第五節 絆の証 ②
「一日も?」
「ああ。依頼の内容が少し変わった。だから、明日は休める。──時間があるから、日常生活で使う魔術の訓練をするぞ」
「うわぁ……」
「なにが『うわぁ』だ」
明らかに嫌そうな顔と声にセウェルスがツッコむと、ルキウスは少しだけ吹き出してしまった。
◆◆◆
今日は朝から快晴だ。昼頃になっても雨が降る様子はない。実にお出掛け日和なのだが──。
「その刃物はなるべく使うな。今日は訓練をすると言ったはずだぞ」
「えー……」
「『えー』じゃない。やらないと何も上達しないだろう」
「う〜……」
「魔物みたいに唸ってないで、まずはやってみろ」
昼食を作る調理室にて、ユリアとセウェルスのささやかな攻防戦が始まっていた。
今日は約束していたとおりにルキウスと共に料理をしていた。上手く魔術を使って食材を切ってくれるルキウスに愛を込めた褒め言葉を並べていたユリアだったが、突然、食材を切ることもちょうどいい練習だとセウェルスが乱入してきたのだ。そんなこんなで現在、ユリアは持っていた包丁をセウェルスの魔術で没収されてしまったのだ。
日常生活──おもに細かい作業──で使う魔術が下手だということは自覚している。格好悪い姿を人前で晒すことは嫌だ。もはや駄々をこねている時点で格好悪い姿など今更ではあるが、やっぱり嫌だ。
「え〜っ……とぉ〜……」
まるで壊れやすいガラス細工に触れるような感覚で、ユリアは魔術を使って果物の皮を剥いていく。
調理用ハサミでできることなら魔術でも出来る。だが、包丁でするようなことは無理だ。例えば、りんごの皮むきとか魚の三枚下ろしなどの繊細な作業は無理だ。手作業であれば問題もなく出来るのだが、魔術となるとまた別である。
ユリアにとって魔術とは、戦闘に使う武器のひとつという認識だ。そのため、盛大にぶっ放すことが当たり前だった。だから、こうした日常生活で魔術を使ったことはほとんどない。物を浮かすか、焼くために火を使うかくらいだ。焼くことも火加減が下手すぎるが──。いや、みじん切りは得意だ。
基本的に日常生活で使う魔術は、ほとんど力を込めなくてもできるものばかりである。だが、ユリアにとっては違和感があり、力を込められないことに気持ちがむしゃくしゃしてしまう。
だが、その気持ちを堪らえないといけない。
堪らえろ、堪らえろ──ユリアの顔つきがどんどん真剣になり、眉間に皺を寄せていく。
「んぐっ……ふふっ──」
ユリアが真剣にゆっくりと果物の皮を剥いでいく姿を見ていたルキウスが、笑いを堪えている。
「本当に、不思議なくらい下手だな……。戦闘時の姿とは結びつかない……」
セウェルスの呟きがユリアの耳に入った瞬間、皮だけを剥くはずの果物が真っ二つに割れてしまった。
「知っています! わかっています! だからルキウスは笑わないでちょうだい! 私は真剣なの! 難しいのっ!」
「す、すみませ……ん、ふふっ……。戦闘では、あれだけ器用にたくさん魔術を放てるのに……その差が、ありすぎて──あははっ」
「だから笑わないで! 余計に切れないじゃない!」
そうして、いつになく騒がしい調理時間が過ぎた。
魔術での調理の結果、味は良いのに見た目は悲惨な料理が出来上がってしまった。ユリアのテンションはダダ下がり、しょぼくれた顔をしたまま昼食を終えた。
──そんな結果だったため、ユリアの訓練はまだ終わらなかった。
次に、セウェルスからマンツーマンで基礎的な練習を受けることになった。
食事中にセウェルスが提案してきたことだが、それくらいは自分だけでやりたいと反対した。だが、ひとりで練習していても絶対に上達しないと断言され、それからもいろいろと言われて折れてしまった。
その間にルキウスは、双剣術の稽古のために、強い魔物が出没することで有名な場所へと出掛けていった。
「もっと力を抜け。そこまで力む必要はない」
「抜いて、ます……」
「もっとだ」
ふたりは居間にある椅子に座り、長い机を挟んで向い合っている。
今のユリアの顔は、魂が抜けたような力の無いものだった。しかし、セウェルスは気にしていない。甘やかす気つもりはないようだ。
基礎的な練習とは、小さな子どもがする魔力の力加減の練習だった。
練習内容は、教師が指先に集束させた魔力と同じくらいの魔力を、生徒も指先に集束させる。
そして、互いの指先をくっつけて、一定時間の間、そこに魔力の揺らぎが発生しないようにすることだ。
教師と生徒の魔力の力加減が同じなら、合わせた指先にある魔力は揺らがない。調和して、目には見えないひとつの綺麗な円形となってくれる。魔力を扱える者なら、見えなくともその形は感覚でわかるものだ。
力加減が違っていると、魔力の集合体は形が歪み、その差が大きければ歪みが大きくなる。これが揺らぎだ。
ちなみに、魔力を集めて物理的にくっつけているだけなので、これだけでは魔術は発動しない。失敗しても事故に繋がる恐れはない、安全な練習方法である。
その一連の流れができたら、もう少し強く、あるいは弱くして、また練習をしていく。こうして魔力の力加減の感覚を覚えていくのだ。
戦争の最中に生まれたユリアは、周囲から少しでも早く戦力になってほしいと望まれたため、この練習はしたことがなかった。
「……」
顔が死んでいてもユリアの癖は変わらない。
力を抜けと言われたため抜いていったが、すぐに少しずつ力を入れてしまった。
「……手のあたりの魔力にだけ、しばらく触れる。力を抜く感覚に慣れろ」
上手くいかないユリアに見本を示すため、セウェルスは彼女の右手を握った。ユリアの右手に収束する魔力が、少しずつ弱くなる。セウェルスが操ってくれているからだ。
(……手にある魔力が少なすぎて、スカスカして物足りない。なんとなく暴れたい──いや、違う違う。慣れろ、これに慣れるのよ。私……)
今は、あえて魔力のことに意識しないでおいたほうがいいか。何を考えよう──ご飯のこと? いや、それだと魔術の練習にまったく意識が向かなくなる。ほどよく魔術のことも考えられること──。
その時、セウェルスの手が、ユリアの目に留まった。彼の手から温もりが伝わってくる。しなやかで長い指であるため、美しい手だと思う。それでも、ユリアの手とは違う『男の手』だった。
鍛えているユリアの手よりもしっかりとしていて、大きくて、筋肉質。美しさも兼ね備えているからか、不思議と優しい雰囲気がある。
──理由はよくわからないけれど、手を握られていると安心する。この人の手が、なぜか『好き』という感情が芽生えてくる。
(って……何を考えているのかしら……)
「──何があった? 魔力の流れがおかしくなったぞ」
「あの……少し……一度、手を離してくれる……?」
ユリアの魔力がおかしくなったのは、セウェルスの手を意識したがゆえに感情が乱れたせいだ。ユリアは、それをできる限り顔に出さず、冷静に言葉を紡いだ。
しかし、彼はそんなことが原因だとは思わず、怪訝そうにユリアを見る。
「……俺に触れられるのが嫌なら、ルキウスと交代するが」
言われたとおりにユリアから手を離したが、その声はどことなく不貞腐れていた様子だった。
そして、セウェルスは机に肘をつき、その手の甲に頬を乗せる。
この時、ユリアは気付いていなかったが、セウェルスが自分の弟を『ルキウス』という名前で呼んだのは初めてだった。
「いいえ、違うわ。そうではなくて……あなたに手を握られると、なぜか変な感じになってしまったから……」
「それは、異性だからという理由か? ……数節間も共に旅をして、さらには俺の裸体を見たというのに……今更すぎないか?」
と、セウェルスは、お前は何を言っているんだと発言しそうな顔をした。ここで情緒ある雰囲気にならないのは、彼が人間や星霊との営みから離れて生活をしていたからだろう。
「それは関係ないのよ。あと、あなたの裸を見てしまった話は持ってこないで。あれはただの事故であって──」
「だったら出来るはずだな」
セウェルスは、ユリアの言葉を遮るとともに再び彼女の手を握った。
この微妙な心情がわからないなんて──ユリアは彼に対してジト目を向けると、セウェルスは微かに口角を上げて笑った。
何かしら、その笑いは。絶対に解ってやっているわね。
「あなたって、冷静沈着な大人かと思えば結構いじわるな性格よね」
「さて、どうなのだろうな。自分ではよく判らん」
そんな台詞を吐きながらセウェルスは笑っている。
絶対に判っているでしょう。
「そんなことをしていると、私はずっと上達しないままだし、私の訓練に付き合う時間が増える一方よ?」
「今は下手すぎるが、お前ならいずれ出来るようにだろうと信じている。それに、この時間が嫌なものだとは感じない──不思議なことにな」
セウェルスはそう言いながら、しみじみとした様子で机を見る。そういった感覚は初めてなのだろうか。そんなことを言われたら何も言えなくなる。
「……これ以上いじわるしたら、あなただけご飯抜きにするから」
「あいにくだが、俺は味付けが雑な食事でも特に問題なくてな。そもそも困るのはお前だろう──本当に上達できなければ食事代を減らすぞ」
その直後、「んぐぅっ」とユリアの喉が悔しそうに唸る。
「……本当に、いじわるな人……」
ユリアが恨めしそうに言うと、セウェルスは小さく声を出して笑った。ユリアの手を握る力が、わずかに強まる。
そして、ユリアは思った。
性格も、現代で生きている『今のアイオーン』に似てきたものだと。
それでも、出会った頃のアイオーンとは全然違う。あのヒトは、人間にそっくりな姿を持った性別という概念を持たない星霊であり、この人は人間の男。だから別の存在だ。
わかっていても、彼の笑顔を見ていると家族に会いたくなる。
そんな日常が、しばらく続いた。




