第四節 エレスドレアにて ④
日が暮れて、おそらく数時間が経った。
ユリアは、調理場の椅子に腰掛けて、窓を開けてぼんやりと星を眺めていた。
この時代は、現代から遡っておよそ三、四千年前と思われる。日常生活で魔術が当たり前に使われている時代のため、この屋敷にも部屋を明るくできる術式装置がたくさんある。だから、意外と現代と変わりない暮らしだ。
それでも、大きな屋敷でたったひとり過ごすのはやはり寂しい。テレビもなければ携帯端末すらない。旅をしているときは、野宿の準備や見張りなどすることはあったため退屈にはならなかった。しかし、屋敷で暮らすと動く時間も劇的に減り、仕事もないため疲れもない。明日から時間つぶしになりそうなことを探さなければ。セウェルスに頼んで娯楽になりそうなものを買ってもいいか聞いてみよう。
そんなことを考えていると、玄関の扉が開いたらしい音が聞こえてきた。扉を開けて廊下に出ると、かすかにふたりの話し声が聞こえる。
「──おかえりなさい。ご飯は出来ているわよ」
廊下から玄関先に届くよう声を張ると、〈灰色の兄弟〉が歩いてきた。
「た、ただいま……です」
ルキウスが目を輝かせながら、どこか緊張したようすを隠せない声色で答えた。
「どうしたの、ルキウス?」
「あ、いえ……。『ただいま』という言葉を言う機会なんて、この先もないことだと思ってましたので……。それができたことが、なんだか嬉しくて……」
ルキウスは、恥ずかしそうに俯きながらモジモジしている。
ただいまという言葉を言わなかったほどに、この兄弟は離れて行動していたときはなかったようだ。ユリアにとってはよく言う言葉だが、このふたりは一般家庭とは縁遠い暮らしをしていた。
だからだろうか。ささやかなことで素直に感動して、さらに照れているその愛らしい姿に、ユリアは心を撃ち抜かれていた。比較的最近まで表情を表に出さなかったこともあり、なおかつ美少年だからこそ、その姿が余計に輝いて見えた。
「──可愛すぎる。弟に欲しい」
ユリアは両手で口元を隠し、思わず本音が漏らしてしまった。その言葉が耳に届いたセウェルスは、不審者を見るかのように「……は?」と声を出す。
「セウェルス……あなたが羨ましいわ……。どうしてこんなにも可愛い弟がいるの──」
「妙な目で弟を見るな」
「なにかしら、その不審者を見るような目は。ただの不審者ではないわよ。この料理を見なさい」
ルキウスの可愛らしさに脳をやられたせいか、ユリアは無意識に自らを不審者と認めた。そして、自信満々に食事室の扉を全開させる。
兄弟が部屋の中に入ると、大きな机には三人分の食器具に、メイン料理と副菜が二品並べられていた。魚介類の出汁で作ったリゾットに近いものと、緑色野菜やカットされた果物などが盛られたサラダ、豆と小さな芋の煮物だ。
この時代には便利な魔術があるため、流通だけでなく、栽培や養殖などにも魔術が活用されているのかもしれない。魔術には、植物の成長にも関われるものがあるのだ。
図書館の料理本に載っていた食事は、魔術が使われなくなって科学と技術が発達する前の時代よりも遥かに豊かだった。現代とあまり変わりない。違うことは、見知らぬ食材と、調味料が魔物から作られているものがあるくらいだろうか。
「……これって……一般家庭の、食卓の風景……」
ルキウスが嬉しそうに呟いた。セウェルスは、「上手くできてるな」と少し意外そうな声色で言って、食事室を見つめている。
そんなふたりの後ろ姿を見て、ユリアはふと思った。
今のうちに、あのことを聞いておこう。
「──ねえ。ふたりは〈名もなき神〉という存在について、何か知っているの?」
「……一応は知っています」
「最低限のことだけ、な」
ふたりは、ユリアの方を振り向くことはなく、背を向けたまま返事をした。
「お店の人に話を聞いたわ。この世の守り神のような存在だった〈名もなき神〉が、十年ほど前にいなくなったみたいね。そのせいで不穏な世の中になってしまったとも言っていたわ」
「ああ……そんな話もあったな。……世間では知っていて当然の話だというのに、それを伝え忘れていたのは俺の落ち度だ──恥をかかせてしまって悪かった。……俺達は、神という存在について興味がない。それゆえ、頭から抜けていた」
「気にしないで。なんとなくそれらしい言い訳を作ってやり過ごしたから」
この兄弟は、多くの街の者たちから現人神として敬われているが、本人たちは内心ではそのことを嫌がっている。だから、神のことに興味がないのだ。今までの旅中でも、神に関する話題など一度も聞いたことがなかった。
卓越した力を持っているだけで、普通とは違う存在のように思われていた──そのせいで孤独を感じながらも、感情を封じて戦い続けていた。力を持つ者の責務として、この世に生きる力のない者たちを守るために。
「──さあ。席に座って、料理を食べてみて。民間施設に置かれていた本の通りに作ったから、それなりの出来にはなっているはずよ」
兄弟は席に座り、食器具を持った。そして、メイン料理となる魚介類のリゾットを口に運ぶ。
「──美味しいです……!」
「ああ。美味い」
兄弟の感想に、ユリアは満足げな笑みを浮かべながら着席する。
「それは良かったわ。その料理は、甲殻類のミソや貝などから取れた出汁で作ったの。今が旬のもののようだから、身が大きくて、良い出汁がとれたわ。おかわりもあるから食べてちょうだい」
「あの、ユリア・ジークリンデさん。野菜の上にのっている黄緑の液体は何ですか?」
ルキウスが指差すものは、サラダのドレッシングだ。
「味の薄い野菜を、美味しく食べるために作ったものよ。あっさりとして食べやすいと思うわ」
「……本当です。これも美味しくて食べやすいです」
「そう言ってくれて嬉しいわ。──ねえ、ルキウス。明日の晩ご飯、何が食べたい?」
「お肉が食べたいです。レティエムさんの宮殿の食事に出てきた、あの白い皮に包まれた肉料理とか」
「わかったわ。明日、作り方を調べて挑戦してみるわね」
ユリアは、美味しそうに料理を頬張るルキウスを慈母のよう見つめている。ルキウスに慈愛を込めた目を向けているユリアに、セウェルスはジト目を向けた。
「……焼き菓子はどうした?」
「作ってあるわよ。厨房にある保存室に置いてあるから、明日の朝に食べて」
保存室とは、食材を冷蔵または冷凍できる術式が組み込まれた部屋だ。魔力がたくさんある時代であるためか、大人が二、三人は余裕で入れる広さがあり、少し術式を操作すれば冷蔵か冷凍かの空間を区切れる。
作ってくれていたとわかると、セウェルスの不機嫌な目が消えた。
「いや。これを食べてから食べる」
「今回の焼き菓子には『暁の光華』を入れたわ。次は何がいい?」
それは多肉質で多汁質の小さな果実の名前である。皮や果肉の色が朱色、橙色、黄色の階調となっており、それが夜明けの輝く空に似た色味であることからその名がついたという。
「次は『宵の清閑』で頼む」
『暁の光華』と同じような小さな果実であり、色は白縹色、青色、濃紺色という階調だ。名前のとおり、まるで日が沈んでいく静かな宵の空に似ている色をしている。味は、『暁の光華』がさっぱりとしていて甘みがあり、子どもでも食べやすい。『宵の清閑』は、深みのある柑橘系の味であり、甘みが寄り添って酸味を引き立たせているという。
「わかったわ。──ところで、少し相談なのだけど……この屋敷でひとりだけで過ごすのは、少し寂しいと思ってしまうのよ。だから、それを紛らわせる娯楽が欲しいと思うのだけど……本を買ってもいいかしら?」
ユリアが素直に気持ちを吐露すると、兄弟は食器具を動かすことを止めて、意外そうに彼女を見つめる。
「それは構わないが──寂しいのか?」
「ふたりが帰ってくるとはいえ、それまでの時間は寂しいものよ。昨日までは、あなたたちと常に一緒だったから、今まではそう思わなかったけれど」
「──」
隣に座り合う兄弟は顔を見合わせ、再びユリアを見た。セウェルスが口を開く。
「……今の依頼は、何人かの傭兵と協力してこなしている。だから、半日だけなら休みをもらえるはずだ」
「え。半日のお休み……? それは、嬉しいけれど……本当に大丈夫なの……?」
ユリアが不安そうに首を傾けると、ルキウスが「はい」と答えた。
「なので、いつか近いうちに休みを貰います。そうすれば、『料理を一緒にする』という約束も果たせますから」
「……それでは、お言葉に甘えるわ。少しずつ、ひとりでいても平気なように慣れていくわね」
ふたりの仕事を増やしてしまったが、甘えてもいいのなら甘えておこう。現代での十年間で、ひとりでいることの耐性がほとんどなくなってしまった。
「──ちょうどいい。その時に、お前が本格的に街で暮らしても問題が起きないよう、日常生活で使う魔術の訓練をするか。戦闘のための魔術には一切問題ないが、日常生活の魔術は下手すぎる。おもに力加減がな」
「……物を浮かすことができれば、あとはなんとかなるでしょう? 人に見せることなんてないのだし」
ユリアが異を唱えると、セウェルスは肩をすくめた。
「お前には、伴侶ができる可能性があるだろう……。日常生活のほとんどを自らの手ですることは、どこの街でも一般的ではない。共に生きたいと思う者を見つけることができたとしても、当たり前のことができなければ、呆れられて見放されてしまうぞ」
「旦那さんは見つけないわ。ひとりで生きていくつもりよ。魔物を討伐するだけでも、とりあえず生計を立てることはできるのだし」
そもそも、いつかは現代へ戻るため、そんな技能はいらないのだ。そして、苦手な技能だから練習は避けたい。
「……だとしても、だ。魔術の力加減は出来るようになれ。火加減はなんとか出来るようになったが──それでも、なぜかお前は力加減の才能がなさすぎる」
ユリアは、昔から魔術における力加減がとても下手だった。火加減は調理の際に必要となるため、旅中の訓練でなんとかなった──が、それでも、うっかりしていると丸焦げにする。そのため、慣れるまではふたりに焼いてもらっていた。
「……何を言われても……それだけは……できる気がしない……」
そして、ユリアの顔は暗くなり、唇はへの字に曲がり、眉間に皺を寄せてどんどん妙ちくりんな顔へ変わっていった。セウェルスは、彼女の顔にはあえて触れず、再び呆れを含んだ目を向けた。
ふたりのやり取りを静かに見ていたルキウスは、子どものように拗ねながら変な顔をするユリアに対して、笑いを必死に堪えている。食事を口に含んでいるときだったため、笑ったらすべてを机の上にぶちまけてしまう。なので、右手で口元を覆いながら頑張って少しずつ物を飲み込んでいた。
なぜ、ユリアはここまで自信がないのかというと、小さな力をちまちまと使っているとむしゃくしゃしてくる性格だからだ。自分の手でする細かい作業は嫌いではないのに、魔術になると途端に力をぶっ放したくなってしまい、その気持ちが妙に抑えられない。
おそらく、人々を守る英雄となるよう強くなるために育ったため、生まれつき持ったその強大な力を常にぶっ放していたからだろう。
そして、彼女がこのような不細工な顔をしたことは、彼女の素の行動である。本来の彼女は、明るい気性の持ち主だった。
幼い頃から背負っていたものや過去のトラウマ、後悔などの暗いものに隠れてしまって、ほとんど見えていなかった一面である。それが、エレスドレアへと向かうあの旅のなかで表に出てくるようになった。さまざまな顔を見せる美しい風景、楽しさを与えてくれて好奇心をくすぐる大自然に、彼女の童心とその感情が刺激されたからだ。変化があったのは、兄弟だけではない。
もしも、彼女の生まれが普通の一般家庭であれば、幼い頃からノリの良くて活発な一面をたくさん見せていただろう。
「死ぬほど嫌そうな顔をするな。それでも練習しておくに越したことはない。いつか恥をかくことになるぞ」
「恥なんて、もうかいたわ。だから大丈夫よ。怖いものなんてないわ」
「開き直るな」
「戦闘以外で細かい魔術を使っていると、どうしても盛大に魔術を放ちたくなってしまうのよ。気持ちが抑えられないの」
「まずは、落ち着きを学ばせるべきだったか……」
「子どもではないわ。バカにしないでちょうだい」
「どう見ても子どもだろう」
「大人ですー」
「見かけは、な」
そんな言い争いがしばらく続いた結果、ユリアが言い負かされてしまい、魔術で料理ができるようになるための練習をすることになった。もちろん、教師はセウェルスである。
こうなった理由は、食費と娯楽のためのお金を盾にとられたからだ。それをされると、ユリアは何も言い返せず、折れるしかなかった。
この日の食事時のユリアは、ずっと唇を尖らせながら口を動かしていた。
「……どれほど激しい戦いでも冷静に勇ましく対処し、この世の非情さを受け入れているかと思えば、大自然のなかで子どものように遊びまわり、苦手だからと練習を嫌がり駄々をこねはじめる──。お前の心には、まるで大人と子どもが同居しているようだな」
そう指摘するセウェルスだが、その声色にはどこかそんな彼女を面白がる感情を見せていた。




