第一節 混沌 ①
「なぜ……このようなことに……」
翌日。ユリアたち特務チームは、旧ヴァルブルク領にほど近い場所にある特別領地衛兵課の駐在所付近に到着した。
任務先の国の者が、この付近まで車を出してくれたのだが、運転手は魔術師ではない普通の人なので、この近くの街で降ろしてもらった。魔術師ではないただの人間では、この環境には耐えられないからだ。ちなみに、荷物は、ヒルデブラント王国のローヴァイン邸まで持っていってくれることになった。
本来なら、ここはまだ魔力濃度が低い地域に分類されるところだ。だが、今は現代では考えられないほどの濃い魔力に包まれていた。まるで、ヴァルブルク王国があった時代が復活したかのようだと錯覚するほどに。
「まるでタイムスリップしたんかってレベルの魔力濃度やな……」
アシュリーが呟いたその時、空に鳥の鳴き声が響き渡った。小鳥のような可愛らしいものではなく、力強い声だ。そして、ユリアたちが立つ地に、大きな鳥の影が現れる。見上げると、そこには大きな猛禽類が空を飛んでいた。
「見た感じ、けっこうな大きさがある。この時代には、あれほどの大きさの魔物なんて、もう生きていないはずなのだがね……」
テオドルスが腕を組みながら、訝しげに言葉を紡ぐ。
ヴァルブルクや、まだ活動している母なる息吹がある地にも、魔物は存在している。しかし、どの地にも小さな魔物しかいない。
その理由は、『魔物』と称される生き物は、星霊と同じく生きるために魔力を必要とする身体を持っている種類が多いからだ。身体が大きいほど、生きるために取り込まないといけない魔力が多い傾向にあるため、現代には大きな魔物はいない。そのはずなのだが──。
その時、猛禽類の魔物の一体が、ユリアたちを認識した。興奮したようにギャアギャアと鳴き声を発すると、残りの二体もユリアたちに気づき、三体の魔物は同時に急降下してきた。
「おいおい、せっかちだな。こっちは状況を調べたいってのに」
そう言いながら、ダグラスは次元の狭間から剣に変形する銃を呼び出し、即座に構えて魔弾を射出した。すると、テオドルスは、弓を魔力で編んだ矢を弓で放ち、アシュリーは杖の先から光の弾を高速に放つ。それぞれは、三体の魔物の顔に的中した。
魔物たちの動きが乱れたその隙に、ラウレンティウスの手には槍、クレイグには短双剣、イヴェットには棍棒が姿を現し、三人は地を蹴った。次の瞬間、二体の魔物は首を切断され、もう一体は頭蓋骨を破壊されて地に落ちた。
「避けられるかと思ったが、意外と頭の弱い鳥だったな」
ダグラスが拍子抜けした顔つきで、首を切断された魔物の死体に近づいた。体内から血と魔力が流れている。
「……本物の血だな」
「ああ。幻影術ではない」
アイオーンも魔物の死体に近づき、切断された首を持ち上げた。
「どこから来たんだろう……こんな魔物……」
イヴェットは、棍棒を握りしめながら不安そうに空を見上げる。
状況はまだ落ち着かない。謎の地響きや低いうめき声のような音が聞こえてくる。そして、魔力の気配も強くなってきた。
「──先ほどの魔物の鳴き声のせいか、この周辺にいた魔物も私たちの存在に気づいたようね」
ユリアの目線の先に、サイのような魔物の群れに、狼らしき魔物の群れが現れた。さらに、遠くの空からはドラゴンのようなシルエットが多数見える。
「久しぶりに見る光景だな」
アイオーンの言葉に、テオドルスは「本当だね。まるで魔物の巣を刺激して遊んでいたときみたいな光景だ」と微笑んだ。
そのやり取りに、ラウレンティウスは「何をしているんだ」とげんなりしている。
「魔物って、生きるために必要な魔力が欲しいから、他の魔物や人間を襲うんだよな? そんなに魔力が欲しいなら、母なる息吹の近くに行けばいいだろうに。ここより断然に濃いだろ?」
クレイグがユリアにそう問いかけると、彼女は困ったように首を左右に振った。
「ほとんどの魔物は、人間と同じく、魔力を必要以上に一度にたくさん摂取すると命の危険があるみたいよ。だから、他の魔物や人間を喰らって必要な分だけ少しずつ魔力を得たがるの。魔力濃度が濃いところに長時間いても平気なのは、私のような体質的に丈夫な一部の人間と魔物、それと星霊ね」
魔物の群れがじょじょに近づいてくる。
ユリアは、仲間たちに目を向けた。
「これらの魔物──あなたたちだけで、すべて対応をお願いしてもいい? 魔力の扱いに長けた魔物だと、こちらの術を解いて無効化してくることもあるわ。魔術攻撃の耐性が高い魔物とかもいるかもしれないけれど、そのときは物理的に殴って対処して」
「別に構わないが、お前は何をするつもりだ?」
ラウレンティウスが問う。
「他に異変がないかを調べてみたいの。近辺の魔物がここに引き寄せられているのであれば、そのおかげでこのあたりは調べやすくなっているはず。それに、ここは私の一族の領地だから、どこにどういったものがあるのかという把握はできているわ」
一言で『母なる息吹がある地』といっても、場所によって少し環境が違うところもある。たとえば、森があるところは、生えている木々や植物の種類によって魔力濃度が濃くなること、あるいは逆に薄くなることがある。そういったところに、何かが起こっているかもしれない。今は、あまりにも情報が少なすぎるため、戦いは仲間に任せて、少しでも何かを調べたいという思いが心を急かす。
「気を付けろ。異常すぎて、わたしにも何が起こるか予測できん」
「あまり遠くに行き過ぎないようにね」
「無理しちゃ駄目だからね!」
アイオーンが許可すると、テオドルスとイヴェットがユリアの性格を鑑みた心配の言葉をかける。
「無理をしたら、罰としてお前の分だけ食事を減らすからな」
「その場合、間食の菓子も厳禁な。食ったら罰は延長」
「姫さん。俺に泣きついても何も買ってやんないからな」
「ウチも買わんからな。アイオーンも作ったらアカンで」
「みんなは私のことを何だと思っているの!? もう魔物がすぐそこまで近づいてきているから早く戦ってくれるかしら!?」
ラウレンティウス、クレイグ、ダグラス、アシュリーまでもが子ども扱いをしてきたことで、とうとう我慢ならなかったユリアは大声を出してしまった。地にいる魔物たちも、空にいる魔物たちも、すぐ傍まで迫ってきているというのに。
「それもそうだね。それじゃ、全員で派手にやってしまおうか──!」
テオドルスが号令をかけると、彼は即座に弓を構えて魔力で編み上げた矢を放った。放たれた瞬間、その場に暴風が起こり、矢は流星のごとく瞬時に駆け、飛行するドラゴンの頭を貫いた。
アシュリーも螺旋状の暴風で飛行してやってくるドラゴンを切り刻む、あるいは地に落とした。
地に落ちたドラゴンは立ち上がり、また飛ぼうとすると、ダグラスがそのドラゴンに狙いを定めるかのように指した。そして、突如として、大地からドラゴンを囲むように、爪のような鋭いものが無数に生え、それらが一斉にドラゴンの巨体を貫いた。
アイオーン、ラウレンティウス、イヴェット、クレイグは、地を駆けてきた魔物たちを軽業師のように、魔術や武術で華麗に一掃していく。
その脇で、ユリアは気配遮断と目くらましの術を自身に施して戦場から離れていった。
(……やはり、魔物は想像以上にいる──)
別の方角から、魔物の声が聞こえてくる。空からも、再び猛禽類やドラゴン。それも、先ほどとは雰囲気が違う。見たことがない種類の魔物だ。魔術が効きにくい種なら、長期戦を強いられるかもしれない。仲間の無事を願いながら、ユリアは地を駆ける。
ある程度離れると、気配遮断と目くらましの術を解いた。ここからは、魔力の気配の機微を探っていく必要がある。
(どこもかしこも、魔力濃度が高い……。現代ではない──まるで、過去の時代だわ……)
ユリアは立ち止まった。
仲間が戦っている音が聞こえないほど、遠く離れた場所にいる。今は、風が吹く音しか聞こえない。音はそれだけだ。
だが、魔力は──。
「っ!!」
地を蹴り上げて高く飛び、後方宙返りをした。
ユリアがいた場所には、高濃度の魔力光線が走っている。光線は、近くに生えていた木々に直撃し、爆発した。
自分と同じほどの実力を持った魔術師がいる──魔術ひとつで、そのことを感じ取ったユリアは、両手に魔力を収束、凝固させて月白色の剣を編み上げた。その刹那、ユリアが地に降りる前に、その魔術師が接近してきた。敵も両手に剣。しかも、ユリアと同じく魔力を凝固させて編み上げた、月白色の剣だ。
空中で攻撃を受け止め、その衝撃で地面を滑りながら着地したユリアは敵を睨む。
「お前は……」
この敵は人間なのか。魔力の気配がいまいち人間らしくない。
背丈は、ユリアとそう変わらない。フードを深く被っているせいで、敵の顔が口元しか見えない。白の長いローブを身にまとっており、体格もわからない。まるで神に仕える者のような服装に見えるが、意匠が違う。
「──何者だ」
フードを深く被った白いローブの者は、答えることなく双剣でユリアに斬りかかってきた。ユリアも双剣で立ち向かう。数回打ち合っただけだが、敵は手練れだと判った。だが、こちらも双剣術には慣れている。
双剣術だけではなく、場合によっては体術、魔術を組み合わせる。相手に次の一手を読ませないもの──だが。
(思った以上に、攻撃が相手に届きにくい──)
攻撃が読まれている。防がれ、ギリギリのところで避けられてしまう。いったい何者だ。激しい戦いでもフードがめくれてくれないのは、魔術のおかげか。相当、顔を見られたくはないらしい。だが、すべての攻撃が届いていないわけではない。胴部分のローブが斬撃で切れている。押し続ければ勝てない相手ではない。
それに、あちらは防戦だけで手一杯のように見える。本気を出していないだけかもしれないが、今のところは防戦のみで攻撃を仕掛けてくる動きは見えない。
(それにしても……なんだ、この者は……)