして、さまざまな種類の小鳥が好む木の実を採取すると、近くの木にとまって毛づくろいをしている小鳥に目をつける。
「……ごめんなさい。少しの間だけ、あなたの翼と目を貸してちょうだい」
ユリアの目が小鳥を捉えると、毛づくろいをしていた小鳥は一時的にぴたりと動きをとめる。その後、すぐにどこかを目指して飛んでいった。
魔術で小鳥の意識と身体を借り、その目でふたりを見つけることにしたのだ。
小鳥は、ユリアの意志どおりに〈灰色の兄弟〉がいる方へ飛び立つ。
ユリアは目を瞑り、小鳥の視界と繋いだ。
上空からは、人混みのなかを進む障壁が見える。エレスドレアの統治者がいる建物を目指しているようだ。この街の統治者は、尖塔がある城に近い建造物に住んでいるようだ。街が防壁に囲まれていることからも、どことなく故郷のヴァルブルクを思い出す。
〈灰色の兄弟〉が、わざわざ街の中を歩いて向かっている理由は、おそらくエレスドレアを統治する者たちからそうするよう頼まれたからだろう。
今の世の中は、どこも不穏な雰囲気に包まれている。そんな中、どの街でも神のように崇拝されている現人神的な存在が来てくれたら、街人だけでなく、エレスドレアに滞在している旅人たちも不安が和らぐはずだ。
(もっと降下しないと、ふたりがよく見えないわね……)
ユリアと魔力が繋がった小鳥は、少しずつ降下した。警備隊には見つかっていない。まだふたりの顔がよく見えない。
もう少しだけ降下していく──すると、セウェルスとルキウスが立ち止まった。そして、空を見上げ、ふたりは小鳥を目に映す。
(──!)
ふたりに表情はなかった。あそこにいるのは、セウェルスとルキウスではなく、かつて見た〈灰色の兄弟〉だった。
「何かございましたか」
豹のような姿をした警備隊の星霊が〈灰色の兄弟〉に問いかける。
「……あそこに小さな穴を開けてくれないか。知り合いが小鳥を使い、伝言を持ってきてくれたようだ」
「かしこまりました」
星霊が小鳥を確認すると、障壁に小さな穴が開いた。セウェルスがここに停まれと手を差し出している。
小鳥は静かにセウェルスの手に乗る。彼は、乗った小鳥を空いている手で優しく頭を撫でた。
──俺達のことは気にするな。特に問題はない。
小鳥を介して、彼の魔力からその意思を読み取れた。
続いて、ルキウスも小鳥の頬あたりを指先で撫で、意思を乗せた魔力を流す。
──俺達は大丈夫です。今日は、早めに帰ります。
ふたりの言葉を受け取ったユリアは、小鳥を飛び立たせた。
その瞬間、〈灰色の兄弟〉を囲む街人や旅人たちが沸き上がる。
使いにやって来た小鳥にもご加護を授けられるとは。
小さな生き物にもお優しい。
おふたりに撫でられた小鳥は、きっと子孫繁栄して長生きするでしょうね。
(世の中が不安定だと、たくさんの民が不安に囚われる。だからこそ、エレスドレアの統治者は、心の拠り所として〈灰色の兄弟〉を街に招待したのでしょうね……。神の加護を持つといわれるふたりが来てくれたら、少しは安心できるだろうから──。もしも私が統治者の立場なら、そうお願いすると思う……)
それと同時に、ふたりを『特別扱い』することは止めてほしいとも思う。
あのふたりは、ただの人間。真面目で、表面からでは判りづらいけれど優しい性格でもある。
この世の者たちがそのように接するから、ふたりは普通の人間らしい生活から離れて、自分の心を殺して、力のある者として戦い続けていた──その結果、『自分』を見つける機会がなかった。
私のように、いつか心が耐えられないほどの出来事が起こってしまったら、あっけなく潰れてしまいそうだ。
まだ明確に、心の支えとなるものが無いあのふたりは、そこまで『強い人』とは言えない。
そう思っているから、私が未来へ帰ったあとのふたりのことが気になってしまう。
その後、小鳥を元いた木へ戻らせると、ユリアは魔術を解き、謝礼として採っていた木の実を地面に撒いた。
小鳥はしばらく木の実をついばむと、どこかへと元気に飛び去っていった。
「勝手にごめんなさいね……。ありがとう」
◆◆◆
その後、買い物を済ませたユリアは屋敷へ戻った。食事を作り終えたあと、ふたりが帰るのを待つために、玄関で待っていた。
「……」
〈灰色の兄弟〉の顔は知っている。無表情に見えて、誰にも踏み込ませないような感情を殺した顔だ。
それでも、ユリアはあの兄弟の顔を見て強い悲しみを覚えた。
それと同時に、過去の記憶がフラッシュバックした。
かつてのユリアも、英雄になる〈予言の子〉として期待されていたが、それゆえ本当の自分を表に出すことができなかった。テオドルスだけが、本当の自分に気付き、幻滅せずに受け入れてくれた。
テオドルスがいたからこそ、あのときは本当の自分の心を守れて、アイオーンに心を見せることができたのだろう。
玄関の扉が動く。ふたりが帰ってきた。
「あ……ユリア・ジークリンデさん……。玄関で、何をしているんですか?」
「いえ……。おかえりなさい、ふたりとも。──エレスドレアでは、邪魔をしてごめんなさい」
浮かない顔で迎えられたセウェルスとルキウスは、反応に困ったようにユリアから目線をそらした。しばらくして、セウェルスが肩を竦める。
はっきりとした言葉がなくとも、ふたりにはユリアがこのような反応をする理由が判っていた。
「……エレスドレアでのことは、力ある者としての『務め』だと思っている。誰かの心を支えるのも、俺達がこなすべき仕事のひとつだ」
「それでも……『神様の化身』だとか、『神様から加護を授けられた』だとか、そう言われるのは嫌なのでしょう……? せめて、私の前では、少しくらい悪態をついてもいいのよ。私は、本当のあなたたちを知っているわ」
「俺達は、昔からそのような立場だった。だから──」
「『嫌だ』という気持ちをどこかで出さないと、どんどん自分の心がわからなくなってしまうものなのよ……。わからなくなってしまったら、ほかの人間や星霊の痛みまで判らなくなってしまう。出会った頃のあなたたちは、そうなりかけていたと思うわ……。だから、私は……あの頃のあなたたちに戻ってほしくない……」
だからといって、このふたりが、自分のほかに心を曝け出せる存在を作れるだろうか。いつかは居なくなる存在のくせに、こんな気持ちをぶつけるのは無責任ではないか。
ディゼーリオとレティエムは、感情が薄いことがふたりの個性だと思い込んでいるのだろうか。神扱いをしない知己であっても、この兄弟はあのふたりに本音を語っていないように見えた。
いつか、ディゼーリオかレティエムに再び出会うときがあれば、兄弟の心のことを話して、今後のことを頼もう。頼れるのはあのふたりだけだ。自分ができることなんてこのくらいしかない。あとは、兄弟の心の強さと未来を信じることだろうか。
今後の兄弟のことを想っていると、ユリアは無意識にセウェルスとルキウスの腕を掴んで引き寄せ、両腕を広げて優しく抱きしめていた。
「ねえ……。心のどこかで、感情なんて無かったほうが楽だったのにって、思っていたりする……?」
「……」
「そう思っていたとしても、変なことではないわ。……安心して。私も思ったことがあるから──強い能力を得た代償として、私の感情が無くなればよかったのにと……思ったときがある……。そうすれば、『みんなが望む私』になれただろうし、辛さや悲しみも感じなくなるから──」




