第二節 小さな移ろい ④
「……それは重々承知なのですが……その……今回だけは、レティエムさんの言うことを聞いてあげてくれませんか。それに、あの……ユリア・ジークリンデさんなら、きっとどんな服でも、似合うかと思いますので……」
その時、ルキウスの声で信じられない言葉が聞こえた。ユリアは理解できないと言いたげに呆けた顔で「……え?」と呟いて少年を見る。この時、ルキウスの珍しい褒め言葉は耳に届いていなかった。
「レティエムは、子どものようにわがままだ。言うことを聞かなければ癇癪を起こし、いつまでも根に持つ」
なんと、セウェルスもユリアに押しつけるような言葉を吐いた。
「わかっておるではないか。〈灰色の兄弟〉よ」
満足げにレティエムが微笑む。
いや、『わかっておるではないか』ではないわよ。いい大人なのだから、いい加減に我慢くらいは覚えなさい。私がここの使用人になって、そのふざけた性質を叩き直してあげましょうか。
「待って。それなら、あなたたちが女装しましょうよ。あの人が本当に望んでいるのはふたりの女装でしょう?」
「そうじゃぞ」
『そうじゃぞ』ではない。
レティエム様は少し黙っていてほしい。
「……」
「……」
〈灰色の兄弟〉は黙るな。
何か言いなさい。言わないなら私から言うわよ。
「そもそも、セウェルス。今日、あなたは、見ても見られても減るものじゃないと言ったわよね? だったら、女装くらい気にならないのではないのかしら?」
「それとこれとは話が別だ。異性装は、男としての尊厳が損なわれる気がしてならない」
何が男の尊厳よ。原始人か野人みたいな感性を持っているくせに。私の下着姿を見てなんとも思わなかったくせに。男を語るなら、女の下着姿見て何かしらの反応くらいしてみせないさいよ。なんで気に留めることなく普通に流したのよ。
この時のユリアは、露出の激しい服を着たくない一心で、心の声がいつにも増して鋭く荒々しいものへとなっていた。顔つきもあからさまに文句を言いたげに睨みつけている。
ユリアとセウェルスは、互いを無心に見つめている。緊張感が走った無言の空間がしばらくその場を支配していたが、やがてセウェルスは目を伏せた。
「──ならば、ユリア・ジークリンデ。取り引きの提案だ。お前が俺達の代わりにレティエムの欲望を満たしてくれた暁には、いくらでも食事代を払うと約束する。お前が作ってくれた料理もすべて食べよう」
なんですって?
いくらでも食事代を払う?
私が作った料理も、食べてくれると? 人間らしくするということ?
「その言葉に二言はないわね?」
「ああ。二言はない」
言質はとった。
ならば、私は彼との約束を果たすまで。
「レティエム様。お望みの衣装を貸してください」
そして、ユリアは覚悟を決めた目でレティエムと向き合った。
その時のレティエムは、真顔だった。
「……おぬし、さてはめちゃくちゃチョロい女じゃな?」
「チョロいとは何ですか!? そんなので戦場を駆ける戦士として務まるはずがないでしょう!?」
と、ユリアは怒って言い返すが、レティエムは真顔のままだった。
ユリアの後ろで、ルキウスが兄に近づいてこっそり問いかける。
「兄さん……。ユリア・ジークリンデさんは、ひとりになったら生きていけると思う……?」
「……わからん」
◆◆◆
背は高く、戦争で傷ついた肌に、筋肉質で膨らみが慎ましい身体。
必要最低限しか存在していない布面積。
淡く輝く長い金髪も、肌を見せるためにすべて高く結わえ上げられてしまった。
想像していた以上に恥ずかしい衣装だ。これを着て外に出れば、ただの痴女にしか見えない。
「タスケテ……」
堂々と衣装を要求しておきながら、両手で身体を隠し、内股になって身を縮こませ、くわえて顔を真っ赤にして涙目。さらにはガチガチの笑顔かつ棒読みの言葉で助けを求めた。
恥ずかしすぎる。ヌエメラさんたちはどういう感性をしているのか。
もう無理。戦場で傷つくほうがマシだわ。
「お、おかしい……! 女の恥じらう姿は花のように甘美でそそるもののはずなのに……わ、笑いしか出てこねぇ──あははははッ!」
レティエムも側仕えの者たちも笑っている。自分でもおかしいと思う。
それでも、この服を着る恥ずかしさより、たくさんの食事とセウェルスが進んで味のついた料理を食べようとしてくれたことの喜びのほうがはるかに大きかったのだ。だから取り引きを了承したにすぎない。とっとと時間よ進め。終わればすべて良しだ。
「着替える前の威勢の良さはどこへ消えた……?」
セウェルスもユリアの情けない姿を見て呆れている。
少なくとも、あなたの取り引きに応じて頑張って身体を張っているのだから少しくらい同情してほしい。
「ゴ飯ノタメニ頑張ロウト思ッタケレド──ヤッパリ、ハズカシイ……。タスケテ……」
ユリアは羞恥に耐え切れないのか、とうとう足を震わせはじめた。
「生まれたばかりの動物か、お前は……」
そう呟くと、セウェルスはマントを脱ぎ、着ていたロングコートをユリアに羽織らせた。一九〇センチ以上はある男性用の長い上着であるため、ユリアの身体はすっぽりと覆われている。
ふたりのやり取りを見ていたレティエムは、冷やかすように「ほほ~?」とにやけ、側仕えたちも意外そうにざわめいた。
「恥ずかしがるわりには、同性のわしらではなく、男であるそやつに助けを求めるのか?」
「何やら、兄君とは深い関係がおありの様子──」
「そ、そんな関係ではありません! あなたたちよりも付き合いがあるからですっ!」
レティエムとヌエメラの言葉を大きな声でユリアは否定する。その大声を間近で聞いていたセウェルスは、うるさそうに目を細めて耳を手で覆った。
「……レティエムさん。もう笑わないでください。満足もしたでしょう。そろそろ彼女をもとの服に──」
ルキウスは、ユリアを庇うように彼女の前へ移動すると、そう催促した。
「わかったわかった。着替えてよい。そう睨むな、弟よ」
「睨んでいません。──では、ユリア・ジークリンデさん。そのまま着替えに行ってください」
ひとりの側仕えの女性が、再びユリアを着替えに別室へと連れていく。ふたりの姿が見えなくなると、レティエムは軽くため息をついた。
「やれやれ、〈灰色の兄弟〉は思った以上に過保護じゃのう」
「俺達は指導役だ。彼女は、忘却刑に処せられた可能性が高い」
「ほ〜。忘却刑──未来があるとはいえ、罪人ときたか。おぬしら、やはり何やら変わったな? 昔は誰かに肩入れするような者たちではなかったろうに。……特に罪人には、な」
レティエムは意味深な笑みを浮かべて〈灰色の兄弟〉を見るが、彼らは表情を無のままから変えなかった。
すると、セウェルスがレティエムに向かって何らかの魔術を投げつけた。これは魔力を介して意志を伝え合う念話だ。
「──おっと。そういうことか」
軽くため息をつくと、レティエムはどこか憂いた顔を浮かばせる。
しばらくしてから、もとの服に着替えることができて安堵の顔をしたユリアが戻ってきた。マントを羽織り、腕にはセウェルスのロングコートを抱えている。
「──ありがとう。助かったわ」
ロングコートを彼に手渡した時に、レティエムが口を開く。
「そなた……ユリア・ジークリンデと言ったか。もっと近うよれ」
「えっ……!?」
「何を驚いておる。取って食おうというわけではない。少しだけ、〈灰色の兄弟〉を移ろわせた者の顔が見たいだけよ」
「う、移ろわせた──? ……まあ、はい……。わかりました」
わずかに身構えながらも、ユリアは玉座に座るレティエムに近づいた。レティエムの前でユリアがかしずくと、彼女はユリアの顎を掬い上げるように指先で持ち上げた。そして、何かを調べるようにユリアの顔を見つめる。
(何か……見透かそうとする目をしている……)
その時のユリアは、レティエムの目をそのように感じた。
やがて、レティエムは何かを察したようにニヤリと笑う。
「……はっは〜ん? なるほどなぁ……?」
レティエムは素の口調で呟くと、ちらりと〈灰色の兄弟〉を見た。
その時、ユリアは何かを思い出す。
(……そういえば、この人の魔力──)
どこかで感じたことがある。何だったか。どこでだ──そうだ。
(ヴィヴィアンが持っていた聖杯と、魔力の気配が近い気がする……)
しかし、それはおかしい。あの聖杯は、伝承では神々が作ったとされるものだ。レティエムから感じる気配は人間のもので、それほどの魔力を有してもいない。魔力の気配の類似は、ただの偶然か。
「──おぬし。今、何を考えておった?」
「え? いえ……何も……」
不意打ちに問われたが、ユリアは出来るかぎり本当に何もわからないふうに答えた。レティエムの口元は笑っているが、目は笑っていない気がした。
「ほう? ──いやはや、残念じゃ。〈灰色の兄弟〉が保護者でなければ、わしがもっと可愛がってやったのに」
やがて、再び先ほどのレティエムに雰囲気が戻った。あの表情は何だったのだろう。
「それより〈灰色の兄弟〉よ。今日も〈灰色の兄弟〉は野宿かえ?」
「そのつもりだが──」
セウェルスがそう言うと、ユリアは手を伸ばして、待ってと言おうとした。だが、彼女よりもルキウスが先に兄の服を引っ張り、訴えるように顔を見た。
「その……。兄さん……」
そんな弟の目を見た兄は、小さく息をつく。
「……ここの料理を食べてみたい。食事を頼む」
「食事が欲しいとな? ほ〜う……? 本当に急にどうしたのじゃ。ふたりして人間らしくなりおって」
と、レティエムは、また面白そうに笑みを浮かべる。
「もとより俺達は人間だ」
「今まで、そうは見えなかったぞ。──まあ、よい。好きなだけ飲み食いせい。もちろん、ユリア・ジークリンデもな」
「は、はい。いただきます」
◆◆◆
この世は、街によって文化が少し違うらしい。
レティエムが治める街では、スプーンやフォークといった食器は使わずに、手を清めてから素手で食べるのが主流だという。食事をとる体勢は、椅子に座るのではなく地べたに座り、当然ながら皿も床に置かれる。また、食事時に魔術を使うことはほとんどないらしく、あったとしても食事が熱すぎた時、あるいは肉の筋などが千切りにくい時などにのみ使うようだ。
「ははっ。ユリア・ジークリンデよ。そちは、よく食うのう。料理に舌鼓する顔は、宝石にも優る輝きをしておる」
広間に広げられた青を基調とした豪華な絨毯の上には、さまざまな料理が盛られた皿が並べられている。それを囲うようにユリアと〈灰色の兄弟〉、そしてレティエムが座っていた。
「す、すみません……。美味しくて、つい……」
「よいよい。面白──いや、愛らしい姿を見せてくれた礼じゃ。腹は膨れたか?」
「はい」
「では、そろそろ宴を閉めようかの。わしは、これでも統治者ゆえ、明日も早いのでな」
手拭いで油のついた手を拭くと、レティエムは立ち上がった。すると、何かを思い出したように「おっと。そうじゃそうじゃ」と呟く。
「──兄のほうよ、少し話がある」
「……なんだ、急に」
「そう嫌そうな顔をするな。ちょいと話したいことがあるんじゃ。──誰か。ユリア・ジークリンデと弟を、客室へ案内せよ」
レティエムは周囲にいる使用人たちに命じると、ひとりの女性がユリアとルキウスに声をかけた。ルキウスは、何かを言いたげにちらりと兄の方を見るが、ユリアに行きましょうと促され、立ち上がって広間を去っていった。
「……なぜ弟を行かせる? 依頼のことなら、弟も話に入れてもいいだろう」
「いや、違うって。弟のほうは、少し止めておいたほうがいい話かもしれないかもなって思ったからだよ」
「……何が言いたい?」
セウェルスは、口調に少しの苛立ちを含ませる。対して、レティエムの顔からは、ふと表情が消えた。
「──ひとつめは、世間の影に蠢く『不穏な話』について。そして、ふたつめは、例の予知のことと、ユリア・ジークリンデについての事だ。弟のほうは、なんとなく彼女に思い入れがあるように見えたから外したってワケ。……あんたは、まだ『冷静な視点』を持ってくれるよな?」
その瞬間、セウェルスの顔が無に戻った。




