第三節 彩る世界 ①
次の日の朝に、ユリアたちはレティエムの宮殿を後にした。まだ商店は開いていない時間帯だが、道には人間がおり、空には星霊を見かける。
ユリアと〈灰色の兄弟〉は、街の者たちから気付かれないようにフードの付いたマントをしっかりと織り、フードも深くかぶりながら街を歩いていた。しばらくして街の広場に辿りつき、三人は足を止めた。
「──この街での依頼は一応達成した。俺は、これから、次の依頼のことでディゼーリオと話をつけに、転送装置を使ってあいつのいる街へと向かう。お前たちはここに残れ。すぐに終わるだろうから、俺だけで行ってくる」
そう言うセウェルスの声は小さかった。人はいないが、街中にいると自然と声を抑えてしまうのだろう。
「わかったわ。いってらっしゃい」
セウェルスは踵を返すと、周囲を見渡し、地を蹴り上げて家々の屋根を伝って去っていった。
どうやら、この街では、屋根を伝って目的地へ向かうことが許されているようだ。彼は、それぞれの街が定める規則を覚えており、それを遵守する性格だ。
「次の依頼、どういうものかしらね」
ユリアがルキウスに話しかけるも、少年は何かを思いながら俯いていた。フードのせいで表情が見えない。何を考えているのだろう。
「……ルキウス? 大丈夫?」
「え──? あ、はい」
ユリアから肩を叩かれ、少年はようやく気が付いて顔を上げた。
「もしかして、まだ眠たいの? 昨日の疲れがまだとれていない?」
「いえ。大丈夫です」
「そう? ──次の任務、どういう内容かしらね」
「この季節は、魔物退治が多いです。冬が終わって温かくなってくると、いつもそうなります」
「魔物も春が来ると活動するのね」
このことはユリアが生まれた時代でも変わらない。多くの魔物は冬眠し、春になると目覚めるのだ。
「この季節の魔物は、群れをなして街を襲う確率が高いです。冬眠から目覚め、腹を空かしていますから」
「それでも、力のない魔物ではなく、抵抗力の高い人間を狙うのね」
星霊はあまり魔物から狙われない。星霊は、人間より強い種族であるということを魔物たちも知っているからだ。
「人間の肉のほうが体に良いと思っているからかもしれません。冬眠から目覚めたばかりだと、空腹で体力も限られていますから、一度の狩りで十分な力の源となるものを取りたいと思うのでしょう」
現代では、さまざまな要因を含めば、弱肉強食の世界でもトップを狙える人間──主に魔術師として生まれた人間は──だが、この世ではそうではない。
ユリアとルキウスがいる街の広場には、人間や星霊の姿が増えてきた。もう少し時間が経てば商店も開くだろう。
目立たないようにしているはずなのに、なぜこのように人通りが多くなりそうな場所にいるのか。それは、マントを羽織り、フードを深く被っていると不審者だと思われてしまうからだ。ここでは、基本的にマントとフードを脱がないといけないという決まりはない。マントとフードをかぶるのは、多くの街では旅人である証とされている。
だが、そのような姿で狭い路地にいると、さすがに怪しまれてしまう可能性がある。なので、怪しい者ではないことを主張するために、あえて街の者が多くなりそうなところにユリアたちはいた。
「魔物から見れば体に良い食料なんて、なんだか嫌ね」
「ユリア・ジークリンデさんにとっては、ほとんどの魔物なんて赤子のようなものではありませんか?」
「まあ……手こずることはないと思いたいけれど……。ルキウスは、魔物との戦いで苦戦したことはあるの?」
「いつも兄さんと一緒に戦うので、苦戦したことはありません」
「ひとりだと、どうかしら?」
「ひとりだと──どうでしょう……。ごく一部の魔物だったら、苦戦してしまうかもしれません。それでも、そんな状況は来ないかもしれませんが」
常に兄と一緒にいて、これからもそうだと信じているのだろう。ふたりの雰囲気から、喧嘩もしたことがなさそうだ。セウェルスもルキウスを気遣う行動が多い。
「そう思えるお兄さんがいるって、素敵だと思うわ。もしも、私にもきょうだいがいたらいいなと──」
その時、大気中の魔力から、ふたりは同時にとある気配を感知した。
「……!? そんな……どうして防衛術が、急に──」
街の防衛術が消えてしまった。
さらに、脳裏に言葉が走る。
──魔物の大群が襲来。戦えぬ者は避難せよ。戦える者は迎え撃て。
街の守備兵が発動した、魔術による緊急伝令だ。
「おかしい……。街の防衛術の消滅から、すぐに魔物の襲撃が来るなんて……。あまりにも間が悪すぎる……」
と、ルキウスは怪訝そうに呟き、帯びていた剣を抜いた。
遠くから悲鳴が聞こえてきた。さらに、魔物の鳴き声に、魔術の発動による衝撃音。そして、地ひびきも。
魔力の気配から魔物の数は多いはずだ。魔物の強さも、街に来るまでに遭遇したもの以上だろう。
「ルキウス。ここは私も──」
「いいえ。約束どおり、ユリア・ジークリンデさんは戦わないでください」
「……わかったわ」
ユリアの戦闘技能は、〈灰色の兄弟〉が自分たちと同等くらいだと認めるほどであり、さらには普通では有り得ないほどの自然治癒力を持つ。この状況ならば街のために戦うべき存在だが、それでも、ふたりからは戦わないようにと言われている。
三人だけのときなら戦っても問題ないが、ここは街中だ。〈灰色の兄弟〉と共に目立った働きをすれば、ふたりと同じように見られ、稀有な力の存在を知ったことでその力を奪おうとする悪が現れてしまうかもしれないという。〈灰色の兄弟〉曰く、ユリアの力は他者を狂わせるものに見えるらしい。
それに、この世は過去である可能性が高い。下手に動けば歴史が変わってしまう恐れがある。
(約束は守りたい──けれど……)
激戦となっているであろう方角にルキウスが向かっていった。
ユリアは、地を蹴り上げて高い建物に登ると、もう一度しっかりと魔力の気配を調べてみた。やはり魔物の数が多い気がする。
魔物という生き物は、ここまで群れるものだったか? 少なくとも、生まれた時代ではこのような大規模な襲撃は、見たことも聞いたことがない。
何か嫌な予感がする。
「……やっぱり、何かおかしい……」
状況を把握していくうちに、ユリアは奇妙なことに気が付いた。
なぜだ。魔物たちは、隙あらば宮殿に近づこうとしている。狙っているのは人間ではない。目的は腹を満たすことではなさそうだ。
宮殿に、何かがあるのだろうか? 統治者。レティエム。魔力──。
(まさか……)
その刹那、助けを呼ぶ少女の声が聞こえた。
隠れていた少女が、魔物に見つかってしまったのか。
ユリアは、声が聞こえた方向を振り向き、高い建物から飛び降りた。
──『戦うな』なんて、無理よ。
己の気配を消しながら、魔力の気配を辿る。風のように細い路地を進み、逃げている小さな子どもの気配と、追いかける三体の魔物に近づいた。
そこか──。
ユリアが路地から大きい道に出た瞬間、三体の魔物の姿を目に映す。その刹那、子どもを追いかけていた三体の魔物は風の刃に切り刻まれた。
「あ──」
「よく頑張ったわね。これを着て、気配と姿を隠していて。魔力を操れるのでしょう?」
ユリアは、着ていたマントを少女に渡した。少女は十歳ほどの子どもだった。目を潤ませながら頷き、マントをかぶって姿を消した。危険が多い世の中で生きている子どもだからか、現代人に比べてかなり冷静だ。
ユリアは、少しだけ気配遮断の術を緩めた。魔物は、もしかしたら強い力を求めているのかもしれない。それを調べるためだ。
ふたりの約束に反してしまったが──子どもを助けられなかったほうが後悔していたに違いない。
(……やはり、魔物は力を求めているわね)
何体かの魔物がこちらにやってくる。
魔物の目的は、魔力だ。
両手に魔力で編み上げた月白色の剣を作る。魔物たちがやってきた。
(幸いにも、周辺に人はいない。戦える──)
ユリアの姿が、一瞬にして消えた。
一秒のうちに地をかける魔物へと接近し、素早く切り刻む。次に、地を蹴り上げ、飛んでいる魔物を刻んだ。そのまま遠くからやってくる魔物を捉え、双剣を振って二重の衝撃波を放った。宙に浮いた状態で倒したことを確認する。
その直後、ユリアの背後から別の魔物が魔術を放ってきた。が、彼女は平然とした顔でその術を障壁によって防ぎ、敵に目を向けることなく月白色の槍を作り出して串刺しにした。
(敵はもういないわね)
魔力の気配から、もう周囲に敵はいない。
上空から舞い降りたユリアは月白色の剣を消し、周囲を見渡した。すると。
「──ユリア・ジークリンデさん」
目の前に、気配遮断と目眩ましの術によって姿を隠していたルキウスが現れた。そして、彼の傍で、マントの効果で同じく姿を隠していた中年の女性も現れる。
「あっ……!?」
ユリアは顔を引き攣らせた。
約束を破ったことは、早くに露見してしまうだろうとは思っていた。だが、まさかこんなにも早くバレるとは思っていなかったため、ユリアは慌てた。
「──おかあさん!」
ユリアが助けた少女が、マントを脱ぎ捨てて母親に駆け寄った。母親は、我が子をしっかりと抱きしめる。
「良かった……!! ありがとうございます!」
「あ、は……はい……。良かった、です……」
母親である女性から礼を言われたユリアだったが、約束を破ったことがルキウスにバレてしまったことを気にしてしまい、うまく反応できなかった。
「──〈灰色の兄弟〉の弟が命じます。この女性の存在については、誰にも言わないでください。彼女は、世間から隠されるべき存在なのですが、今回は緊急時なので動いたのです」
「かしこまりました。〈灰色の兄弟〉様に誓って、誰にも口外いたしません」
と、母親は丁寧に礼を示した。少女も、不思議そうな目でユリアを見つめながらも、母に倣って礼を示す。
「魔物の討伐はひとまず完了しましたが、念のため早くここから離れてください。まだ魔物が潜んでいる可能性がありますので」
ルキウスからの忠告を受け入れた親子は、一礼してその場を去っていった。そして、ルキウスは少女が脱ぎ捨てたマントを拾い上げ、砂を払ってユリアに差し出した。
「何やら罪悪感があるといった顔をしていますね」
「……それは、だって……あなたたちとの約束を破ってしまったから……」
「この街でも、おおよその人が〈灰色の兄弟〉を神に近しい存在だと思っています。そんな〈灰色の兄弟〉の弟として命じたので、あなたの存在が世に知れ渡ってしまう危険性はないでしょう。それに、あなたが助けに入らなければ、あの子どもは命に関わるほどの深手を負っていた可能性があります。なので、おれは約束を破ったことは正解だったと思います」
どうやら怒ってはいないようだ。声色も表情も無であるため、怒っているのかもとユリアは不安になってしまっていた。
安堵した顔でマントを受け取ると、ユリアは気になっていたことを質問した。
「この季節は、街を襲う魔物の群れが現れると言っていたわよね? ここまで勢いよく襲ってくるものなの……?」
「……無くはないかと思われます。それでも、今回の襲撃は……異常な気がします」
「異常?」
「魔物たちは、何者かに操られていたからこそ、街を襲ってきたのではないかと思うのです。そう思うのは、通常なら群れを形成しない種類の魔物がたくさんいたからです。それも、力の強い種ばかりで、人間の肉を好まない魔物もいました」
魔物についての知識と経験のあるルキウスがそう言うほどなのか。だとしたら、この襲撃の原因はいったい何なのだろう。
「誰かが、何かの目的でこのようなことをしたと……?」
「おそらくは……。ひとつだけ、思い当たることがあるのです。ただ、おれの口から言うことはできませんが──」




