第五節 絆の証 ①
翌日、セウェルスとルキウスが出掛けると、ユリアは再びエレスドレアの図書館へ向かった。
〈名もなき神〉のこと調べるとためだ。
調べること、およそ一時間。
図書館で得られたことは、〈名もなき神〉が人間と星霊に助言したことと、予言したこと。
それらの内容が的確であり、人間と星霊は穏やかに生活を営んでいたこと。
そして、目に余る行動をした悪しき者たちに怒りを向け、一族もろとも断罪していき、秩序と平和の神として崇められていたということだった。
〈名もなき神〉が、人間と星霊に対してどのようなことをしたかという話はたくさんあった。だが、〈名もなき神〉の個に関する情報はほとんどない。性格は、人間と星霊の関わりからおおよそ見えてくるが、個人的な関わりをしたものはおらず、〈名もなき神〉の真の姿は誰も見たことがないとのことだった。
それから、どれだけ調べても、昨日の夫婦が教えてくれたような内容しか載っていなかった。
(私には考えられないわ……。ある意味ずっと孤独だったのに、どうして永く人間と星霊を守り続けてくれたのかしら……)
〈名もなき神〉は、大いなる力を持ち、人間と星霊からは神として崇められていた。さらには悪なる者を厳しく罰し、そのことから争いが起こらない抑止力ともなった。
〈名もなき神〉には、きっと対等な友などいなかっただろう。それなのに、清廉で高潔な精神は、どのようにして保ち続けていたのだろう。生まれついてから人間や星霊から超越していた存在ゆえに、地上で生まれた者では到達しえない精神を有していたのだろうか。
(私が〈名もなき神〉を祀る神殿の巫女の立場であったら、ただの一個人として、意思を交わしてみたかったものだわ──)
美しいと思えるその精神に、少しでも触れてみたかった。自分では持てそうにないから、少しだけ憧れを向けてしまう。
だが、〈名もなき神〉が居なくなった理由は何なのだろう。大いなる存在が、自身の寿命を察知できずに死んでしまうのは考えられない。
地上の者たちも、突然前触れもなく消えてしまうとは思わなかったはずだ。人間と星霊を想っておきながら、何も言わずに勝手に消えてしまうものだろうか。
(……もしかして、星の内界で何かが起こった──? いや……そこで何かが起こったのなら、地上にも、それに影響した何かが起こっているはずだわ)
これも結論が出ない考察だ。
止めよう。今は、もとの時代へと帰るための方法を見つけることが先だ。
(〈名もなき神〉がいなくなったのは、たしか十年ほど前……。この時にいてくれていたら、未来からやってきた私に何か教えてくれたかしらね……)
〈名もなき神〉はもういない。
ユリアは小さくため息をつくと、書棚から離れて情報紙が置かれている区画に足を動かした。
今日に発行されたさまざまな街の出来事を見ていく。
そのなかに、さすらっていた人間の女の旅人が負傷したというニュースがあった。旅人は、なんらかの理由で人間の女と争いになったようで、『きょうだい』という言葉を度々叫んでいたことから、骨肉の争いの可能性があるという。旅人は、負傷しながらも街の者たちの治療を受けることなく、その場を立ち去ったようだ。
他にも情報紙の内容を確認していくが、気が滅入ってしまう出来事ばかりだった。
(嫌なニュースばかりね……。ほっこりするニュースはないのかしら)
ひとつひとつの情報紙を流し読みしていると、レティエムが治める街が発行している情報紙があった。そこには、魔物の襲撃後に、街を盛り上げるために大規模な異性装大会を開催するとの広告があった。優勝者ならびに入賞者には、豪華な賞品が贈られるらしい。最後には『老若男女、他の街の者であろうと奮って参加せよ』というレティエムの言葉が書かれていた。
(……いや、あの人なにを個人的な趣味爆発させているのよ)
しかし、意外なことに、この異性装大会は意外と頻繁に催されているようだ。それも、回数を重ねるごとに参加者が増えているらしい。
「……今、異性装がブームだったりするの……?」
思わず言葉が漏れる。
次の情報紙を見てみると、巨大樹が抱く街という単語があった。おそらく、ディゼーリオがいる街のことだ。
その街では、人間の女たちと二股した人間の男がいたという。二股された人間の女たちは、彼のだらしない性格に怒りを爆発させ、大きな魔術を発動してしまった。そのため、少しだけだが街に被害が出てしまったらしい。
のちに、二股された人間の女たちと二股をした人間の男は、仲介人を通して慰謝料を払うことで解決した。男はどちらも愛する人だと泣きながら言っていたが、ふたりの女は愛想を尽かしたようだ。このことで街の統治者は、浮気しないよう注意を呼びかけたという。
(これ……ディゼーリオさん、よね……?)
名前は伏せられていたが、彼の可能性が高い。直感がそう言っている。
(セウェルスとルキウスがまともに関わる知り合いって、どちらも個性強すぎるわね……)
仕事の都合上、どうしても関わらざるをえないのだろうが、このまま関係を続けていていいのだろうか。
ほっこりするどころか、なんとも言えない感情になった。
◆◆◆
そうして、日が暮れた。
娯楽のためのものを買ってもいいと許可が下りたので、この屋敷に戻る前に、魔術学や料理本など今後の役に立ちそうなものを買ってきた。
今晩の夕食を作り終え、それらの本を読みながら食事室にてセウェルスとルキウスの帰りを待っていた。机にはふたり分の今日の料理が並べられている。
「昨日より遅いわね……ふたりとも……」
時計がないため、正確な時刻はわからない。
だが、魔術によっておおよその時刻が判るように造った小型の術式道具はある。その形は、現代のアナログ時計と同じだ。しかし、設定した一秒の長さや現在の時刻はユリアの感覚なので絶対に間違っている。それでも、現代らしい時計があるだけでなんだか安心できた。
それから、さらに時間が経った。
自作時計が指す時刻は、十時三十分ほど。残業があった会社員の家族を待つような感覚だ。
さすがに空腹だったため食事はとった。今頃、ふたりは何をしているのだろう。ここまで遅くなるのは少し不安だ。
その時、旅人が負傷したという情報紙のニュースが頭によぎる──だが、あのふたりに限って、そんなことはならないだろう。
「眠い……」
とうとう眠気まで襲ってきた。そういえば、湯浴みはまだだった。ふたりが帰ってきて食事を摂っているときに入ろうと思っていたが──もう朝でもいいか。
旅をしているときは、水浴びは二、三日に一回というときもわりとあった。泉はそこら中にあるものではないからだ。魔術で水を作り出すことはできるが、旅では余計な体力を使うことは避けたほうがいいと言われた。そのため、わりと感覚が適当になりつつあった。現代なら毎日風呂に入る事が当たり前だったが、環境が変われば感覚も変わっていく。
とうとうユリアは、本を閉じて机に伏せた。やがて意識を手放す。
その後、肩に何かが乗った感覚がした。音が聞こえる──いや、声もだ。
「……」
目が覚めると、目の前にはセウェルスとルキウスが座っており、空になった食器を片付けようとしていた。ユリアの肩には、身に覚えのある黒のロングコートがある。セウェルスがかけてくれたようだ。
「──起きたか」
セウェルスが声をかける。
「おかえり……。帰っていたのね」
「遅くなって悪かった。これからも、日によっては遅くなる。眠くなれば自室で休め。俺達ことは気にしなくていい」
「それでも……なんだか心配なのよ。今の世の中は、いろいろと不安定なのでしょう?」
「〈灰色の兄弟〉にそんな心配をかけるのは、お前くらいだ。気にせずに休め」
セウェルスの声色は優しかった。それでも、ユリアの不安は消えなかった。
〈灰色の兄弟〉がこなしている依頼は、達成することがかなり難しいものではないかと予測できる。〈灰色の兄弟〉は、仕事を独占しないように受ける依頼を選んでいると言っていた。仕事の内容は教えられないと言われたためわからないが、長期になることは確実で、いつ終わるかもわからない。だからこそ、不安に思ってしまうのだ。
(……これ以上心配するのは、セウェルスとルキウスに失礼になるわね……)
それに、どれほど案じても、ふたりが依頼を放棄することはないだろう。今は信じるしかない──ユリアは頷いた。
「すみません、ユリア・ジークリンデさん。仕事で縁があった人たちと、いろいろと話し合いをしていたので遅くなってしまいました」
と、ルキウス。
仕事で縁があったということは、依頼はどこかの街で行われているのか──。
わからないから知りたいという欲求が生まれ、そして、それが勝手な憶測を生み出してしまう。そんな憶測が正解なわけではないのに、なぜか捨てることができない。そうして真実であるかのように思い込み、さらに不安になっていく。
いけない。もう考えては駄目だ。
「いいのよ。ふたりとも無事でよかったわ」
不安から生まれ続ける混沌とした精神を抱いているが、ユリアは何事もないように微笑む。
「あの……これを、どうぞ。帰りが遅くなったお詫び、にはなりませんが──見たことのない珍しい開き方をした花でしたので、即席の花瓶を造って持って帰ってきました」
ルキウスは、食器から離れて置いていた一輪の花が生けられた花瓶をユリアに差し出した。
一輪の花の花弁は白色で、花弁は放射状に開くのではなく、渦を作るような螺旋状となっていた。
そしてルキウスが即席で造ったという花瓶は、淡い緑色と黄色が混じった半透明のものだった。ガラスのようだが、ほのかに魔力を帯びている。
「あら、ありがとう。本当に変わった花ね……。花瓶は、何の石で造ったの?」
「名前はわかりませんが、宝石の一種だと思います。綺麗な石がたくさん見つかる山で仕事をしていたので、花が生けられそうな大きさの石を魔術で加工しました」
宝石の採掘場だろうか。
そんなところで、いったい何を──。
「ルキウスは本当に器用ね。私だと、造っている途中で力加減を間違えて壊してしまいそうだわ……。これはどこかに飾っておくわね。またエレスドレアへ行ったときに、何の花なのか調べてみるわ」
「──ユリア・ジークリンデ。俺の上着の衣嚢に小さな布袋が入っている。帰り道で採れたものだから、料理に使うといい」
思い出したようにセウェルスが言う。ユリアは、肩にかけられたセウェルスの黒いロングコートのポケットを探り、小さな布袋を取り出した。開いてみると、旅をしている時にでよく採っていた香辛料となる小さな木の実があった。
「ありがとう。だったら、明日もお肉にしましょうか。今日、この近辺に良い感じに肥えた魔物がいたから、それを狩ったのよ」
「お前……買わずに狩ったのか……?」
「お店で買うよりたくさん手に入るし、捌けるから問題ないわ。それに、一匹狩ればまるまる私たちのものよ」
ユリアは嬉々としてその台詞を言い放つと、兄弟は顔を見合わせた。
十中八九、ユリア・ジークリンデが一日くらいで食べ尽くすだろうな。
たぶん、ユリア・ジークリンデさんが一日くらいで食べ終えそう。
ふたりは、そんなことを心の中で思っていそうな顔だった。
「……まあ、いい。それと、明日はどこにも行かない。一日休みだ」
セウェルスが軽く息をつくと、予想外の言葉な言葉が出てきた。そのことに、ユリアは首を少し傾げる。




