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第二節 小さな移ろい ⑤

 使用人から客室に案内されたユリアは、しばらく経ったあとに湯浴みをさせてもらった。客室もそうだったが、湯浴みの部屋も豪華だった。どこを見ても色鮮やかで、宮殿に使われている顔料だけでもかなり金をかけていそうだ。

 湯浴みを済ませて客室に戻ってくると、寝台に寝転がった。あとは眠るだけだが、せっかくこのような異国情緒のある宮殿に来たのだから、少しだけ探険してみたくなった。

 ユリアは、部屋を開けて廊下にいる使用人に散歩をしてもいいかの許可をとった。結果、散歩をするなら中庭を見て回ってはどうかと言われたので、中庭に向かった。

 中庭に行くと、魔力で灯された幻想的な淡い光が宙に浮いていた。それに照らされていた中庭は、落ち着いた雰囲気を漂わせている。中庭は整っているが、植えられている植物は見たこともないもので溢れていた。


「……眠れないのですか?」


 中庭で花を見ていると、後ろから少年の声が聞こえてきた。ルキウスだ。


「ええ。今日はあまり身体を動かしていないから、眠たくなるまで散歩をしようと思ったの。ルキウスはどうしたの?」


「あなたが、部屋から出ていく音が聞こえました。おれとあなたの部屋は、隣同士ですので──」


「もしかして、扉を閉める音がうるさかった……? ごめんなさい」


「いいえ。そうではありません。ただ、出て行ってしばらく経っても帰ってくる気配がなかったので、その理由が気になっただけです。それと、お礼を伝えなければいけないと思ったので──。今日は、おれたちの代わりに、レティエムさんの我欲を満たしてくださってありがとうございました。ユリア・ジークリンデさんにとっては、酷い一日になってしまったかと思いますが……この借りは、いつか必ずお返します」


 借りを返すと言われても、食事のことはセウェルスが叶えてくれるため特に思い浮かばない。気にしなくていいといっても、律儀なこの子は借りを返したがるだろう。さて、何がいいだろうか──。


「だったら、いつか料理を手伝ってくれる?」


「……そんなことでいいのですか?」


「ええ」


「……わかりました。したことがないので、お役に立てるかわかりませんが……」


「私もわからないことだらけだもの。一緒に少しずつ慣れていきましょう。──ルキウスは、まだ寝なくても大丈夫なの?」


「はい。まだ……眠れません」


 眠れないというわりには、ルキウスは目を若干しょぼつかせている。何か聞きたいことでもあるのだろうか。そうだとしたら、言い出すタイミングが判らないのかもしれない。


「それなら、少し夜風に当っていましょうか。今夜は風が気持ちいいわ」


 ユリアは、ルキウスの言葉を待ってみた。しばらく静かな時間が流れていく。

 やがて、少年はちらちらとユリアを伺うように目線を動かした。


「……ユリア・ジークリンデさんは、家族とはどういうものなのか覚えていますか?」


「……おぼろげにだけど、覚えているわ」


「……どういうものなんでしょうか。家族というものは──」


 まさか、そのようなことを問いかけられるとは。

 どうしてだろう。兄がいるのに──。だが、彼とその兄は、『人間の営み』から離れたところで生きていた。だから、今まで意識したことがなかったのかもしれない。

 ユリア自身も、家族というものについては最近まであまり知らなかった。

 血の繋がりがあって、本当は愛されていたが、自身はその愛を知ったのはつい最近であり、愛されることを望んでいてもそれを貰うことはついぞ叶わなかった家族。

 そして、血の繋がりはないが、英雄としてではなく、ただの人として自分を受け入れてくれたもうひとつの家族がいる。

 だが、今はそこまではっきりと話すことはできない。


「家族とは、どういうものなのか……。そうね……。なんとなくだけど──病気も怪我もなく、長生きしてほしいと真っ先に思い浮かぶ人たちが、家族というものかしら……」


「長生きしてほしい、ですか……」


「私はそう思ったの。家族とはどういうものなのかという問いには、きっと人それぞれの答えが返ってくるものだと思うわ。──ルキウスは、お兄さんのことはどう思う?」


「兄さんは、簡単には死にません」


 ルキウスは間を置くことなく答えた。兄の強さを信頼しているからこそだろう。


「ええ。セウェルスは強いわ。それでも……もしも、セウェルスに命の危険があったら、ルキウスはどうする?」


「……助けにいきます」


「……もしも……お兄さんがいなくなってしまったら、どう思う……?」


「……兄さんがいなくなったら……寂しい……と、感じると思います……」


 少年の寂しいという言葉が、弱々しい声色となった。


「そうなってしまうわよね……。ずっと一緒に戦ってきた、たったひとりのお兄さんだもの。──私が思うに、セウェルスも、ルキウスと同じ気持ちだと思うわ」


「どうしてですか?」


「ルキウスが薬味をかけてお肉を食べたいと言った時、あの人はかけようとしなかった薬味をかけて食べたでしょう? 好きにかけて食べろと言うだけでよかったはずなのに、わざわざ自分も薬味をかけて食べたのよ? もしかしたら、あなたの好みを知っておきたいと思ったから、薬味をかけたのかもしれないわね。──ルキウスが、食事についてワガママを言うなんて滅多になさそうだから」


 それからルキウスの言葉はなかった。少年は何かを考えているように庭を見ている。

 またしばらく沈黙の空気に包まれる。ややあって、ユリアは再び口を開いた。


「──ルキウスたちの……その……故郷は……?」


「ありません」


 ふたりには、おそらく故郷もないのだろうという予想はしていた。やはり、〈灰色の兄弟〉も訳ありな生い立ちのようだ。

 ユリア自身も複雑な人生であり、軽く話せる内容ではないため人には言いにくい。踏み込まれると戸惑ってしまう。だから、彼らのこと聞くのはここで終わりにしよう。


「それじゃ、今まで任務や旅で訪れたところで、また行きたいと思う場所は?」


「特にありません」


「そう……。もしも、また行きたいと思えるところを見つけたら、そこがルキウスにとっての『故郷』かもしれないわね」


「生まれた場所でもないのにですか?」


「生まれたところや、育ったところという意味合い以外にも、『故郷』という言葉を使ってもいいと思うわ。故郷を知らないのなら、自分で『ここだ』と思うところを探してみるのもいいかもしれないわね」


「……故郷を探すなんて、考えたこともありませんでした」


「よかったら、これからいろいろなものを探してみてはどうかしら? なんだか、素敵なことと出会えそうな気がするわ。私はね、これからたくさんの料理を探してみたいと思っているの」


 きっと、この世の中にも素敵なもので溢れているはずだ。だから、ルキウスやセウェルスも、それを探してみてほしかった。

 半身と、もうひとつの家族が、自分にそれを教えてくれたから。


「……そういえば、ユリア・ジークリンデさんは、食べることが好きですよね。今日もすごい量を食べていましたし」


「ええ。とても好きよ。今日いただいた料理のなかだと、最後に出てきた果物が入った焼き菓子が気に入ったわ。ルキウスは、今日いただいた料理のなかで何か気に入ったものはあった?」


「おれは……白くて薄い皮に、細かく刻まれた野菜と肉が包まれていた料理です」


 いわゆる水餃子のような料理だ。

 ルキウスはそればかり口に入れていたが、やはり気に入っていたようだ。


「お肉が好きなのね」


「肉は好きです」


「他に好きな料理はある?」


「……知っている料理の種類が、少なくて……」


「では、好きな料理も探してみましょうか。そうすれば、世の中がもっと色鮮やか見えてくると思うわ」


 誰がどういう意味を込めて呼び始めたのかは知らないが──ルキウスとセウェルスが〈灰色の兄弟〉と呼ばれている理由は、人の世にある『色彩』を知らなかったからではないだろうか。

 幼い頃は、自身も知らなかった。テオドルスが教えてくれて、ようやく気付くことができた。

 だから、この子やセウェルスにも知ってほしいと思う。『色彩』を知れば、この世界をもっと好きになれると思うから。


「……記憶を無くしているのに、あなたは前向きで明るいですね」


「そっ──そう、かしら……?」


 しまった。

 気が付くのが今さらすぎるが、先ほどまでの自分は素の性格だった。忘却刑に処せられた者には見えない。

 怪しまれたか。いけない、どうしよう。手に汗が滲んできた。


「おかしいと言いたいわけではありません。むしろ、好ましく思っています。忘却刑に処せられる前も、そのような性格だったからこそ、今のあなたは明るいのでしょう」


 どうやら怪しまれてはいない。

 ユリアは安堵した。


「よ、よかったわ。嫌がられていたらどうしようかと──でも、セウェルスからは、何とも言えない顔をされるときがあるわね……。今日の食事の時も、たくさん食べていると何かを言いたげに、じっと見つめられていたし……」


 と、ユリアは小さく苦笑いした。

 客の身であるのに調子に乗って食べすぎた。久しぶりにたらふく食べられる機会がやってきたため、つい食べすぎてしまった。


「それは、ユリア・ジークリンデさんの食べっぷりに見入っていただけだと思います。兄さんは、気に入らないことがあればはっきりと言う性格です。なので、兄さんはユリア・ジークリンデさんのことを嫌っているわけではないと思います」


「それなら、よかったわ」


 そして、ユリアは小さく欠伸をした。

 わりと話し込んでしまっていた。

 ルキウスは、話を振ればここまで喋る子だったようだ。話していて、他人と関わることや話すことを疎むような素振りは見せない。むしろ、たまに何かを話そうとする意志が見える。喋らなかったのは、今まで他人と関わる機会を断っていたからだろう。


「──ねえ、ルキウス。もしよければ、またこうしてお喋りしましょう? 私、ルキウスのことをもっと知りたいわ」


 ユリアが心に思った言葉を素直に口にすると、ルキウスは少しだけ戸惑いと喜びを混じらせた表情を浮かべた。


「……おれで良ければ、お喋りします」


「ありがとう。それじゃ、約束」


 ユリアは右手を顔のあたりまで上げて、小指を立てた。


「……? どうして、小指を……?」


「あっ。いえ──き、記憶の片隅にあったのよ。何かを約束したら、こうして小指同士を絡めるって……」


 つい自然に小指を出してしまったが、このジェスチャーの意味がわかるのは未来に住む人間だけだ。


「ユリア・ジークリンデさんの故郷では、約束をするとそうする習慣があったのかもしれませんね。あなたの故郷を探す手掛かりになるかもしれません」


 ルキウスは、そう解釈してくれた。

 もしかしたら、そうする街はあるかもしれない。だが、この世には故郷はない。


「──いつか、故郷や家族が見つかるといいですね。忘却刑に処せられても、故郷や家族の記憶が薄っすらと残っているということは、あなたにとって大切な思い出だった証でもありますから」


 そして、少年はユリアの小指に自分の小指を絡めさせ、抑揚のない声色で言った。声に色はなくとも、その言葉は純粋な気持ちから出てきたものだと感じ取れた。

 違うのよ。本当は、あなたたちに嘘をついているの。本当の故郷に帰りたいがために、私は、あなたたちの親切心を──私は、そんなに気遣われるような人間ではない。


「……」


 一瞬、言葉に詰まってしまった。罪悪感が、心を苦しめる。


「──ありがとう。……そろそろ休まないと、明日に響きそうね。ルキウス、実は眠たいでしょう? 目がしょぼしょぼしているわよ」


「はい……」


 初めて、少しだけ恥ずかしそうな顔を見せた。

 私は、こんな純粋な子を騙しているのか──。


「では、今日はもう部屋に戻って寝ましょうか」


 〈灰色の兄弟〉に『色彩』を見つけてほしいという気持ちは本物だ。ふたりには傷ついてほしくもない。

 けれど、どうして、私はこんなところにいるのだろう。

 私は、この世にとっては『異物』そのものだというのに──。

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